SS

・ジャンルはすべてポケモン
・短編未満、連載番外、if、パロ、なんでも詰め合わせ

SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ(塵)」に格納します。


▽ 三日月が祓うことを忘れた夢

2019.02.18 Mon * 11:43

赤いギャラドスがいる湖。テレビに映っている遠い場所。1階からお母さんが私を呼んでいる。私は部屋の中央に立っている。 これから私は、私がどうなるのか知っている。私は階段を下りて、外に出て、お隣に住む男の子と一緒に、町外れの湖へ向かうのだ。 そこで現れた野生のポケモンと戦うために、近くにあった鞄からボールを取って、投げて、あの可愛い子が、私の大好きな子が、出てきて。 「……私、昔に戻ってきちゃったのかな」 綿飴の海に沈んでいるような心地のまま、ゆっくりとしか動かない腕で鞄の中を探る。中にあったのは真新しい日記帳だけだった。 トレーナーカードも、モンスターボールも、ポケモン図鑑も、何もなかった。エンペルトも、レントラーも、ギラティナも、誰もいなかった。 皆がいない。皆に会えない。 でも、貴方だけはそこにいた。 部屋の隅っこに影を伸ばしたそのポケモンは、私がこの世界でどのように生き始めるのかを見守ろうとしているかのように、いてくれていた。 「この夢は貴方のものなの? 私に悪夢を見せているの? 私にとって「旅が始まること」は、悪夢なの?」 その影は、ダークライは答えてくれなかった。 顔が火照ってしまいそうな程のぬるい空気の中で、私はぎゅっと強く目を閉じた。そうすれば、ちゃんと夢から覚めてくれるはずだと思ったからだ。 案の定、次に目を開けた私は、ちゃんと私の家にいた。 毛の長いカーペットに転がったまま眠ってしまった私の背に、ブランケットが被せられていた。 きっとお母さんがかけてくれたのだ。そう思ってキッチンを見遣ると、エプロン姿の優しい後ろ姿から鼻歌が聞こえてきた。 あの背中に「行ってきます」と言わなければ。そう思い、手をカーペットに着けて立ち上がろうとした。けれども、できなかった。 そうだ。もう旅は終わってしまったんだ。私にはもう「行ってきます」を言う理由がないんだ。 私の会いたい人、私がどうしても会わなければならなかった人は、旅の終わった世界の何処にもいなかった。見つけられなかった。 終わってしまった旅の続きに出掛けたところで、もう何も変わらない。 私はずっと、私の悲しさと私の大好きな人達の悲しさとを、抱えて、悔いて、嘆いて、生きていかなければいけない。 「……」 私は再びカーペットに頭を預けた。頬を撫でる長い毛に目元をうずめつつ、鞄から一つのモンスターボールを取り出し、両手で抱くように握りしめて、目を閉じた。 先程まで眠っていたにもかかわらず、驚くほど早くに意識が朦朧としてきた。まるで熱にうなされている時のようだった。 そのどうしようもない熱さが、今の私、全てを終えてしまった私への道標になると信じて、私は夢の中へ戻っていった。 私には旅をする理由がない。でも夢の中にはある。あの場所には、私が旅を始めるための全てが残っている。 * 上に落ちる水でも天を読む藍でも、一途が故に、彼女は変わらない世界を延々と繰り返し続けてしまう。 ちなみにこの夢は、モノクロステップ秋編で英雄が彼女に声を掛けるまで、終わりません。 

▽ 私はもう地獄に行く資格を持たないのですか?

2019.02.16 Sat * 15:35

(参考:20度超の酩酊にどうか楽園の夢を見て

ホウエン地方での旅が決まった直後、友人と会う機会に恵まれたので、私はあの人に買ってもらった赤い服一式を身に着けた。
いつもは自室でお留守番をしてくれているプラスルを、今日こそはしっかりと腕に抱いて、その子の長い耳と私の紅いリボンを指さして「お揃いね」と笑い合った。
シルフカンパニーの応接間を一室、彼女のために空けてもらった。先にそのソファへと腰掛けて、私は目を閉じた。
彼女がどんな顔でこの部屋へと入り、どんな顔で私に「おめでとう」と言うのだろうと考えながら、プラスルの耳を飽きずにずっと撫でていたのだ。

