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何の脈絡もないSSばかりのページです。実は名前変換にも対応済み。
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6月下旬より続けていました1日1セイボリーは文字数を大幅に落としてこちらへ移行しました。

(7/20)SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ」に格納します。タイトル冒頭には(塵)と付けます。


▽ 20度超の酩酊にどうか楽園の夢を見て

2019.02.12 Tue * 19:36

紅雨の翌日かそれくらい)

プラスチック製のコップに少しの水と大量の氷が満たされている。
食器を割った回数が5回を超えた頃、この家にある全ての陶器類を、割れないものへと買い替えたのだった。
淡いピンク色のコップの側面に生じた水滴が、まるで私の冷や汗であるかのような気まずさでゆっくりと滑る。
白く細い指の先、首を引っ掻いて傷を付けることさえできなくなる程に深く深く切られた爪。その上に水滴が落ちる。
マニキュアを塗ったかのように、その小さな爪はこの薄暗い部屋の中でキラキラと輝いていた。

「嫌」

小さな子供が駄々を捏ねるかのような言葉。けれどもあの遠く美しい土地ではそうした短い駄々さえも捏ねることが許されなかったであろう、その音。
昨日までの私ならきっと鵜呑みにしていた。私を望んでくれる彼女の傍にいられてよかったと、そうして変わらずこの懐かしい家へと通い続けていた。
けれども、違う。彼女には嘘を紡いだ認識がなかったとしても、それでもその「嫌」は彼女の本音ではない。そしてそうさせているのは他の誰でもない、私だ。

「だって……シアがいなくなったらどうなるの? シアが来てくれなくなったら、私はどうやってこの部屋から出ればいいの?」

「あのね、シェリー

「これから外に出なきゃいけなくなる時が来ても、私、貴方がいないと、」

「もういいんだよ」

よくない。いいはずがない。いいんだ。これが正しいことなのだ。
私を引き留める彼女の言葉はきっと私が言わせていることだ、思い上がるな。それでも私は彼女の言葉を疑いたくない、信じていたい。
私は驕っていた。私は驕ってなんかいない。このままでは彼女を殺してしまう。違う、私は彼女に生きてほしかった。そればかり考えていた。
私は、私は、私は。

『お前の話などしていない。あれの生き死にもあれの居場所もあれが決めることだ。お前に決定権があるとでも?』
混乱しかけていた私の思考を、昨日の言葉が正しいところへ押し戻してくれる。異常な表情で紡がれた異常な言葉が、私を正常なところへ置き直してくれる。
大丈夫だ、大丈夫。信じなければ。彼女の言葉ではなく、彼女自身を信じなければ。彼女を正しく見なければ。正しく、在らなければ。

「外には出なくていい。此処にいていい。窓も閉め切ったままでいい。ずっと変わらないままでいい。
大丈夫だよ、貴方を怖がらせる全てのものから、フラダリさんが貴方を守ってくれるから」

長い、沈黙が降りた。私はもう、何も考えないようにした。彼女の前でこれ以上迷ってしまっては、また同じことを繰り返してしまいそうだったからだ。
薄暗い空間はあまりにも静かだった。淡い耳鳴りが鼓膜を刺しかけた頃に、彼女の小さな「いいの?」という声が聞こえてきたので、私は、頷こうとした。

「私はもう、生きなくていいの?」

長い睫毛をふわふわと揺らすような、あまりにも緩慢とした瞬きだった。部屋が薄暗いおかげで、彼女の大きく見開かれた瞳に私が映ることはなかった。
夜の雲間から三日月が現れるような、ささやかな奇跡めいた笑みがそこに在った。あまりにも美しかった。綺麗だった。ただ綺麗だった。
だから私にはもう、肯定も否定もすることができなかった。

「分からない。私には、答えられない」

シアにも分からないことがあるんだね。……私みたい」

「……」

「でも、違うんだよね。私は貴方じゃない。私は貴方になれなかった。こんな私のいる場所に、貴方はちょっと似合わない。だからこれ、返すね」

冷たい指に私の手が取られる。「そこ」にのせられるものの正体に、私はもう勘付いている。
恐る恐る視線を落とせば、使い古されたモンスターボールの中、いつも彼女の傍にいたサーナイトが、何の感情も映していない瞳をこちらへ向けている。
これも、と付け足すように落とされたのは、綺麗なビー玉のようなものだった。
サーナイトとの絆の象徴を呆気なく手放した彼女は、いつもの眠たげな目に戻り、ぽつりと告げた。

「私の行く地獄にその子は要らないよ」

20度超の酩酊:シェリーのデフォルト名の由来の一つである「シェリー酒」のアルコール度数より

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▽ 緊急任務:「新婚」を王にレクチャーせよ!

