今世、カードの裏の泥梨より

<3>

「オレのユニーク魔法、あるでしょ?」
「……ああ、いつも世話になってるよ」
「へへっ、そりゃよかった! あれをさ、これをオレ自身のために使ってみようって思ったんだよね。言ってしまえば、この魔法を使ってやってみたいことがあるワケ。だから今はそのための力を得るために、お勉強中」
「やってみたいこと?」
「オレを分けたいんだよね、文字通り」

 おそらくはトレイの理解が追い付かないところでの話をしているのだろうということだけは分かった。彼の口から紡がれる「分けたい」を聞いてトレイが一番に思ったのは「そんなの、いつもやっているじゃないか」という、それだけであったからだ。
 舞い散る手札。オレはあいつであいつはオレで。トレイのユニーク魔法「薔薇を塗ろう」に並び、ハーツラビュルの寮生が口を揃えて「チート」と称する高度なものだ。一人を五人に増やすのは日常茶飯事。個々の分身が自我を持っているかのように動くことも周知の事実だ。どの分身も彼がマジカルペンを一振りするだけで、彼等はトランプカードをその場に残して忽然と消える。そんな分身たちの仕組みがどうなっているのか、彼の魔力で何人まで分身を作れるのかはトレイも知らない。何時間、分身を出し続けていられるのかも分からない。ケイトの魔法は派手であるが故に強く印象付けられがちだが、その本質はおそらく誰も把握できていない。もしかしたら、分身を作っている彼自身にさえ。

 そんな彼が「分けたい」と言っている。真摯に語るその眼差しには本気の……監督生の目に似たあの「決意」の色が熱く宿っていて、トレイは思わず息を飲む。舞い散る手札が、ただ派手で便利な魔法というだけの範疇を飛び越えて、彼の手によりもっととんでもないものへと化かされようとしているのだとおおよそ察せはした。
 止めたい、と思った。止めなければ、と焦りさえした。己が衝動を落ち着かせるためにトレイは敢えて数秒間、沈黙を作ってから、乞うように続きを促した。

「……取り敢えず、最後まで聞こう。分けたいってのは具体的にどういうことだ? 今のままの分身じゃ、都合が悪いのか?」
「そう、ちょっと弱すぎるんだよね。ずっと遠く、ずっと長く、分身として形が保てるようにしてみたくてさ。まあユニーク魔法がこれである以上、そういう……増やしたり分けたりさせるような素質がオレには人よりも多めにあるワケじゃない? なら、磨き上げるに越したことはないかなって」
「磨き上げることが目的なら、何も今しなくたっていいんじゃないのか? 年に一度の総合文化祭だぞ? 特にオレ達は三年生で、主体となって動けるのはこれが最後に」
「あのねトレイ」

 トレイ。
 彼はたまに、トレイのことをそう呼ぶ。仲のいいお友達、としての呼び方である「トレイくん」を、時折ケイトはそっと飛び越えてくる。例えば魔法での競技途中やマジフトの練習の最中、気持ちが高ぶったとき。あるいは何でもない日のパーティーの折に、彼にしては珍しく心から笑ったとき。そうした「雰囲気の流れ」「空気のせい」にできそうなときに、ケイトはトレイを呼び捨てにして一気に距離を詰める。詰めて、その近しさを楽しんでから、しばらくすれば何もなかったかのように笑って離れていく。
 こんな風に、言い訳の効かない状況でそう呼ばれたのは初めてのことだった。それこそが彼の切実さの表れであるように思われて、トレイは生じた沈黙を埋めることさえ忘れてただ、友の声を待った。

 彼は、トレイから目を逸らさぬままに、手元のペンを強く、強く握り締めた。トレイにはその行為に何の意味があるのか分からなかった。何も分からなかった。ただそのペンが「監督生と揃いのものである」という事実以外には、何も。

