1100101

(本編第一章終了後、暇を持て余した二人の電子旅行)

夢を見ている。これは夢であることをあたしはちゃんと分かっている。
目覚めたとき、この世界で起きた出来事を知る人間はあたし以外に誰一人として存在しない。
この世界であたしがどれだけ幸せな想いをしているか、などということは、誰にも知りようがない。
そういう意味、あたし以外の人間にこの世界が共有されないという意味ではまさしくこれは夢であり、あたしはそれをとてもよく心得ている。
それでも、この世界の中にあるあたしの喜びやあたしの幸いは、本物だ。

砂浜の上に並べられた30を超えるカードの中から、あたしは無造作に3枚を取る。ひっくり返せば、サラサラと落ちる砂の粒の奥に文字が見える。
1枚目には『希望ヶ峰学園』、2枚目には『コテージ内』、3枚目には『元日』と書かれており、今日の旅行の行き先が決まったことにあたしはやや浮足立つ。
ここは夢の中であり、たった一人のAIを創造主とするあたしのための世界だ。

そんな世界へ、創造主の方からあたしを呼び出し、あたしではなく彼が楽しむために今回の電子旅行が始まろうとしているという事実が、どうにも嬉しくて堪らない。

創造主、イズルは、このジャバウォック島のバカンスめいた空気にほとほと不釣り合いな黒い服装に身を包み、3枚のカードを手にして微笑むあたしをいつもの仏頂面で見つめている。
スーツにも見えるその服は、あたしもかつて身に着けていた、希望ヶ峰学園の制服だ。勿論、予備学科の。
あたしの参加する新世界プログラム内において絶対的な位置を取る彼、創造主であり神を名乗っても差し支えないであろう彼にとって、服を変える、などということは造作もない。
にもかかわらず、彼はその制服を決して別のものに変えようとはしなかった。

その、面倒であるが故に結果として成立してしまっている、彼の執着めいたところを見つけてあたしは嬉しくなる。
表の世界が復興に向けて進みつつある今、予備学科の歴史というものはある種の反面教師的な位置に置かれ、あの悪習を繰り返さないようにしよう、と動いている有様だったけれど、
……それでも、あたしは本科への勧誘を蹴り、予備学科に入ったことを後悔していないし、そこでの暮らし、こいつと出会えたが故に送れたあの日々を否定していたくはない。

彼にとってもそうであればいい、と思う。
勿論、そんなまどろっこしい情緒の一切を排した彼が「服に拘りはないのでそのまま着ているだけです」と口にしたなら、しかしそれはそれで彼らしくてとてもいいと思う。

そんな彼があたしの持つカードに手を伸べる。あたしの心を読んでいるかのようなその指は、迷いなく『希望ヶ峰学園』と書かれたそれを選び取った。
そのカードを持った手を、宙を切るように砂浜の遥か向こうへと飛ばせば、あっという間にこの常夏の島は、希望ヶ峰学園予備学科の教室へと早変わりする。
あたしは当然のように予備学科の制服を着ていて、手元には親友から借りっぱなしのあの本を携えて、窓際の席に座っている。
彼は前の席の椅子に腰かけ、窓から差し込む夕日を見ている。

時間も、場所も、状況も、全知全能の創造主様にかかれば2秒と掛からず出来上がってしまう。にもかかわらず彼は、彼よりも随分と劣ったあたしをこの場に呼び出す。
呼び出して、そして、彼の有する記憶の寸劇を一緒に再現してほしいとその無表情の内に希うのだ。
まるで、あたしがいなければ彼の記憶はずっと欠落したまま、未完成のままであるような、そうした彼の振る舞いに眩暈を覚える。
悲しさと歓喜と後悔と期待が入り混じった、複雑な、重たく甘い眩暈だ。

「僕の立てた予測の通りに物事が進む。僕はそのように造られましたから当然のことでした」

ああ、こんな話をしたこともあった。あたしは微笑みながら、夕日を見ている彼の横顔へ語り掛ける。
これは、あたしがイズルを遊園地に誘う少し前の日だったような気がする。
全知全能で人の思考さえ読めてしまう彼が、あたしと会話をすることを「選んでいる」という、その行為に疑問を抱いていた頃のことだった。