2019.02.11 Mon * 21:30

ドアを開けると、懐かしい靴が2足並んでいた。どうやらイッシュの友人は予定よりも早くこちらへ到着したらしい。
その隣に靴を並べ終えるのと、パタパタという軽快な足音が聞こえてくるのとが同時だった。

「おかえりなさい、あなた!」

は? という素っ頓狂な声を上げてしまいそうになるのをぐっと堪えて、眉をひそめるだけに留めておく。
リビングに通じる扉を開けた彼女は、何処で調達してきたのだろう、ひらひらとした布のあしらわれたクリーム色のエプロンを身に着けていた。
加えて、料理などついぞしたことがないくせに、立派なフライ返しを右手に握っている。それは先日、俺がコガネシティのデパートで買ってきたものであるはずなのだが。

煮え立つのではないかと案じてしまう程に顔を真っ赤に染めたコトネの背後で、ソファにどっかりと腰掛けたトウコが足を組み、笑いながらそれを眺めている。
成る程、お前の差し金だな。そう察して思わず目を細める。俺の呆れは正確に彼女へと伝わっただろうか?

馬鹿なことをやっていないでこれを冷蔵庫に入れてくれと、調達してきた食材を押し付けることは簡単にできる。
またとんでもない罰ゲームをさせられているじゃないかと、こうなる経緯を推測して発言すれば、きっとこいつはこの演技をすぐに終えてくれる。
あまりこういうことをさせないでくれと、真っ赤になったこいつの代わりに友人を咎めることだって、それくらいのことなら惜しまずしてやれる。

けれども「それでいいのか?」と悪魔が囁く。だから俺はその誘いに乗り、微笑んでそれを許してみる。
此処には気心の知れた友人しかいない。そして俺は、こいつ等のやろうとしていることを察してしまっている。
にもかかわらず、それをなかったことにしてしまうのはきっと「つまらない」ことだ。干上がってしまう程に暑苦しいおふざけも、彼女とならば許されるはずだ。

「……ああ、ただいま。出迎えありがとう。お前の顔を見るだけで一日の疲れが取れるよ。ところで、いい匂いがするな。もう夕食は出来ているのか?」

出来ているはずがない。夕食を作れるだけの材料の調達のために、たった今、俺が買い出しを済ませてきたところなのだ。
冷蔵庫に残っていたのは調味料とキュウリと豆腐だけ。そんなことはよくよく分かっている。
それに、もし冷蔵庫に食材があったとしてもコトネは料理などしないだろう。料理はどちらかというと俺の領分だ。故に冷蔵庫の中身だって、俺の方が詳しく把握している。
けれどもこれは「ままごと」であり、その全てを棚に上げて俺はそう尋ねる必要があった。そうすればこいつの顔がもっと愉快なことになると、期待したが故の発言だった。

案の定、こいつは零れ落ちそうな程に大きく目を見開いて、ぱくぱくと口を所在なく動かした。
これは面白いことになってしまった。そう思い、俺もソファの上にどっかりと腰掛ける友人のように笑わざるを得なかった。
さて、どう返してくる?

「う、うんそうだよ! しち、シチューを作ったの。温めればすぐに食べられるようにしてあるんだよ」

「そうか」

「すぐ御飯にする? それともお風呂を沸かした方がいいかな? そ、それ、とも……」

おや、と俺は思った。俺は出かけるときにこいつに「今日はシチューを作るつもりだ」と告げてはいなかったからだ。
にもかかわらず、何故こいつは俺が今夜作ろうとしているものを言い当てたのだろう?

