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何の脈絡もないSSばかりのページです。実は名前変換にも対応済み。
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6月下旬より続けていました1日1セイボリーは文字数を大幅に落としてこちらへ移行しました。

(7/20)SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ」に格納します。タイトル冒頭には(塵)と付けます。


▽ オーキッドニャスパーは浮果を見せたがる

2020.06.29 Mon * 20:03

 あっ、と男の子が小さく声を上げる。そちらへと視線を遣れば、ダイニング、細長いテーブルの奥の方、コップが滑り落ちていくのが見えてしまう。これでは止めようがないだろう、硝子製のコップだから怪我が心配だ、という諦めと不安の気持ちと、さてここで救世主が指揮を執ってくれはしないかという、最早神に祈るそれに似た期待の気持ちとが、席に着き欠伸を噛み殺していた私の頭の中に二つ、ぽっと湧き出る。
 あわや粉々に砕けて大惨事、となるところだったのを救ったのは、果たしてそのコップを瞬時に覆う淡い水色の光だった。畳の広間から目を擦りつつ現れたセイボリーが、まだ意識さえ覚醒していなさそうなのに、右手の人差し指だけはピンと伸ばし、ダイニングの奥へと突き付けている。床上10cmのところでピタリと制止し破壊を免れたそのコップは、ふわふわとテーブルの上に戻って来た。中の水さえ一滴も零れていない、という徹底ぶりだった。

「わわっ、セイボリーさんありがとう!」
「ああ、はい……」

 コップを落とした男の子が、歓喜の声と共に彼へと駆け寄る。彼は眼鏡を覚束ない手つきでかけつつ、ほとんど動いていない口でぼんやりと相槌を打つ。やっぱりセイボリーさんはすごいや。朝からいいものを見たなあ。そうした声がダイニングに満ちる。彼はその言葉全てに律儀に「ええ」とか「ありがとうございます」とか「そうでしょうとも」とか、眠そうではあるけれどもぽつりぽつりと返している。彼のことがその能力ごと受け入れられていることを、この上なく平和に証明してくれる光景であった。そのことが純粋に喜ばしくて、嬉しくて、私は小さく笑った。
 彼は緩慢な足取りでダイニングを歩き、私の隣の椅子を引く。心なしか、シルクハットを旋回するボール達の勢いがない気がする。いつもピンと伸ばされた背筋が僅かに曲がっている。随分と眠そうだった。朝に強い人、という印象は前から持っていなかったけれど、此処まで眠そうな状態で現れたのは初めてではなかろうか。

「やあおはよう、硝子コップのヒーローさん」
「……ああ、ユウリ
「随分と眠そうだね。夜通し特訓でもしていたのかい? それとも、何か気掛かりがあって眠れなかった?」

 困っているなら言ってほしい、いつでも協力するよ。そう付け足そうとしたのだけれど、それより先に彼が水色の目をくいと細めた。いつもの、挑戦的に私を見るときの目ではない。そうしたアクティブな眼差しの色ではない。そうしたことを察せてしまった。そうした察しができる距離だったのだ、この、ダイニングテーブルにおける「隣」の位置というのは。

 寂しがっている?
 そのような仮説を立てた。随分と突飛な仮説ではあったけれど、あながち間違いでもないようだった。何かの機会を逃した子供のようにも見えるその目で、彼は口元だけはいつものように笑いつつ、こんなことを言ったのだ。

「あなたは……褒めてくれないんですか?」
「褒め、る」
「これを好きだと、いつも言ってくれているじゃないですか。好きだって、凄いって、羨ましいって……」

 とうとう完全に目を閉じてしまった彼、その頭上、6つのボールのうちポケモンが入っていない空のものがふわふわと私の手の中に落ちてくる。私の好きなボールだ。彼の言う通りだ。
 別に私が「ボールマニア」であるという訳ではない。ただ、彼のテレキネシスの加護を受けたそれが、彼の指揮の下にあることを誇るように淡く光る水色のそれが、どうしようもなく好きだというだけ。羨ましくなってしまう程の感慨を、彼を見る度に覚えてしまうだけ。
 私は怯んだ。彼のリクエストに応えることは造作もないけれど、私が此処で本当に褒めてしまったら、完全に意識を覚醒させた彼が慌てふためいてしまうのではないかとも思ったのだ。けれどもその逡巡も僅か2秒程度しか持たなかった。その後の彼のことなど知ったことか。私には「みらいよち」は使えない。だから今の彼のことだけ大事にしていればいい。そうしたい。それでいい。

