恋の方程式は

(ポニ島の美しさに魅入られた画家と、ピカチュウを連れたポケモントレーナーの話)
※サンムーンの夢企画サイト「月兎」さまへの提出作品

この水辺には蓮の葉が浮かんでいる。けれどその蓮は決して花を咲かせない。
まるでこの場所の鮮やかさを全て、上空に煌めく藤の花に譲り渡しているかのようだった。私はいいからさあどうぞと、その丸い葉がどうにも遠慮しているような気がするのだ。
そういう訳で今日も藤は美しく垂れ下がっている。藤以外の植物はこの空間において悉く沈黙している。草むらでさえ、少し色を抑えているように見える。

ポニの花園。それはこの藤の花を世界一美しく見せるために、全ての自然が色彩を譲り合った結果生まれた、奇跡の場所である。
初めて見たとき、私はひどく驚いたものだった。高く伸びた枝から藤が垂れ下がり咲いている様は、葡萄のようで、シャンデリアのようで、言葉にできない程に美しかったのだ。
勿論、藤の花は葡萄のようには食べられない。けれどこの花の蜜を求めてオドリドリがやって来る。紫色のオドリドリを野生で見ることができるのは、此処だけだ。
藤の花はシャンデリアのようには光らない。けれど水辺がその紫を反射してキラキラと瞬いている。朝は淡く、夕方は眩しく煌めくそれは、水晶の輝きにだって劣らない。

美しい水辺、美しいオドリドリ、美しい藤、美しい沈黙。これほどまでに魅力的な光景を私は他に知らない。
ジョウト地方にある真っ赤な紅葉も、カロス地方にある豪華な庭園も、この場所の静かな調和にはきっと叶わない。

だから私は此処でキャンバスを広げている。奇跡のような静けさは今日も此処にあって、きっと明日も同じように静かで美しいのだろうと、解っているけれど私は絵を描く。
もしかしたらいつか、この静けさが崩れてしまうかもしれないから、流れる時がこの調和を乱してしまうかもしれないから、そうなってしまったときのために私は絵筆を握る。
過ぎる一瞬を、今だけは確実に美しく存在している一瞬を、切り取ってしまいたくて、永遠にしてしまいたくて、油絵の画材を勢いよく広げる。

絵画は過ぎる一瞬を永遠にするための、私の、私のためだけの作業だ。

「……」

もっとも、私のためだけの作業、などと言えていたのは、ついこの間までの話だ。
数日かけてこの花園を歩き回って、一番のお気に入り、と言える場所を見つけた私は、水辺の近くにとびきり大きな30号のキャンバスを立てかけて、下塗りをしているのだけれど、
そんな私から1m程離れたところにそっと座って、私の筆先をじっと無言で眺め続けている少年がいるのだ。
……いや「少年」などと呼ぶべきではないのだろう。彼は私よりもずっと背が高かったし、顔立ちだって大人びていた。
けれど私はその人のことが、何故だか小さな男の子であるようにしか見えなかった。確かに大人の姿をしているにもかかわらず、「少年」と形容してしまいたくなるのだった。

その人は私の斜め後ろに、所在なくすとんと足を投げ出すように座った。ボールからピカチュウを取り出して、静かに仲良くじゃれ合っていた。
その合間に、空を見上げたり足元の草を結んだりといった、子供さながらの所作を繰り返しては、時折、思い出したように私の筆先にじっと視線を結んだ。

彼の行動はおそらく不審なものであり、私はその不審の煽りを食らう被害者の側であったのだろう。
故に「見ないでください」と眉をひそめて苦言を呈することも、そそくさとキャンバスを畳んで別の場所を探すことも許された筈だった。
にもかかわらず、私は何も言わず、何処にも行かず、ただ此処で同じように絵を描き続けている。彼の方もそれを無言の了承と受け取ったのか、毎日のように此処を訪れている。

何故、彼の不審な行動を咎めなかったのか?何故、彼の傍から立ち去らなかったのか?その理由は大きく分けて、二つある。

一つ目はこの場所が、吟味に吟味を重ねた上でようやく見つけ出した、ポニの花園のベストスポットであったからだ。
この場所、この角度からどうしてもこの景色を書きたかった。私の切り取りたい永遠は此処にしかない。一歩でも場所を違えるとその景色はもう私の欲した形をしてはいない。
此処しかなかった。先にこの場所に居座ったのは私だ。故に譲歩することができなかった。彼に譲ってしまうのは、どうにも悔しいことであるように思われてしまったのだ。