「時間がないんだ」

 このケイトは本当に、本体だろうか。何処か別のところで、もう一人が隠れていやしないだろうか。「残念でした、本物はこっち!」と、愕然とした表情のトレイを見てけらけらと笑ってくれたり、しないだろうか。
 トレイの中の、都合よく塗り替えたいと望む我が儘な部分が、身勝手な解釈をいくつも並べ立てる。だが並べた傍から、トレイの中の現実的な部分が次々に薙ぎ倒していく。後には地に散らばったガラクタしか残らない。「期待」と名前の付いたそれを脳裏でざりざりと踏みつぶし、トレイは深呼吸を一度だけして彼に向き直る。
 ケイトは一呼吸置いてから静かに……それは普段の彼からすればいっそ不気味にさえ思える程の穏やかで大人しい微笑みであったのだけれど……それはそれは静かに微笑んでから、否定の余地を一切残さない決定的な言葉を、告げた。

「絶対に消えることのないもう一人、世界さえ飛び越えても在り続けてくれるオレくんを、何としてでも完成させたい」
「……」
「オレ、あの子と一緒に行ってみたいんだ」

 監督生。オンボロ寮に住む女の子。魔法のない異世界からの訪問者。トレイやリドルやその他大勢に少しの変化をもたらした者。おそらくはいつか、元の世界へ帰る運命を背負う者。ケイトと揃いのペンを持ち、彼を慕い、彼が恋い慕う者。彼を、彼の半分を、トレイの手の届かないところへ永劫連れて行こうとする者。

『監督生、これからもケイトを頼むよ』
『私と一緒に居たところで、ケイトさんには……クローバー先輩の想定しているような幸せはやって来ないと思いますよ』

 実のところ、トレイは身勝手にも「俺やリドルをほんの少し変えてくれたように、ケイトのこともほんの少しでいいから楽にしてやってくれはしないか」と、監督生の小さな背中を見ながら何度か思ったことがある。あの日、監督生に告げた「ケイトを頼む」に、そうした意味を多分に含ませていたことは最早否定しようもない。

 監督生は魔法を使えない身だ。故にこの学園で起きた事件を、漫画や映画の名探偵のように鮮やかな手腕で解決したりはしない。事情を詳しく知っていなければその光景は「面倒なことに巻き込まれている」というだけに見える。事実、リドルのオーバーブロットの事件で、彼女は学園長から支給されたゴーストカメラを使い、生徒たちの幻影を指揮して戦ったが……共に戦ったトレイたちに言わせれば、あんなものは焼け石に水状態だった。彼女だけではどうにもならないことだったし、リドルが目を覚ましてからも、リドル自身の抱える問題が解決することは、なかった。彼女には、俺等をハッピーエンドに導くだけの力などありはしなかった。
 にもかかわらず、トレイの心地はあの事件を経て随分と楽になった。リドルもまた、問題を解決できないなりに、己が変化を受け入れ楽しんでいるように見えた。レオナやアズール、詳しくは知らないがジャミルやカリムもきっと同じ心地だろう。何の問題も解決しないまま、ハッピーエンドを手にすることが叶わないまま、それでも彼女が傍に在ることで、何かが変わっていた。持ち前の真面目さと、公平性と誠意を重んじる気質のまま、真っ直ぐに関わり続けることで……彼等は「ほんの少し」ずつ、救われていった。結果として、トレイは心から感謝することとなった。この学園を代表して、などと大きなことを考えるつもりはなかったが、それでも自分の変化とリドルの変化に関しては、ホールケーキを何十個と彼女のために作ったところで報いられないだろうと感じるレベルの恩があったのだ。
 ……でも。

「あの子が、元の世界に帰る日。それまでにこのユニーク魔法を進化させるのが目標。そうなったらさ、オレの夢が叶うんだ。ねえ、トレイだって分かってたでしょ、あんな願い星に吹き込んだ願いが本物じゃないことくらい。分かっていて、それでも黙っていてくれたんだよね。そういう、オレの誤魔化した部分にみだりに踏み込んでこないところ、嬉しかった」
「……なあ、ケイト」
「オレさ、もう置いて行かれるの懲り懲りなんだよね。一人になりたくないんだ。忘れられたくないんだ。あの子にだけは『ああ、あんな奴いたな』とか、もう絶対に思って欲しくないんだ。あの子の思い出にだけはなりたくないんだ。諦めたくないんだ」
「ケイト」
「でもそれと同じくらい、こっちの世界のみんなのこと、置いていきたくもないんだよ。だってもしかしたらみんな、今度こそオレのことを覚えていてくれるかもしれないじゃない? 欲張りだって笑われるだろうし、そんな期待はもうほとんど捨てちゃってるんだけどさ、それでも、万に一つの可能性を捨て置ける程の覚悟はオレにはまだ」
「ケイト!」

