23

彼女が21歳になった頃、私は四天王として勤めていたポケモンリーグを去りました。
ポケモンバトルの道を極めることへの未練は勿論ありましたし、バトルをすることは当時も変わらず、私の喜びでした。
けれども、四天王の立場を望んでいるポケモントレーナーは、当時のカロスにも数多くいましたから、私も新しい四天王に、自らの座を譲ることを考えなければならなくなりました。

少し早い引退でしたが、それでも丸5年間、私はポケモンリーグという輝かしい舞台で仕事をすることができていました。
それで十分だと思いましたし、それ以上の活躍をポケモンバトルの方面で貪欲に求められる程、当時の私は快活ではありませんでした。
……少々、疲れていたのだと思います。

家に帰れば彼女がいました。素晴らしい演奏を賞賛するかのように拍手を送れば、彼女はすぐに顔を上げて「おかえりなさい」と笑ってくれました。
一緒に、食事をすることができていました。それは変わらず私の、かけがえのない喜びでした。私が家で作る料理を、彼女はやはり「美味しい」と言って食べてくれました。
朝、出掛ける折には「行ってらっしゃい」を告げてくれました。私もそれに笑顔で「行ってきます」と返すことができていました。
誰かが私の帰りを待っていてくれる、そしてその「誰か」が他の誰でもない彼女である、ということは、それから先、ずっと私の幸福であり続けてくれました。

そうした、仲睦まじい関係を保ちながら、穏やかな優しすぎる時間を、かけがえのない時をゆっくりと回しながら、けれど私は気付いていました。認めざるを得なくなっていました。
彼女が、そして私が、この暮らしに疲れ切っていることに。
彼女はどう足掻いても「生きるのに向いていなかったのだ」ということに。私はどう足掻いても、彼女を「生かすことのできる器ではなかったのだ」ということに。

何がいけなかった、という訳ではなかったのかもしれません。けれどもしかしたら、何もかもいけなかったのかもしれません。
私が彼女を生き辛くしていたのかもしれません。私の介入などなくとも、彼女は十分に生き辛かったのかもしれません。
彼女は時折、何もかもを受け入れるように、許すように、「生きるって大変なことね」と呟くのでした。彼女の「生き易い」世界など、この世の何処にもないように思われました。

彼女は「生きるとは易しくない」という心理を、窓のないあの小さな部屋の中で、完全に我が物とすることができていました。
そのような無力な姿だって、ええ、当然のように美しかったのです。私はそれだけでよかった。それ以上など怖くて、望めなかった。
少しでも私が欲張れば、彼女は消えてしまいそうでした。
「辛いから、生きなければいいの」と、18歳のあの日に紡いだのと全く同じ言葉を、今の、指輪を嵌めた彼女の口から聞くことを、私はどうしようもなく、恐れていました。

彼女は生きることに向いていませんでした。私は彼女を生かせる器ではありませんでした。
それが、結婚してからの数年間で私が会得することの叶った、二人の、二人だけの真実でした。

……さて、では私達が一緒に暮らすようになって、6年目の話をしましょう。

私は33歳、彼女は23歳でした。「おかえりなさい」と「ただいま」を言い続けて、丸5年が経ちました。
まだ5年、と呼ぶよりも、もう5年、と呼ぶ方がいっとう相応しいような、そうした時の流れの中に私達はいました。
きっと、少し気を抜いてしまえば、6年目も7年目もあっという間に指の間を転がり落ちていくのであろうと思われました。
そうした時間の中に、私は、とある女性と出会うことになりました。

「あら貴方、結婚していたの?」

仕事を終えて、定刻にレストランを出た私の背中に声が投げかけられました。
真っ黒の服を身に纏ったその女性に、私は心当たりを覚えることができず首を捻っていたのですが、
彼女がクスクスと面白そうに笑いながら、その黒いバッグの中からサングラスを取り出したことにより、彼女の名前が、熱く燃え盛る炎の色と共にふっと浮かんだのです。

「お久しぶりです、パキラさん」

「ええ、本当に久しぶりね。貴方が四天王を辞めてしまってから、今年でもう4年目になるのかしら?」

「そういう貴方だって、私より先にポケモンリーグを出て行ったじゃありませんか」

「ふふ、そうよ。お互い、二足の草鞋を履き続けられる程、器用じゃなかったのね」

その女性、パキラはもう四天王ではありませんでした。私よりも1年早くポケモンリーグを去った彼女は、ニュースキャスターの仕事に専念することを選んでいました。
私の自宅にあるテレビにも、よく彼女が映っていたような気がします。

私の道とパキラの道は、ポケモンバトルという共通の志の上にこそ交わっていたものでしたから、
その道を逸れた生き方を選んでしまった今、彼女が私に会いに来る理由など、まるでないように思われました。
けれども彼女は私の勤めているレストランに顔を出し、更には「今から少し、いいかしら?」と、通りの向こうにあるカフェを指差してお茶の誘いまでしてきたのです。
カロスのニュースキャスターとして順風満帆に仕事をこなしている筈の彼女が、今更、私に何の用があるというのでしょう。
私には全く、心当たりがありませんでした。彼女の誘いに頷き、あのカフェに入って、一体どんな話を聞かされることになるのか、全く予測することができませんでした。

