ダークトリニティ、と呼ばれる3人が私のところへやって来た。
私は彼等と会ったことがあるようだけれど、どうしてもそれを思い出せない。
彼等は同じ服を着て、一様に黒いマスクを身に付けていた。
名前も同じだというのでどうやって区別して呼べばいいのだろうと悩んだが、彼等の連れていたポケモンがそれぞれ違っていたので、それで呼び分けることにした。
私は彼等と話がしたくて、「外を歩いてくる」と言って出て行った一人を呼び止めた。
彼の背中にはジュペッタが貼り付いていたので、私は「ジュペッタのダークさん」と彼を呼んだのだが、振り向いたその人の目は驚きに見開かれていた。
「思い出したのか?」
「え、……ごめんなさい。そうではないんです」
「……お前は以前もそうやって、俺達のことを呼び分けていた。覚えていないか?」
やや猫背の彼にそう言われ、私は考え込んだ。彼の隣でジュペッタがケタケタと笑った。
その笑い声を私は何処かで聞いたことがある気がする。冷たい木の床と、何かのお菓子の包み紙が脳裏を掠めた気がしたけれど、それ以上を思い出すことはできなかった。
ごめんなさい、と小さく謝れば、彼は気にしなくていい、と小さく紡ぎ、私の頭をそっと叩いた。
「……」
そしてそのまま、何度か同じように優しく叩く。私にはそれが何を意味するのか、解らない。
寧ろ、その頭を撫でられる仕草は、私が最も嫌うものの一つだった。私の低い背に目線を合わせるように屈みながら、大人達は、子供である私の頭を優しく撫でた。
私はどうしてもそれが好きになれなかった。
「この感覚に、覚えはないか? お前はいつもこうやって頭を撫でられていた」
「私が?」
信じられなかった。私は頭を撫でられる時、必ずと言っていい程に不機嫌な表情を示していた筈だからだ。
すると大人は大抵、次からは私の頭を撫でることをしなくなる。そうした威圧の表情を私は貼り付けていた筈だった。何故なら私は、頭を撫でられることが大嫌いだったのだから。
そんな私が、「いつもこうやって頭を撫でられていた」と、彼は言う。信じられなかった。
けれど、私はここ2日程の生活で、嘘や隠し事に敏感になっていた。
何か嘘を吐く時、隠し事をする時、人間は必ず何処かに違和感を残す。嘘で守られた私は、その違和感を見抜くことができるようになっていた。
こうして嘘か真実かを見抜くことが必要なのだと、誰かが私に教えてくれた。
『嘘か真実か、見抜くんだ。君が大切な人を守りたいと思うのなら』
私がここ一年半の間に、この「誰か」の助言に従って、そうした嘘と真実とを見抜けるようになったのかは解らない。
けれど、この人は嘘を言っていないと信じられた。
彼もトウコ先輩に口止めされている筈だけれど、それよりも優先すべき信念と呼べるようなものが、彼の中にはあるように思えてならなかった。
さて、彼の言うことが真実ならば、一つ、気になることがある。
すなわち私は「誰」になら、その大嫌いな「頭を撫でられる」ということを許すのか、ということだ。
そして私は、一つの可能性に辿り着く。
「私はその人のことが好きだったんですか?」
ジュペッタのダークさんは驚いたように沈黙し、しかし僅かに首を振った。
それはそうだ。解る筈がない。私が仮に「誰か」にそうした思いを抱いたとして、そんな感情を誰彼構わず言いふらすようなことはしないだろう。
もし私のそうした思いの行き先を知っている人間がいるとすれば、それは間違いなく、その思いの行き先たる人物のみである筈だった。
故に、ジュペッタのダークさんが知らなくて当然なのだ。その「誰か」が、ダークさんでない限りは。
「だが、「その人」がお前をどう思っていたのかは知っている」
私は驚きに目を見開いた。
「「その人」は、嫌いな人物の頭を撫でるようなことはしない」
ジュペッタのダークさんは、そんな難しい言い回しをした。つまり私は「その人」に嫌われてはいなかったのだ。
その、少し捻くれた言い方を、私はよく知っている気がした。呆れたように紡がれる、皮肉めいた色のバリトンが頭の中でゆらゆらと揺れていた。
私がほっとしたように微笑むと、彼は地面に足を投げて無造作に座った。
色素の薄い目がこちらを見上げてくる。「此処に座れ」ということなのかもしれない。私は黙って彼の隣に体育座りをした。