「へえ、それは便利ね。あんたにとっては全てが必然で、何かに驚かされることも何かに期待したり失望したりする必要も全くないんだ」

「ええその通りです。僕の予測とこの現実の間には寸分の狂いも存在しませんでした」

「……それで? どうしてあたしにこんな話を?」

「貴方と話していると、僕の予測に誤差が生じることがあるんです」

へえ、と相槌を打ちながら、あたしもあの日の心地を思い出していく。
並の人間とは会話の形を取らずとも、その相手の考えていることが彼には分かる。脳内で編む言葉も、彼に告げようとする声の細部も、彼には全て、お見通しである。
故に彼は、会話をする必要がない。故に彼の声は、言葉は、並の人間のそれよりもひどく無感情で、抑揚の一切がなく、それ故に少し、頼りなくも感じる。

「それは貴方の言葉であることも、貴方の表情であることも、貴方のそうしたレスポンスを受けた僕の心理の変遷であることもありますが、
……いずれにせよ、そうした僅かな誤差は貴方を前にした時にだけ現れるものです」

「だからあたしのことが不快だって?」

「いいえ、その逆だと考えています。僕は貴方が生むこの誤差を、貴方の言葉を借りるなら「それなりに気に入っている」ということになるのでしょう」

そんなイズルがこうして、彼にとってはまどろっこしいことこの上ないはずの「会話」の形を取ってまで、あたしとの時間を過ごそうとしている。
そんな意思が、この完全無欠な彼の中に存在している。とんでもないことだ。驚くべきことだ。そしてあたしにとってはこの上なく、喜ばしいことだ。面白いことだ。幸せなことだ。

「貴方がくれるこの誤差を、僕は奇跡と呼んでみたいと考えています」

顔を歪めたあいつがそんなことを言うものだから、あたしは驚きを隠すことなく息を飲み、沈黙し、そしてお腹を抱えて思いっきり笑った。
ほら、何度聞いてもやはり、彼の口から覚束ない抑揚で紡がれる「奇跡」はこんなにも衝撃的で、こんなにも愉快で、そしてこんなにも温かい。

「奇跡だなんて、そんなおめでたい言葉、あんたに一番似合わない!」

満面の笑みでカラカラと笑うあたしに、彼はようやく視線を向けた。
夕日をたっぷり吸いこんだようなその赤い目がすっと細まり、顔をぎこちなく歪めた彼が「ええ、僕もそう思います」と返したのを合図として、
この、あたしと彼しかいない放課後の教室はガラガラと音を立てて崩れ落ち、そしてあたし達は再び、電子の波をくゆり別の場面へと降り立つのだ。
彼の手には『コテージ内』と書かれた2枚目のカードがある。
現実世界の台風襲来を反映したかのような豪雨がこのプログラム内に降り注いでおり、あたし達はコテージ内で大人しく時間を潰すことを余儀なくされたのだった。

「人は、好ましい相手に笑ってもらえることを幸福としたがるようですが」

ああそんなところから思い出を引っ張ってくるのか、と、あたしは少しだけおかしな気持ちになって小さく笑った。
「その傾向は貴方にも当て嵌まるんですか?」なんて、感情と表情を著しく欠いた彼がまるでそれを求めるかのように尋ねてくるから、
あたしは、らしくないことをしてくれるなという意味も込めて「まさか!」と吐き捨て、笑ってやったのだった。

「あんたが笑ったらそりゃあオモシロイと思うわ。でもそれだけかな。どんな表情をしていようがあんたの勝手でしょう、構わないわよ。
笑ってくれないから不安になるとか、笑ってくれると嬉しくなるとか、あたしがそんな女々しく心を動かせられるような人間じゃないことはあんたもよく知っているでしょう」

彼は「そうですね」と返した。それはいつもの相槌であり、それが無表情かつ無感情に返されてこそイズルであるはずだった。
あたしはそうしたイズルでよかった。それで十分だった。それ以上など望むべくもなかった。
けれども彼が思いのほか、ツマラナイ、という情緒をその相槌に滲ませていたものだから、そうした、彼らしくない豊かな抑揚をもって紡がれた「そうですか」だったものだから、
あたしはかなり驚いてしまって、何が彼の心にそうした揺らぎを与えるに至ったのだろうと慌てて考えなければならなかった。

