小話たち5

【スタジオに照るスマイルフィルム】(8/8、セボユウ創作チャレンジへ提出)

「ユウリ、顔が硬いってば! もっと自然に笑ってよ」

 私の凍り付いた表情に呆れ笑いを浮かべつつ、おかみさんはもう一度、と笑顔を促す。その手に構えられた大きめのフィルムカメラは、昔の仕事でお世話になった知人より譲り受けたもの、であるらしい。デジタルカメラとは異なる趣の写真が撮れるのだと楽しそうに話した彼女の「被写体」、そのフィルムを彩る一部……になってみたい、という気持ちはある。でもその気持ちに表情が追い付かない。レンズに目線を向けた状態では、どうしても硬い顔しか作れない。さてどうしたものかと頭を悩ませていると、唐突に助け舟が出された。出処は、すぐ傍で私の硬い顔をニコニコと眺めていた彼だ。

「まったくワタクシの妹弟子は妙なところで手が掛かりますね。ほらユウリ、こちらへ。バトルコートに向かいますよ。あなたは一度、そのカメラの存在を忘れるべきです」

 手が掛かる、というネガティブな事実を嬉しそうに語る兄弟子、その心理を読み解くのは少し難しい。けれども私が自然体で笑うために必要なことを全て分かってくれている彼、その優しい気遣いは察するに余りある。君が此処までストレートな親切をするなんて珍しい。そんな言葉を飲み込んで、私は彼のエスコートに甘んじることにした。私の手を引く彼の横顔が随分と幼く上機嫌なものに見えて、ひどく救われた心地になった。私も子供っぽく、喜びたくなってしまった。

「あの、もし、そこのお二方! ご一緒してもよろしいか?たまにはタッグバトルと洒落込むのも、面白いかと」

 コートにいた先客、二人の門下生は、けれども後からやって来たセイボリーの提案にすぐさま快諾し、嬉々としてコートの反対側に駆けていく。私もまた。「彼との共闘」という夢が叶いかけているという事実に、すっかり浮かれてしまっている。彼と向き合うのではなく隣に並び立つのは、これが初めて。嬉しくならない訳がない。ああそうだ、この愉快で優雅なジョーカーは、私の望みを汲み取って、なんてことのないように叶えてしまうのがいっとうお上手なのだった!

「さて、あなたは今から、大好きな場所で大好きなワタクシと共に戦う訳ですが……どうです? 今のご気分は」
「それはまた随分な自惚れだね。でも大正解だよセイボリー。私はずっと、君の隣で戦ってみたかったんだ!」

 ぴょんと飛び跳ねて彼から距離を取る。先鋒として繰り出すポケモンは熟考せずとも、すぐに決まる。にっと笑って用意が出来ていることを伝える。彼は視線で頷いてくれる。

「君は大丈夫? 準備が出来るまでいくらでも待つよ?」
「ハッ、それこそ余計なお世話というものですよユウリ! あなたはこのワタクシが手配した最高の舞台で、思い切り楽しむことだけ考えていればよろしい!」

 皮肉めいたその笑顔にこちらも視線で頷き返す。上手く笑えているかな、という一抹の不安は、おかみさんの手元、パシャパシャと連続で切られた音にすぐさま奪い取られていく。


【笑顔と至福の出力線】(8/8、セボユウ創作チャレンジへ提出、その2)

