何の脈絡もないSSばかりのページです。実は名前変換にも対応済み。
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6月下旬より続けていました1日1セイボリーは文字数を大幅に落としてこちらへ移行しました。
(7/20)SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ」に格納します。タイトル冒頭には(塵)と付けます。
▽ スイカとレタスの間
2019.06.09 Sun * 9:32
(ポケモン要素皆無)
立派な木目模様に似合わない、ツルツルとした肌触りの心地よいテーブルだ。
かなりの大きさがあり、4人で座ることもできそうな家族用のそれに、しかし椅子は2つしか用意されていない。
窓側に彼女は座る。その反対側にあたしが座る。東に面した窓からは朝日が煌々と差し込んでいて、彼女の輪郭を濃い黒で浮かび上がらせている。
逆光のせいだろう、いつもの彼女が妙に神々しく見える。彼女の「器」だけがひどくご立派に見える。
中身には血と肉と骨しか詰まっていないのに、生々しく臭く脆い生き物でしかないはずなのに、
此処だけ切り取ってみると、なんだか彼女が本当に、優しく美しい「概念」のようであるため、あたしは思わず笑ってしまう。
どうしたの、と首を傾げて飛んでくるそのメゾソプラノさえ、生きている者の紡ぐ音ではないようにさえ思われてくる。
そんな彼女の座る席から、暗いところを背景にしてなんてことのないように座っているあたしは、どのように見えているのだろう。
大きなテーブルの真ん中には、不思議な果物が真っ二つにされて、真っ白の、大きなお皿の上で揺れている。
その丸く大きな姿はスイカのようであるけれど、中身は赤ではなくレタスのような緑だ。
香りも、スイカのように甘ったるいだけのそれではなく、もっと、もっと水に近い、シャキシャキとした感覚を思わせるものだ。
味は、どうだろう。スイカのようにただただ甘いのかもしれないし、レタスのように野菜としての僅かな甘さが舌先をくすぐるだけかもしれない。
あたしの分のフォークは皿の端に置かれているけれど、あたしはまだそれを取ることができていない。
けれど彼女は食べている。……もう一度言おう。彼女は、食べている。彼女が、食べているのだ。
真っ二つにされたその果物は、都合よくその果実の分厚い皮の中で一口大に切り分けられているため、彼女はフォークをその果物の器の中に差し入れるだけでいい。
彼女はそれを、食べている。食べて「美味しい」と笑う。喉がこくんと震える度に彼女は嬉しそうに目を細める。
まるで、食べることに喜びを見出しているような、食事を楽しみとしているような、そうした見事な正常を装って彼女はそこにいる。
窓が生む逆光のせいで「概念」に見えてしまう彼女が、まるで「質量」であることを喜ぶように食べている様は、あたしを少しばかり混乱させた。
対極に在るはずの二つの単語を天秤に乗せて、それをつついて遊んでいる。
悪趣味だと思った。異常になるなら貫き通せ、とも思ってしまった。中途半端は、嫌いだ。
けれども、そのどちらにもなりきることができず、此処でスイカのようなレタスのような果物を延々と食べ続ける彼女が、まるで人間のようだったから、
そのややこしさ、どっちつかずの中途半端な在り方こそ、彼女が彼女である所以、彼女が「生きている」ことの証明であるように思われてしまったから、
あたしは彼女の概念も質量も異常も正常もすっかり許してしまって、彼女が此処にいてくれていることだけを喜んで、フォークを手に構える他にない、という有様なのだった。
あたしと彼女の間には、この不思議な果物がある。スイカともレタスとも取れそうな、大きな大きなデザートが二人の間で笑っている。
ではこのスイカとレタスの間には、一体、何があるのだろう。
あたしはその「間」を飲み下して、彼女のように「美味しい」と言えるのだろうか。