「えっ、随分とツマラナイって顔をしているけれど、もしかして、躍起になってトランプとかゲームとか持ち込んで、意地でもあんたを笑わせようとあれこれ試した方がよかった?
それとも……あんたともあろう人が、あたしに笑顔を望まれてみたかったなんて、そうしたら心から笑えるかもしれないなんて、そんな無益で無駄でツマラナイことを本気、で……」

そう、この日あたしは知ったのだ。イズルが笑うと、槍が降るのだと。
歪みを完全に失った彼の、あまりにもささやかな一瞬の笑顔というものは、こんなにも私の心臓を抉っていくものなのだと。

「……なかなかに心地良い誤差をありがとうございます。貴方にも人の心を読む才があったとは思いもしませんでした」

その槍があたしの心臓に深々と刺さり、とても嬉しい気持ちにさせられてしまったのが非常に悔しかったものだから、
彼には決してできないであろう満面の笑みで「そうよ、羨ましい?」と告げ、ささやかな反逆を試みてやった。

「……」

そして今のイズルが3枚目のカードを取る。
『元日』と書かれたそれを右の手の平に置き、左手でそれを挟むようにパチンと叩けば、一瞬であたし達はジャバウォック島の砂浜へと戻ってくる。
そう、元日とは今日のこと。今日こそが1月1日であり、新しい年の始まりであり、そして、彼にとって特別な日なのだから、創造主の力で電子旅行をする必要などなかったのだ。

過去にばかり遡ってきたあたし達が、そうして電子世界上で生き直すように二人して歩んできたあたしと彼が、彼の望みにより今日へと戻されている。
彼が「今日」を望んだから、あたしはあの大量のカードの中から『元旦』を引くに至っている。
この創造主にかかれば、あたしがどのカードを選ぶのかなどということ、手に取るように分かる。その位置に、彼の望んだ選択肢を設けることなど造作もない。
つまり、『希望ヶ峰学園』も『コテージ内』も、彼にとって好ましい時間だったからこそ選ばれたのだ。
そうして『元旦』という今日を彼が望んだからこそ、あたしは今日という日にこうして新世界プログラムの中へとやって来たのだ。

今日という日が彼にとって特別である。その認識が彼に存在することをあたしはこの上なく嬉しく思う。
そして、そんな特別を認識した上で、彼が自らの世界に招く相手がこのあたしであることを、あたしはこの上なく幸せに思う。

「誕生日おめでとう、イズル」

「ありがとうございます。やはり貴方は僕の心をある程度読めるのですね」

「そんな大層な才能があるならもっと惜しみなく使うわよ。ただあたしが覚えていただけ。あんたの誕生日を祝いたいと思っていただけ。
……まさか、あんたが祝われること好ましく思ったり、その記念日にあたしと過ごすことを望んだりするなんて思わなかったけれどね」

ケーキも焼いていない。プレゼントも買っていない。
用意したところでそれらをプログラム世界内には持ち込めないし、彼が今更、そのような「モノ」を好ましく思うとは思えない。
だからあたしは何一つ持たずに此処へ来た。たった一言の祝福を告げるためだけに此処へ来た。来るつもりだった。でも来る前に、呼ばれてしまった。
これじゃあまるで、あたしがプレゼントを貰っているみたいだ。

「イズルのこと、生まれてほしいと望んだのはハジメだけど、生きてほしいと望んだのはこのあたしよ。あんたが拒んだって、そう簡単に一人にしてなんかやらないわ」

「ハジメの脳にいる方の僕はともかく、此処で構築された僕は貴方よりもずっと永く生きますよ。0と1になってまで僕の永遠を盗りに来るつもりですか?」

そのような覚悟など貴方にはないだろう、というような軽い挑発が、その歪んだ顔に書かれている。
だからついでにもう一つ、こいつの大好きな誤差をおみまいしてやることにしよう。

「それもいいわね。あんたの技術があれば造作もない事だろうし。……ねえ、いつかあたしを迎えに来てくれる?」

貴方の手により0と1の世界へ招かれるのだ。何を恐れることがあるというのだろう。
案の定、訪れた「誤差」にイズルは目を丸くして驚く。その表情がなんだか愛しいもののように思われてしまって、あたしは笑う。
ねえイズル、あんた最近、随分と上手になったじゃないの。会話も、笑顔も、生き様も!

2020.1.1
(1100101 → 101 → 1/01 → 1月1日 → カムクライズルおよび日向創の誕生日)

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