想いよ、さあ偽りなく真実を

(「想いよ、被告の席へ立て」の続編)

蝉が煩く鳴いていた。ぐわんぐわんと脳を揺らすように鳴いていた。
雨戸を閉めても伝わるその命の叫びに、いよいよ気持ちが悪くなってあたしは意味も分からず泣いた。
これくらい泣き喚けばよかったのだ。死にたくないとほざけばよかったのだ。無様な姿を全国に晒して、笑い者になってしまえばよかったのだ。
そんなことを考えながらあたしは泣いている。大きく吸い込んだ息は震えている。吐き出す息が上手く喉で処理できずに咳き込んでしまう。蝉が鳴いている。

あの日、彼が死んだ。

それ自体は覚悟していたことだった。コロシアイというおぞましい世界に放り込まれた彼の末路なんて、殺すか、殺されるか、生き残るかの3つしかない。
ダンガンロンパにおいて、ゲームクリア時の生存者は開始時の3割程度であるのが通例だと聞いていたから、運が良くない限りは殺されてしまうのだろうと思っていたし、
仮に実力がモノを云う一騎打ちのような状態になったとしても、あの小柄で非力な王馬にできることなど何もないだろうとあたしは考えていた。

けれども、違った。何もかもが違い過ぎたのだ。
予想の範疇を遥かに超えた苦痛と絶望にあたしは困惑していた。呼吸さえ乱される程の錯乱であった。
狡い、狡い、最低だと、誰も聞いていないにもかかわらず大声で喚き散らしたくさえなったのだ。

彼はこのコロシアイを楽しむふりをして、誰よりもこのコロシアイを憎んでいた。
彼は人の死を踏み越えて勝ち上がっていくことを喜んでいるように見せかけて、その実、誰よりも仲間のリタイアに心を痛めていた。
コロシアイの首謀者が何処にいるのかも分からない中、誰も信じることのできない状況下において、その道化面の裏で彼は狂ったように戦い続けていた。

彼は不運ではなかった。非力な訳でも無力な訳でもなかった。
むしろ表の裁判をあの黒髪の男の子に任せていた分、真実を暴きコロシアイを終わらせるために、彼は誰よりも献身的に、情熱的に動いていたのだ。

騙さなければならない。嘲笑わなければならない。貶めなければならない。生き残らなければならない。そして誰も、信じてはいけない。
小さな悪戯を繰り返して周りを笑わせていた彼の、誰かを楽しませることで心の安寧を得ているようなところのあった寂しがり屋の彼の、その顔色は、
コロシアイのない、学級裁判を行わなくていい、この平和な世界に生きていただけでは、きっと一生お目にかかることのできないものであったに違いない。

コロシアイメンバーが彼への猜疑心と憎悪を募らせていく中、あたしはただ驚いていた。
驚くことしかできなかったのだ。あまりにも強烈で鮮烈で痛々しく生々しく、そして切実な彼の生き様に、もう、何も考えることができなくなっていたのだ。

けれどもそんな彼は死んだ。そしてあたしは、彼の死に様を見ることができなかった。

あの日、中継に使われるカメラの類が全て一時的に故障し、モニターは真っ黒の画面を何時間にも渡り映し出していた。
あのおぞましい学園で何が起こっているのか、その実態を誰も知ることができずにいた。
やがてカメラが復旧し、明るくなったモニターは相変わらずの痛々しい、ピンク色に映像加工されたおびただしい量の血を私達に提供してくれた。
その血の主が誰であるのか、それを知る者は誰もいなかった。
長い裁判の果てに黒髪の彼が結論を出すまで、あたしは彼が「殺した」のか「殺された」のか、全く分からないままだったのだ。

王馬はこのコロシアイを楽しむふりをして、誰よりもこのコロシアイを憎んでいた。
人の死を踏み越えて勝ち上がっていくことを喜んでいるように見せかけて、その実、誰よりも仲間のリタイアに心を痛めていた。
コロシアイの首謀者が何処にいるのかも分からない中、誰も信じることのできない状況下において、その道化面の裏で彼は狂ったように戦い続けていた。

彼は死んだ。そしてあたしは、彼の死に様を見ることができなかった。
あたしはそのことが何より悔しく、何より悲しく、そして何より、嬉しかった。
このおぞましい世界における彼の命の幕引きに、そのような喜びを抱いてしまった時点で、きっとあたしは王馬小吉に完全敗北していたのだろう。