 彼の長い髪、耳の後ろの後頭部あたりに手を回してそっと撫でた。本当は頭のてっぺんに手を置くくらいの方がよかったのかもしれないけれど、生憎、彼の頭にはいつだってシルクハットという先客がいる。故にこうするしかなかった。それに、こうしたかった。そう軽い気持ちで「褒める」訳ではないのだということを、この眠たげな兄弟子にはしっかり覚えておいてもらいたかった。

「凄いね、セイボリー。本当に凄い。あんなに遠くのものも浮かせられるんだね、びっくりしたよ」
「ええ、まあ、ワタクシはエレガントですから……」
「朝から素敵なものを見られて幸せだなあ。君のおかげでいい日になりそうだよ、ありがとう」
「ああ、そうですか。それはよかった……。あなたにそう思ってもらえる……」

 左手には先程、彼が寄越してきたモンスターボール。右手には彼の髪。随分と素敵な朝には違いない。世辞を言ったつもりは更々ない。
 彼は目を薄く開けた。そして私が彼の後頭部に手を伸べていることに気が付くと、その手首にこめかみのあたりをそっとすり寄せて、そのまま口元をふわりと崩して笑った。そんな、いつもの彼らしくない間抜けな表情でさえ、私の目にはとても綺麗に見えてしまった。
 そして、彼にそんな顔をさせてあげられたことを喜ばしく、誇らしく、ただただ嬉しく思いつつも、私は赤面せざるを得なかった。何故なら此処はダイニングである。十数名が毎日修練を重ねる道場の、朝のダイニングである。道場の門下生たち、ミツバさん、更にはやってきたマスタード師匠までニコニコとしている始末だ。これはもう取り返しがつかない。後悔は先に立たない。ならば貫き通してやろうと、私は彼の綺麗なブロンドをわしゃわしゃとしながら思いっきり笑ってやった。

「ねえセイボリー、早く起きてくれないかな。私だけがこんなにも恥ずかしい思いをするなんて、不平等だよ!」

(浮果:戦果や釣果にかけた造語であり間違った単語です。「浮かせた成果」の意味)

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▽ 易題「月花の簪」

2020.06.28 Sun * 15:48

(大論判三部作のその後にあったかもしれない話、もう少し加筆して短編化するかも)

 清涼湿原に咲く青や白や赤の花々の名前をセイボリーは知らない。花はすべからくエレガントであり、愛でる対象には違いなかったが、それに関する知識を有することに彼はあまり意義を見出せない。それは水辺の脇に咲く黄色い花においても同じことであり、名前も品種も、一年草か多年草かも彼は知らない。名前がなければ区別ができない。区別ができなければ、人の記憶に刻まれない。覚えておかれないものは、忘れゆくしかない。
 故に彼はその黄色い花の名前を知っておきたいと思った。この場所が、そしてこの花が、彼にとって特別な意味を持つことを、その花を特別たらしめたあの日のことを、彼は「名前の所有」という正当性をもって彼の記憶に留めおこうとしていたのだ。

 花を知るにはその特徴を掴むことが必要だ。彼女が後日「悪趣味で残忍な花占い」と称して笑いながら責めたあの愚行、あれだけの犠牲を強いたこの花に対する情報をセイボリーはろくに持っていなかった。ただ「黄色い」ということしか知らなかった。そのため、再度確認に向かう必要があった。

「あの、もし。……ユウリ?」
「……」
「こんなところで眠っていてはまた風邪を引きますよ。ミセスおかみの『実力』をまたしても見せつけられたいのなら止めはしませんが……」

 そう、セイボリーはあくまで花の情報を得るために来たのだ。まさかこの場に彼女がいるなどということ、予想できたはずもない。セイボリーが先日惨たらしくむしり取った花々、その緩やかな再生を見守るように、水辺の傍で体を丸めて横になり、そのまま眠ってしまったと思しき彼女を揺り起こす羽目になるなど、予見できたはずもない。彼には残念ながら「みらいよち」は使えない。
 ……ああでも、予想できるだけの「情報」はあったはずだ、とセイボリーはあの夜のことを思い出しながら目を伏せる。二人が同じことを同じように考えていると気付くに至ったあの夜。私はずっと前から君のことを好きだった、などと、とんでもない優位性を振りかざして泣きそうに笑った彼女の、喉の奥から押し出すようにして紡がれたあの震える声。同じような喜び、同じような困惑、同じような懇願、同じような好意。それらを示し合った二人はやはり同じようにくしゃみをした。あの日は何もかものそうした揃いがただどうしようもなく喜ばしかった。同時に起こったくしゃみでさえ、全ての正解に思えた。