「明日は、雨だといいわね」
「そうだね、雨だといいなあ」
Y/K▽ 鴇色珊瑚に君は為る
2019.06.07 Fri * 10:10
(紅色ブーケの数週間後、ライラックコーラルのプロローグに相当する話かもしれない)
カントーからの長い船旅であるというのに、彼女は荷物と呼べそうなものをほとんど持っていなかった。
提げている鞄はとても小さく、洋服の一着さえ入りそうにない。荷物を持たせた付き人を連れている訳でもない。
彼女は本当に身軽に、これまでの彼女を構成していたであろう何もかもを手放した状態で、この街、ミナモシティの船着き場に現れたのだった。
「ごきげんよう、ダイゴさん」
「ホウエン地方へようこそ。荷物はそれだけかい?」
「ええ、あのお家にあるのはガラクタばかりだもの。本当に必要なものなんてあの中には一つもなかったわ」
多感な10代の少女らしからぬ、モノへの執着のなさに青年は驚く。驚いた、ということをなるべく知られないように「そう」と笑顔で相槌を打つ。
そうよ、と歌うように相槌を打ち返してきた彼女の足元で、プラスルが彼女を呼ぶように鳴いている。
彼女は嬉しそうに笑い、その両手を伸ばしてプラスルを抱き上げようとする。膝が僅かに曲がる。
「……」
けれどもその姿勢のまま、彼女は固まってしまった。
プラスルと青年は同時に首を傾げた。プラスルはもう一度鳴いて彼女を呼んだ。青年は彼女に声を掛けることなく彼女の視線を追った。
彼女の目はプラスルではなく、もっと遠く、ミナモシティの海に揺蕩う何者かに向けられている。
浅瀬の際のあたり、数匹でふわふわと波に漂うその紅い存在が、彼女の鈍色の瞳の中に煌々と映り込んでいる。
瞬間、彼女は白いアスファルトを強く蹴り、細く長く伸びる船着き場から浅瀬へと飛び降りた。
小さな二つの踵に羽でも生えているかのように、その動きはあまりにも俊敏だった。青年も、プラスルでさえ、追い付くことができない程の軽やかな動きだった。
尖った岩場を強引に乗り越える。脚に岩が擦れて血を流そうとも彼女は一切の躊躇を見せない。岩の隙間に靴を奪われようとも、そんなことで彼女の踵は止まらない。
何が彼女をここまでさせるのか、分からないままに青年は彼女を追った。
浅瀬には足跡の代わりに彼女の落とした血がやわらかく溶けていて、何故だか首の締まる思いがした。
トキちゃん、と名前を呼んで、ようやく浅瀬の際で足を止めた彼女の肩を掴めば、勢いよく振り返って逆に腕を取られてしまった。
強い、強い力だった。僅かに痛みさえ感じる程の強烈な握力だった。その力をも凌駕する鋭い瞳と、その瞳さえ凌駕する重い声音が青年を射抜いて、捕らえて、離してくれなかった。
「あれは何? あの綺麗な花、この広い海をどこまでも泳いでいける紅い花……」
「……」
「花って、もっと不自由なものなのだと思っていたわ。綺麗で素敵なものはみんな不自由で、窮屈で、退屈なものばかりで……」
でも、そうじゃなかったのね。そう告げて彼女は力を抜いた。瞳も、声音も、手の力も、何もかもの迫力を失い、彼女は浅瀬にぺたんと膝を折った。
瞬きを忘れた鈍色の瞳にはやはり、海を揺蕩うやわらかな紅色の「花」が映るばかりで、
脱げた靴を持ってきてくれたプラスルも、同じように膝を折って屈みこんだ青年も、その悲しく美しい視界の中に入ることが叶わないままであった。
あれは花ではなくサニーゴというポケモンなのだと、集まってサンゴ礁に擬態することがあるのだと、たったそれだけのことを説明できないまま、青年は沈黙していた。
彼にとっては日常の光景、少し視線を向けてすぐに逸らしてしまうであろう、いつもの、何の変哲もない故郷の海。
そこにこれ程までの衝撃を受ける彼女が、珍しくもないポケモンの姿にここまで心打たれてしまう彼女のことが、恐ろしかった。
