Unknown "No. 1"

「アカウント?」

チャンピオンになってすぐの頃、シュートシティのトーナメント会場でキバナさんからそう尋ねられ、私は首を捻ってしまっていた。
アカウント、という単語からすぐにSNSを連想できる程、私はその界隈に堪能な訳ではなかったからだ。
けれども毎日のようにSNSに顔を出し、スマホロトムで撮影した自撮り写真を全世界に向けて公開し続けている彼にとっては、
私が「アカウント」という単語にピンと来ていないという事実が、あまりにも遁世的で、流行遅れの可哀想な子に見えてしまったらしい。
憐れむように眉を下げ、どう言葉をかけていいのかと迷うようにその綺麗な目を逸らしたのが印象的だった。
貴方でもそのような顔をするのかと、私は少しばかり楽しくなりさえしたのだった。

「オマエ、マイペースに生きるのは結構だがな、そんなんじゃ取り残されちまうぞ」

「キバナさんが言うのならそうなのだろうね。貴方ほど、とまではいかずとも、それなりにSNSも嗜んでおこうと思うよ」

「おう、そうしておけ。チャンピオンが世間に目を向けねえと、世間もチャンピオンを見てくれねえぞ。SNSで分からねえことがあったら、オレ様が教えてやるからよ」

「見られるのがチャンピオンの仕事なのだね。分かったよ。
……ではキバナ先生、早速なのだけれど、そのアカウントというものはどうやって手に入れればいいのかな?」

彼はきょとんとした表情を浮かべた後でゆるゆると笑いながら、控室のベンチにどっかりと座ってその隣に私を招いた。
私のスマホロトムを操作し、母との連絡にしか用いていないようなメールアドレスを使ってSNSのアカウントを作ってくれた彼は、
私にとって完全に未知のエリアであるそのSNS画面を見せながら、
その電子世界がどういったルールで動いているのか、どのように振る舞うのが適切であるのか、どのように楽しむものであるのかを、実に丁寧に事細かく教えてくれた。
正直、その大半は「理解はできても共感はできない」ような、実に難しいものばかりだったのだけれど、
説明してくれたキバナさんの手前、微妙な表情をするべきではないのだろうなと思い、笑顔でお礼を告げた。

最後に、キバナさんは傍を漂っていた彼自身のスマホロトムを呼び寄せ、彼のアカウントと私のアカウントを「繋いで」くれた。
私の「フォロー」と「フォロワー」のカウントがそれぞれ0から1に変化する。それはこの電子世界において、私がキバナさんと繋がっているという証明になった。

「背番号の1番はダンデに譲ったが、オマエの「1番」はオレ様がいただいていくぜ」

「1番……そうだね。私のそれに価値があるのかどうか分からないけれど、貴方が喜んでくれるのならいくらでもお渡しするよ。ところで、キバナさんの「1番」は貰えないのかな」

このSNSにおいて、キバナという人物がどれほど有名であるのかを知らなかった私は愚かにもそんなことを告げて、彼のスマホ画面を覗き込んだ。
「フォロワー」のところの数が5桁だったのか、6桁だったのか、あまりの驚きにさっと目を逸らした私には判別することができなかったけれど、
あまりにも不適切なことを口にしてしまったのだと知り、私はさっと顔を青ざめさせて「ごめんなさい」と上擦った声で繰り返さなければならなかった。
今頃になって新規参入してきた私如きが、彼のカウントの「1番」を欲しがるなど、愚の骨頂だ。あまりにも恥ずかしく、あまりにも愚かしい。
無知は罪である。これは重罪だ。この電子世界に重きを置き、現実世界でも電子世界でも大勢のファンに長らく愛されてきた彼を侮辱したも同然であった。

けれどもキバナさんは、そうした私の至らない言葉に憤慨したり機嫌を損ねたりはしなかった。
私の頭をニットベレーの上からぽんぽんと叩きつつ「気にしてねえよ」「謝るなって」「本当にSNSのこと知らねえんだな」「これから勉強してくれよ」と優しく笑うばかりであった。
この人はバトルフィールドに立てば荒れ狂う嵐のようであるのに、こうして風の凪ぐ場所で顔を合わせると陽だまりのように穏和なのだ。

「でも、オレ様の「1番」をオマエにやれないってのは確かに悔しいな。オマエにやってもいいもの、何か考えておくとするかな」

私の失言にも律儀に応えようとしてくれるその姿勢に、私は彼がどの場所でも愛されている所以を見たような気がして、少しこそばゆくなった。
今の、SNSに悉く無知である私には、彼が私の「1番」を喜んでくれるというその事実を貰うだけでも十分すぎる幸福であるように思われたのだった。