 図書館にトレイの大声が響き渡った。司書さえ文化祭の準備のために席を空けがちなこの期間、これだけの大声を出して咎めの一切が飛んでこないところを見るに、本当にこの空間にはトレイとケイトの二人しかいないようであった。
 彼はトレイの大声を受けて嬉しそうに笑った。トレイは勿論、笑うことなどできそうになかった。

 なあ此処までか、監督生。ケイトに此処までさせなければいけなかったのか。此処までしなければケイトの願いは叶わなかったのか。釣り合いが、取れていなさすぎやしないか。「ほんの少し」の救いにしては、あまりにも代償が大きすぎやしないか。

「無理だ、諦めろ」
「あはは、やっぱりトレイにはこんなこと、話すべきじゃなかったかな? トレイはいつだって諦めるのが上手だもんね。オレがみっともなく足掻いているの、見てらんないんでしょ?」
「みっともないからじゃない、どう考えても体が持たないから言っているんだ。五人の分裂、一時間の薔薇塗り、それだけでもペンにブロットが溜まるような状況から、どれだけ工夫したところで」
「……あっ、もしかしてそういう魔力とかブロットとか身体への負荷とか、そういう理屈でオレを諦めさせようとしてる? やめた方がいいよ。そういう問題を乗り越えるために、オレ今こんなに頑張ってるんだから」

 しんしんと冷たいものがトレイの喉元を冷やしていた。絶望的に冷え切った気管に吹き込んでくる図書館の乾いた空気は、彼を諦めさせることは誰にもできないのだという事実の詰め込まれたそこへ実に淡々と滑り込んでいった。
 これはもう無理かもしれない。トレイの言葉などで彼の心は動かない。説得は無意味だ。そして、それは「トレイだから」ではなく、きっと誰の手に掛かろうともそうなのだろう。

「ユニーク魔法。その人しか使えない魔法、唯一無二の魔法。馬鹿みたいだよね。そんな魔法を使った結果、オレは幾らでも数を増やして、幾らでも替えの効く存在になるんだ」
「……」
「オレ、みんなに求められるままに増やしてきたよ。便利だったでしょ? 役に立っていたでしょ? 副寮長になったトレイの手助けができたことは素直に嬉しかったよ。些末なことから本当にヤバいことまで、何度も二人で乗り越えてきたよね。楽しかったよね。その結果さ、みんなに喜んでもらえるのってやっぱり、どんな形であれ幸せだったよ。でもさ、本当はそんなものなくたって……」
「そんなものなくたって、俺はお前と友達だったさ。これからだってずっとそうだ、ケイト」

 ハーツラビュルの王たるリドルの叱責、学園長の咎め、クラスメイトであるイデアの忠告、同じ部活に属するリリアやカリムの引き留め、そういうもののいずれか、あるいはその全てがあったとしても彼は心を変えないだろう。それほどに強いものであるとトレイは分かってしまう。「今だけをラフに、楽に」とこれまで飄々と生きてきた彼が「こんな顔」をするという事実だけで、その確信はもう、十分すぎるくらいに得られてしまう。

「……無理だよ」
「どうしてだ」
「トレイが悪いんじゃない。オレが無理なんだ。卒業してトレイと離れたら、きっとオレはトレイからの電話に出なくなる。オレがミドルスクール時代の知り合いからの連絡、全部出てないの知ってるよね? トレイだってあの中の一人になるんだよ。トレイのせいじゃない。オレのせいでそうなるんだ。オレはもう、一度離れてしまった人のことをその先ずっと信じられないんだ。これはもう、そういう『質』だからどうしようもないんだ」