自分はもしかして、とんでもない人物に恋をしてしまったのではないかと思ってしまった。青年は彼女に心を取られたことを、少し、ほんの少しだけ悔いてしまった。
けれどもきっと、もう遅すぎたのだ。だって、美しい。自由な紅い花に恋をする彼女の横顔が、もう、こんなにも美しい。
「私、あれになりたい」
紅い珊瑚、海に咲く自由な紅い花。
脚や腕を切り傷だらけの血塗れにして、赤い旅衣装を浅瀬の海水に濡らした彼女、色だけは「あれ」とお揃いにした彼女。
彼女の望みを叶えられるだけの自信が青年にはなかった。彼女の衝撃は、感動は、羨望は、青年の理解と共感の範疇をとうに超えてしまっていたからだ。
だから青年は祈るしかなかった。自身の生まれ育った場所であるこのホウエン地方に、どうかと祈るほかになかったのだ。
どうか、どうか、彼女をあの花に。
ライラックコーラル トキ/ダイゴ▽ 摂氏五千に桜は咲かぬ
2019.04.09 Tue * 14:29
(桜SS 10/10)
このいい天気の日に、絶好のお花見日和に、あの子はこんなところで何をしているのだろう。
青年は溜め息を吐きつつ少女の姿を探した。灰を被り過ぎて褪せているであろう栗色の髪、妖精のようにぴょんぴょんと遠ざかる赤い背中を必死で探した。
途切れることなく降り続ける火山灰を、桜とするのはあまりにも厳しい。雪ならあるいは、とも思ったが、ホウエン地方に雪が降ることの珍しさは青年もよく知っている。
故にそうした、風情ある理由で此処にやって来た訳ではないはずだ。
そもそもあの子に「風情」は似合わない。風情、などという定型的なものに自らの心を擦り合わせていくだけの健気さを、あの子が持ち合わせているはずもない。
だからこそ彼女は、桜の雨が降り注ぐミナモシティやカナズミシティではなく、灰の雨が降り注ぐ113番道路を訪れたのだ。
此処に、彼女にしか分かり得ない感動があるからこそ、彼女は灰を被ることを選んだのだ。
そして青年は、そんな常軌を逸した彼女が、型破りなお姫様が、ガラスの靴を落とすことをきっと期待している。
彼女の、彼女だけの感動を、いつか青年も我が事として感じることができる日が来ると、そう信じて彼女を追いかけ続けている。
「ふふ、あはは! 素敵なスーツが台無しだわ、ダイゴさん。どうしてこんなところまで来てしまったの?」
「……ああ、そこに隠れていたんだね」
「私は隠れてなんかいないわ。貴方が私を見つけられなかったというだけではなくて?」
灰の雨の向こう側からいつもの優雅な調子で彼女が笑う。呆れたように肩を竦めつつ、楽しむように肩を震わせつつ、鈍色の目をすっと細めて青年を見る。
けれどもほんの数秒もすれば彼女は青年への興味を失い、ころんと地面の上に寝転がってしまう。
褪せていた栗色の髪はすっぽりと灰に覆われてしまい、元の色を完全に失っていた。
「此処では君の髪も銀色になるから、お揃いだね」
そう告げつつ、青年はその隣へと腰を下ろす。不可解な沈黙に首を捻りつつ彼女を見れば、その目は大きく目を見開かれたまま、瞬きを忘れてしまっている。
その鈍色の目には、灰を被った青年が、灰を被らずとも銀色の髪をしていた青年が、くっきりと、それはもうくっきりと映っている。
「煙突山の火口、あそこに身を投げれば本当の灰になれるかしら」
「……熱くて近付けないだろうね。それにきっと気が狂うほどに痛むよ。君にそれが耐えられるとは思えないけれど」
「でも灰は幸せそうだわ。私みたいな酔狂な人にしか期待も注目もされない、とても寂しくてとても自由な生き物よ。
きっと気の狂うような思いをしなければ、灰のような孤独と幸福は手に入らないんだわ。だから桜も私も、生温いところで生きているものは皆、不自由なままなの」
あまりにも惨たらしい論理であることは明白であった。使い古された道徳をもってして、彼女の自論を否定することは簡単にできた。
しかし、できなかった。そうした正しさを説くには遅すぎる。彼女に魅入られ惚れ込んでしまっている青年に、そのような正しさを選び取れるはずもない。