 なるほど、それならばこの現象もまた生じて然るべきだ。セイボリーの向かうところに彼女の足も向かってしまうのは、別に稀有なことでも偶然でも何でもなく、二人の思考が似たところに置かれている以上、いっそ必然のことであるに違いない。そのような、ひどく浮かれた驕りがセイボリーの頬を僅かに染める。ゆるい確信が口元まで緩めてしまう。
 花が咲くようにゆっくりと目を開ける彼女を見ながらセイボリーは思う。あの日はどうかしていた。ワタクシも、彼女も、お互いに。そう、それだってほら「同じように」どうかしていたのだ。

「おや、おはようセイボリー。どうして君がこんなところに」
「ハイハイ、おはようございます。さてその台詞は『ミラーコート』待ちと捉えてよろしいか?」
「ふふ、どうぞ? 君が此処に来た理由と同じものしか返ってこないと思うけれど、ね」

 そう告げてクスクスと笑いながら彼女は起き上がる。セイボリーは自らの頬が更に赤くなるのを自覚し眉をひそめる。そんな彼を見て彼女はいよいよ声を上げて笑い始める。彼にはまだ笑える程の余裕がない。
 この子はどうやら自らが抱く想いを隠すつもりがついぞないらしい。セイボリーのように「告白」などと気合を入れずとも、それこそ「おはよう」と挨拶をするような気軽さで、彼女はそれを告げてしまえるのだ。流石にあの夜は多少の照れを見せたものの、互いに一度その心を開き合ってしまえばその後は随分とあっさりしたものだった。彼女はセイボリーへの好意を隠さないし、セイボリーが彼女に寄せる好意について微塵も疑っていない。その安定は彼女の強さを益々強固なものにした。白状するなら本日の特訓においても、セイボリーはこの妹弟子に惨敗であったのだ。
 どうにかして一矢報いてやりたい、という思いは、あの夜よりも前から彼の中でくすぶっている。目の前で楽しそうに、幸せそうに笑う彼女を見て、その悔しさはより一層強くなる。

「ねえセイボリー、今から一緒にエンジンシティへ行こうよ」
「エンジンシティですか、何かご用事でも?」
「植物図鑑を買おうと思っているんだけれど、私一人じゃどれを選べばいいか分からないからね。先輩の知恵を借りたいんだ」

 そしてセイボリーと同じく質の悪い彼女は、このような形で彼の悔しさに「ダメおし」までしてくる始末だ。

「来てくれるよね、セイボリー。君もこの場所に咲く何かしらに相応の愛着があるようだし?」
「……ああもう! ハイハイ! 行きます、行きますとも。あなたって本当に質が悪い!」
「何を今更。分かりきったことじゃないか! そうと決まればさあ、早く駅へ向かおう。夕食の時間までには道場へ戻らないとね」

 至極楽しそうに笑う彼女のニットベレーが傾いていたので、指先でひょいと持ち上げ位置を整えてやる。彼女は音さえ聞こえてきそうな程にぱちぱちと二回ほど瞬きをしてから、その目をふわりと溶かしつつ「ありがとう」と口にして、駆け出す。花を踏むリスクを無くすため、彼女は水辺をばしゃばしゃと走ることを好む。靴が濡れるのもお構いなしだ。あの夜だってそうだった。セイボリーはその小さな背中を追い掛けようとして、そしてふいにあることを思い付いた。

「……」

 あの夜とは似ても似つかぬ丁寧な手つきで、セイボリーはその黄色い花を一輪だけ摘んだ。指先の指揮に従うようにふわふわと浮き上がったその花は、彼が更に指をくいと曲げることにより、恐ろしい程の従順性をもって指定の位置へと飛んでいく。水辺を駆ける彼女の髪を飾るべく、音もなくこっそりと、密やかに。

