Empathic painful love

<3>

「助けてくれたのがレオナさんでよかった。沢山、お話に付き合ってくださって嬉しかった。ありがとうございました」

 レオナの世界では特に希少性のない、ありふれた熱帯植物を大事そうに抱え直す監督生。残りの水を飲み下し、体を休めた彼女はすぐにでも錬金術の教室へと向かうはずだ。クルーウェルの監督のもと、大鍋の中へと豪快に材料をぽいぽい放り込んでは、無邪気に色の変化を眺めるのだろう。湯気で実験ゴーグルを曇らせては、小さく声を上げて慌てるのだろう。出来上がった薬を小瓶に詰めて、満足そうに頷くのだろう。私にもできることがあったと安心するように、とかく健気に笑うのだろう。
 そんな有様がレオナの知らないところで繰り広げられるのはひどく惜しいことだと思った。だってその有様は二度とレオナのところへは戻ってこないのだ。時間とはそういうものだ。ならば取り零す訳にはいくまい。そうした結論を脳内で導き出してようやく、レオナは己が「優しさ」を行使することが許される。

「そんな簡単な薬作りで満足か?」
「えっ、これ、そんなに簡単なものですか? クルーウェル先生が、一年生にしては手際がいいって褒めてくれて、学年末で習うはずのものを特別に教えてくださっているはずなんですけど……」
「そうだな、一年にしては上出来だろうよ。だがそんな学年の括りに収まったいい子ぶったやり方でお前は満足か? 元の世界の『情』とやらを捨て切れていないお前は、来年もこの世界で、大人しく二年生に上がってやるつもりか?」

 焚きつけるような言葉選びに努めながら、レオナは監督生の腕の中にある熱帯植物を見つめた。保存薬としての使い方が一般的な、実用的だがそこまで大量には必要とされないはずの植物。それが必要以上に栽培されている理由を知るのは生徒の中でもごく一部だろう。この植物はあのサイエンス部の常用品、使い方次第で随分と物騒かつスリルのあるものに化けるのだ。おそらくこの件に関してはルーク・ハントやトレイ・クローバーの方が詳しいだろうが、レオナも伊達に学園へ長居している訳ではない。幾つか面白い「使い道」を思い付くことなど造作もなかった。それをこの、悪いことなどついぞ知らなさそうな監督生へ教え込んでやることだって、簡単に。

「ふふ、そうでした。帰るんでしたね、私。いつ帰ってもいいように、此処でできること、全部やっておかなきゃいけないんでしたね」
「ああ」
「じゃあ好きなだけ学ばなくちゃ。もっと沢山、欲張ってみなくちゃ」
「ならそいつを使ってもっと面白いものを作ればいい、手伝ってやる。そうだな、禁制スレスレの部分変身薬なんてどうだ? お前の背中に立派な鷲の羽でも生やしてやるよ」

 そう宣言して、レオナは芝生の上に膝を付いて体を起こした。その細腕に抱えていた植物を半ば強引に取り上げて右手に抱え、空いている方の手を、未だ芝生の上できょとんとしている監督生へと伸ばした。
 学園の生徒なら誰でも入れる植物園、何処で誰が見ているか分かったものではない。だがもう、気にしなくてもいいだろうと思えてしまった。つい数十分前には人目を気にして、この小さな体躯をわざと乱暴に見えるように転がしたというのに、たったこれだけのやり取りでこの有様だ。ああ認めよう。情だ。「お兄さんや甥っ子さんを殺せなかったのに?」と彼女が評価した以上の情が、レオナの伸ばした手に込められているからこそ起きた変化だ。