偶然だろうか、と思う。シチューなんてメジャーな料理なのだから、俺の予定とこいつの思考が重なってしまうことだってあるだろう、とも思う。
けれども随分とめでたい気分になった俺は、その偶然に意味を見たくなった。そうだ、きっと「シチュー」だからなのだ。
俺の作ろうとしているものを言い当てるこの相手でなければ、俺は間違ってもこんなままごとをやらかさない。
お前以外の顔が真っ赤になっているところを見たところで、きっと俺の心は今のようには動かない。

「わた、私を、抱きしめてくれる?」

失敗した。こんなはずではなかった。笑うことを忘れるほどに、そのささやかな懇願が胸に刺さるとは思わなかった。
まあいいか、と思う。友人の冷やかしをあしらう方法ならごまんと身に着けている。
野菜と牛乳の入った袋を足元に置き、ほらと両手を小さく広げてみせれば、羞恥にだろう、泣きそうに顔を歪めてそっと凭れかかってきた。
熱でもあるかのように頬が熱かった。火傷しそうだ。
左手を背中に回し、右手で軽く頭を叩いてやれば、小さく、本当に小さく「ありがとう」と返してきたので、参ってしまった。

「さあ、そこの。これで満足か?」

リビングの彼女へと叱責の文句を紡いだつもりだったのだが、俺の目線は今までエプロン姿の彼女に隠れて見えなかった、もう一人の友人に釘付けになった。
小型のカメラを持った彼は、慣れない手つきでボタンをピッと押し、無慈悲な「録画終了」の電子音を鳴らしたのだ。
おい待ってくれ、それは聞いていない。

「これが新婚というものなのだね! ボクもこれを見て勉強することにするよ。協力をありがとう、シルバー」

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▽ 紅雨

2019.02.11 Mon * 11:49

耳を疑った。今のは本当に、目の前の彼が発した音だろうかと疑問に思った。
けれども聞き慣れたバリトンは今も私の鼓膜に残っていて、彼は澄ました顔で手元の本を捲るばかりで、後はもう私が「それ」を受け入れるだけであるような、心地をして。

「やめてください、今更……。だってゲーチスさん、言ってくれたじゃないですか。私にはその力があるって、大丈夫だって、背中を押してくれたじゃないですか。」

「今になって考えを変えたことに関する理由が必要なら「私がお前の力を見誤っていた」ということになる。この言葉でお前が納得するならそれをお前の真実とすればいい。
お前は少し驕り過ぎた。お前は今のあれの足手まといだ。傍にいたところで、お前の過剰な力があれを圧し潰すだけだ。……お前も薄々、気が付いていたのだろう」

これは裏切りではなかろうか。身勝手にも私はそんなことを思ってしまった。
私が、朝を拒んだ少女を支えようとしたのは、彼の言葉があったからだった。彼が私の思い上がりを許したから、私はこの選択を信じることができていたのだ。

彼女の回復を焦ったことはなかったはずだし、外へ出ることを強要したことだってない。
私は背中を押されても尚、恐れているようなところがあったから、彼女の躊躇いそうなことを提案できないまま、今日まで来たのだ。
私は、私にできるだけのことをやっていたはずだ。私はなるべく、彼女の心地を推し量ろうと努めたはずだ。彼は今までそれを見守ってくれていたはずだ。
それなのに、どうしてこのようなことをいきなり言われなければいけない。どうして今になって、彼女を諦めろと説かれなければいけない。

「今の私を「足手まとい」だと切り捨てられてしまったら、いよいよ私は何をどうすればいいのか分からなくなってしまいます」

「お前の話などしていない。あれの生き死にもあれの居場所もあれが決めることだ。お前に決定権があるとでも?」

「放っておいたら、シェリーは本当に死んでしまうかもしれない!」

「お前が殺してしまうかもしれない、の間違いでは?」

……私は、確かに思い上がっていた。驕っていたのだ。
この人が、長い月日をかけてやっと許し合うことの叶った相手であるこの人が、もしかしたら私のことを私以上に理解しているかもしれないこの人が、
こんなにも残酷な言葉を私に投げるはずがないと、貴方がそんな言葉を選ぶはずがないと、そんな、都合の良すぎる思い上がりを抱いていたのだ。
だから、こんなにも苦しいのだ。予想だにしなかった言葉だったから、そんな風に切り捨てられることを想定していなかったから、こんなにも痛いのだ。

けれども、受け入れられなかった。どうしても、どうしても受け入れられなかった。
私は彼女を殺そうとしたことなどない。私は彼女に死んでほしいなどと思っていない。私は彼女に生きてほしかった。一緒に生きたかった。それだけだった。