彼女はきっと、私が旅に出ることを祝福してくれる。そんなことは分かっている。問題はその先にある。
強欲で傲慢な彼女はきっと不安そうに微笑んで、私のこれからをそっと案じるのだ。
自由で身軽な私に、全てのしがらみから解放されてホウエン地方へと羽ばたく私に対して、悉く不適切な助言をきっと彼女はしてのけるのだ。
重たい枷を引きずるように生きている彼女は、きっと自身と私が「同じところ」にいるなどという勘違いをしているのだ。

だから私は、困ったように笑う彼女の前で、彼女を小馬鹿にするように、こう、まくしたててみるつもりだった。
私はもっと楽しく自由に旅をしてみせる、幸せと戯れるようにこの土地を駆け抜けてみせる、旅ってそういうものよ、貴方は最初から間違っていたのよ、と。

私は間違えない。私は愛とか絆だとかいうものに足を取られたりなんかしない。私は、貴方とは違うわ!

……誤解されるかもしれないので一応、付け足しておくと、私は別に、あの小さな友人のことを嫌っている訳では決してない。
寧ろ、好きだった。大切な友人だった。尊敬していた。彼女と出会えたことは私の誇りだった。そしてだからこそ、許せなかった。
長い髪を世界への供物として捧げた、2年前の凛とした彼女。
その愛だとか絆だとかいうものを小さな体で大きく振りかざし続けて、遠い土地に生きる多くの人を救ってみせた、あの美しい彼女。
あの子がいなくなってしまったことが、私はどうしても許せなかった。あの子を隠した今のあの子のことが、腹立たしくて、もどかしくて、嫌いだったのだ。

これはそんな、変わってしまった彼女への嫌がらせであると同時に、私なりの激励のつもりでもあったのだ。
「しっかりしなさい!」と、彼女の頬をぺちと叩いてまくし立てるような激励の仕方は、どうにも私に馴染まない。だからこのような方法を選んだのだ。
私のこの言葉が、友人を立ち直らせる一助になれると信じて、私は悪い言葉ばかりをわざとらしく選んで、彼女の前で歌おうとしていた。歌う、つもりだった。

「旅、楽しんできてね」

ああそれなのに、目の色を完全に変えてしまった彼女が、泣き腫らしたその瞳に綺麗な海を移さなくなってしまった彼女が、
疲れ果てた笑みで、私の名前を呼ぶことさえ忘れて、弱々しくそれだけ告げて、押し黙ってしまったものだから。
その声よりも、彼女の背後にある応接間の扉がパタンと閉まる音の方が、ずっとずっと大きく聞こえてしまった、ものだから。

「貴方、今度は何をしたの」

私は用意していた言葉も、友人への気取った激励の音も忘れて、大きな歩幅でカツカツと彼女へと駆け寄り、小さな肩を鷲掴みにした。
そうする他に、この煮え滾るマグマのような感情を処理する方法が見つからなかったのだ。

「どうかしているわ。そうよ、どうかしているのよ。貴方、もっと賢かったはずでしょう。貴方はもっとちゃんと、利口に誰かを想える人だったはずでしょう。
それなのに、この私によくも! よくもそんな顔を見せられたものだわ!」

ああ、彼女の矜持は何処へ行ってしまったのだろう。今度は何に思い煩ってしまったというのだろう。
あまりにも酷い、と思った。ただ悔しかった。数か月ぶりに顔を合わせた友人の、非言語的な裏切りを目の当たりにして、私はもうどうにかなってしまいそうだった。

どうして彼女は、私のいないところでこんなにも変わってしまうのだろう。どうして変わってしまう前に、私を呼んでくれなかったのだろう。
協力を仰ぐことは彼女の十八番であったはずなのに、彼女はそうして多くの人と協力して、かつては世界さえ変えてみせたというのに。
どうして、自分のためだけに誰かの力を借りるということをしないのだろう。どうしてその相手に、私を選ばないのだろう。
どうして私は、あの頃の凛とした美しい友人を呼び戻すことができないのだろう。

遣る瀬無さにもう一度、彼女の肩を大きく揺さぶった。すると、その肩に提げていた鞄がすとんと細い腕を滑り、白い床の上に軽い音を立てて落ちた。
開いてしまった鞄の口から、一つのモンスターボールと、綺麗な小さい球体が転がり出てきた。
そのポケモンの目を私は知っていた。プラスルもその姿に覚えがあったのだろう、歓声を上げてボールを拾い上げ、中の「彼女」に向かってにこっと微笑みかけていた。

