39(Third Chapter)

一番古い記憶は何であるかと問われれば、やはり彼女がピアノのある小部屋で、ミイラと化したスターチスをニコニコと笑顔で眺めていた、あの瞬間がそれに相当するのであろう。
あの時のあたしはまだ、4歳くらいだったように思う。まだ右も左も分からないような頃、ようやく自分で着替えをしたり、歯を磨いたりできるようになった頃だ。

花は自然と枯れるものであること、命とはそういうものであること、人の命にも限りがあること、誰もが同じ姿のままではいられないのだということ。
それらをまだ理解することができていなかったあたしには、ずっと玄関でそれをニコニコと眺めていた彼女が、彼女こそが花を醜く枯らしているのだと、
彼女はその花の鮮やかさを、みずみずしさを、美しさを、そうした全てのものを食べて生きているのだと、そういう風に見えてしまっていたのだ。

思えばあたしはあの頃からずっと、彼女はこの広い街に生きる他の女性とは何かが確実に違っているのだということを、はっきりと確信していたような気がする。
綺麗な人は街にいくらでもいたけれど、彼女のように花を食べて生きている人間は誰一人としていないのだということを、あたしは誰に教わるでもなく知っていたのだ。
そしてあたしも、花の色を吸い取ってエネルギーとすることの叶わない人間であったから、あたしはパンや果物といった類のものに、大口を開けてかぶりつく他になかったのだ。

けれども花という食事はどうにも効率が悪いらしく、故に彼女は生きるため、頻繁に花と向き合っていなければならなかった。
そのため、あたしの家には一輪挿しが沢山ある。彼女はそこに花を挿して、少しずつ、少しずつ栄養を吸い取っていくのだ。
ミツハニーが花の蜜を吸って生きているように、彼女もきっと、花を食べることでしか生きられないのだ。そういうものなのだ。

そんな筈があるまいと、分かっていながらあたしは信じていたかった。6歳になっても、8歳になっても、この女性は花を食べて生きているのだと、本当にそう信じ込んでいた。
だってそうでも思わなければ、あたしの「母」が、世界でただ一人だけの、替えなど利く筈のない存在が、異常である、ということになってしまうのだから。
あたしはそんな異常な存在の娘である、ということになってしまうのだから。

そういう訳で、彼女は3日と空けずにフラワーショップへと赴き、花を1本だけ買って帰るのだった。
それが彼女の食事であるのだから、あたしは彼女のささやかな散財を咎めたことはただの一度もなかった。だってそれくらいしか、彼女がお金を使う機会などなかったからだ。

彼女は花の他に「何か」を欲したことなどなかった。自らの趣味嗜好を満たすためのものを買おうとしなかった。
それだけならば、質素倹約な暮らしをするいい母の姿であったのかもしれない。けれどそうではなかった。
彼女は日々の生活に必要なものでさえも、全く買おうとしなかったのだ。
あたしは彼女がスーパーマーケットに出掛けているところを、見たことがなかった。彼女は日常の生活の中で「何」が必要であるのか、まるで分かっていなかった。

故にあたしがちょっとでも目を離せば、洗剤がなくなっていたり、ゴミがいっぱいになっていたり、シャンプーの予備を使い果たしていたりして、
洗濯、掃除、入浴といった、生活の流れに組み込まれなければならない筈の営みが悉くストップしてしまうことが、多々あった。
彼女は「母」になることができずにいた。いやそれどころか、一人の女性として生きることもままならないような、そうした力しか持っていなかった。
彼女はただ、花を食べることと、ピアノを弾くことに夢中であった。それ以外のことは悉く彼女の目を、耳を、素通りしていた。彼女の世界は「此処」にはなかったのだ。

彼女は家とフラワーショップでしか呼吸を許されていないようだった。そして、この不気味な女性に関しては、それが当然のことなのだと、そういうものなのだと思っていた。
故にあたしもずっと家に、この地獄に留まり続けるのだと思っていたのだけれど、幸運なことにあたしはずっと幼い段階で、この閉鎖的な環境から脱却することが叶っていた。
何故なら彼女には「友人」がいたからだ。