 ああそうだとも、認めよう。此処に紛れもなく在るのだ。顔をしかめてしまいたくなる程に膨大に膨れ上がってしまった、この暢気で無邪気で健気で病的な異分子への「情」が。
 熱帯エリアへ倒れ伏した相手を介抱してやれる程度にはレオナを慈悲深くさせたものの正体。寮長であり王族であるレオナに対する不躾な発言を許容させたものの正体。監督生の「帰りたい」という願いを受けてレオナを苛立たせ苦しませたものの正体。
 全てがそこへ帰結する。決して短くはない時間の中で積み上げてしまったこれら全て、もう無に帰すことはあり得ない。レオナのユニーク魔法をもってしても、砂にさえ還りはしないだろう。故郷で忌み嫌われた己が魔法が、魔力の一切を持たないただの草食動物に弾かれる様はひどく愉快で滑稽で痛快だった。くつくつと笑うことでレオナはどうにか苦しさを逃した。膨大に膨れ上がってしまった情は少し、息苦しい。

「……私、ついさっき、レオナ先輩にとても不遜な物言いをしたような気がするんです」
「ああそうだな。草食動物にしては鋭い牙だった。褒めてやる」
「貴方に私が大事だと思ったものを貶されたくなくて、貴方へ向けるべきじゃなかった感情を身勝手に突き立てて、貴方に、とても嫌な顔をさせてしまった気もしますよ」
「ああそうだろうな。そんな罪悪感に苦しむお前の傷口に塩を塗り込んでやるって言ってんだよ。今、優しくしてほしくないんだろう? 冷たく突き放してほしいんだろう? 罰が欲しいんだろう? 生憎だが俺はそんなに『優しくない』んだ、残念だったな」

 優しくしてほしくない相手に優しくしてやっているんだ。もっと嫌がれ。そうした理由付けを監督生の側にも与え、ようやくレオナは彼女へと手を伸ばす理由を自他共に得る。自分を納得させなければレオナは手を伸ばせない。相手を納得させなければ彼女はレオナの手を取らない。そのために口達者を演じることなど彼には造作もない。

「……ふふ、本当ですね。レオナさんって本当に優しくない!」

 ただ、レオナが今まさに持っている彼女への情に、おどけるように笑いながら手を取った彼女はまだ、思い至れていないらしかった。暢気なことだとレオナは笑って、痛めつけるようにその小さな手へと力を込めた。そうしてやると彼女の緊張はやや解れたらしく、困ったように眉を下げながらも、手を取って、握り返してきた。そのまま芝生を出て、出口へ続くアスファルトの道をゆっくりと歩いた。足取りがしっかりしていることを確認しながら、もう倒れたりしてくれるなと祈るように。

 彼女はおそらく気付いていない。きっとまだそこまで気付かなくていい。いつかお前が帰ってしまった後くらいに「これ」にピンと来て、せいぜい、こちら側を恋しく思ってしまえばいい。今はそれくらいで丁度いい。だが俺は、立てられた分の爪は立て返す。絆された分は絆し返してやる。気を付けろ。お前がその情とやらでこの俺に突き立てた分の爪痕は、いつかお前に返って来るぞ。

「部分変身薬、楽しみです。羽があれば、私も空を飛べますよね?」
「……鳥類が羽ばたくには相応の筋力が要るんだ。お前の薄っぺらい背筋でどうにかなるとは思えねえがなあ」
「えっ、それじゃあただの飾りじゃないですか! ねえどうにかなりませんか? 一時的に、こう……ジャックさんくらい筋骨隆々になれる薬とか」
「はっ! いい強欲じゃねえか。その調子でもっと欲張っていけ。お前程度のちっぽけな強欲なんざ、俺ならいくらだって叶えてやれるぜ?」

 覚悟しろ、覚悟しろ監督生。俺もお前が帰る日までには覚悟を決めてやる。お前の喪失に慟哭するだけの覚悟を、決めてやる。苦しみ抜いてやる。
 お前の言葉を信じるなら、それが……それこそが「救い」になるんだろう。

 そう思いながら植物園を出ようとしたとき、ふと彼女の足が止まった。アスファルトを叩く靴音がぴたりと止んでから、繋いでいた手がつんと引っ張られ、ほどけるように離れたのだ。まだ眩暈が止まないか、と若干の不安と共に振り返れば、ぼろぼろと音もなく泣いている姿がレオナの目に飛び込んできた。