「貴方、もしかしてあの時のラルトス?」

タイトルはサーナイトの言葉

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▽ 花の命のような生き急ぎ

2019.02.15 Fri * 11:32

(関連:「連理に通る悪事」)

「君にどんな昔があったって構わないよ」

ワカバタウンの東外れ、紺色の波が穏やかに寄せたり引いたりするさまを眺めながら、私は小さな声でそう告げた。
靴が濡れないギリギリのところまで砂浜を進んだ彼は、私の声にちゃんと気付いて、振り向いてくれる。
僅かに細められた紅い目が月明かりによく映えて、いつものようにとても綺麗で、そのことにどうしようもなく安心させられる。
私の声を彼が無視したことは一度もない。私の心を彼が蔑ろにしたことも、ない。

「君が私の知らない昔に、どんな悪いことをしていたって構わない。君がその心の内に、どんな悪魔を飼っていたって構わない。
だって君も、知らないものね? 君も私の昔がどんな風だったか、私の心にどんな悪魔がいるか、全く、知らないんだものね?」

「それは、そうだろう。俺達は旅の中で、たった十数回しか会ったことがないんだ。その十数回だって、ほとんどポケモンバトルで会話をしているようなものだった」

「そうだよ。私達、互いのポケモンのことはとてもよく知っていても、互いのことはきっとまだほとんど知らないの」

研究所の前で突き飛ばされて、29番道路で戦って、それからの旅先でもずっと、彼に呼び止められたり彼を呼び止めたりして、出会う旅にポケモンバトルをして……。
そうした私達の時間はあまりにも慌ただしすぎて、沢山の知らない感情が嵐のように吹き荒れこそしたけれど、その中で彼という存在をちゃんと想うことはひどく難しかった。

この指輪を嵌めるために恋というものが必要であるのなら、きっと私はこの綺麗なリングに弾かれてしまっていたことだろう。
そういうことだった。私は彼に上手く恋をすることができなかった。今もきっとできていないのだろう。
この短い時間で彼を呼び止めるためには、彼と一緒に在ることを乞うためには、恋なんてものはあまりにもまどろっこしすぎた。
嵐のようにジョウトとカントーを走り抜けた私達には、恋の甘ったるいスピードは少し、遅すぎたのだ。

「そんな相手によくこんなものを渡せたものだな」と、薬指を月明りに弾かせるように天へとかざして笑うので、
私も駆け寄って隣に立って「君だって私の指に嵌めてくれたんだから同罪でしょ?」と、からかうように告げて笑い返してみた。
婚約紛いのやり取りを「同罪」とするなんて、随分と不謹慎だと思った。
けれども今この夜の砂浜に、その不謹慎な悪行を咎める人物はいなかったから、私は訂正する隙を見失ってしまい、そのまま、笑ってしまうことになったのだ。

私達の存在がもし連理になることが叶ったなら、きっとその木目には悪戯めいた「悪事」が通っている。
私の木が、彼のこれまでの幹を、悪魔めいているかもしれないその木目を引き取って、そして一緒に伸ばしていく。私の幹も木目も、いつか彼が引き取ってくれる。
日差しを喜び、雨を楽しみ、雪に震え、そうして咲かせる花の色さえも揃えていく。

「昔のことなんか無理して話さなくていい。君の中にいる悪魔のことを懺悔してくれなくてもいい。
私は君がどんな風であったとしても、その君の全部を抱きこんで一緒に枝を伸ばすって決めたの。だから隠し事の十や二十あったって、どうってことないよ」

「……俺の隠した悪魔とやらのせいで、お前の枝が折れたとしても?」

「折れるときは君も一緒だよ。だってもうそれ、受け取ってくれたものね。木目はもう合わさっちゃったから、私の枝だけ折れるなんてこと、在り得ないよね」

彼の手を取った。ぎゅっと強く握りしめた。大きく目を見開いた彼の紅い目に、にっこりと微笑む私が映っていた。

「残念でした!」

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▽ 奇跡に香るカカオ

2019.02.14 Thu * 22:38

「お父さん、いい加減にして! 貴方に渡すチョコレートなのに、貴方が監修しちゃ意味がないじゃないの!」

彼が手を出そうとしたのを大声で咎める。もうこれで6回目だ。流石にそろそろ諦めてもらわなければなるまい。
実の娘の、聞いたこともない大声を聞いて彼は流石に怯んだらしく、緩慢な歩みでキッチンを出ていった。
あたしの隣に立つ彼女が「大丈夫だから」と告げて微笑んだのも、彼を納得せしめる要因となったのだろう。彼はあの笑顔にめっぽう、弱いから。

