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生きるためには何が必要だと思いますか?
勿論、健康な体が必要です。健康でない場合は、それでも生きていかれるようにするために医療や介護の助けが必要です。それを求めるためにはお金が必要です。
健康である場合にも、食べなければ生きていかれません。食材を購入するためにはお金が必要です。その食材を料理するためのキッチンや調理器具も必要です。
それらを美味しくいただくためには料理の腕だって必要でしょう。……これは私の場合、大した問題にはならなかったのですが。

清潔な衣服を身に纏い続けるために、汚れた衣服を洗う必要があります。洗濯機の使い方、そこに入れるべき洗剤の量、洗濯物の干し方、その畳み方を知る必要があります。
埃の溜まった部屋を綺麗にするために、掃除をする必要があります。箒や掃除機の使い方を知る必要があります。
勿論、洗濯機、掃除機、箒や雑巾の類まで、手に入れなければならないのですから、それにだってお金が必要です。

眠るためにはベッドが必要です。寒い時期には毛布やブランケットを用意し、熱い時期になるとタオルケットに切り替えなければなりません。お金が必要です。
服も着続けていればくたびれてきますから、定期的に買い替える必要があります。お金が必要です。
……お分かりいただけるでしょうか。

『だってお金がないの。お金って、この世界ではとても大事なものなのでしょう?』

帰る場所と両親を失ったあの日の彼女が、目に涙を溜めながら紡いだ言葉、この世のものとは思えない程に幻想的な響きを孕んだあれは、間違ってなどいなかったのです。
私達は生きなければいけません。お金がなければ生きることができません。私は彼女を生かさなければなりません。生かし続けなければいけません。
故に、彼女の傍に長くいるために「仕事を減らす」などという選択を、『二人分稼ぐ』と宣言した私が、できる筈がありませんでした。
それは、私がわざと長く家を空けるための、この上なく立派な免罪符になってくれました。

私が生きるため、彼女と生きるため、彼女を生かし続けるために、私は1日の半分を仕事に費やしていました。
朝の10時から夜の11時まで、およそ半日、彼女を一人にしていました。
……ええ、本当はもう少し早く帰ることだってできたのです。もっと遅くに家を出ることだってできました。
けれども私はそうしなかった。『二人分稼がなければいけない』という免罪符は、私を長く外へと留まらせてくれました。

いえ、彼女との生活に嫌気が差していた訳では決してないのです。彼女を愛せなくなったことなど、ただの一度もありません。
けれどもあまりにも長い時間、彼女と共に在ると、私の呼吸が奪われてしまうような気がしたのです。私まで、上手く生きていかれなくなるような気がしたのです。
彼女の世界、時を止めた彼女の周りは悉く酸素が薄かったものですから、彼女はまるで土の下に咲く枯れない花のようでしたから、
……だから、地上での呼吸に慣れ過ぎた私は、あまり長く彼女といると、私はその薄すぎる空気に絞め殺されてしまいそうで、少し、恐ろしかったのです。

私は彼女と共に生きたかったのです。彼女を生かし続けていたかったのです。
そのために、私は彼女のようになることが許されませんでした。彼女のような悠久の美を体現することができませんでした。そして、きっとそれでよかったのだと思います。
そういった具合で、私は今まで以上に熱心に働いていましたし、彼女は本当に何も欲しがりませんでしたから、お金に困る、という現象はあまり起きませんでした。

……さて、生きていくためにはお金の他にも、生命を健康に維持するための日常的な営みが不可欠ですが、その大半を私は「家政婦」に依頼していました。
彼女達には週に4回、2時間だけ来ていただいていました。掃除や洗濯、日用品の買い出しなど、生きていくのに必要なことを、あまりにも完璧にこなしてくださいました。
彼女「達」と言いましたが、別に私達は、3人も4人も家政婦を同時に雇っていた訳ではないのですよ。
ただ、あのアパルトマンに来てくださっていた家政婦達は、何故だか半年も経たずに辞めてしまうのが常でしたから、その度に新しい家政婦を探し、雇っていたのです。

このように、私達が生きるために必要な何もかもを、外の人間に丸投げしていた訳ですが、けれども料理だけは私が作っていました。
私が不在の昼間でも彼女が食べられるよう、作り置きをしていました。
……というのも、彼女の偏食は共に暮らし始めるようになってからいよいよ程度を増し、私の作った料理しか、食べることができなくなっていたのです。

私はそんな彼女に、喜んでいいのか悲しんでいいのか解らず、ただ微笑んで「大丈夫ですよ」と告げ、それ以降、外で料理を購入し持ち帰るということの一切をしなくなりました。
料理は私の生き甲斐であり、私を表現する芸術そのものでしたから、それを行うことに何の抵抗もありませんでした。寧ろ私は、楽しんでさえいました。
使う食材は、おそらく一般家庭にあるものよりは高めのものだったと思いますが、それでも彼女は小食でしたから、食費がかさむという経験はしたことがありませんでした。

そういった調子で2年が経ちました。家政婦はこの2年余りの間に5人、変わりました。
6人目の家政婦がやって来たのは、寒い冬の日でした。吐く息が白くなり、視界を遮りつつある頃でした。

次の家政婦は何か月、通ってくれるのだろう。私は呑気にそのようなことを考えていました。
けれども「何か月」などという悠長な時を待たずして、その家政婦は私に「仕事を辞めたい」と連絡を入れてきたのです。