「おい、なんだどうした」
「……レオナ、さん」
「ああもういい、喋らなくていい、無理なんかするな。辛いなら医務室まで」
「ちが、違うんです。大丈夫、もう体は平気ですから」

 いやお前、ついさっきまで機嫌よく笑っていただろう。暢気と無邪気を何処に置き捨ててきたんだ。あまりに急激に起きた変化が故に、レオナは斜に構えることも忘れてただ驚いてしまった。植物の束を取り落として、両手で彼女の肩を掴んで、膝を折って顔を覗き込んだ。人目などもう知ったことではなかった。

「……なあ、どうしたんだ」
「レオナさんに、覚えていてほしいことが、あって」
「それは……今言わなきゃならねえことか?」
「今すぐに聞いてくれると、とても助かります」

 分かった、とレオナは間髪入れずに頷いた。熱中症を起こして倒れたこいつの介抱をするよりも、実験に手をかしてこいつの背中に羽を生やすよりも、今此処で彼女の声に耳を傾けることこそが、何よりも彼女の「助け」になるはずだという確信のもとに彼は待った。彼女の喉が再び震えるのを、ひどく真摯な心持ちで待った。

「私は、レオナさんと『情』っていう共通点で一緒に苦しむことができること、とても嬉しく思っています。でもレオナさんには、この『情』がただ苦しいだけのものだとは思ってほしく、なくて」
「……」
「だからレオナさん、沢山、みんなのことを想ってくださいね。乱暴でもいいから、口がちょっと悪くたっていいから、貴方を慕ってくださるみんなのこと、沢山、大事にしてくださいね。あの子やお兄さんを殺せなかった貴方なら、情を捨てずに取っておける貴方なら、きっともっと立派に素敵になれますから。ハッピーエンドはそうした人のためにあるべきですから」

 やがて零れ出たそんな言葉たちにレオナは正直、拍子抜けた。何を言っているんだこいつは、と思ってしまった。いや言わんとしていることは分かる。分かるがそれは、今、そんな風にぼろぼろと泣きながら言うようなことではないはずだった。何だ、何が起こっている。こいつの本当に言いたいことは、何なんだ。

「……まあ、そうだな。考えておいてやる。それで、そんなことを考えてお前は泣いていたのか?」
「いいえ、そうじゃないんです。ただ」

 瞳の周りを赤く染めた彼女の視線は、もう暢気で無邪気な病者のそれではなかった。今ならこいつにもう一歩踏み込んでしまえる気がした。隙を伺うように、その小さな眼球の裏へと己が熱意を滑り込ませるように、レオナはじっと彼女を見つめた。すると。

「ただ私も……」

 息を飲んだ。言いたい言葉が無数にせり上がってきてレオナの喉元を満たした。けれど彼女が言い終わるまで待たねばならないと思い、なんとか飲み込んだ。ただいつまで経ってもその続きが零れることはなかった。二人の間に降った長い沈黙を、アスファルトへと取り落とした植物たちが呆れるように見つめていた。

 レオナは驕った。そこで止まった彼女の言葉の続きを実に都合よく解釈した。「私もみんなみたいに、何の未練もなく此処に残ってレオナさんを慕いたかった」「貴方に想われてみたかった」などと続いて然るべきなのではと解釈した。元の世界に戻りたいという心地と、この世界で情を向ける相手と過ごしていたいという相反する心地が、この小さな体を引き裂きそうになっているのではないかと考えた。レオナから提案した実験の手伝い、もっと楽しいことを教えてやるとして差し伸べた手、そこにもきっと喜びと苦痛が同程度の割合で溶けていて、情を持てば持つ程に苦しくなることが彼女にはもうとっくに分かっていたのではないかと推測した。
 持ち過ぎた情がもっと別のものへと形を変えてしまえば取り返しが付かなくなる、心を「持って行かれて」しまえば帰れなくなる。だから彼女はレオナの前で繰り返し「情」と唱え続け、守りを固めていたのではないか。そして今、たった今、引き裂かれるような痛みを受けて決壊した守りの向こうで、レオナへの「情」がもっと別のものへと変わり果ててしまったのではないか。取り返しのつかないところまで来てしまったと認めざるを得なくなってしまって、それでも捨てきれない元の世界への情は確かにあって……だからこそ、こんな風に泣いてしまっているのではないかと、そんな風に。

