独りとはもう言わせまい

こちらがぞっとしてしまう程に、ひどく従順で、我欲を持たず、気丈な笑みを絶やさない、大人よりも大人らしい少女であった。

ダンデは彼女が「No」と答える姿を見たことがない。返答に渋るような様子さえ一度も見せていない。
ポケモンを受け取り、弟であるホップとポケモンバトルをし、彼のライバルになれという言葉をそのまま受け取り、それを己の称号として彼女はバトルの腕を磨いていった。
ジムチャレンジへの推薦状をいつもの笑顔で受け取り、ホップが頼み込んだバトルを全て受諾しいつもの笑顔で勝利した。
彼女はいつだって、ホップのライバルとして相応しいスピードで歩みを進めていた。
それが彼女の全力であったのか、それともダンデが与えた「ライバル」という称号に彼女の歩みがコントロールされているのか、彼は見極めることが、あらゆる意味でできなかった。

「チャンピオンである貴方からポケモンを頂けるなんて、光栄なことだね。ありがとう」
「ホップのライバルに? 私なんかでよければこちらこそ是非お願いするよ。一緒に頑張ろう、ホップ!」
「私のような、ポケモントレーナーになったばかりの人間を推薦してくれるなんてね。それじゃあ私は、貴方の推薦に相応しいジムチャレンジャーになることにするよ」
「ワイルドエリアでビートと戦って、少し落ち込んでいるみたいなんだ。ホップなら心配ないだろうけれど、もし彼が迷っているようなら力になりたいと思うよ」
「自らの在り方に疑問を抱けるというのはいいことだよ。彼が満足するまで、彼の模索に、彼の試行に、付き合うつもりだ。ライバルとはそういうものだろう?」

新人のポケモントレーナー、ホップのライバル、ジムチャレンジャー……。
彼女はダンデから与えられた称号をただのひとつも突き返さなかった。どの称号に関しても、いつもの笑顔で喜んで受け取り、その称号に相応しい人で在れるようにと努めていた。
その従順の過ぎる態度にダンデは些か心配になった。渡してはいけない相手に称号を押し付けすぎてしまったのではないかという懸念が首をもたげた。
けれどもそうした、決して軽いものばかりではなかったはずの称号を背負ってもなお、彼女はその笑みを崩さず、いつだって楽しそうに旅をしてくれていたものだから、
ダンデはすっかり安心してしまって、彼女に確かな信頼めいたものを抱いてしまっていて、
様々な称号を押し付けてしまった詫びの意味も含めて、せめて子供である彼女の旅路が安全なものであるようオレが守らなければ、という気持ちになっていたのだった。

「オレが未来を守るから、ジムチャレンジを勝ち上がってくれ!」

従順なこの少女は、そうしたダンデの発言にもいつもの笑顔で頷き「ありがとう」と感謝の言葉を返すだけであった。
それが彼女のため、未来を生きる子供達のためになるとダンデは信じていた。
ホップや彼女を守れているという、その事実はそのままダンデの誇りになった。
子供達が自由に羽ばたくことが叶う世界を作るための力に、自分がなれているのだと思えることがただ嬉しかった。

「楽しみなんだよ、あなたが戦う決勝戦。だから揺れのこととかは大人に任せて、キルクスのジムバッジ、取りなよ!」
「若いあなたができること、大人がするべきこと、皆の役割があるのですよ」

ダンデだけではない。他の大人達だって同じように思っていたに違いなかった。
このガラルはそうやって守られてきた。このガラルはそうして豊かに安全になっていったのだ。それがガラルに生きる大人の共通見解であった。

彼には、子供達の未来を守る責務があった。幸いなことに彼にはそのための力があった。だから彼は、ガラルの皆を守るためにその力を奮うことを一度たりとも躊躇わなかった。
あの日も、そうであった。

「ダンデさん、そこで見ていて。貴方に代わってガラルを守る私達を見ていて」

巨大化したブラックナイトを背景に、伝説と呼ばれるポケモン二匹を携えた子供達。ダンデが誰よりも守りたかった弟と、ダンデが誰よりも案じていた少女。
ダンデがいつだってその背中に庇い、その背中を見せて守ろうとしていたはずの二人。
そんな彼等が今、ダンデの前にいる。ダンデよりも危険に近い場所で、ダンデよりも大きな力を携え、ブラックナイトの捕獲に失敗したダンデの代わりに、ガラルを守ろうとしている。

駄目だ、と叫びたかった。早く逃げるんだと手を引きたくなった。
しかしブラックナイトの爆風をもろに受けた彼の体は立ち上がることもできず、声を出すこともできず、震える口で「逃げろ」と形作るのが限界だった。
そうした満身創痍のダンデにとどめを刺したのは、爆風でも振動でもなく、彼女の、視線だった。

