(ロケット団に属する女性と男性の、少し尖ったささやかな愛の言葉)
※参考曲「BLODDY CAESER ~Kenka~」
誰か、誰か、助けてください。そうした悲劇のヒロインめいた声音で叫んでみても、此処はシルフカンパニーであり、私は悪の組織のロケット団員だ。
故にそうした声はどうにも滑稽で、皮肉めいたものに聞こえてならなかった。
声を発した当人である私でさえそのように思ってしまったのだから、そこを通りかかった彼にそう思われてしまったとして、それは仕方のないこと、当然のことであったのだろう。
彼は下っ端らしからぬ緩慢な足取りで、ニヤニヤと笑いながら歩み寄ってきた。
私は彼の上司ではないから、そうした態度を取られたところで「無礼だ」と憤慨する道理などありはしなかった。
ただ、腹が立った。気に食わなかった。そんな風に笑わないでよと駄々を捏ねたくなった。
まるで子供のような稚拙な感情を、けれど私は寸でのところで押しとどめて、彼を呼んだ。
「ねえお願い、助けてよ。どっちへ行けばいいか解らなくなっちゃったの」
「……おいおい、こいつは驚いたな。いつからお前はロケット団に歯向かう正義の味方になったんだ?」
「もう!こんな時に冗談を言わないで。私はサカキ様に侵入者の報告をしに行きたかっただけなの。ランス先輩に頼まれているんだから、急がなくちゃ」
それなのに、何処の誰かがこんなにもややこしいワープパネルを設置したせいで、私までこの罠にかかることになってしまった。
ミイラ取りがミイラになるとはきっとこういうことを指すのだろう。けれど私はこんなところで干からびる訳にはいかなかった。
このワープパネルという砂漠を抜けるためならば、私は意地悪な風に笑うこの男の助けだって乞うてみせる。
「人にものを頼む態度がなってねえなあ、アイラ」
驚いている場合ではないのに、私はその一瞬、たった1秒を、ロケット団のためにではなく私のために使うことを選んでしまった。
私は、私に居場所を与えてくださったサカキ様のためではなく、私の、私だけのために息を飲んだのだ。
「名前」を覚えられるような名誉を私は授かったことがない筈なのに、どうしてこの意地悪な下っ端は私の名前を知っているのかしら?
「……出られなくなってしまったんです。お願い、助けてください!」
けれど一瞬、本当に1秒だったのだ。それ以上を私だけのために砕く心持ちではいられなかった。
もっと時間と心に余裕のある状況であったなら、強がってみせたり、暴言を吐いたり、名前を呼んでもらえたことに喜んだり、そうしたことがきっとできたのだろう。
けれど今ならその全てを捨てられた。「私」など知ったことではなかった。
私はロケット団の下っ端。サカキ様のために働く、一人の団員。ただそれだけの存在だ。そして私はそのことに、誇りを持って生きている。
乞うように叱るように縋るように睨み上げれば、彼は私の勢いに気圧されたかのように一瞬だけ眉をひそめ、けれどすぐにポケットのボールからゴルバットを出してくれた。
私の襟首をゴルバットはくわえ上げて、バサバサと大きな翼を羽ばたかせて私を砂漠の外へと連れ出してくれた。
「本当にありがとう!」と大きく手を振れば、「おう、気を付けろよ」という声が飛んできた。
視界の端で彼がひらひらと気怠そうに右手を上げるのが見えたけれど、私はそれをしっかりと目に収める余裕さえなかった。
ただ、急いでいた。砂漠での遅れを取り戻さなければと、そればかり考えていたのだ。
けれど私はその役目を果たせなかった。エレベーターのところで「少年」と顔を合わせてしまったからだ。
「……」
赤い帽子の下、幼さの残る瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。
私は私の誇りが、サカキ様のために働く者としてのかけがえのない矜持が、
私に貼り付けられた「悪者」という下らない値札によって、バリバリと殺がれていく音を、聞いた気がした。
*
……というように、3年前の砂漠はカントー地方のヤマブキシティだった。けれど今回の砂漠はジョウト地方のコガネシティである。
サカキ様を失ったロケット団は、けれど活動の拠点をジョウトへと移し、水面下で着々と力を付けてきていた。
ボスの座はずっと空席であり、そこを最高幹部のアポロ様が守り続けている。3年前は私の先輩だったランスさんも、幹部になった。
私の地位は3年が経っても、あまり変わっていない。
昇進を望まなかったというのもあるけれど、何よりこういう「抜けた」ところを有したままでは到底、人の上に立つことなど叶わないのだ。解っていた。
今回の私の役目は、ラジオ塔の会長を閉じ込めている地下通路の監視だった。
けれど赤いリボンの帽子を被った、幼さを残す瞳の女の子に私は早々に敗れていて、戦えるポケモンを一匹も有していない私が、此処でできることなど最早何もなかったのだ。
にもかかわらず此処を出ていないのには理由があった。それはこの複雑な造りをした地下通路が、3年前のワープパネルという砂漠を思い出させる空間であったからである。
つまり……出られないのだ。閉じ込められてしまったのだ。この機械、という不気味なものとは3年経っても悉く相容れない。
私は溜め息を吐こうとして、けれど寸でのところでその息をぴたりと凍り付かせることになった。
足音が聞こえてくる。
恋のいいところは、階段を駆け下りてくる足音だけでその人だって分かることだ、などという言葉をはて、私は何処で聞いたのだろう?
