彼の務めるレストランにあたしが連れて行ってもらったのは、あたしが10歳になったときのことだった。
その日、彼女はいつになくはしゃいでいた。
生きることを鬱陶しく思っている彼女が、針のむしろを踏むような苦悶の表情を抱えて毎日を過ごしている彼女が「楽しそうにしている」ということ、
それが当時のあたしにはとても珍しいことのように思われて、まずその点をあたしは不気味に思った。
加えて彼女は、少女が着るような若いデザインの白いワンピースに袖を通していた。
この時既に彼女は40であった。故にその長い髪に白髪が混ざっていたとして、あたしよりも多いしわがその手に刻まれていたとして、それは別段おかしいことではない。
けれどそうした見た目をしているにもかかわらず、あたしが着るようなワンピースが彼女にはとても似合っていて、あたしはそのことにこそ恐怖していたのだ。
白髪混じりの髪も、手のしわも、それらが彼女の身にひとたび収まると、何故だか随分と美しく見えて、本当に「少女」のようで、
あたしはそれがとても嫌で不気味で恐ろしくて、まるで人間とは違う、生きていない何かのように思われて、目を逸らしたくなってしまうのだった。
彼女はこのアパルトマンの3階にあるあたし達の家と、その階下に店を構えるフラワーショップを行き来するだけの生活を過ごしていて、
彼女が他の場所へ出かけていくことなど、私の知る限りでは一度もなかった。
故に彼女が「外へ出る」ということはあたしにとって大きすぎるイベントで、この女性はどんな風にミアレシティのアスファルトを歩くのかしらと、少しばかり気になっていた。
けれども彼女はアスファルトを踏まなかった。歩く必要などなかったのだ。
何故なら彼女が唯一持っているポケモン、ケーシィの「テレポート」という技によって、あたしと彼女はあっという間にレストランの中へと飛ばされてしまったからだ。
彼女は頑として外に出たがらなかった。その閉鎖嗜好は常軌を逸しすぎていた。
この女性は「空」というものを恐れていて、朝の白い空も、昼の青い空も、夕方の赤い空も、雨の灰色の空も、いずれの下を歩くことも嫌がっていた。
おそらくこのミアレシティという街がどれほど広い場所であるのか、彼女は知らない。
そしてこの、ぐるりと円を描くように立ち並ぶビルや建造物の数々の、その向こうにどれほど果てのない世界があるのか、ということだって、彼女は知らない。知りようがない。
そういう訳で彼女の世界は、あたしと、彼女の夫と、ピアノと、フラワーショップと、そしてマリーとで回っていた。
それだけ、たったそれだけの、まるで箱の中に閉じ込められたような生活を、けれど彼女は心から愛していた。そこ、でなければ生きていかれないのだと頑なに信じているようだった。
外はとても恐ろしいところで、どうにも彼女の肌には馴染まないらしかった。
あたしが何度、外に行こうよとせがんでも、彼女は泣きそうに笑って首を振り、できないわと震える声で告げるのみであったのだ。
そんな彼女が、けれど自宅とフラワーショップ以外のところで、あまりにも落ち着いた、堂々とした振る舞いを見せていることに、あたしは少なからず驚いていた。
このレストランがとても格式高いところであること、気軽な気持ちで入れるようなところではないことはあたしにだって分かるのに、
彼女にはそうした一般的な認識が悉く欠けていたようで、真昼のアスファルトを歩くことさえ怖がっているようなところがあったにもかかわらず、
この、一般の人が畏れを抱いてしまう程に格式高い立派な場所において、彼女は何ら肩肘を張ることなく、寧ろここが彼女の故郷であるかのように楽な表情を見せるのだった。
その、まるでピアノの小部屋で枯れた花を見ているときのような笑顔がどうにも不気味で不自然で、あたしは怪訝な表情のままに席に着いた。
しばらくすると彼女の夫がやって来て、あたしと彼女の前に「前菜」というものを置いた。白く平らなお皿に、とても美しい料理が盛られていた。
まるで絵を見ているかのようなその美しさにあたしは目を丸くして驚き、フォークでその絵画の一欠片を口へと運び、その美味しさにまた、驚いたのだった。
ふと隣に視線を移せば、おもちゃのサイコロのような可愛らしいそれを、フォークで次々と口に運ぶ彼女の姿があった。
あたしは息が止まってしまうのではないかと思うくらい、驚いてしまった。
この時まであたしは、この不気味な細すぎる女性は、ずっと花の美しさやみずみずしさや鮮やかさといったものを食べているのだと、そうすることでしか生きていかれないのだと、
3日と空けずにフラワーショップで購入してくる一輪こそが、彼女の食事であったのだと、本気でそう信じていたからだ。
彼女が戯れに何かを少しだけ食べるようなことは確かにあったけれど、あたしよりも素早く食器を使い、あたしよりも早く、多く、何かを平らげることなど、
それまでのあたしが覚えている限りでは、一度も、本当にただの一度もなかったからだ。
けれど当時10歳だったあたしは、あたしなりにこの不可解な現象に理由を付けようとした。そして手頃な、丁度いい「理屈」を編み出すことが叶った。
彼女はきっと「美しい」ものしか食べることができないのだ。
このような格式高い場所こそが彼女の居場所であり、このようなところで出される、鮮やかで美しい料理の数々こそが、彼女の口に収まる権利を有しているのだ。
それ以外のものを、彼女の細い体は受け付けようとしないのだろう。きっと、そういうことなのだろう。
……けれどそれはあたしが納得するための「理屈」であり、「真実」はもう少し違ったところにあったのだということに、この時のあたしはまだ気が付いていなかった。
彼女の夫はあたしがすっかり眠り込んだ頃、早くとも夜の11時頃でなければ家に帰ってこない。だから帰宅した彼と彼女が何をしているのかを、あたしは知らなかった。