ダークさんは小さな溜め息の後で、私にとって願ってもない言葉を紡いだのだ。
「お前の先輩には「何も話すな」と言われているが、俺はあいつに従うつもりなどない」
「!」
「お前は思い出すべきだ。そのための手助けが必要なら、俺がしよう。聞かれたことにも、できる限り答えるつもりだ。
……あいつが戻ってくる前に、何か聞いておきたいことはないか」
彼のその提案は、天からの贈り物のような眩しさと尊さをもって私の心に突き刺さったのだ。
私がどれ程、喜び、舞い上がったかは想像に難くないだろう。
いいんですか、本当に質問に答えてくれるんですか、と私は彼の肩を掴み、何度も尋ねた。
彼は迷惑そうに眉をひそめながら「だからそう言っているだろう」と返してくれた。
やっと、やっと出会えた。私に嘘を吐かない人。私に真実を教えてくれる人。
私が全て、自分で見つけられれば良かったのかもしれない、けれどそのことに限界を感じていたのもまた事実だった。だから彼の申し出が、本当に嬉しかったのだ。
……ああ、涙が出そうだ。
私は落ち着くために彼の両肩から手を放して、深呼吸をした。吸って、吐いて、心臓の大きな揺れを鎮めようと努めたけれど、それはできなかった。鼓動は早いままでそこにあった。
今から私が聞こうとしている内容を考えれば、それは無理のないことだと思った。だから私はその鼓動の早いままに、口を開いて、その単語を紡いだ。
「「アクロマさん」を、知っていますか?」
「……」
「私の鞄の中に「アクロマさん」からの手紙が入っていたんです。
私に、ロトムのタマゴを託してくれて、ポケモンの生態を纏めた小さな本をくれた人なんです。
いつも、私の旅を気に掛けてくれていたみたいで。……でも、どうしても思い出せなくて」
一気にそれだけ紡いで、私はジュペッタのダークさんの言葉を待つために口を閉じた。
彼はしばらく考え込むような素振りをしたが、やがて小さな溜め息を吐いてから、そっと言葉を紡ぎ始めた。
「確かに、俺はその人物を知っている。ただし、アクロマのことについて詳しいわけではない。
お前とアクロマは親しい間柄にあったようだが、それ以上のことを、俺は何も知らない」
そうですか、と私は息を吐くようにそう紡ぎ、しかし確かな情報が手に入ったことに安堵していた。
私はやはり「アクロマさん」と親しい距離にいたのだ。それこそ、手紙を出し合う程に、ポケモンのタマゴを、私のような子供のポケモントレーナーに託す程に。
それだけ解れば、今は十分だった。彼が私にとってどういう存在なのか、それが判明しただけでも十分、安心するに足る情報だった。
そして私は、記憶を失ったあの日の夜中に立てた「仮の結論」を確かめるために、もう一つの質問をした。
「アクロマさんは、緑の髪に赤い目をしていますか?」
すると彼はとても驚いたようで、上擦った声で「……何処でそれを、」と呟いた。
やはり、私の推測は合っていたらしい。私は彼のその質問に答えることにした。
「私の鞄に、スケッチブックが入っていたんです。殆どが海の絵でしたが、一枚だけ、人物を描いたページがありました」
すると彼は少しだけ焦ったように頷き、立ち上がった。
私もそれにつられるようにして足を伸ばしたところで、彼に強く手を掴まれ、コトネさんの家の方へと引っ張られた。
どうしたんですか、と尋ねる間もなく、彼はドアを乱暴に開けて私を中へと押し込めた。
「あいつが戻ってきた。これ以上のことを知りたいのなら、俺がお前に話したことをあいつに伝えてくれるなよ」
あいつ、というのは、トウコ先輩のことだろう。私は大きく頷いた。慌てて靴を脱ぎ、手を洗ってリビングのソファにそっと座った。
今日、初めて会った彼との約束に、私の胸は高鳴っていた。
……勿論、初対面ではないことは解っていたが、同じことだった。私は私にとって有益な情報を厚意で与えてくれる彼のことも思い出せずにいた。
トウコ先輩の姿なんて私は見えなかったけれど、と思っていたが、ジュペッタのダークさんの言葉は正しかったようで、数十秒後、ドアが大きな音を立てて開けられた。
私はソファから立ち上がり、「おかえりなさい」と紡ごうとした。その時だった。
「シアさん」
私の名前が、呼ばれた。
2015.2.20