そう言われること自体は、ここ数年の間に何度も経験してきたことだったので、驚くべきことではなかったのですが、
流石に働き始めて2週間と経たない女性に、辞職の意思を告げられてしまうとは思いも寄らず、私は少しばかり、当惑していました。
いつもなら、残念ですと、今までお世話になりましたと、それだけを告げて給金の勘定に入るところなのですが、どうしても気になったものですから、つい尋ねてしまったのです。

「何か、雇用条件に不満がありましたか?」

するとその若い女性は目に涙を溜めて、「見ていられないんです!」と語気を強めてそう告げました。
呆気に取られている私の前で、女性は私が「雇用主」であることも忘れて、まくし立てました。

「貴方はご自分がどれだけ異常なことをされているか解っていないのですか?
あんなに小さな女の子を、ピアノだけの部屋にずっと閉じ込めて、真っ白な服ばかり着せて、一歩も外へ出さずに、貴方の用意した料理以外の一切に手を付けさせもしないで……」

「……」

「他の方だって、あの子と貴方の暮らしの異常性に怯えて、それで辞めていったんです。どれだけお金を積まれても、私、こんな恐ろしいところで働けません!」

四六時中ピアノを弾いている彼女のことを、気味悪く思っていた家政婦は他にもいました。
直接「貴方の奥様は気味が悪い」と言われたことはなかったのですが、家政婦達はその「不気味な女性」である彼女とは一切、会話をしようとしませんでした。
ただ淡々と自らの仕事をこなして、決まった仕事を終えればすぐに家を出て行くのです。
ずっとピアノを弾いている彼女は、2時間だけ家へとやって来る女性がいることにも、その女性が洗濯や掃除を完璧にこなしていることにも、気が付かない、という有様でした。
しかし「変化」と「新しいこと」を恐れる彼女にとっては、それくらいの、冷たすぎる距離感の方が、寧ろ都合がよかったのかもしれない、などと私は呑気に考えていました。

けれども彼女の方ではなく「私」の異常性について指摘されたのは今回が初めてのことでした。私はそのことに驚き、そして、この上ないショックを受けました。
……たったこれだけのことで、と思われるかもしれませんが、私だって自分がどれだけ異常なことをしているのか、彼女がどれだけ異常であったかということは、解っていたのです。
解っていながら、私と彼女の間には、そうした「異常」を貫かなければならない理由がありました。
異常な環境でなければ、彼女は生きていくことができませんでした。故に私も異常になって、彼女の歪みに寄り添う必要がありました。
彼女が生きていくために、彼女と生きていくために、不可欠なことであると信じていました。その確信こそが、これまでの私を支えてきたのです。

けれどもその確信というのは、存外、脆いものだったようです。
出会ってまだ2週間と経たないこの女性にそう言われて、ぐらぐらと支柱が揺れてしまう程には。

私は間違っていたのでしょうか。間違っていたとして、ではどこから何を間違えていたのでしょうか。
私と彼女の空間であるこのアパルトマンに、家政婦という異質な存在を招き入れたことが?私の料理しか食べられなくなった彼女の、そうした酷い偏食を許したことが?
彼女にピアノを買い与えてしまったことが?彼女が恐れない色の服ばかりを選んで購入したことが?外を恐れる彼女を、怖いものなど何もないこの空間に閉じ込め続けたことが?
私が彼女に「私と生きてください」と、懇願してしまったことが?私が彼女に「生きていてほしい」と願ってしまったことが?

私は愕然とした表情のままに、くらくらと痛む頭を押さえつつ、「彼女は21歳です」と、長い沈黙の後にやっとのことでそう、告げました。
きっとこの女性には、小柄で細身の彼女が15歳程度の少女にでも見えていたのでしょう。それも無理のないことでした。彼女は真に、時を止めることに成功していたのですから。

「彼女が白い服ばかり着ているのは、彼女がそれ以外の色を受け付けないからです。ずっとピアノを弾いているのは、そうしていると1日がとても早く過ぎるからです。
一歩も外へ出ようとしないのは、外の明るさを、空の青さを恐れているからです。私が料理を貴方に依頼しないのは、彼女が私以外の作った料理を食べようとしないからです」

「……」

「異常なことを、続けなければいけない理由が私にはあるのです。解ってくれと言うつもりはありません。……不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」

私はリビングの引き出しから、1か月分の給金の入った袋を取り出して、お辞儀と共に手渡しました。余分に支払ってしまったことに、私は気が付いていませんでした。
帰り際、その若い女性は玄関口でくるりと振り返り、泣きそうな表情で、訴えるように、乞うように、口を開きました。

「ズミさん、あの人はまるでお花のようです。貴方は本当にそれでいいんですか?
だってあの人は、ただピアノのある部屋に美しく咲いているだけで、生きるために必要である筈の、生産的で生命的なことを、何も、」

私の沈黙に、その女性は何かを感じ取ったのでしょう。「ごめんなさい」と深くお辞儀をして、家を出て行きました。
私は疲れ切った頭で、次の家政婦を探さなければならない、などと考えていました。

花であるのは、ただ美しく在ることは、いけないことだったのでしょうか?

私は花に、働けと命じることなどできません。花に動けと指示することなどできません。
そんなことをせずとも、花はただそこに咲いているだけでかけがえのないものです。生きている限り、その鮮やかな色を湛え続けている限り、愛されるべきものです。
私は、花を枯らしたくはありませんでした。ただそれだけのことでした。

世間というものは、働かないから、生産性がないからという理由だけで、健気に生きている美しい花を燃やすのですか?生産性がなくなれば、人は世間に殺されてしまうのですか?


2017.6.28
(21:31)

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