彼女よりも少し若いその女性を、彼女は「マリー」と呼んでいた。
マリーはあたしの家の掃除や洗濯、日用品の買い足しなどを献身的に行っていた。まるで「家政婦」のような働きぶりであった。
定期的に訪れてくれるマリーの手厚い世話があったからこそ、無力なあたしと死んだように生きている彼女とは、なんとか生活してこられたのだと思う。

彼女の代わりに、マリーがあたしを外へ連れ出してくれた。マリーの手は彼女と違って、温かく、力強いもので、あたしはその素敵な手に連れられて、いろんなところへ行った。
ミアレシティのゲートを抜けた先にある庭園で、マリーのポケモン達と日が暮れるまで遊んだり、ずっと西の方にある静かな町で、初めて見る雪にはしゃいだりした。
足りない日用品は大きなスーパーへ買いに行った。二人でたっぷりと洗剤やシャンプー、トイレットペーパーなどを買い込んだりした。
彼女はフライパンさえ持ち上げられないような、非力なところがあったけれど、この友人は、大きな重い袋を3つも4つも笑顔で提げてみせるのだ。
大量に買い物をすることも、そうした力強く頼もしい友人の隣を歩くことも、あたしにとってはとても楽しく、わくわくすることだった。

歓喜、驚愕、感動、期待、そうした鮮やかな気持ちをくれるのはいつだってマリーだった。
街の広さも日差しの暑さも、海の音も、買い物の仕方も時計の読み方も、あたしはマリーに教えてもらった。マリーがくれるものはいつだって鮮やかで、あたしはとても嬉しかった。
あの家で鮮やかなのは、彼女が3日と空けずに買ってくる花くらいもので、けれどそれだって彼女に食い尽くされてしまうのだから、色などあってないようなものだったのだ。

長く彼女と付き合いがあるらしいマリーは、彼女の怠慢を優しく笑いながら窘めていた。
貴方はもうお母さんなんだから、料理や洗濯くらいできるようにならなきゃいけないんですよと、凛とした丁寧なメゾソプラノでそう言い聞かせていた。
けれど彼女は悲しそうに笑いながら、でもできないの、わたしは下手なのだから仕方がないわと、まるで挑戦する意欲も、努力する気概も見せないのだった。
そんな彼女をマリーが見限ったとして、それは仕方のないことであり、悪いのは全面的に彼女であるのだから自業自得である、とあたしなんかは思っていた。
けれどマリーはそうしなかった。まるで何かに縛られているかのように、それがマリー自身への罰であるかのように、ずっと彼女の家、すなわちあたしのところへ通い続けていた。

けれどマリーとて、毎日のように此処を訪れていた訳では決してなかった。この女性はイッシュ地方という場所の人間なので、週に一度しかミアレシティにはやって来ないのだ。
そういう訳でマリーの不在の間、家は荒れに荒れる。洗濯物は溜まり、台所は汚れ、フローリングの角には埃が積もる。
5歳のあたしはまだ台所に手さえ届かなかった。大きな箒を持つことも難しかった。故に家が徐々に汚れていく様を見ながら、嫌だなあと思いながら、けれど何もできなかった。

彼女の夫はあたしの食事を作って、朝の10時に家を出て行く。帰るのは夜の11時頃だ。
忙しく働いてお金を稼いでいる彼に、洗濯や掃除をしてほしい、などと頼める筈もなかった。

「ねえ、あたしにも洗濯や掃除や料理を教えてよ」

マリーにそう頼み込んだのは、あたしが6歳の時だったように思う。
マリーはひどく驚いたような表情になったけれど、すぐに笑顔をとりなして、いいよ、教えてあげると頷いてくれたのだ。
けれどマリーはあたしの頼みと引き換えに、自分の願いを叶えてくれるよう頼んできた。
それは良識のある素敵な大人であった筈のマリーにしては、ひどく利己的で我が儘なものであったような気がするけれど、
だからこそ、マリーに何もかもを教えてもらったあたしは、その願いをどうしても叶えてあげたいと思ってしまったのだった。