喉からせり上がってくる嗚咽をぐっと飲みこんで、ぼろぼろと子供のように泣きながら、駄々を捏ねるようにそれらを大声で吐き出すことは簡単にできた。
彼が、そのタイミングで本を閉じ、顔を上げて私を見なければ間違いなくそうしていた。

「!」

アブソルのダークさんが淹れてくれるコーヒーを待っている時のような、そうした、いつもの澄ました表情が、少しだけ相手をからかうような色を帯びた表情が、
本へと伏せられたその顔に、いつものように浮かばれているとばかり思っていた。
そうしたいつもの「正常」な表情をした彼が、私の都合の悪い「異常」な叱責を編むことに、私のめでたく出来ている心は耐えられそうもなかったのだ。
だからその目で、いつもの目で、今の泣きそうに顔を歪めた私を見られることが嫌で、私はさっと目を逸らそうとしたのだ。
けれどもできなかった。できなかったのだ。彼の表情は「異常」だった。この異常な言葉ばかりが並ぶ空間において、彼はまったく正常ではなかったのだ。

「……あれは逃げたくて死を選んだのでしょう。その「逃げる」対象に、お前はお前を数えていなかった。勿論、私もそうだった。けれど、違うのかもしれない」

「……」

「逃がしてやりなさい。お前から、あの樹海から」

この人は、間違ったことなど言わない。この人は、合理的だと思ったことにしか賛同しない。この人は、私を裏切っているのでは決してない。
私よりもずっと聡明な彼が、私よりもずっと物事を冷静に観測できる彼が、そう結論付けたのだ。
私では出せない結論を、きっと死ぬまで、……「彼女」が死ぬまで導き出すことを拒み続けたであろう結論を、彼が代わりに出してくれた。
ならばそれはきっと正しいのだろう。彼が「異常」になってまで投げた「異常」な言葉は、きっと私と彼女の関係における「正常」だ。それは、正しいのだ。

「私を恨めばいい」

俯いて、首を振った。堪えていたはずのに、此処で泣くべきは私ではないと分かっていたのに、零れてしまったものはもうどうしようもなかった。
愚かなことだ、と転がり落ちてきた音は、いつもの調子であるようで、きっとまだ「異常」な叱責の一部に含まれている。
私は愚かだったのだ。愚かだったから彼女が死ぬのだ。私がすぐに変われない以上、やはりそうするしかなかったのだ。

どうすれば、賢くなれるのだろう。どうすれば、正しく人を想えるようになるのだろう。

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▽ 連理に通る悪事

2019.02.10 Sun * 13:33

(「どうして貴方は貴方なの?」の続き)

ヒビキと話をしている最中に、ノックもなしに部屋へと駆け込んできて来たあいつは、何を思ったのか俺の手を取り、指に紐を巻きつけてきた。
痛い? と尋ねてきたので、何をやっているんだ、というとびきりの軽蔑の視線を向けつつ、少しな、と返した。
すると僅かに紐を緩めて、それじゃあこれはと更に訊いてきたので、俺は問い詰めることさえ忘れて、痛くないと答えた。
よかった、と笑ったあいつは、その奇行の理由を説明することもなく部屋を出ていった。
気味の悪い謎をこの部屋に落としていかれたことへの不満をヒビキに零せば、彼は膝元に置いた植物図鑑のページを捲りつつ、
コトネはいつもああして楽しそうなことを直ぐにやろうとするんだよ、と、寧ろあの行動力を羨むような言葉を返した。

「あいつのようになるのはお勧めしないが、お前だって、やりたいことくらい自由にやってみればいいじゃないか」

「そうだね、そうできればいいと思うよ」

「なんだよ、できないのか? なら俺が手を貸してやるよ。どんなことでもいいさ、俺を道連れにしてみろ。友達ってそういうものだろう」

……随分と、大きなことが言えたものだと思う。友達、と呼べる人物など、俺のこれまでに居たかどうかも定かではないくせに。
それでも俺は何故だか、この同い年の、体の弱い子供に対して、そうした思い上がった言葉を紡ぐことを躊躇わなかった。
もしかしたら俺の口が語る「友達」は、普通のそれとは少し意味合いがズレているのかもしれなかった。
それでもよかった。もしこれから俺とこいつが友達になれたとして、その関係を評価する奴なんかこの場所にはいやしないのだ。
唯一、それを評価する権利のある人物であるヒビキは、驚きか喜びか戸惑いかは分からないが、やや声を上ずらせつつ、
「ありがとう、嬉しいよ」と答えて、ほら、俺のこの悪事が誰にも迷惑をかける代物でないことを証明してくれたのだから、もう十分すぎる程だ。