さて、SNSというのは実に忙しい代物である。
私がSNSを始めたことを、私は誰にも話していなかった。キバナさんだって、外に話して回るような真似はしていなかった。
けれどもこの電子世界の住人は「人を探す」のが非常に上手であるようで、私はアカウント取得当日にすぐさま見つかってしまい、
その、人探しに堪能な住人により噂があっという間に広まったことで、私はその日のうちにとんでもない数のフォローを頂戴することとなってしまった。

私と繋がりを持ってくれた人への感謝は尽きないが、流石にこの人数全てに赴き挨拶するのは現実的ではないと判断し、私は投稿欄から電子世界の住人へと感謝を送った。
その、100文字にも満たない僅かな私の言葉にも、やはりとんでもない数のコメントが押し寄せてきて、電子世界の目まぐるしさに私は頭が痛くなりさえしたのだった。
その度に私はキバナさんの力を借りながら、電子世界に関する知識と現実世界における処世術を少しずつ会得していった。
彼がいなければ私は間違いなく、この電子世界に飛び交う無数の数字や言葉の群れに、押し潰されていたに違いない。

SNSにおける忙しなさに辟易することもあったけれど、「忙しい」というのはその実、悪いことばかりではなかった。
これだけの数の住人が私を見ているのだという事実により、私の「チャンピオンとしての自覚」が急速に芽生えていったからだ。
ガラル最強の称号を手にしたはいいものの、これからどうすればいいのかと半ば途方に暮れていた私の背中を、電子世界の住人達は実に力強く押してくれたのだ。

トーナメントに参加する度に、私の元へコメントが勢いよく押し寄せてくる。
スタジアムで生観戦できることを喜ぶ声、新旧チャンピオンの激しい勝負に上がる雄叫び、対戦相手を容赦なく敗北させることに対する批判など、その内容は実に様々だった。
ただただ熱い称賛の言葉も、冷たい辛口の批評も、私にとっては有難いものに違いなかった。
こうしたものに背中を押されたり、元気を貰ったり、時に背後から鋭い言葉で刺されたり陰口を叩かれたりさえしながら、
私はそれらの言葉全てに相応しく在るために、励み続けることになるのだろうと確信していたからだ。

そうして「ガラルのチャンピオン」は出来上がっていくのだ。
先代のダンデさんがそうであったように、そのライバルであるキバナさんがそうであるように、私も同じ道を辿り、ガラルの象徴となっていくのだ。
そのための歩みをキバナさんが導いてくれるなんて、ひどく光栄なことだ、と思う。同時に、このような修羅の道に私を引きずり込んで道連れとするなんて狡い人だ、とも思う。
それらを踏まえて、やはり思う。私の会いたい彼はこの電子世界上の何処にもいないのだと。
だからこそ私は今日もシュートシティへ向かう。電子の外で息をする彼に、会いに行く。

「随分と最近、皆へのサービスがいいみたいだが、疲れちゃいねえか? あまりSNSに入り浸っていると息が詰まるだろう、程々にしておけよ。
大半は気の良い人間だが、オレ様やオマエみたいな有名人のプライベートを躍起になって暴こうとする、悪質な輩もたまにいるからな」

トーナメントの決勝戦、反対ブロックを勝ち上がってきたキバナさんは、ポケモンのコンディションを確認していた私にそう声を掛けてきた。
程々にしておけ、なんて、試合にもスマホロトムを持ち込んでいるような貴方に最も似合わない台詞だ、と内心愉快な気持ちになりながら、大丈夫だよと笑って返事をする。

「私のことを知りたいと思ってくれるのなら、それはとてもいいことじゃないか。大いに結構、幾らでも知りたがってくれて構わないよ。
……私は、皆さんの詮索に全てを暴かれてしまうような、薄っぺらい人間ではないつもりだからね。キバナさんだってそうだろう?」

「……へえ。オレ様の厚みがオマエに分かるのか?」

「分かるよ。その証拠に私は、貴方の秘密を知っているもの。電子世界越しに眺めているだけの皆さんには決して知り得ない、私にだからこそ分かる秘密だよ。
そしてキバナさん。貴方だって私の厚みを誰よりもよく分かっているはずだ」

そうでしょう、と少し強気な眼差しで彼を見上げる。驚いたように見開かれた目に私が映っていて、ひどく誇らしくなったりもする。
そう、貴方は私の厚みを知っているはずなのだ。
こんなにも私を気遣ってくれて、こんなにも私に色んなことを教えてくれた、そんな貴方なのだから、知っていなければおかしいのだ。

だって最近私は、貴方とばかり話をしているのだもの。
電子世界におけるマナーも、繋がりを持ってくれた人への感謝の示し方も、写真を投稿する方法も、鳴り止まない通知音をオフにするやり方も、貴方に教わったのだもの。
自由極まりない称賛や期待や落胆や中傷を上手くかわす術も、万を超える数の重圧に潰れないよう生き抜く術も、ガラルの象徴としての生き方も、貴方が教えてくれたのだもの。