「目を逸らさないで。貴方への憤りを隠せない子供っぽい私を、どうか覚えていて」

一瞬、本当に彼女が別人に見えた。目のかたちが、違い過ぎたのだ。
蜂蜜を大量に溶かし込んだ紅茶のような、いっそ毒めいた凛々しさを孕んだその茶色い目は、けれども今は氷の槍のような冷たい鋭さでこちらを射抜くばかりだった。
気丈な笑顔しか見せてこなかった彼女に、そのような目をするだけの激情が潜んでいたことはダンデをたいそう驚かせていた。血の気が引く程の衝撃であり、困惑であった。

彼女が自身の何に対して憤っているのか、爆風の衝撃による頭の痛みに苦しむダンデには辿り着くことができなかった。
分かるのは、彼女を守りたかったはずの自身と、守られて然るべき子供である彼女との立場が完全に逆転しているという事実だけであった。

おかしい。そしてひどく悔しい。これじゃあまるで君が、君こそがチャンピオンみたいじゃないか。

剣と盾が作る、青い斬道と赤い弾道がダンデの目にじんと滲んだ。
そのすぐ隣で自らのポケモンに技を指示する彼女の顔は、やはりいつものように気丈な笑みを作っていたのだろうけれど、ダンデは見ることができなかった。
己にできなかったことを為そうとしている彼女が、ダンデの庇護下に在ることを拒み、ダンデの前に出て戦う彼女が、あまりにも眩しかった。眩しかったのだ。

ガラルを騒がせたブラックナイトの騒動が終わり、街は以前の明るさをすっかり取り戻していた。
剣と盾を携えたポケモンは、役目を終えて再び眠りにつくものとばかり思われたが、
どうやらその後に起こった事件の解決を経て、ホップと彼女をそれぞれ主とすることに決めたらしい。
ガラルの住人のほとんどにその存在さえ認識されていなかったザシアンとザマゼンタだが、今ではシュートシティのトーナメントバトルで頻繁にその姿を見せている。

ソニアが執筆した本の影響もあってか、突如として現れた二匹を訝しむ者はほとんどいなかった。
ガラルの英雄として慕われ、スタジアムに登場すれば歓声を浴びる。そんな伝説のポケモンを、彼女はいつもの気丈な笑みで誇らしげに見つめていた。
その視線、彼女らしいその眼差し、ダンデを真っ直ぐに見上げてくれていたその瞳の色。
けれどもその目と直接視線を交える機会がなかなか訪れなかったものだから、ダンデは少しばかり、歯がゆい思いをしていたのだった。

「久し振りだね、ダンデさん」

それ故に、ワイルドエリアで彼女と再会できたことは、ダンデにとって思いもよらぬ僥倖であった。
彼女の隣でうずくまる新人トレーナーが、膝から大量の血を流していなければ間違いなく笑顔で喜ぶ場面であった。

連れていたポケモンを全て瀕死に追い込まれ、持ってきていた傷薬も底をつき、慌てて駅方面に戻ろうとしたところで見知らぬピンク色のポケモンに執拗に追い回され、
倒れた木の影に隠れて息を殺していたところをチャンオンが見つけてくれたのだと、その男の子は涙声で話していた。
「ぼくのことはいいからポケモン達を元気にしてあげて」という彼の懇願に応える形で、彼女は傷薬を大量に使って彼の手持ちを回復させるに至ったのだが、
男の子の方に出来た傷は当然のことながらポケモン用の薬で治るはずもなく、適切な器具がないため消毒も止血もままならず、どうしたものかと途方に暮れていたらしい。

こういった事例に関して、トレーナー歴の長いダンデはかなりの場数を踏んでいる。
常備しているガーゼや包帯、サポーターなどを駆使してなんとか立ち上がれる状態にまで応急処置を施し、リザードンに乗せてエンジンシティへと送り届けた。
その手際の良さに、男の子は勿論のこと、隣で見ていた彼女も目を丸くしていた。
彼女の視線に誇らしい気持ちを覚えるのは随分と久し振りのことで、ダンデは素直に嬉しくなってしまったのだった。

「本当に助かったよ。私も今後は応急処置のための道具を携帯しておくべきだね。貴方からは学ぶことが沢山ありそうだ。是非とも色々とご指導願いたいな」

何度も二人にお礼を告げつつ病院へ向かう男の子を見送ってから、彼女は嬉しそうな笑顔を湛えつつ、やや早口でそう告げた。
そこには、ブラックナイトを背後に据えてダンデを睨み付けたあの日の凄みの一切が感じられなかったため、ダンデは毒気を抜かれたような心地になってしまう。
けれども彼女とて、あの日のことを忘れてしまった訳ではなかったのだろう。その朗らかさを緩く崩すようにして眉を下げ、「ごめんなさい」と小さな声で、呟いた。

「ダンデさんを始めとする大人達が、どうしてあそこまで厳重に私達を守ろうとしていたのか、私なりにちゃんと分かっているつもりだったんだ。
子供の一人旅というのは往々にして危ないものだよね。特にワイルドエリアはさっきのように、それこそ命の保証さえできなくなる程の危険に満ちている。
私やホップを始めとした子供が、最後まで旅を安全に楽しむことができたのは、紛れもなく貴方達の固い庇護によるものだ。私は感謝を、貫くべきだったよね」