確固たる定義を知らずとも、定義など自分で作ってしまえばいい。それが間違っていたとしても、それくらいの「悪事」など恐れるに足らない。
今までずっと、憎しみと反抗心だけを糧に、もっと悪いことを沢山してきたのだ。こんなことに今更怯むなんて馬鹿げている。

俺は、これを「悪事」だとしていたい。そう考えてしまった方が幾分か呼吸が楽になるからだ。
これを勇気とか親しみとかいう、正しく眩しく情に溢れた言葉へと言い換えるのはどうにも気恥ずかしく、また俺らしくないと思えたのだ。

その30分後、息を切らせて部屋へと駆け込んできた彼女は、勝手に俺の指を飾り立てるという「悪事」をやってのけた。

「!」

見たことのないような美しい光沢を放つリングは、俺の薬指であまりにも眩しく光っていて、ずっとその手に握っていたからだろう、金属のくせに随分と生温かくて、
それでいて、全く同じシンプルなデザインのものを俺の掌にのせて、俺の指をそっと畳んで握らせて、らしくない、泣きそうな、随分と弱気な笑みで、

「君と生きるために必要だって聞いたから用意したの」

とか、そんな、あまりにも滑稽であまりにも卑怯な「悪事」の誘いを、その震える声音の内に俺へと持ち掛けるものだから。
つい30分程前の、紐を俺の指に巻きつける奇行は、このサイズを測るためのものだったのだと気付いてしまった、ものだから。

「やっと見つかったよ。君を表す言葉、君と私の間に置きたい言葉!
私、君とずっと一緒に生き続けたい。どんな幸福もどんな栄誉も、隣で君が「よかったな」って言ってくれなきゃ意味がない」

「……随分、熱烈な口説き文句だな。何をそんなに焦っているんだ?」

「口説いているんじゃない、縛っているんだよ。また君が何処かへ行ってしまう前に、此処を……ううん、私を、君の帰る場所にしてしまいたいの」

口説く、という眩しい言葉ではなく、縛る、という悪い言葉に言い換える。そうした俺の十八番は、いつの間にかこいつのものにさえなっていた。
……いや、もしかしたらこうした言い換えはもともとこいつの所有物で、それを俺が勝手に、俺のものにしてしまっただけなのだろうか?
分からなかった。もう、分かりようがなかったのだ。もう随分と前から、俺は俺の元の形を忘れてしまっていた。
俺はこの土地での旅の間、お前を探しながら旅をしていた。お前に会う度に書き換えられていく自身のことが、もうずっと前から誇らしかった。

もう、どちらの言葉であったのか、どちらの想いであったのか分からない。
だから、……随分と狡い思考であるのかもしれないが、こいつが「私を、君の帰る場所にしてしまいたい」と告げたとき、俺も全く、同じことを思ったのだ。


もし俺に帰る場所が与えられるのなら、それが「彼女」であるのなら、俺にその幸福を受け取る権利があるのなら。


「連理の木」

手元の分厚い植物図鑑を捲りながら、ヒビキが静かに声を発した。

「比翼連理、は聞いたことがあるよね? 仲睦まじい夫婦を表す言葉だ。けれど「連理」とは元々、別々の木が枝を伸ばして、一つに合わさる現象を指す単語なんだよ。
果実の効率的な栽培のためにする「接ぎ木」が自然界で起こったもの、と考えた方が分かりやすいかな。
枝の傷を修復するための再生の時に、別の木へと木目を通すんだ。とても珍しい現象なんだよ、奇跡と言ってもいいくらい」

「……」

コトネ、君はシルバーと木目を揃えたいんだね。……いや、もしかしたら二人はもうとっくに連理の木になっていて、その証明のために指輪が必要だったのかな?」

歯の浮くような恥ずかしい言葉を、まるで本を読み聞かせるかのような穏やかさでヒビキは流暢に紡いでみせた。
息を飲む音があいつの指先から伝わってきたので、はっと我に返ったように慌てて振り向けば、……なんてことだ。彼女は顔を真っ赤にしているではないか。