彼女がこの場所を選んだのは、桜ではなく灰を愛でることを選んだのは、酔狂であるからとか常軌を逸しているからとかではそうした理由ではなかった。
それは、もっと重たく切実な祈りのために為された選択なのだと、そう気付いてしまったから青年はもう、何も言うことができなくなってしまったのだ。
不自由な桜色は2回の瞬きの後で、青年の優しい沈黙を責めるように微笑み、告げる。
「貴方は優しいから、きっと私を燃やしてはくださらないわね。ふふ、つまらない!」
ああ、……ああ。
この降り積もる灰をどれだけ集めれば、彼女の履く靴を手に入れられるのだろう。
その悲しい背中をどれだけ追いかければ、彼女は灰の雨ではなく桜の雨に打たれてくれるようになるのだろう。
▽ 花結び
2019.04.09 Tue * 12:35
(桜SS 9/10)
「あのお花からあのお花までぐるっと囲むの。それから、ちょっと遠くに集まっている弓なりの部分、あれが頭になるんだよ」
「え、あれが頭なの? それじゃあ目は何処にあるのよ、分からないわ」
「本当にポケモンなんでしょうね?」
シンジ湖の水面を彩る桜の花弁を楽しそうに指さしている。あの一枚だけ浮かんでいるところが目に見えるでしょう、と歌うように告げている。
傍で少女の目線に屈み、その小さな指先を目で追うマーズは、けれども少女の見ているものを捉えることができずに「分からない」と首を捻るばかりである。
ジュピターもその隣で困ったように笑いながら、けれどもふと、離れたところにいるサターンへと振り返り、指をくいと示してみせる。
サターンがクーラーボックスからサイコソーダを3本出して次々に放り投げれば、彼女はにっと笑って両手を伸べ、それを受け取る。
3本目は受け損なって、危うく地面に落ちそうになる。その焦り顔に小さく笑う。
舌を出して笑い返してきた彼女は「貴方は仲間に入れてあげないわ」とでも言わんばかりにわざとらしく背中を向け、サイコソーダを二人に渡し、幼い乾杯の音頭を取る。
少女は一口だけサイコソーダを飲み、再び桜が描く何者かの解説を始める。
……花見とは、桜を見上げてするものだ。
か細い枝へと豪華に咲くその色に感嘆の溜め息を吐くのが正しい作法であり、湖に散り落ちた花弁を愛でる彼女達のやり方はきっと間違っている。
けれどもそれを遠くで見ているサターンも、そしてその更に遠くから彼等を見ているこの組織の長も、そうした「型破りな花見」を咎めたりしないのだ。
湖にぽつぽつと浮かぶ桜を結んで何らかの姿を作ろうとする少女のそれは、大昔の人が夜空の星を結んで星座としたあの試みにひどく似ていて、
ああ、何も間違ってなどいないじゃないかと、キャンバスが夜空から湖に置き換わっただけのことじゃないかと、そう思えてしまったからこそ、サターンは何も言わなかった。
そして更に遠くに在る男は……サターンと同じようなことを考えて口をつぐんでいる、という訳ではなく、生来の寡黙さが故に、言葉を発さずにいるだけなのだろう。
その無言は悉く「長」らしくないものであった。けれどもその「らしくなさ」を許し合える関係が既に彼等の間には結ばれていた。
故に、もう彼は無理をして言葉を饒舌に連ねる必要がなく、不機嫌を示すためではなく感謝と安堵を表するために口を閉ざすことを選べる人間になっていたのだった。
「ねえ、アカギさん! アカギさんなら分かるよね? ほら、お花がいっぱい集まって弓なりになっているところが頭で、手前のちょっと尖っているところが尻尾だよ」
「アカギ様、助けて下さーい! あたし達にはもうお手上げです」
名を呼ばれた男はサターンの横をすいと通り過ぎ、真っ直ぐに彼女達の方へと歩み寄る。さてどうなるかと少し愉快な心地になったサターンもまた、少し遅れて歩を進める。
少女の懸命な説明にもかかわらず、マーズもジュピターもその桜が描くものを見ることができていない。サターンにも、少女と同じものはまだ見えていない。