「君との共闘がこんなに楽しいものだとは思っていなかったよ! 夢見ていた分の何倍も素敵だった。君と私が同時に勝利できるって素晴らしいことだね。本当に嬉しい!」

 バトルの興奮冷めやらぬままに捲し立ててくるその早口に、ハイハイとか、そうですねとか、ワタクシもですよとか、そうした短い肯定や同意で彼は相槌を打ち続けていた。
 いつもはフィールドの向こう側に小さく見えるばかりであった彼女の、いっそおぞましいとさえ思わせる程に眩しく弾ける笑顔を至近距離で見ることが叶ったこと。そしてその隣で戦えたというあの時間の有意義性を、自らが口に出さずとも、彼女が彼の分まで情熱的に説き続けてくれていること。更には「彼女の笑顔を撮影する」ための助けに寄与し、ミセスおかみにいたく感謝されたこと。それら全てがセイボリーの気分を上向きにした。総じて彼は今とても機嫌が良かった。「お礼」と称してミセスおかみから手渡された小型のインスタントカメラも、彼の気分を更に高める一因となった。
 二歩先を歩く彼女はまだ喋り続けている。随分と幼いはしゃぎ方をするその珍しい有様を斜め後ろで楽しみつつ、彼はふいに立ち止まり、カメラを構えてみる。小さなレンズの中、後ろ髪をふわふわと揺らして歩く彼女をこちらに向かせるための言葉など、セイボリーは星の数ほどに思い付く。

「あなたが望んでくださるのならいつだって隣に立ちますよ。次はその夢とやらの二億倍、『素敵』にして差し上げます」

 果たして彼女はすぐに振り返ってくれる。そこに在るのは彼の予想に違わぬ、柔らかく溶けた紅茶色。至福を極めた目の細め方、最高の笑顔を小さなレンズが捉える。ほら、今だ。

「あっ! ……っふふ、あのねセイボリー、それは狡いよ。でもやっぱり完璧、大正解だ。私の笑顔のトリガーもタイミングも、君には全部お見通しなんだね」

 奇襲を仕掛けられた彼女は、けれども憤ったりはしなかった。上機嫌な彼女から叱責の代わりに飛んできたのは、彼女を相応に理解するセイボリーへの真っ直ぐな称賛。そんなあけすけな幼い言葉にさえ、ほら、彼は喜ばずにはいられない。

「あなただって、似たようなことをしているでしょうに」

 しばしの沈黙、覚えがないよと首を捻る幼い困り顔。それらを彼は黙って眺めるのみ。本音を告げる機会はまた、次に彼女の隣に立った時の楽しみに取っておくことにして、彼はインスタントカメラが吐き出した先程の笑顔を手中に収めた。十分すぎる「お礼」を得たことに満足する彼の手元、それを覗き込んだ彼女の目が、零れんばかりに大きく開く。

「すごい! 君は天才だね。こんなにも楽しそうに、嬉しそうに笑う私、これまで一度も見たことがないよ」

 唐突な「ミラーコート」にセイボリーの目が眩む。あなたという人は、と悪態付きたくなる。ああほら、彼の至福のトリガーもタイミングも、当人に自覚がない時でさえこの通り、彼女は全てお見通し。ねえその質の悪さ、誰に似たんです?


【ゆめプリント】(上二つの続き)
 セイボリーが最近めっぽう強くなったのは、彼が「とっておき」を手に入れたからだ。
 そんな噂を聞いた妹弟子は、その正体にすぐさま思い至ったらしい。「まさか今も持っていたりしないよね?」と、セイボリーの腕を強く掴み、半ば確信をもった口調で尋ねてくる。その鋭い推理に白旗を上げる要領で、彼は「ハイハイ、ご明察!」と笑いつつ、ポケットから写真を取り出して小さな探偵の眼前に差し出した。先日の彼女に奇襲をかける形で撮影した、あの一枚。こんな風に笑う私はこれまで一度も見たことがない、とまで当人に言わしめたそれは、正しく彼のとっておきであり、お守りに違いなかった。

「もう、そんなことだろうとは思ったけれど! ……ねえ君、本当にこんなもので?」
「ええそうですとも。ほら、馬鹿にしたいならどうぞ、思い切り笑えばよろしい!」
「そんなことしないって。確かに恥ずかしいけれど、でもそれ以上に嬉しい。本当だよ」

 彼女の笑顔を所持するという気休め。彼女の美しい一瞬がポケットの中にあるという気休め。彼女の信頼の証がいつもいつでも手の届く場所にあるという、彼にとっては最上の救いになる、気休め。とっておき。きっと彼女はセイボリーのそうした幼稚な専有を許すだろう。そんな確信だって、この笑顔に与えられたものに違いなかった。