素人のテンパリングに指摘を入れたくなるのはシェフの性なのだろう。
同じ材料で作るのなら、より美味しくなった方がいいに決まっている。それが自らの口に入るものであるのなら、尚更だ。
けれどもあたしは今日、そうした芸術性や効率性を完全に無視して、ただ彼女とチョコレートを作ることに決めていた。
彼の手の一切が入らない、女性だけのキッチンで、正しく「バレンタイン」なるものをやろうとしていたのだった。

どうせこの二人は、バレンタインとかいう風習に則ったことなどないのだろう。
逆チョコと称して彼の方からチョコレートを贈ったことならあったかもしれないけれど、と微笑みながら、溶かしたチョコレートを型に流し込んだ。
もうすぐ50歳を迎えようとしているこの女性、ここ数年でようやく、冷たい水や新鮮な食材に触れることができるようになった私の母。
そんな彼女と一緒にチョコを作る。お父さんのために、二人で作る。その有り体な光景を、けれども数年前の私は想像することさえできなかった。
そう、今、あたしたちがこうしてキッチンに並んでいることは、奇跡のようなことなのだ。
その素晴らしい奇跡があれば、作ったチョコレートが不味くなることくらい、どうということはない。

そして、それを「奇跡」だとしていたのはどうやらあたしだけではなかったらしく、
チョコを溶かして型に流し込んで冷やし固めただけの代物を受け取った彼は、震える両手でそれを包み、その上にぽろぽろと涙を落としたのだ。
それを見た彼女も、釣られたように泣き出してしまった。小さなチョコを囲んで涙を流す壮年夫婦の姿を、あたしはしばらくの間、黙って眺めていた。
その後で勿論あたしは「どうしてこんなことで」と、とびきり呆れた。「大袈裟だわ」と笑い飛ばしてやった。そうしなければいけなかったのだ。
二人が妙なところで涙脆いから、あたしはこうして強くなっていく。これがあたしたちの歪な家族の形だ。それでよかった。それがよかったのだ。

「あたしとお母さんが、お父さんのために作ったのよ。たとえ不味かったとしても、不味いなんて言わせないわ」

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▽ ビックリヘッド(USUM・未定)

2019.02.14 Thu * 19:24

(「悪魔が幸せそうに眠るから」と同じ世界線)

甲高い声で呼び止められ、振り向いた。
青年の側から少女を呼び止めることはあっても、彼女からこちらを呼んだことは未だかつてなかったような気がして、
彼は物珍しさを抱きつつ、駆け寄ってくる少女の小さな足跡が、黒い砂浜に一歩ずつ増えていくさまを見ていた。

「久しぶりだな。どうしたんだ」

「えっと、私……」

青年のすぐ前に立った少女は、持っていた小さな紙袋を胸元へと掲げる。不自然に震えている手をこちらへと差し出してくる。甘い匂いがする。
これは、と尋ねて首を捻る彼の前で、少女は何と説明したらいいものかと悩むように、ぎこちなく、やわらかく、笑う。
その態度に青年は少し、ほんの少しだけ傷付く。

『馴れ馴れしく話しかけるな! ミヅキはお前みたいな甘ったれた奴が大嫌いだ!』
『お前もどうせミヅキを嫌いになる。ミヅキを裏切る。でもそんなの知ったことじゃない。ミヅキはお前たちのことなんかどうでもいいんだ』
『暑い場所も寒い場所も、煩い場所も嫌い。ミヅキはポケモンセンターで過ごす、暑くも寒くもない一人の夜が一番好き。分かる? お前、邪魔なんだよ』
『中途半端に力をつけて、ミヅキの足を引っ張って付きまとってくるくらいなら、いっそ弱いままの方がマシだ』