「……セイボリー?」
「はい、今行きますよユウリ

 ああ、どうか気付いてくれるな!
 祈るように彼女の名前を呼びつつセイボリーは一歩を踏み出した。彼女の真似をして水辺を歩く必要はなかったが、もうここまで来たらいっそ彼女の歩く場所をそのまま同じように辿るのが「らしい」ようにさえ思われた。歩幅を大きくしてその背中に追いつく。濡れた靴で隣に並びそちらを伺う。彼女はセイボリーを見上げて、右の口角を上げて笑う。彼の笑みを鏡映しに真似た表情だと気付いてしまえば、花の悪戯でこっそりと一矢報いて得たはずの達成感など、一瞬で、呆気なく、ものの見事に吹き飛ばされてしまう。
 彼の仕掛けた黄色い花は、彼女のこめかみを隠す位置に彩られ、淡い水色の光を纏って瞬いていた。彼女がそれに気付いていてもいなかったとしても、どちらにせよ、彼の敗北は覆らなかったに違いない。

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▽ 紅白の仲間に、どうか入れて

2020.06.26 Fri * 22:48

「実はね、君の頭にある空のボールがずっと欲しかったんだ。私の持っている紫のボールと交換してくれないかな」

 セイボリーとの「特訓」にて10連勝を達成した日、いつも特訓に付き合ってくれるお礼をしたいと彼が口にしたので、私はやや食い気味にそう告げて、鞄からマスターボールを取り出した。彼はその紫の色を予想通りたいへんお気に召し、ニコニコしながらお安い御用ですと快諾してくれたのだけれど、駆け寄って来た道場のメンバーにその希少価値を説明されるや否や、「ヒャア!」といつもの悲鳴とともにそれをこちらへと突き返してきた。
 顔を青ざめさせた彼曰く「そんなにも価値の高いものはエレガントに欠ける」ということであり、マスターボールではどうにも交換に応じてくれなさそうであった。彼の信条である「エレガント」とは随分と絶妙な領域にあるのだな、と妙なところに納得しつつ、私は道場の畳の上に鞄を下ろして大きく広げ、彼を納得せしめるに足るような別のボールを探した。

「でも何故、あなた、ワタクシのボールを?」
「君に浮かべてもらえているのが羨ましかったからね。私のところに来てしまえば『浮かない』のは分かっているけれど、君の所有であったという過去ごと貰えるのなら、それは私にとって大事な宝物になるんだ」
「……」
「エレガントな色のボールだからと思ってこれを選んだのだけれど、困ったな。他に紫色のボールはないんだ。何かデザインの希望はあるかな。できるだけ叶えるよ」

 不自然に沈黙が下りる。私は首を捻りつつ顔を上げる。彼はにわかにその白い肌に血色を取り戻し、唇などは元気にわなないているという有様であった。端的に言えば、憤っていた。
 こういうことは彼との間においては日常茶飯事なので、私はこれ以上余計な刺激を加えることなく黙っている。そうしていればいつだって数秒と経たずに彼の言葉が、いつもの勢いのある言葉が飛んでくる。

「あなたから頂けるボールなら何だって嬉しいに決まっているでしょう! 将来その中に入るワタクシの新しいエレガントさんが羨ましく思えてくる程です」
「何だって、ねえ」

 随分と大きく出たものだ、と思い、クスクスと笑いながら私は空のモンスターボールを取り出し、彼の、白い手袋を嵌めた左手にそっと落とした。すると彼はにわかに慌てた様相を呈し「それは困ります」などと言いながら、こちらへと突き返そうとしてきたではないか。
 ほら、何だっていい、などということがあるものか。何処でも手に入るような、価値に乏しいものを貰ったって仕方がないのだ。そういうものだろう、違うとは言わせない。綺麗なお世辞も大概にした方がいい。君にそうした喜びを演じてもらえると、演技でなく宝物にすると口にした私は後で少々、恥ずかしく辛い思いをすることになるのだから。期待はしない。下手に傷を負いたくはないからね。
 私は少々得意気になった。彼にイニシアティブを取ったような気になったのだ。けれどもそれは錯覚であった。たった一瞬の夢であった。彼はいつもの大きな声で、あっという間にこの優位性を奪い取っていくのだ。

「これではワタクシのものとマ・ザールではありませんか!」
「何か不都合が?」
「あなたから頂いたものがどれか分からないのでは意味がない! ワタクシの宝物になってくださるのでればもっと主張してきていただかなくては! あ、先程のマスターボールは御免被りますけれども!」