けれどもこの男ならあるいは、と思ってしまった。この方ならきっと造作もなく見抜いてしまうのだろう、と信じていた。
それはほとんど確信に近い祈りであったため、サターンはまるで「祈ってなどいない」といった風に澄まして、男の横顔を呑気に眺めることができたのだ。
しばらくの間、湖に浮かぶ花弁を男は無言でじっと見ていた。この場にいる誰もがそれに倣って沈黙していた。
やや強い風が湖面を震わせ、浮かぶ花弁が羽ばたくように揺れた。
「クレセリアに見える」
少女がぱっと笑顔になる。勢いよく満開を示したその藍色を見て、サターンはようやく「今日はいい花見日和だ」と思えてしまう。
天を読む藍 ヒカリ/サターン/アカギ▽ やさしい死体は樹の下へ
2019.04.09 Tue * 9:44
(桜SS 8/10)
丈の長い真っ白のワンピースから覗く足は、その白に負けない程に悉く色素を落としている。
春風を掴むように宙を撫でる指は飴細工のように繊細であり、華奢な背に流れる長い髪は滝のように流麗であり、遠くの樹を見据えるその目は花のように優美である。
そんな彼女、花である彼女が「走っている」。手折られた花が、澄み切った花瓶の水しか知らない花が、大地に植えられた樹に咲く花へと駆けている。
ああ、と男は思った。本当にそうであればいいのにと、悲しくならずにはいられなかったのだ。
本当に、貴方がこうであればよかったのに。
外に出ることを恐れず、走り方を心得ていて、一人になることを躊躇わず遠くへと駆け出せるような、そうした貴方であればよかったのに。
けれども、夢でさえこの花はあまりにも美しい。この花に注ぐべき水の純度を男は知らない。この花をどのように愛せばよいのか、男にはまだ分からない。
男の夢が男の願いを叶え、男の愛すべき人が元気に走っているにもかかわらず、男は苦しかった。
夢は醒めるものだ。花が枯れるものであるのと同じように、この奇跡を永遠に留め置くことなどできやしないのだ。
きっとその永遠は「生きている」限り、誰にも手に入れられるものではないのだろう。
「ズミさん、見て。花がこんなに沢山」
その大樹は、カロスに生える金木犀の木とは随分と様相の異なるものであった。カロスではまず見ない植物であったが、男はその名前を知っていた。
カントーやジョウトに咲く花。一気に咲き誇り刹那に散る花。まるで死ぬために生まれてくるかのような、そのあまりにも美しい命には「桜」という名前が付いている。
そして今、この桜の樹は満開の頃を過ぎ、あとは散るのみといった風貌であった。彼女の足元にも、枝から離れた桜の花弁が敷き詰められていた。
その桜の死骸の中心で彼女は笑っている。膝を曲げて屈み、その死骸を両手いっぱいに掬い上げる。
微塵の躊躇いもなくその死骸に自らの鼻先を押し当てた彼女は、鈴を転がすように笑いながら男に死刑の宣告をする。
「やっぱりお花って素敵ね、わたしもこんな風になれるかしら?」
彼女ならあるいは、と考える。なれてしまうのだろう、と思う。
他の誰にもできないことであったとしても、このあまりにも美しくあまりにも生きづらい女性にならそれができてしまうのではないかと、思ってしまう。
けれども男は肯定の言葉を紡がなかった。否定もしなかった。
ただ沈黙して、彼女の朗らかな笑顔……現実の世界では先ず在り得ない「陽の当たる場所に立つ彼女」の笑顔が、歪む瞬間を待っていた。
その笑顔がぐにゃりと歪み、溶け、桜の死骸と混ざり合い、夢に終幕を下ろしてくれるのを待っていた。
あの人はまるでお花のようです、という、もう顔も名前も忘れてしまった家政婦の言葉が、男の脳髄にチクチクと突き刺さって、なかなか抜けてはくれなかった。
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第二章31話くらいの夜に見ていたかもしれない夢
やさしくありませんように アルミナ/ズミ