「私の家には10歳の女の子がいるの。次は一緒に連れてくるから、あの子の友達になってあげてくれないかな」

その言葉通り、次の来訪時にマリーは自らの娘を連れてきた。美しいブロンドと、母親譲りの海の目が印象的な少女だった。
当時6歳だったあたしにとって、10歳の少女というのは随分なお姉ちゃんに見えた。そして事実、その少女はあたしなんかよりもずっと「お姉ちゃん」だった。
約束通り、マリーはその日からあたしに選択や掃除や料理を教えてくれたのだけれど、
あたしよりもずっとその「お姉ちゃん」の方が、何もかもをあまりにも卒なく上手にやってのけてしまっていたのだ。

子供の頃の4歳差というのはとても大きい、故にその実力の差は仕方のないことであったのかもしれない。
けれどあたしはとてもショックを受けた。お姉ちゃんにできることがあたしにはできないのだという、ただそれだけのことがとても、とても悲しかった。
そして、どうにもその「お姉ちゃん」がかっこよく見えてしまって、お姉ちゃんのようになりたくなってしまって、
それからあたしは必死に、マリーの教えを食らいつくように聞いて、選択も掃除も料理も、何度も何度も熱心に挑戦したのだった。

おそらくこのお姉ちゃんの存在がなければ、あたしはあれほどの短期間で家事を自分のものにすることなどできなかっただろう。
そういう意味でもあたしはマリーに、そしてその娘である「お姉ちゃん」に感謝している。

マリーがいたからあたしは世界の広さを知った。「お姉ちゃん」がいたからあたしは家のことを何でもできるようになった。
あたしの母である筈の彼女よりも多くのことを知り、彼女よりも多くのことができるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
10歳の頃には既に、あたしは彼女の娘であることを諦めていた。けれど母というものを諦めた訳では決してなかった。きっとあたしはいつだって、家族というものを夢見ていた。

6歳であったあたしはまだ「敬語」などというものをまだ知らなかった。
無礼なあたしは敬語どころか、ずっと年上であるマリーを「マリーさん」と呼ぶことさえできなかったし、4歳年上であるお姉ちゃんにも、丁寧な言葉を使わなかった。
その名残であたしは今でも、この二人には適切な言葉を使うことができていない。そんなあたしを友人もお姉ちゃんも許してくれている。あたしはそんな優しい二人に甘えている。
そして更に、……もしこのような甘えたことが許されるのならば、あたしはあのマリーをこそ「母」と呼んだのかもしれなかった。

勿論、そのようなことをマリーに直接話したことは一度もない。だってあたしはマリーを母にするどころか、お姉ちゃんと「友達」になることもできていないのだから。
あたしはまだマリーの「あの子の友達になってあげて」という願いを、叶えてあげられていないのだから。
他でもないお姉ちゃんに、ごめんね、と拒まれてしまったのだから。

「私、友達を作らないようにしているの。だって友達って、苦しいものなのでしょう?」

「どうしてそんな風に思うの?」

「だって友達なんてものがいなければ、私のお母さんは苦しまずに済んだのよ」

全知全能の優れ過ぎた存在であったマリーとお姉ちゃんにも、あたしと彼女のような惨たらしい糸が、既にこの時からピンと張られていたのであった。
けれどあたしはまだ6歳だったものだから、その惨たらしさに、マリーとお姉ちゃんの悲しさに、どうにも気付くことができずにいたのだ。
まだ10歳であった筈のお姉ちゃんは、ずっとあたしに優しくしてくれていた。天使のような、神様のような、そうした優しい笑みをいつだって湛えていた。
けれどそんなお姉ちゃんは、たまに悪魔のような顔をして、海の目を凍らせる時があった。
その凍える青い視線の先には、いつもあの木があるのだった。


2017.4.10
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