「死」が見世物として扱われるあの世界において、ただ一人彼だけが、画面の奥、暗幕の裏で静かにいなくなることができた。
「見せない」という運命さえも王馬がコントロールしたものには違いなかったけれど、そうやって自らの命の幕引きを、誰にも見えないところで静かにやってのけてしまう彼は、
……残念なことに、悔しいことに、憎たらしいことに、それはそれはかっこよかったのだ。

『いっぱいかっこいいところを見せて、香菜ちゃんにオレのことを好きになってもらうんだ』
かっこいいところを「見せない」というその選択こそが、あたしの心臓を最もかっこよく奪っていったのだ。

そうしたあの日を経て、今日、ダンガンロンパが終わった。
あのゲームの中で生きた皆の痛みを背負って、黒髪の彼はダンガンロンパを終わらせることを選んだ。
このコロシアイの世界に焦がれていたはずの彼等は、愛した世界に見切りを付けて、外の、平和で平凡でツマラナイ世界へ戻ることを望んだのだ。

そういう訳であたしは、薄暗い部屋でみっともなく泣いている。外で煩く喚く蝉にも負けないくらいの勢いで泣いている。
彼が戻ってくることよりも、この呪いのような中継からようやく解放されることよりも、このダンガンロンパの結末が「彼の望んだ通り」になったことが嬉しくて、泣いている。

『いっぱいかっこいいところを見せて、香菜ちゃんにオレのことを好きになってもらうんだ』
あんなことを口にしていた彼が、コロシアイのメンバーに隠れて、誰よりもなりふり構わず必死に戦っていた。
「かっこいいところ」を見せなければならないはずだった彼は、他の誰よりも多く、モニターの外にいる私達に、最も無様でみっともなく弱々しい葛藤を、苦悩を、晒していた。
コロシアイのメンバーに憎まれようとも忌避されようとも、彼はその在り方を変えなかった。貫き、そして死んでいった。
彼の、命を懸けた策謀はようやく結果を残した。それが嬉しくて、泣いている。

今頃、ゲームから目覚めた彼等はどうしているのだろう。
最初にオシオキを受けたピアニストの女の子が願ったように、皆で、今度こそ友達になれているのだろうか。
猟奇的な殺人を犯した民族学者の青年も、自らに付加されていたその「設定」に驚き、無骨なマスクの下で困ったように笑っていたりするのだろうか。
そんなことを考えながらあたしは笑った。懸命に生きた彼等のことを、それでいてその世界を断りこちらへ戻ってきてくれた彼等のことを思えば、少しばかり楽しくなれてしまった。

才能をなかったことにされた彼等は、けれどもそんなものがなくたってこの世界の希望だった。
少なくともあたしの中ではそうであった。彼等にとっても、そうであればいいと思う。

蝉の音とあたしの嗚咽。二つの音の間に割って入るように、階下でインターホンが鳴った。手元のタオルで乱暴に顔を拭いつつ、慌てて階段を駆け下りた。
リビングに設置されたモニターで、訪問者の姿を確認しようとしたのだけれど、それより先に扉の向こうから、蝉よりもあたしの嗚咽よりも強烈で劇的な音が、聞こえてきた。

「やっほー! 香菜ちゃん、いる? 夏休みの宿題、教えてよ。英語がぜんっぜん分かんないんだよね」

「……」

「ねえねえ、そこにいるんでしょ? 早く開けてくれないかな。お土産も持ってきたんだよ。香菜ちゃんが好きなミルクキャンディ、この暑さで溶けちゃっても知らないからね」

白黒のクマに支配されたあのおぞましい日々など最初からなかったのではないかと錯覚させる程に、何ら変わりない彼の声がそこにあった。
終業式の日から3週間ほどの時を経た今日、8月はもう後半に差し掛かっている。
まだ英語の課題が終わっていないなんて怠慢にも程があるんじゃないか、なんて、
あたしもあの世界を食い入るように見ていた日々など最初からなかったかのように、いつもの如く呆れたように笑って、悪態づきたくなってしまう。
けれどもあたしは、なかったことにしたくない。その気持ちはきっと彼だって同じはずだ。

ねえ、だからあんた、一番初めにあたしのところへ来たんでしょう。

ガシャン、と乱暴に扉を開ける。あたしよりも低い位置にある顔が、にっと笑ってあたしを見上げる。
けれどもその顔は一瞬にして固まった。あたしの顔が無様なことになってしまっているのが原因なのだろうけれど、もうそんなことに構っていられなかった。