私は学べなかった。そんな環境がある筈もなかった。けれどこの言葉はよく覚えている。
成る程、足音に愛しさを滲ませるなどという健気な行為が「恋」なのかと、妙に感心してしまったことを覚えている。
そして恋などというものをしている筈がないのに、私はその足音が「誰」のものであるのか、不思議なことにとてもよく解っている。
「ねえ、いるんでしょう?」
「……アイラか?」
扉の向こうから聞こえてきた懐かしい声、その主である「彼」は私の名前を覚えている。
組織の末端で細々と生きているような私の声と名前を認識している人物が、この扉の向こうにいる「彼」をおいて他にいないことを私は知っている。
変なの、と思った。私は彼に恋などしていないし、彼だってそうである筈なのに。
「なんだよ、ざまあねえなあ。また出られなくなっちまったのか?」
「また」だなんて、おかしい。変だ。そう思って私は唇をぎゅっと噛んだ。悔しさを示す動作ではなく、もっと不思議で不気味な感情を示すものだった。
強く噛み過ぎたらしく、舌にふわっと鉄の味が広がった。構わなかった。
だってその「また」はもう3年前のことである筈なのに。
ロケット団に生きる全ての人が必死だったから、3年という月日は確かに嵐のように過ぎ去っていったけれど、それでも、3年である筈なのに。
「ちょっと待ってろ」と乱暴に告げて、彼は遠くの方へと駆けていった。
3年前はゴルバットを使って、力技で助けてくれたけれど、今回は機械の操作でこの難解なパズルを解くことでしか扉は開かない。
そして私が下手に機械を弄ると益々、厄介なことになってしまうのが目に見えていたから、やはり私は沈黙して、彼の操作が終わるのを待つしかない。
けれど彼はこういったものに堪能であったようで、ものの数分で私と彼とを隔てていた扉はガシャンと開き、
その向こうで呆れ顔の彼が、やれやれといった風に大仰な肩の竦め方をして、待っていた。
「……ありがとう。また助けてもらっちゃった」
「へへ、間抜けもおっちょこちょいも相変わらずだなあ」
「ええ、でもごめんなさい。貴方の辛口に私も言い返したいのだけれど、時間がないの。ポケモンを元気にして、それからラジオ塔へ加勢に行かなくちゃ」
そう告げて冷たい地下通路の床を蹴ろうとした私の腕を、彼は強い力で掴んだ。
驚き、振り返り、彼の目を見て、どうしたの、と尋ねようとした。けれどできなかった。彼が黙ったまま首を小さく横に振ったからだ。
一言も声を発さずとも、何故止めるの、などと尋ねずとも、私にはそれが何を意味しているのかとてもよく、解ってしまった。
きっと私も3年前、同じような表情で、私の矜持がガラガラと殺がれていく音を聞いていたに違いなかったからだ。
また、子供の姿をした「正義」に私達はビリビリと破き殺がれたのだと、もう全てが終わった後なのだと、そうした何もかもを彼の目から汲み取ってしまったからだ。
「変なの。それじゃあもう、貴方がこんなところに来る理由なんかない筈なのに。どうして貴方はこんなところに来たの?」
「……誰かさんがまた閉じ込められて、ぴいぴい泣いてやいねえかと思ってな」
「……ふふ、大丈夫よ。貴方が一緒に悲しんでくれているから、私、泣かずに済んでいるの」
馬鹿じゃないの、泣かないわよ。悪役は泣いたりしないのよ。それだって私の矜持なのよ。そう言い聞かせれば、込み上げていた筈のものは都合よくそっと冷めていった。
これは恋なのかしら。彼が来てくれて嬉しいのかしら。よく解らなかった。けれど彼が此処に来てくれたから、辛うじて私は泣かずに済んだ。
共に悲しめば、その絶望は半分になった。それだけは確かだった。
……大丈夫、泣かなくたっていい。ロケット団が潰れたとしても、私の生きる意味は潰れない。
確かに私はロケット団のために、サカキ様のために生きていたけれど、この組織が無くなることは、私の生きる意味の、私の生き甲斐の終わりを示している訳では決してない。
「でも狡いわ。貴方だけ私の事を知っているなんて。私はまだ貴方の名前も知らないのよ」
「もう会うこともない男の名前なんざ、知らなくたっていいだろう」
「それじゃあこれからも会いましょうよ!」
笑いながらそう告げて、名前も知らない男の腕ではなく手を取る。ああ、存外温かいものなのだと、そうしたことに気付いてどうにもおかしくなる。
悲しくない。悲しんではいけない。泣いてはいけない。そんなことをしたら、貴方が此処に来てくれた意味がなくなってしまう。
「一緒に何処へでも行きましょうよ。私達は悪い大人なんだから。生きるためなら何だってできるわ」
彼は暫く私に手を引かれるままにしていたけれど、やがて私の手を強く握り直して、ぐいと歩幅を大きくして私の前へ出た。
「しゃあねえなあ!」と彼は笑いながら、空いた方の手でロケット団の帽子をぐいと深く被り直した。だからその時の彼がどんな顔をしたのか、私には分かりようがなかったのだ。
2017.3.15
(岩牡丹:サボテンの一種、白い花を咲かせます)
イチさん、1日遅れてしまいましたがハッピーバースデー!