けれどもこの不気味な彼女のからくりは、その空白の時間にこそあったのだ。彼女の夫は帰宅してから、彼女のために夜食を作っていたのだ。
このレストランで出されるような、格式高く立派な、鮮やかで美しい何もかもを、彼の「仕事の成果」であった筈のものを、
おそらくはとても高いお金を払わなければ食べられないような代物を、彼女は毎日、毎日、夜遅くに、食べさせてもらっていたのだった。
仕事を終えて夜遅くに帰宅する彼には、けれどまだ仕事が残っていたのだ。
「彼の料理しか食べられない彼女のために、毎日、美味しい料理を作る」という、非常に馬鹿げた、滑稽な仕事だ。あたしはそのことに長い間、気が付いていなかった。
1日に1回だけの食事。それもある程度異常なことであったのかもしれない。それでも彼女は食べていた。あたし達と同じものを食べることのできる人間であったのだ。
けれども彼の作ったもの以外はどうにも食べ切ることの叶わない、医者もびっくりするようなとんでもない偏食でもあったのだ。彼女は悉く生き辛いところを歩いていた。
……もっとも、それは彼女の自業自得で、彼女自身が泥沼の中から這い出ようとしないのだから、いつまで経ってもその現状が改善される筈がなかったのだけれど。
そういう訳であたしは彼女が料理を食べていることにひどく驚いていて、正直なところ、出された美味しい料理をじっくりと味わう余裕というものを失いかけていた。
けれどもあたしはまだ10歳で、やはり初めて見る料理というものへの好奇心と期待は人並み以上にあったものだから、
子供向けに味付けされたお洒落な料理の数々を、彼女に対抗するような勢いで、次々に口へと運んでしまったのだった。
前菜、というものを食べ終えると、次に小さなキッシュが運ばれてきた。次にいい香りのする小さなパンとスープが、そして大きなお皿に少しだけ盛られたパスタがやって来た。
デザートに出されたジェラートというものは、よくミアレシティの赤いカフェでマリーが買ってくれる、柔らかく滑らかなソフトクリームとは少し違っていた。
フルーツの気配のする、とてもみずみずしいそれに、いつも彼女が食べている一輪の花を重ねることは驚く程に簡単だった。
ああ、きっとあの花を押し固めればこうなるのだと、これはあの花をあたしにも食べられるように加工した姿なのだと、そのような馬鹿げたことを考えていた。
あたしも彼女の血を引いているから、そういう突飛な空想の中に生きがちなところなどはいよいよ似てしまっていたのだろう。とても、残念なことに。
料理を作ってくれるのも、料理を持って来てくれるのも、料理の説明をしてくれるのも、彼だった。
彼は料理や食材、調理法について、饒舌に彼女へと語って聞かせていた。
それは10歳のあたしにはまだ理解の追い付かないものばかりであったのだけれど、
彼女はとても楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに相槌を打って、再びナイフとフォークを構えては、彼の「芸術」を切り分けて口に運ぶという優雅な作業に専心するのだった。
健康的に沢山食べる彼女と、そんな彼女に料理を差し出す彼。
その少女のような可愛らしい口と指先も、その青年のような優しい声と視線も、あまりにも完成され過ぎていた。
彼等の存在が、彼等の呼吸が、彼等の指先が、彼等の時間が、ある種の大きな「芸術」を形作っていた。
今このレストランの個室において、いや、このミアレシティにおいて、……違う、この広い世界において、美しい人間はこの彼と彼女をおいて他にいないように思われた。
果たしてそこにあたしは必要だったのだろうか。
あたしは此処に要らないのではないか。この二人は互いさえいれば生きていかれるのではないか。
彼女は狭い世界に、静かな世界に安住し続けている。彼は芸術だけでその世界を延々と回し続けている。
そこに、静かでも芸術的でもないあたしは本当に必要であったのだろうか。
彼女と彼の完成され過ぎたこの中に入れないあたしに、彼女を「母」と、彼を「父」とするだけの権利があるのだろうか。
あたしはこの二人に「家族」を望んではいけないのではないか。あたしは、これを食べてはいけないのではないか。
……勿論、そのような難しいことを当時のあたしが考えていた訳では決してない。けれども幼いなりに、あたしは確信していたのだ。
この二人に「娘」など要らなかったのだと。この二人は二人だけの世界を回しているときが最も美しいのだと。
だってこの二人は、この二人は、少女と青年なのだ。母と父では決してないのだ。二人は、二人は。
あたし達は三人ではない。二人と一人であったのだ。
そういう訳で、あたしはそれ以来、彼の勤めるレストランへ行くことを、拒み続けていた。
彼女は月に1回の頻度でそこへ、彼の職場へ出かけていくけれど、あたしは首を振って拒絶の意を示した。
彼女に見送られてあたしが家を出ることは毎日のようにあったけれど、あたしが彼女を見送る機会など、その時くらいのものだった。
10代の少女が着るようなワンピースに袖を通す40歳の彼女は、けれどとても綺麗だった。
その姿は、彼女が3日と空けずに購入する一輪の花のようだった。彼女が毎日のように弾いているピアノの音のようだった。彼女が好んで食べるあの料理のようだった。
とにかく美しくて、やはりこの世のものではないように思われた。
けれどもいつも死んでいるように生きている彼女が、その日だけはとても生き生きとしているから、あたしはそのことに少しだけ安堵して、そしてとても落ち込んだ。
あたしでは彼女を生き生きとしてあげることができないのだ。彼の料理でなければ、彼の言葉でなければ、意味がないのだ。
そうしたことを、いよいよあたしは確信しなければいけなかったのだ。
2017.4.10
【10:-】(40:50)