「ずっと見ていたわ! あんたのこと、ずっと!」

拭ったはずの涙がまた溢れ出し、ぽたぽたと玄関の無骨なコンクリートを濡らした。夏の日差しがそれを照らして目立たせるものだから、いやに恥ずかしくなってしまった。

「あんたが程度の低い煽り文句で皆を振り回す姿も、死んでいった皆をこっ酷く嘲笑う姿も、モノクマを欺くためにたった一人で戦っていたところも、全部、全部見ていた!
あんたが手に入れた切符をどんな風に使うのか、一瞬たりとも見逃したくなくて、この3週間、ずっと見ていた!
あたしは、覚えているからね。あんたがなかったことにしたとしても、あたしはずっと覚えている。忘れてなんかやらないからね!」

「……あれ? 香菜ちゃん、見ないんじゃなかったの? ダンガンロンパは嫌いだって言っていたのに」

「そうよ、大嫌いだった。この3週間、あたしはずっと、大嫌いな世界で懸命に生きる大好きな人のことをずっと見ていたのよ。
だからかな、……今、王馬を見てもあまり懐かしいと思わない。ずっと一緒にいたような気さえするの」

彼は肩を竦めて「狡いなあ」と笑った。
それは、コロシアイのない平和な世界でこの3週間のうのうと生き長らえてきたことに対する発言だろうか。
あるいは3週間ぶりに会えたというのに、あたしが全くと言っていい程に懐かしさを覚えていないことに対するものだろうか。
それともあたしの、どさくさに紛れて投げた告白に対するものだったのだろうか。
特定はできずとも、今、困ったように笑う王馬が心地よい悔しさを覚えていることだけは理解できる。あたしはそれが嬉しくて堪らない。

「あたしは、あんたのように命を賭するような真似、できそうにないけれど」

「え、何? だからオレを好きになる資格がないとか、そういうこと、言うつもり?」

続きを概ね言い当てられてしまったことに苦笑していると、彼はコンクリートに染みた塩水の跡を自らの靴で隠すようにしてこちらに近付いた。
この炎天下を歩いてきたからだろう、あたしよりもずっと熱い指があたしの頬を乱暴に拭っていく。
その指の温度で火傷してしまいそうだと思った。それくらいの傷を負わなければ貴方を想うことなど許されないのではとさえ思えた。

けれどもそうしたあたしの発想をツマラナイものとして一蹴した彼は、大きな目をそっと閉じて、あたしの頬に置いた指はそのままに「ありがとう」と消え入りそうな声で囁く。
それは、この3週間ずっと彼を見ていたことに対する感謝なのか、それとも先程の告白紛いの言葉に対するものなのか、やはり分からなかった。
けれども分からないなりに、今此処で王馬が満足そうに、そして至極穏やかに微笑んでいることが嬉しかったので、あたしも早いこと泣き止んでやろうと、握った拳に力を込めた。

「知りたいこと、何でも話してあげるよ。香菜ちゃんが見ていなかった時間の出来事も、モニター越しじゃ覗けなかったオレの心も、全部、香菜ちゃんには話してあげる。
ね、聞いてくれるよね。ずっとオレを見守っていてくれた香菜ちゃんに、聞いてほしいことがいっぱいあるんだ」

「今から? あんた、まだ家にも帰っていないんでしょう」

「ああもう、察しが悪いなあ! こっちは3週間も香菜ちゃんのことを忘れさせられていたんだよ?
その分をこれからの夏休みで補ってもらわなきゃいけないの! 1日たりとも無駄にできないんだって!」

はいはい、と適当に同意しながら彼を玄関へ通す。飲み物はサイダーがいいと告げる彼のための炭酸飲料は、3週間前から消費されずにそのまま冷蔵庫の中にある。
今出してくるから部屋で待ってて、と小さな背中に声を掛けつつ扉を開ける。彼の分のサイダーとあたしの分の麦茶を用意していると、2階から、部屋の暗さに驚く声が降ってくる。
ああ、そういえば雨戸を閉めっぱなしにしていたのだった。そう思い、ごめんごめんと笑いながら階段を駆け上がる。
彼がいればもうきっと、蝉は煩くないはずだ。

2019.12.27
(コグマさんへ)

© 2024 雨袱紗