 パチン、と泡が弾けるような感覚に襲われた。そこに閉じ込めていた、羞恥とか照れとかいう感情が一気に脳髄へ溢れかえる感覚だった。それは頭蓋に染み渡り、頬まで染めていく。目元までじんとさせる。息が詰まる。さてこれはお世辞か、これも演技か? いや、そもそも彼は世辞や演技の上手にできる人間だったか? そんなことを器用にできる彼のボールを欲しいと思ったのか、私は。
 そんなはずがない。

「……宝物にするのは、私の方なんだけどな?」
「ワタクシが同じように考えていないとでもお思いで?」

 私の色に合わせるように、彼もその白い肌をほんの少しだけ赤くしてそう告げる。今度は私の唇が得も言われぬ感情にわななく。嬉しい、という気持ちよりも、悔しい、という気持ちの方が勝っているという自覚があった。私も彼も質が悪いのだから、彼のお墨付きであるのだから、どうしようもなかった。
 私はそのままモンスターボールを受け取らず、彼のシルクハットを巡回するモンスターボールの中から、ポケモンの入っていないものを選んでひったくり、道場を飛び出した。ボールとボールの交換。私の目的は達成。問題ない、予定通りだ。この私の動揺以外は、何もかも。

「あこれ、待ちたまえユウリ!」

 待たない。待って堪るか。私は扉を勢いよく閉め、自転車に乗って全速力で湿地への道を駆けた。
 私の所有であったモンスターボールを見分けることができずに、精々苦しめばいいんだ!

 DLCをクリアしたのが18日なので、明日セイボリーとバトルをすれば私も丁度10連勝を達成できますね。
(このユウリは「所有の希望」「愛着」の類を隠さず示しているので比較的良好な精神状態であると言えるでしょう、こういうのをSSでは積極的に書いていきたいな)

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▽ カカオ72%のブラックリップ

2019.11.11 Mon * 21:49

(同棲・婚約済の16歳という異質コンビによる砂糖菓子みたいな午後、ポッキーの日)

甘い匂いに誘われて階段を駆け下りれば、キッチンから「まだ出来ていないぞ」と声が飛んできた。
ついこの間、私の背を追い越したばかりの男の子であるはずなのに、これまで料理の経験などついぞなかったはずなのに、
彼がキッチンに立つその姿は異様な程に似つかわしくて、私は彼の器用な一面に感服すると同時に、料理に興味を持てない私自身のことがほんの少しだけ、恥ずかしくなる。

「わ、チョコプリッツェルだ! こんなものまで作れるんだね」

「つまみ食いするなよ」

「そこまで食い意地が張っている訳じゃないよ。確かにシルバーの料理はどんなものでも美味しいけどね」

私の家のキッチンは、彼が居候を始めてものの数か月で彼自身の城に化けてしまい、今では彼にしか使いこなせない調理器具が沢山、棚の中に仕舞われている。
私やお姉ちゃん、勿論ヒビキだって、料理を趣味とはしていないし、お母さんもそこまで料理に拘りがある訳ではなかった。
私達はこれまで、毎日の食事のために必要に迫られてキッチンへと立っているようなところがあったから、
彼がこのような意外な趣味を覚えてしまったことに関しては、きっと毎日の家事がうんと楽になったお母さんが一番有難がっているのだろうなあ、と思う。

「今日のチョコは?」

「72%だ。俺は85%の方でもよかったんだが、ヒビキに「苦すぎる」と泣きそうな顔をされたからな」

さて、そんな彼が昼食後にキッチンに立っているのは、夕食の仕込みをするためでも、常備菜のストックを増やすためでもない。
和洋中、様々な料理を数年かけて熟知してしまった彼は、先日ついに「お菓子作り」という新しい領域に足を踏み入れてしまったのだ。
美味しいスイーツの摂取が常習化して太ることだけは避けたい、というお母さんと私の我が儘により、彼のお菓子作りは週末のみとなったのだけれど、
今日は私でも知っている、とあるお菓子に因んだ特別な日であり、この可愛らしいイベントに町のあちらこちらが浮ついているため、
その賑わいに乗じる形で、平日にもかかわらずシルバーはこうしてキッチンに立ち、鼻歌混じりでチョコを湯煎にかけている、という状態なのだった。