 普段、彼のスマホはひっきりなしに音を鳴らす。大抵がマジカメの通知音だが、その中には電話で彼を呼び出さんとするものも少なからず含まれている。幼い頃より何度も親の転勤により住む場所を変えてきたケイトの、かつての居場所に住むかつての友人たちからの連絡。ケイトは彼等を「昔の知り合い」と呼び、その連絡全てを「しんどいな」と本当に小さな声で零しつつ放置する。
 これまでトレイが何度も見てきた光景だっただけに、あの中にいずれトレイも入るのだと当人から宣告されるのは流石に辛いものがあった。少なからず……こういう話をしてくれる程度には信頼されているという自負があっただけに、かなりショックだった。だがそうしたトレイへの相応の信頼をもってしても、一度離れてしまえばそれでおしまいという認識が覆らないことに、彼の抱える問題の根深さがはっきりと表れているようにも思われて、トレイは何も言い返すことができないままに拳を強く握り締めた。

「でもトレイに『ずっとオレと一緒にいて』なんて、とてもじゃないけど言えないよ。オレ、そこまでトレイのこと縛れない。トレイにそこまでして、オレのこと大事にしてもらいたくはない」

 縛ってでも何でもいいから、とにかく馬鹿なことをしないでくれという気持ちにトレイはなりかけていた。ただそんなことは勿論ケイトの本意ではないし、トレイにとっての最善でもない。
 二人とも、互いのことに関しては「今のまま」がいいと思っている。必要以上に寄りかからずとも一定の信頼を置ける相手、本当に力を貸してなったときにはすぐに駆け付けられる距離、楽しいことを遠慮なく楽しみあえる気の置けない間柄、互いの弱みや秘密を尊重し合える関係……。だからこそ二年半、こうして友人をやれてきたのだ。この形を崩すことをトレイもケイトも望まない。変わらずに在れるのなら絶対にそれがいい。
 ただトレイとしては、その形を崩すことでケイトが此処で安心して生きていかれるのなら、たとえ好ましい友人の枠を外れようともそちらの方がずっといいのではないかと思いさえしていた。でも彼はこの期に及んでもまだ、違う。彼はこの形こそを愛したのだ。彼にとってはこの形でなければいけないのだ。その好ましさを十分すぎるほどに分かっているトレイとしても、ケイトの「そこまでして大事にしてもらいたくない」を否定することは、やはりどうにも難しかった。

「危険すぎる。そんな禁術紛いの磨き方をしていたら、いつかオーバーブロットするぞ」
「それはさ、オレが本当にそうなったときに考えればいいんだって。リスクばっか見て何もできずに終わるのは、なんていうか、ダサいでしょ」

「消えない分身なんてクローンと同じだ。そんなものを出し続けていたら、魔力以前にお前の心がおかしくなるよ」
「誰もに不信を振り撒いて、何をも諦めているような『今』よりおかしな状態? ふふ、何にも怖くないよそんなの」

「もし上手くいったとして、魔法のない世界で身寄りを失ったお前がちゃんと生きていけるとは思えない」
「それは何とかなるよ、贅沢をしたいとも大成したいとも思ってないからさ。特別なことを求めるつもりはない、ただオレがオレとして生きていければそれでいい」

 万に一つの可能性、友の心変わりを期待して、トレイは次々に手札を放った。けれどもケイトはその全てを、笑顔のままにすらすらと躱していった。暖簾に腕押しもいいところ、使えない手札を行使することしかできずトレイは苛立った。いや、元々そんな手札、彼の心を動かしようがない以上無意味でしかなかったのかもしれないけれど。
 それでも、トレイはどうしても諦めたくなかった。その諦めの悪さだって、監督生から貰った「ほんの少し」の変化の一部に違いなかったのだから、尚更、引くことなどできるはずがなかったのだ。

