(桜SS 6/10)
(タイトル的にはいのちの音といのちの色を意識しているけれど物語としては特に関連性はない)
夏は暑くて乗れたものではない。冬もまた、寒くてのんびりと景色を眺める余裕などない。よってこいつの誘いに快諾するのは、春か秋と決まっていた。
稀に私が根負けして真夏や真冬に付き合うこともあったけれど、それでも楽しめるのはやはり穏やかな気候の頃なのだった。
窓ガラスに貼り付いた桜色に指を押し当ててみる。友人の住む土地に馴染みの深いその花にその連理を重ね、そろそろお花見の誘いが来る頃だろうかと、思ってみる。
「イッシュにもその花は咲いているのに、こっちで花見をしたことは一度もなかったね」
向かいの席からそんな言葉が飛ぶ。確かにお花見の舞台はいつだってジョウト地方だった。
エンジュシティという場所は、春も秋もひどく鮮やかで、毎年見ても飽きないのだ。
「そりゃあ、ジョウトの桜の方がずっと派手で綺麗だもの。こっちじゃ、桜っていう花を知っている人の方が少ないんじゃないかしら」
「折角、ジョウトと同じように四季があるのに、勿体ない話だね」
「いいじゃない。桜はジョウトに映えるのよ、そういうものなのよ」
誰だって、より綺麗な場所で綺麗なものを見たいと思うだろう。より楽しめるところへ人の足が向くのは自然なことだ。
桜や紅葉にはジョウト地方に軍配が上がるけれど、海の美しさならイッシュが勝っている。4人で行う海水浴の舞台は、決まってイッシュのセイガイハシティだった。
そういう意味で、お花見の舞台にイッシュが選ばれることはまずない。
1番道路に舞うささやかな桜色の風を知る人は、あの近辺に住む私達を置いて他にいない。
「イッシュの桜は愛でられるために咲く訳じゃないわ。この子はきっと、誰かを送り出すために咲くのよ」
あの桜色の風に背中を押される形で、当時14歳だった私の旅が始まったことは、きっとこいつでさえ知らない。
彼は、こんな詩的で浪漫に溢れたことをぬかす珍しい私を大きな目で呆然と見ていたけれど、やがて新芽を生やす若枝のようなキラキラした笑みを浮かべ、
「それじゃあきっと、イッシュの桜には目を向けるのではなくて背を向けるのが正しいのだね」と、私のなけなしの風情をその言葉でめいっぱい肯定してくれた。
窓ガラスからひらりと離れたイッシュの桜から視線を逸らし、背を向けて座る。小さく「ありがとう」と、珍しい私を茶化さなかったことへの感謝を述べてみる。
彼は照れたように萌黄色の頭を掻いてから「それじゃあお礼にもう1周してくれるかい?」と尋ねてくるので、私はもう、困ったように笑って頷くしかない。