図星なのだ。つまりはそういうことなのだ。
「連理の木」などという洒落た言い回しではなかったかもしれないが、こいつが「やっと見つかった」と言っていた言葉は、それに匹敵する類のものだったのだ。
こいつは俺を「連理」にしようとしている。いや、きっとヒビキが言うように、俺達はどこかもう「そうなって」しまっている。
そこまで認めて、俺は笑った。ここまで分かってしまえばもう、俺がその指輪をこいつの指に通さない理由など、在るはずもなかったのだ。

「左手を出してくれ」

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▽ 忘れ返してやった(未定)

2019.02.09 Sat * 17:01

「ありがとう、皆を呼んでくれて。ミヅキ一人ではきっと、別の場所からやってきたあいつ等に勝つことはできなかっただろうから」

「お力になれたのであれば何よりです。……それに、ミヅキさんのためというよりも、これはわたくしの欲望に忠実に動いた結果、と言った方が正確かもしれません」

「お前の欲望?」

「ええ、わたくしがどこまでこの未知の技術を使いこなせるのか、実際に試してみたかった、というのが一つ。
そしてもう一つは、何処かの世界で実際に繰り広げられたであろう、悪役と主人公の戦いの再現を、間近で見てみたかった、ということでしょうか」

……ということはこの科学者、私の後をこっそりと付いてきていたのだ! 私がRR団の下っ端と戦っている姿を、こいつは傍でずっと見ていたのだ!
トキがマツブサやアオギリと戦う姿も、アカギを迎えに来たヒカリの姿も、フラダリを救うために声を荒げるシェリーの姿も、ゲーチスを嘲笑うトウコの姿も!
やられた、と思った。随分と美味しいところで長いこと息を潜めていたのだな、と、彼を責めることは簡単にできた。
けれども私だって、彼女達の大活躍を間近で見せてもらった一人に過ぎず、甘い汁をすすったのは私も同じであるのだから、彼ばかりを非難する気には……なれなかった。

彼女達の凛とした戦いぶりに比べれば、私の、サカキとのバトルはひどく無様で見劣りしただろうな、と思う。
いや、それも見越してアクロマは、あの、名前を教えてくれなかった不思議な女の子を連れてきてくれたのかもしれなかった。

何処までも彼の「計算通り」に動いている気がした。
この男がRR団のような組織を、それこそ戯れに立ち上げてしまったなら、一体誰が止められるのだろう、と考えて、……そこで私は、大事なことを思い出した。

そうだ。「彼女」がいない。「彼女」が、アクロマに呼ばれていない。

「なあ、マリーはどうしたんだ? お前なら誰を呼ぶよりも先に、マリーを呼んできていそうなものだけれど」

「……マリー? それは、誰のことでしょう?」

「何を言っているんだ? マリーは、」

ぞっとした。頭が真っ白になった。氷の中に埋め込まれたような、あの夢のような恐怖を私は久々に思い出した。
ミヅキの知らない人物と出会うことよりも、私が同じ運命を辿っていきそうになることよりも、そんな私に関する何もかもよりもずっと、ずっと、

この男がマリーを知らないことが恐ろしかった。

「嘘だ、嘘だろう? 冗談だと言ってくれ。お前が! お前がマリーを知らないはずがないんだ。
仮に世界がマリーを忘れたとしても、お前だけはマリーのことを知っているはずなんだ。知っていなきゃダメなんだ!」

ミヅキさん、落ち着いてください。わたくしは本当に、マリーという名前に心当たりがないのです」

「やめろ! やめてくれ! マリーを……シアを忘れたなんてその口で言うな!」

彼女の本名を口にしても、彼の表情は変わらなかった。突然、大声を上げた私を案じるように、その金色の目は不安に揺れていた。
ああ、違う、違う! その目を私なんかに向けなくていい。その太陽に案じられるべきは私じゃない!
どうして、どうしてお前がマリーを知らないんだ。私が知っているのに、あんなに二人は想い合っていたのに、どうしてお前はマリーを呼ばないんだ。
私は、期待したのに。いろんな場所の主人公が悪役と対峙するために呼ばれる度に、次こそマリーが来るはずだと、どうか会わせてほしいと、祈っていたのに。
この男の中には、本当に、最初から「マリー」などいなかったというのか?

あんまりだ。

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