 馬鹿げている。

「お前は要らねえのか。俺の想いも、俺の寵愛も、みんなとやらに向けられれば満足か」
「……嫌です。本当は欲しい、私だって、喉から手が出る程に」
「やってもいい、好きなだけ。お前が此処に残るなら」

 これは同調だ。そして復讐だ。元の世界への執心とこちらの世界への愛着とで引き裂かれそうになっている彼女への仕返しだ。今まさに苦しんでいる彼女へと、同じように「引き裂かれそうになっている我が身」を突き付けてやっただけのことだ。俺も同じだと訴えたまでのことだ。
 彼女がいるべき場所は此処ではないという理想と、彼女にいてほしい場所が此処であるという現実が、レオナの心臓を左右から握り込み引き千切ろうとしていた。その苦痛を知らしめたかった。突き付けたかった。押し付けて是が非でも共有させてやりたかった。分かってほしかった。こいつにだけは分かってほしいと願ってしまった。
 どうだ、難儀なことだろう。不公平なことだろう。どこまで行っても俺達の間には苦しみしか残らない。お前が帰ろうと残ろうと、俺がお前を手に入れようと失おうと、どちらにしても双方苦しむようになっているんだ。
 なあそうだろう。お前だってもう分かっているんだろう。

 この苦痛を回避する術が二人にはない。帰れと言っても帰るなと言っても傷を負う。にもかかわらず、そんな地獄を造った原因である「情」を、彼女はレオナの今後のため、「きっと素敵なもののはずだから」などとして、悪者にしまいと語っている。あまりにも憐れだ。あまりにも健気だ。そしてあまりにも痛々しく、あまりにも。

「……ふふ」

 顎に大きな雫を付けた監督生は、顔を歪めて小さく笑った。レオナの意趣返しを責める意図がそこには欠片も含まれておらず、熱中症の余韻を残した熱い頬とぼんやりとした視線が、諦めるように許すようにレオナへと向けられるばかりだった。

「なんで笑うんだ、おい」
「……」
「俺はお前に、質の悪い仕返しをしたんだ。分かっているんだろう」

 その言葉に彼女は何度か頷いて、顔を上げた。暢気でも無邪気でも病的でもない、ただ健気で切実で、泣いているとも笑っているとも取れる絶妙な表情がそこにあった。なんだか妙に綺麗な気がする、今まで見たどんなものよりも。そう思い至った瞬間、彼女の泣き笑いがレオナの頑強に固めていたはずの守りを勢いよく踏み抜いていった。完全に「持って行かれて」しまった。あっという間の出来事だった。

 派手な音を立てて崩れ落ちた情緒の奥底、愛憎渦巻く泥沼の中で、きっとレオナは、彼への「情ではないもっと重い何か」が作り出したその顔を何度でも思い出すことになる。
 そのような確信と絶望と至福を受け入れてから、彼は同じく「情ではないもっと重い何か」に突き動かされるようにして、彼女の首へ後ろから手を回し、まるい後頭部へと親指を添えてぐいと掴んだ。抱き寄せて、閉じ込めてしまいたい。そうした衝動を誤魔化すようにゆっくりと力を込めた。本気で握り潰してしまえばこの小さな存在などひとたまりもないというのに、今だってほんの少し息苦しいだろうに、彼女はやはりひどく綺麗に笑うのだ。

 何だよお前、俺の不格好な愛に首を絞められていることがそんなに嬉しいのか。

+ Afterword

< Prev

© 2024 雨袱紗