「……よし、いい具合に溶けてきたな。コトネもやってみるか?」

「わあ、ありがとう! このプリッツェルを溶けたチョコにくぐらせればいいんだよね」

私は嬉々として、クッキングシートに規則正しく並べられたプリッツェルの1本を手に取り、甘い香りのするチョコの中へと差し入れた。
軽く回してからそっと引き上げる。チョコの角がプリッツェルの先に少しだけ立っている。それはメレンゲを泡立てた時に出来るあの角に少し似ているような気がした。
市販の、形の整ったチョコプリッチェルには見られない、手作り独特の形状がどうにも可愛らしく思えてしまう。
その可愛い角をシルバーにも見せたくて「ねえ」とその先を彼の眼前に差し出したのだけれど、
その拍子に角はいきなり液体の様相を呈し、雫となってプリッツェルの先端から零れ落ちてしまった。

「あ」

シルバーは咄嗟に手を伸べて、チョコの雫を人差し指の甲で受け止めた。
私は慌てて「大丈夫?」「熱くない?」「水で冷やした方が」などと言葉を連ねたけれど、彼は苦笑しながら「平気だ」「そんなに熱くないから」と告げて、
そのチョコを拭うこともせずに、何かを考えこむかのように沈黙しつつじっと自らの人差し指を見つめていた。

すると、彼は私が持っていたプリッツェルを取り上げ、再びチョコに浸したかと思うとすぐに引き上げ、またしても出来上がったチョコの角を自らの人差し指に落としてしまった。
2回、3回と無言でそれを繰り返し、人差し指の甲にチョコの雫を蓄え続ける彼がなんだか空恐ろしくなって「……どうしたの」と震える声で尋ねてしまった。
すると彼は至極面白そうな顔をして、少しばかり赤くなった頬と、悪戯を思いついたときのようなキラキラとした目で、笑った。

コトネは凄いな、俺がよくないことをしようとしていることが分かるのか」

「よくないこと?」

顔をさっと青ざめさせた私の眼前に、甘い香りのする指が真っすぐ向かってきたかと思うと、
私にそれ以上の言葉を禁じるかのような動作で、チョコに塗れた指の甲が唇に押し付けられてしまった。
驚きと困惑でどうしていいか分からず、彼の無言の指示の通りに沈黙を保っていると、まるで口紅を塗るかのような動作でその指は私の下唇をゆらゆらと往復した。
色付きのリップクリームなら塗ったことがあるけれど、口紅なんてまだ私にとっては未知の領域であり馴染みのないもので、
男の子であるシルバーはなおのこと、そうしたお洒落の道具に疎くて然るべきなはずなのに、
彼は迷いも躊躇いも見せずに、楽しそうに、からかうように、照れたように、懐かしむように、私の唇を黒く塗っていく。

「……シルバー」

君らしくない悪戯だね、食べ物を遊びに使うなんて。
そう続けようとしたのだけれど、叶わなかった。彼がいよいよ顔を赤くして私の肩に手を置いたからだ。
その色の変化と置かれた手の熱さで、やっと、やっと私は、彼がこの場において何をしようとしているのか分かってしまった。

それはやっぱり彼らしくない悪戯で、このお菓子の日である特別なイベントの趣旨にもきっと反していて、
視界の端でチョコに浸るのを待っている小麦色のプリッツェルがやけに寂しそうに見えて、でもチョコは私の唇の上にあって、
……そう、だから、彼の息がかかる程の至近距離でこのようなことを言われずとも、きっと私の声など飲まれてしまっていたに違いないのだ。

「ほら、黙ってろ」

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▽ A7サイズのノートは、女の子特有の丸い文字でびっしりと埋められている

2019.11.10 Sun * 18:03

(hpパロ連載「冷たい羽」のリメイク版に加筆する予定のもにょもにょ)

ホグワーツ本校、およびその巨大な校舎が存在する「魔法界」と呼ばれるこの空間には、外界にはない特徴が幾つかある。
杖を振ったり呪文を唱えたりが日常茶飯事と化している、などということは大前提として記すが、
そうした「魔法」の類が、万物における現象や本質、更には命の在り方に至るまで変えてしまうことも珍しくない。

ところで貴方は外界にいた頃、お墓の前を通ると寒気がしたり、誰もいない静かな部屋で誰かに見られている気配を感じたりしたことがないだろうか。
もし思い当たることがあるのならば、気を付けた方がいい。
それは決して貴方の気のせいではない。貴方が感じていた「何か」は確かに存在しているのだ。ただ、貴方の目に、耳に、知覚できる存在として届いていないだけで。