「それに少し羨ましい。私だっていつでもこんな風に笑っていたいし、いつでも君と一緒にいたい。そんな我が儘も全部、この写真の中でなら叶うんだ。……いいなあ」

 そんなことを望んでくれさえする妹弟子は、その一枚に「ねえ」と諭すように囁く。

「私の夢をこれからも叶えてね。ずっと彼の傍にいて。決して悲しませないで。いい?」


【私が足枷】(次ページ「旅支度」の布石)
 この人の力になりたかった。この綺麗で健気な兄弟子、何事にもいつだって全力な彼が持ち続けている「夢」、それを叶える手助けがしたかった。彼の矜持を支えるものになりたかった。彼の背中を押す存在で在りたかった。疑わせる余地さえ与えない程の絶対的な信頼を、無尽蔵に差し出し続けられる人でいたかった。彼の向上心を常に刺激できるような、全力を引きずり出せるような、時に前に立って引っ張ることさえできるような、妹弟子。それが、彼の魂に焦がれた私がずっと、ずっと目指してきた姿だ。

「恋人にはなれないよ。君には、私を置いて何処へでも行ってほしいと思っているから」

 私は彼の夢を支える人で在りたい。彼の夢に対する向上心や熱意を殺ぐような人にはなりたくない。彼の心を奪ってしまいたくなどない。たとえそれが「彼が私を女の子として好きになってくれた」という、ひどく喜ばしい、夢のようなことであったとしても、それが彼の夢への「寄り道」「遠回り」になるのなら、邪魔なだけだ。この人の足枷、そんなものに「恋人」が化けてしまいでもしたら、きっと私は罪悪感で死にたくなる。

「私はずっと君が好きだよ。こんなに大きな、どうしようもない気持ちが、おいそれと他のものに塗り替わることなんて在り得ない。だから慌てて私を恋人にしなくてもいい。そんな仰々しいものにならなくたって、少なくとも私の心はずっと君のものだよ」

 君のためなら大抵のものを差し出せる。君のためなら大抵のことができる。私の心を差し出しつつ、足枷になり得る私の浮かれた心を殺すことだって、ほら、造作もない。

「私達、まだ、そんなところに落ち着いちゃいけないと思うんだ」


【あなたに足枷】(同じく「旅支度」への布石)

「私を好きになることなんかで、君の大事な時間を使ってほしくない」

 この妹弟子はセイボリーをこの上なく慕っている。その信頼極まった心地のまま彼を突き放している。矛盾しているようにも思えるこの二つには、しかし吐き気のするようなおぞましい理屈が完璧に通されている。合理と信念を重んじる彼女らしい発言、愛だ恋だと浮かれている暇があるなら励んだらどうだい、などと彼の想いを揶揄するようなことは決して言わない。受け止めて、喜んで、頬を赤らめさえして、それでも尚「それは今の私達には不要なものだ」と、穏やかな笑顔のままに凛と言い放つのだ。ひどく優しい断罪だった。セイボリーにはそれが耐えられなかった。

「……こういうことができるあなただから、チャンピオンにまでなれたのでしょうね。あなたはいつもそうやって、最適解を選び続けてきた。気持ちを全て置き去りにして」
「全て捨てている訳じゃないよ。君の夢が叶うことこそが、私の心からの願いだもの」
「でもそれは、……いや、そうですね、その通り。あなたは正しい。あなたの気持ちを殺して為す最適解はいつだって正しい。だからせめてワタクシはあなたに、そんな惨たらしい選択をさせたくはなかったんです。……でも、させてしまった」

 もし自分が、この少女よりも強い存在であったなら。彼女の最適解を取り上げて、そんなもの、と笑い飛ばしてやれたなら。そんな仮定を巡らせながら、彼女に一勝もしたことがない彼、夢の途中に在る彼は深く俯き、眼鏡を乱暴に外しつつ「悔しい」と呟く。

「あなたにそんなことを言わせているなんて、本当に情けない。悔しくて堪らない」

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