本当にごめんなさい、と繰り返す彼女の横顔が随分と痛々しいものに思われて、
ダンデは慌てて「気にしなくていい」「オレの方こそ言葉が足りなかった」「君達の力を信じていなかった訳じゃないんだ」と、彼女の抱える心苦しさを取り払うための言葉を重ねた。
彼女は矢継ぎ早とも呼べそうな勢いで喋るダンデを驚いたように見ていたけれど、やがて肩を震わせて笑いつつ「ありがとう」「貴方は相変わらず優しすぎるよ」と、口にした。

「私は自らの力について、ある程度弁えているつもりだったよ。だから私よりも聡明で力のある大人達が、私達を「庇護の対象」とすることに何の文句もなかった。
もっと力を付けて、大人になれば、私も守られる側ではなく守る側に立てると分かっていたからね。それまで待つつもりだった」

「でも、待てなくなったのかい? オレがあまりにも不甲斐なかったからだろうか?」

「まさか! その逆だよ。貴方が強すぎたから許せなかったんだ。
そんな貴方でも敵わない相手を目の前にして、それでも貴方は助力を求めようとせず、私達を守ることばかり考えていただろう。声さえ出ない口で「逃げろ」と繰り返していただろう。
だからつい憤ってしまった。ふざけるな、と思えたんだ。……今となっては、貴方の中にある独り善がりを知ることができたという、いい思い出になっているけれどね」

ホップや彼女を守れているという、その事実はそのままダンデの誇りになった。
子供達が自由に羽ばたくことが叶う世界を作るための力に、自分がなれているのだと思えることがただ嬉しかった。
そんな彼の思いを「独り善がり」としてあっさり一蹴する彼女には、まだあの日の鋭さが残っていたけれど、
そうしたあの日のダンデが見せた欠点をいい思い出だとして笑ってくれるのならば、そして今、ダンデへの憤りがこの少女の中で鎮まっているのなら、もう何の問題もなかった。

「貴方に守られてばかりの私なんか御免だと思った。
同時に、私にいろんな役目をくれて、私にいろんな世界を見せてくれた貴方を初めて守れるのが私なら、それはなんて素晴らしいことだろうと思った。
今の、チャンピオンになった私も嫌いじゃないけれど、私はあの日、貴方に背中を見せているときが、貴方を守れる時が来たのだと確信できたあの瞬間が一番、幸せだったよ」

「……」

「ねえダンデさん、これからも私を見ていてくれるかな。貴方に見てもらえていると思うだけで、私、どうしようもなく嬉しくなれてしまうんだ」

『ダンデさん、そこで見ていて』『目を逸らさないで』
あの日と似たような懇願を語る彼女の目は、もう鋭くない。ダンデが好み、ダンデが守りたいと願った、真っ直ぐな紅茶色がダンデの表情をくっきりと映すばかりであった。
見ていたい、とダンデは思った。彼女を一番近くで見ていられる人間が自分であるならば、それはとても光栄で、素晴らしく喜ばしいことだと思った。
この少女自身に「見ていて」と乞われずとも、ダンデはずっと、この少女の小さすぎる、頼もしすぎる、眩しすぎる背中を見守り続けることになるのだろうと思えたのだ。

「ああ、勿論だとも! ずっと君を見ていると約束しよう。でもユウリ、いつまでも君に守られっぱなしのオレだとは思わない方がいい。
オレ達は互いに、一人じゃないんだ。オレ達は一人で戦わなくていいんだ。それを教えてくれたのは他でもない君だ。だから君も、一人じゃないことを忘れないでほしい」

オレみたいな独り善がりは許されないぜ、と付け足せば、彼女はいつもの気丈な笑顔で大きく頷いた。
差し出した手を握り返してきた、その小さい手に似合わない強い力に彼は笑った。なんと心強いことだろうと思った。なんて幸せなことだろうとも思った。
実の弟という最高のライバルだけでなく、新しいチャンピオンという最高の相棒さえ出来てしまったのだから、ダンデとしてはもう、他に望めるものなどあるはずもなかった。

そんな思考は、しかしにわかに顔を赤くした少女の大きな笑い声により突如として遮られた。
どうしたんだいとダンデは尋ねる。彼女は真っ赤な顔のままダンデを見上げる。
最強のチャンピオンは、彼がブラッシータウンで初めて覗き込んだ瞳をそのままのかたちで有している。彼女はたまに、とても子供っぽい。

「なんでもないよ、ダンデさん。貴方がようやく一人でなくなったことが嬉しくて、嬉しすぎて、少し浮かれてしまっているだけなんだ!」

2019.12.29
SWSHへの考察に長らくお付き合いくださった夜の貴方へ

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