「もし向こうの世界でいきなり分身が消えたら、お前の傍にいる監督生はどうなる」

 けれど次に放った手札をケイトは真正面から受け止めて、そしてやはり笑顔のまま、両手で勢いよく、破いた。

「……あははっ、やだなあ! 向こうに行くのが分身の方だなんてオレ、一言も言ってないんだけど?」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃と、ビリビリと手札が破かれ宙に散る乾いた音。トレイの脳裏に響いたその二つの音は、いずれも幻とは思えない程にリアルで、痛烈で、惨たらしかった。
 トレイはさも当然のように「彼の望む分身を造り上げることが叶ったとして、あの監督生と共に異世界へと危険すぎる旅をするのは、その造り上げた分身の方である」と想定していた。まさかこちらの世界に置き残すために分身造りへ精を出しているなど、どうして信じられよう。あまりの惨さ故に、トレイは端からその可能性を切り捨てていた。自分にとって都合の良いように彼の話を塗り替えていたのだと気付かされ、トレイはこれまでの認識を強烈に恥じた。恥じて、その上で「ふざけるな」と思ってしまった。

「……同じ話だ。こっちの世界でお前が消えたら、お前の家族や友人はどうなる。偽物を本体だと思って共に生き続けてきた奴等の絶望はどうすればいい。死体さえ残らず薄っぺらいカード一枚になったお前を、どうやって悼めばいいんだ」
「そうなった時にはトレイが助けてよ。お得意の薔薇塗りでさ、みんなの認識を『消える』から『死ぬ』に塗り替えてくれればいいだけの話なんだ。分身だってことだけがバレなきゃいい。トレイなら上手くやれる」
「ふざけるな! 他の誰が気付かなかったとしても、俺は分かるんだよ! お前がいくら本物を名乗ろうとも、お前を知る全員に嘘を吐き通せたとしても! 俺だけは! 此処に残るお前がただの分身だってこと、確実に」
「だから、それをお願いしてるんだってば」

 ふざけるな。ふざけるなケイト。だってその「お願い」は。「こちらの世界で生きるオレが分身であることを周囲に隠し通すための手助けをしてほしい」という、その願いは最早「オレの罪に加担してほしい」と同義ではないのか。

「ねえトレイ。これから先、『オレくん』とも仲良くしてくれる?」
「……なあ狡いよ。ケイト、お前は狡い、本当に」

 トレイのそうした非難を受けて彼は眉を下げつつ嬉しそうに笑った。その笑顔は、トレイが「そんなのお断りだ」と彼の懇願を跳ね除けることができないという確信のもとに湛えられていて、トレイは益々、遣る瀬無くなる。
 彼の懇願を跳ね除けられない。その通りだ。もし本当に彼の魔法が完成し、彼の本体が分身を残して別の世界に旅立つようなことがあった場合には、きっとトレイは彼の願いを聞き届けることになるだろう。俺一人が苦痛に耐えることで丸く収まるならと、彼の存在を誤魔化すためにマジカルペンを振り続けるはずだ。周囲の認識を塗り替え、分身であることにより生じる不具合があればそれも塗り替え、もしトレイが彼を分身と認識することへの苦痛が限界に達したならば、その己が認識さえも塗り替えて誤魔化して……そうしてとにかく、生きようとする。そうした未来がありありと想像できてしまう。

「ねえトレイ、もし本当に『友達だ』って、『これからもずっとそう』って、思ってくれるならさ……卒業して継ぐことになるあのケーキ屋さんでオレくんのこと雇ってよ」
「……」
「オレくんを上手いことさ、匿ってよ。死ぬまで最低賃金でこき使ってくれていいからさ、ね?」
「……ははっ、何だよそれ。こっちの世界を半分以上を捨てたような状態で、よりにもよって俺に寄生するつもりか?」
「そうだよ。だって居心地がいいんだ。トレイの傍が、こっちの世界でならきっと、一番に」

 この期に及んで、彼のそんな言葉が嬉しい。嬉しくて、虚しくて、泣けてきてしまいそうだった。

 ……信頼されていることが分かる。友としてこれ以上ない程に慕われていることも分かる。でもその信頼も友愛も、ケイト・ダイヤモンドという人物の全て、10割を賭して大事にしようと思えるようなものではなかったということもまた、痛い程に分かってしまう。
 半分、5割以下。本体をこちら側に残せる程の情は、もう彼の中に残ってはいない。もし残っていたならこのようなこと、頼んでくるはずがない。
 

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