そんな貴方が魔法界へと足を踏み入れたなら、目に、耳に、飛び込んでくる「何か」の存在の多さに驚くことだろう。
下手をすればその「何か」の数は、魔法界に生きる生者の数よりも多いかもしれない。
「何か」を其処に留まらせている理由は、未練か、愛着か、それともただ漫然と其処に在るだけなのか。
悪霊と呼べる程、面倒な存在ではない。精霊と呼べる程、優しい心を持ち合わせてはいない。とにかく「何か」はただ其処に在る。在ることしかできないから、そう在るだけの話なのだ。

その「何か」のことを、私達はポケモンのゴーストと区別するためにこう記すのが一般的である。

『Ghost』

そう、あたし達のことだ。

食べる必要もなく、眠らなくてもいい。時を止めたまま存在し続ける彼等のほとんどは、厄介なことに、生者との会話を生活……もとい、霊活の楽しみとしている。
若くしてその命の灯が消えてしまったような人ならともかく、ごく普通に天寿を全うしたような存在でさえ、この魔法界では当然のようにGhostと化し、
まるで此処が第二の人生の舞台であるかのように振る舞い、食事や睡眠を必要としない便利な生活を満喫しながらも、
やはり生きていた頃が懐かしいのか何なのかはよく分からないが、とにかく生きている人の話を聞きたがるし、ちょっかいを出したがるし、煩く喚き散らしたがるのだ。

ただ、その生者というのも、誰でもいい訳ではない。
何故ならホグワーツに留まるGhostを「全ての生者が知覚できる訳ではない」からだ。
Ghostは「自分を見てくれる相手」を探している。自身を認識しない生者の傍で何をしたところで面白くないのだから、当然である。

……此処まで書けばお分かりいただけるだろう。「見える」貴方は彼等の格好の餌食となるのだ。
命、および質量を持たない半透明の憐れな魂は、生きている貴方と関われることこそを自己の喜びと確信して、貴方を徹底的に妄信する。
貴方に付きまとい、貴方にちょっかいを出し、貴方の学園生活を台無しにしてくれるに違いない。
もし貴方がまっとうなホグワーツライフを謳歌したいのであれば、彼等の存在など無視することだ。

もう、手遅れかもしれないけれど。

魔法界に生き、魔法界で死んだ人間が、死後もその姿を保つ方法は簡単だ。ただ「そう」望めばいい。
けれどもその姿が他者に知覚され、また自身も同じようなGhostの存在を知覚するには、ある条件がある。
それが所謂「霊力」「霊感」と呼ばれるものであり、これは突然変異などが起こらない限り、一般的には生まれながらにして持つ固有のものとされている。

たとえばホグワーツの中で、生きている生徒に「この教室にはGhostが何人いる?」と尋ねてみたとしよう。
ある生徒は「10人」と答えるだろうし、ある生徒は「30人」と答えるだろうし、またある生徒は「そんなものはいない」と答えるだろう。
「すぐ近くのGhostしか分からないから、教室全体の人数を把握することはできない」と答える生徒や「声なら聞こえるけれど見ることはできない」と話す生徒もいるだろう。
もしかしたら「私には無数のGhostが見えるけれど、Ghostは一度も私を見ようとしない」などという世迷言を呟く人間だっているかもしれない。

また逆に、ホグワーツに住まうGhostに「貴方と話をしてくれる生徒はこの食堂に何人いる?」と尋ねたとしよう。
「ほぼ全員」と答える者、「半数程度」と答える者、「10人にも満たない」と答える者、「まだそんな人には出会ったことがない」と答える者、様々であるはずだ。

このように、生きている人間が、Ghostを感知するための力を「霊感」と呼ぶ。
また、Ghostが他の存在に感知してもらうための力を「霊力」と呼ぶ。

霊感や霊力は一定の数字で測定できるものではなく、視覚のみに特化したもの、聴覚のみ機能するもの、ある一定の距離でないと作用しないものなど、様々だ。
時に、その生得的な「才能」とも「呪い」とも呼べそうなそれは、あらゆる形で生きた人間を、そしてGhostを蝕み、苦しめる。
生きていても死んでいても、その「孤独」という苦しみに大きな違いはないのだ。

冷たい羽のコトネが抱いている歪みは「孤独への極端な恐怖心」であり、リメイク後もこれがテーマであることには変わりありません。

 

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