貴方が私に教えてくれた、電子世界における無数の情報を、私は全て覚えている。
貴方が私に示してくれた、現実世界での「私」を守る方法を、私は全て自身のものにしている。
貴方との時間の中で貰った、声や笑顔や指の温度を、私はまるで宝物のようにずっと脳裏に抱いている。
どれもこれも、独り占めして手放したくないものばかりだ。

ねえ、こんなこと、こんなにも素敵で素晴らしいこと、私以外の誰が知り得るというんだい。そうでしょう、キバナさん。

「私にとっての貴方が「1番」であると、貴方はもうずっと前から知っているよね。だから貴方は私にこうして「1番」をくれるのだろう。私を「1番」にしてくれているのだろう」

「……いつから、気付いていたんだ?」

「あれ、本当にそうだったんだね。私の身勝手な願望を言葉に乗せて、カマを掛けてみただけだったのだけれど」

「はあ!?」

勢いよくベンチから立ち上がったキバナさんの拳が、強く握られすぎてわなわなと震えている。
褐色の肌をした彼の頬が僅かに赤くなっているような気がするけれど、断定はできない。けれど、らしくない発言を為した私の頬が真っ赤になっていることは確実に分かる。
貴方が私の1番であり、私が貴方の1番になれているということが、分かっている。分かってしまう。

「貴方の1番を貰えてとても嬉しいよ、キバナさん。腑抜けだった私を、チャンピオンとして相応しい姿に仕立ててくれて本当にありがとう」

「……やってくれたなユウリ!」

彼の八重歯がにっと覗き、その笑顔のまま私のニットベレーを引っ掴み遠くへと放り投げた。
スマホロトムがニットベレーを上手に受け止めてくれたのを視界の端で確認しながら、私は頭上から降ってきたキバナさんの大きな手に髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられていた。
今から決勝戦だというのに、なんて酷いことをしてくれるのだろう、と愉快な心地で思う。
けれどもどうせ、彼との試合では砂嵐が吹き荒れることになるのだから、少し前倒しで髪が乱れることくらい、どうということはないのだろうとも、優しい心地で思えてしまう。

ほら、こんなことだって誰も知らないんだ。それで十分だと思った。他には何も望むべくもなかった。
たとえ私達が互いを1番としていることが公になったとしても、私がどんな風に貴方へと焦がれているのか、そんなことは誰にも分かりようがない。
私の心の全てを暴ける相手など、目の前で頬を赤らめて笑う彼を置いてほかにいるはずがない。

「おっと、時間だな。行くぞ、オレ様達のバトルを見せつけてやろうぜ!」

大きく頷き、コートの反対側にある入り口へと続く裏の通路へ駆けていく彼を見送る。
私も控室を出て、コートへと続く、細く暗い道で立ち止まり、向こう側に彼の姿が見える瞬間を今か今かと待っている。
ざわめきが聞こえる。私とキバナさんの名前を大勢が叫んでいる。いつものことだけれど、今日は一段と負ける気がしない。

電子世界には限界がある。生身の五感を活かさなければ得られないものがこの世界には沢山ある。それを知っている人間も大勢いる。
だからこのスタジアムは毎度のことながら満員なのだろう。情報ではなく感覚としてこの時間を味わうために、彼等はこのシュートシティへ来てくれているのだろう。
けれども残念なことに、そんな五感による感動を大事にしている彼等にだって、知り得ないことがある。
電子世界上でいくら私達を詮索しようとも、現実世界内でどれだけ目を凝らして私達を追いかけようとも、暴かれない私達の秘密というのは確実に存在する。

私を求めてくれるのであればいくらでも応えよう。貴方達の期待に応えられるような最高のチャンピオンであり続けよう。
でも、私やキバナさんのことを全て知った気にならない方がいい。私達には秘密がある。貴方達には絶対に暴けない秘密がある。
私達が、貴方達と同じただの人間であり、貴方達と同じように特定の誰かに焦がれる生き物であるという、ガラルの象徴たる存在としてはいっそ致命的とも言える秘密がある。

その秘密にこそ、私の根幹は支えられている。私はそのことが誇らしくて堪らない。

「!」

向こう側の通路、その暗がりで彼が右手を高く挙げている。その手が数字の「1」を示していたので、私も手をぐっと突き出して「1」を示し返した。
残念だけれどキバナさん、このトーナメントでの1番は私のものだ。まだ貴方には、取られてなどやらないよ!

2019.12.28
キバナさんの魅力を説いてくださった、私の尊敬する貴方へ

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