だから私は、頷いてしまいました。
私と話すことなどもう何もない筈の彼女が、それでも何かを伝えるべく私を訪ねてきた、その理由をどうしても知りたかったのです。
そして私の同意を聞くや否や、彼女はとても彼女らしくない表情を浮かべました。泣きそうに目を細めて、顔を伏せて、静かに笑って「ありがとう」と紡いだのです。

私は、ポケモンリーグの火炎の間で、挑戦者を焼き尽くさんとするかのような、激しい炎を繰り出すカエンジシと、その向こうで不敵に微笑む彼女の姿を思い出そうと努めました。
あの時の彼女は最高に凛々しかった筈でした。私は当時の彼女を思い出そうとして、けれども上手くいきませんでした。
今の彼女に、赤ではなく黒を身に纏った彼女に、以前の凛々しい面影など、何処にも存在していなかったからです。それ程に今の彼女は、彼女らしくなかったからです。

24時間営業のそのカフェには誰も入っておらず、彼女はそれを喜ぶような軽快な足取りで、一番奥のテーブルへと駆けていき、その席へと尊大に腰掛けました。
私もその向かいに座って、壁に掛けられた時計を見ました。午後10時50分。いつもなら帰宅している時間帯でした。「ただいま」と紡いでいる頃でした。
遅くなる旨の連絡を入れようかとも思ったのですが、おそらくピアノを弾くのに夢中になっている彼女は気付かないでしょう。
それならば、遅くなってしまうことも、寄り道をしていることも黙っておいた方がいいように思われました。
あとで時計の針がいつもより進んでいることに気が付き、今日はどうしたの?と尋ねられたとして、その折に弁明すればいいことだと思っていました。

多少遅くなったとしても、彼女は「ピアノを弾く」という平穏の中で、私の帰りをずっと待っていてくれる。そのような確信を、私はこの5年間で得るに至っていました。
故に少しばかりの申し訳なさを抱きながらも、目の前で微笑むこの女性のことを、しっかりと見つめることができたのです。

「今日は随分と地味な服を着ているのですね。ニュースキャスターというのは、そこまで彩度を抑えた服装をしなければならないものなのですか?」

そう尋ねると、彼女はクスクスと楽しそうに笑いながら「いいえ、そんなことないわ」と告げました。
やって来たウエイターに2杯のエスプレッソを注文してから、貴方もそれでいいわよね、と遅すぎる確認を取るあたり、
彼女の根本的な性質というのは、あの頃と何も変わってはいないようでした。

「でも今日は、私の好きな色を着てはいけない日だったのよ。だって、お墓の前だったんですもの」

その言葉に、私はようやく合点がいきました。この女性は墓参りの帰りだったのです。だからこんなにも頼りない表情をしているのです。だからこんなにも黒を纏っているのです。
流石の彼女も墓参りに真っ赤な服で訪れる程、無礼ではなかったようでした。
それに今の彼女が、赤という明るく激しい色を選び取れるような心理状態にあるとはとても思えませんでした。それ程に彼女は、彼女らしくありませんでした。
それはご愁傷様でした、とこの場に相応しい文句を紡ぐ私に、彼女は困ったように笑いながら「私は別に、悲しくなんかないのだけれどね」と、強がってみせていました。

「貴方にもお墓の場所、教えてあげましょうか?亡くなったのは貴方も知っている子なのよ」

知っている子だ、と言われ、私の背筋は一瞬で凍り付きました。
誰のことを言っているのだろうと、その沈黙の合間に、私は記憶の海の中をばしゃばしゃと乱暴にかき回しながら、誰だ、誰のことだと焦りを露わにしつつ、探しました。
けれども、どうしても見つからないのです。アパルトマンに掛かってきた電話からも、レストランのお得意様からも、そのような「不幸の知らせ」は届いていませんでした。
私の狭い世界に「死」が訪れたなら、間違いなく私は気付くことができた筈です。
そんな私の傲慢な確信を笑うように、パキラは肩を竦めつつ、「もう5年以上前のことだから、ピンと来ないのも仕方のないことかもしれないわね」と告げました。

「フレア団を解散に追い込んだ、14歳の女の子。最終兵器の力からこの土地を守った、カロスの救世主。私は今日、その子のお墓に行ってきたの」

「……そんな、彼女はまだ、」

「ええ、19歳ね。でも人なんていつ死んでもおかしくないんだもの、仕方ないわ。
お墓には、真っ赤なカサブランカの大輪と、白いカーネーションの花があったわ。とても綺麗な花だったから、思わず見惚れてしまったの」

まるであの子が、花になったみたいだった。
目を細めてあまりにも穏やかにそう告げるパキラのことを、私は恐れ始めていました。
人なんていつ死んでもおかしくないのだと、人はいつでも花になる可能性を秘めているのだと、この女性はあの少女の死により、そう悟るに至っていたようでした。

人は死ぬ存在であると知ること。人は花になる可能性を持つ生き物であると弁えること。
……それが、もしかしたら「命を受け入れる」ということなのかもしれません。
パキラのその、諦念にも覚悟にも似た言葉は、もしかしたらこのままならない世界で生き抜くために会得する必要のあった、真理であったのかもしれません。

けれども私は、そのように考えることができませんでした。考えたくもありませんでした。
私は彼女に、私の愛したただ一人の女性に、今でも実に花めいているあの人に、本当の意味で「花」になどなってほしくありませんでした。


2017.6.26
(23:33)<19>

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