……これらはかつて、青年が旅の途中で偶然耳にしてきた少女の言葉だ。
青年がその場にいないとき、ミヅキという少女はいつだって尊大かつ高慢に振る舞い、誰も彼もを無条件に嫌っていた。
大人に対しても敬語を使わずにお前と呼びつけ、自らの歪んだ自論に基づいて相手を徹底的に貶める。彼女はそういう人物だった。
光溢れる美しいアローラの中で、彼女の周りの時空だけが歪んでいた。彼女はアローラにいるようで、アローラにいなかった。
だからこそ彼女はこの地において、誰よりも……そう、いつも彼女の隣にいるあの姫よりも……ずっと目立っていたのだ。

「チョコクッキーを作ったんです。受け取ってくれますか? 一口だけ食べて、お口に合わなければ捨ててもいいから」

けれども青年と顔を合わせるとき、そうしたいつもの、誰よりも目立っていた彼女の姿は消え失せる。
そこにいるのは、自分のことを「私」と呼び、少し不安そうな、それでいて人懐っこそうな目でこちらを見上げ、大人に対して丁寧な言葉を使う、ごく普通の女の子だ。
青年の前では、少女は自らのことを「ミヅキ」と呼ばない。青年のことを「お前」と呼ばない。「大嫌いだ」と言わない。高慢な言葉を選ばない。
青年を恐れているのか、それとも青年に何か仕掛けようとしているのかは分からないが、少女が彼の名を呼んだ瞬間に、少女は青年の知る「少女」ではなくなる。
そのことに青年は言いようのない寂しさを感じていた。何故、俺にだけそうなのだろう、と不安に思わずにはいられなかったのだ。

「アローラにこういう風習があるのかは分からないけれど、私の住んでいた場所ではこの日を「バレンタイン」と言って、女の子が好きな人にチョコを贈るんです」

けれどもその寂しさと不安は、少女がこの言葉を口にした瞬間、ズガドーンの頭のように勢いよく弾け飛んでしまった。

「好きな人に?」と、青年は最も重要な部分を繰り返して尋ねた。聞き間違いだろうかと、彼は本気で疑っていたのだ。
けれども青年の知る姿を捨てた、普通の女の子になった少女は、小さく頷き、ひどく年相応な可愛らしい笑みを……そう、まるで光のような笑みを浮かべたのだ。
それは青年にとって、どんな太陽よりも眩しい輝きであったから、思わず目がくらんで、心臓に痛みを覚える程であったから。

「お前が俺の前でいつものお前を捨てるのは、俺を嫌っているからではなかったのか?」

「私、貴方には「大嫌いだ」って、いつものミヅキで告げたことなんかなかったはずですよ。……この私はつまらないですか? 貴方の前に立つ人間に、値しない?」

彼は慌てた。そして焦った。少しでも余計な沈黙を挟んでしまえば、その眩しい笑みが絶えてしまうような気がしたからだ。
さっと手を伸ばした。少女の手から紙袋を受け取った。それを強く胸に押し当てた。洋菓子の甘い香りが強くなった。

「そんなことはない!」

「!」

「俺はいつものお前が放つ輝きを好ましく思っていた。だが今のお前のことも同じくらい、いやそれ以上に美しいと思う」

……アローラに住む全ての人をその笑顔で照らしてやったなら、お前ももう少し此処で生きやすくなるだろうに、と青年は思った。
けれども同時に、その眩しすぎる少女の光が自分だけに向けられているという事実は、不安になる程の多幸感を彼にもたらした。
この少女を、こんなにも普通の女の子である少女を、誰か助けてやればいいのに、と思った。
けれども同時に、もし彼女へと手を差し出せる相手がいるのなら、それは彼女の内にある真の光を見てしまった自分を置いて他にいないのでは、とも考えてしまった。

ありがとうございます、と鈴を転がすような声で甲高く告げた少女は、踵を返して元来た砂浜を駆けていく。往復分の足跡が黒い砂浜へと落ちていく。
随分と小さくなった姿で彼女は振り返った。大きく手を振って、下ろして、そして目を細めてそっと告げた。
おそらく、波と潮風の音にかき消されて聞こえなくなることを彼女は想定していたのだろう。
だが光の差さない、あの暗すぎる世界で生きてきた彼にとって、その程度の雑音など障害のうちに入らなかった。彼はその声を、少女の懇願を、聞いてしまった。

「貴方は、貴方だけは、本当の私を覚えていてくださいね。もしミヅキが、殺されてしまったとしても」

糖度0%のバレンタインSS、へいおまち!

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