土色の桜を共に愛でよう

(桜SS 7/10)

お電話ですよ、と呼び出しがあったので、自室に戻りパソコンを起動させて、ディスプレイに相手の顔が表示されるのを待った。
ややあってから「ザオボーさん!」と聞き慣れた甲高い声が聞こえてきたので、男は「はいはい、聞こえていますよ」と笑いながら滞りない通信を報告する。

「いつもより元気じゃありませんか。そんなにカントーはいいものですか」

「そりゃあそうですよ、私の故郷なんですから嬉しいに決まっています! それに、ほら、今は桜が咲いているんですよ!」

桜、という、常夏のアローラには咲き得ない部類の花の名前を出され、植物にそこまで造詣の深くない男は、その花の姿を思い出すのに随分と時間がかかった。
確か、木に咲く花で、淡い、本当に淡いピンク色をしていたような気がする。
気温が上がる頃に一気に咲き、3日か4日ほど満開の姿を見せてから、あまりにも呆気なく散ってしまうのだ。
カントー地方で「お花見」と言えば、それは単に花を観察することではなく、この「桜」のたった数日間の美しい姿をその目に収めることを指している……らしい。

「見えますか?」と告げつつ、少女は通話媒体であるカメラを上空へと向ける。底抜けに明るい空に伸びる枝は、大量の花をそこに実らせていた。
綺麗でしょう、と同意を求めてくる彼女に「ええ、ええ綺麗ですとも、分かっていますよ」と告げれば、そうでしょうそうでしょうと甲高い声で更に被せてくる。

彼女ほどの、まだティーンにも届かない年齢の子供でさえ、その「たった数日の美」の尊さを知っている。
その事実を改めて脳裏に反芻すると、男はなんだかくらくらと眩暈がする心地になってしまう。
その尊さは、アローラの人間には感じ得ないものだ。たった数日を愛せるほど、アローラの人間は刹那を許す寛大さを持ち合わせていないのだ。

「この桜、お土産にしましょうか? エーテルパラダイスまで花弁を持っていきますよ!」

「ほう……君にそのような粋な心があったとは驚きです。綺麗なものは人を変えるのですねえ」

「……ふふ、あはは! 引っかかりましたねザオボーさん!
桜が綺麗なのは今だけです。あと3日もすれば、散った花弁なんてあっという間に干からびて土色になっちゃうんですよ」

「ええ、ええ分かっていますとも。その汚い姿を、宝石でなくなった醜い桜を見せてくれるのでしょう? ミヅキ」

くつくつと笑いながら男はそう返す。ぴた、と少女の甲高い笑い声が止む。
パソコンのディスプレイはただびゅうびゅうと、桜を吹き荒らす強い風の音を男の耳へと届けるばかりだ。

「その土色を持ってきなさい。一緒に愛でましょう」

「……あーあ、残念だなあ。汚い桜にがっかりしてくれると思ったのに」

たっぷりの沈黙を挟んでから少女はそう告げる。-38℃の世界からとうに脱し、宝石になることをとうに諦めた少女が、悔しそうに悲しそうに笑う。
それでも彼女はその約束を守るだろう。干からびて、ともすれば腐臭さえ漂わせているかもしれないその土色を持ってくることだろう。
呆気ないものですねえ、と、笑いながらその花弁を摘まみ上げる瞬間が今から楽しみであった。
その隣に生きた少女が、36℃の平温を保つ少女が、小石であることを認めてしまった少女がいてくれるだけでよかったのだ。

「楽しんできなさい。そして、必ず戻ってくるように」

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