二つ目は彼が「いる」という事実に、少なからず恩恵を貰っていたからだ。
一人でずっとキャンバスに向き合っていると、どうしても「怠惰」という悪魔に襲われそうになる。
今日はこの辺でいいんじゃないかなと、景色の美しさも相まって、そんな怠慢を働いてしまいそうになる。
そんな私を、彼の存在が、彼の視線が、彼の沈黙が、そっと咎めていてくれた。
「昨日は3時間も頑張っていたのに、今日は1時間で帰ってしまうのかい?」と、その無言のうちに窘められているような気がしたのだ。
勿論、彼は何も言っていない。けれどその沈黙が私にとっては適度に心地良く、また彼のおかげで、私は適度な緊張をもって絵筆を握り続けることができていたのだった。

「いつも、絵を見に来てくれてありがとうございます」

絵を描き始めて1週間が経った頃、私は予め購入していたサイコソーダを彼に差し出した。
彼は赤い帽子の奥で驚いたように目を見開いていたけれど、やがてその大きな手をそっと伸べて、サイコソーダの缶を受け取ってくれた。
小さく頭を下げる素振りをした彼は、もしかしたらアローラの人ではないのかもしれない。その「お辞儀」は、私の生まれ育ったジョウトにも馴染みのある風習であったからだ。

故郷を思わせる懐かしい動作に思わず笑みを零しながら、彼の隣に腰掛けて、「君の分もあるんだよ」とサイコソーダの缶をもう一本取り出した。
プルタブを開けて差し出すや否や、彼の腕の中にいたピカチュウは、とても嬉しそうに鳴いてぴょんと飛び出してきた。
彼が持てば小さく見える缶も、ピカチュウが抱えれば随分な大きさに思えてしまう。夢中でゴクゴクと飲み下すその黄色い喉は、どうにもやはり愛らしい。

「絵が、好きなんですか?」

そう尋ねれば、彼は暫くの沈黙を置いてから、少しだけ首を捻った。
それは「絵なんか好きじゃない」という否定のサインであるというよりはむしろ「絵が好きであるのかどうか解らない」という疑問の表情であるように思われた。
「僕は本当に絵が好きなのだろうか?」という、まるで幼子のように純粋な自身への疑念が、その捻られた首には込められていた。
こういうところが、やはりどうにも「少年」だった。青年と呼ぶには、この人はどうにも覚束ないのだ。

「私の絵は嫌いですか?」

すると彼は大きく首を横に振って、許しを乞うように私を真っ直ぐ見つめるものだから、いよいよおかしくなって吹き出してしまった。
彼は自分から決して言葉を発さない。声が出ないのか、出したくないのかは解らないけれど、とにかく彼は「はい」か「いいえ」という意思しか示さない。
それでもよかった。構わなかった。それを特に不自由だとは感じなかった。帽子の奥で揺れる彼の目は随分と雄弁であったからだ。
「よかった!」と肩を竦めて微笑めば、彼も安堵したかのように目から不安の色を消した。

「こんなにも大きなキャンバスに描くのは初めてで、少し不安だったんです。だから貴方に見ていてもらえてとても嬉しい」

「……」

「もしよければ、明日も来てください。この絵が完成するところを、貴方にも見てほしい」

彼は赤い帽子のつばに手をかけつつ、大きく頷いてくれた。帽子を深く被り直してしまったせいで、私は彼がどんな表情をしているのかよく見えなかった。
サイコソーダを飲み干したピカチュウは、私の膝の上にぴょんと飛び乗った。少しだけ躊躇ったあとでそっと頭を撫でれば、心地良さそうに目を細めてくれた。

「私、アイラといいます」

そう告げて、私は右手をそっと彼の方に差し出した。
彼は不思議そうに私の、紫色の絵の具で汚れた手の平を見ていたけれど、やがて私の示した手の意味に気が付いてくれたらしく、そっと指を伸べて私の手の平に字を書いてくれた。
どうやらこの不思議な男性の名前は「レッド」というらしい。

それからも私は毎日、ポニの花園へと足を運び、定位置に30号のキャンバスを広げ続けた。
夢中になってキャンバスに紫色を置いていると、彼はいつの間にか私の斜め後ろにやって来ている。
膝を無造作に崩して座り、ピカチュウをボールから出して、じゃれ合いながらたまにふと、こちらを見る。それが、ただそれだけのことが嬉しくて、私は絵筆を持つ手に力を込める。

「こんにちは!」と振り返って挨拶をすれば、ピカチュウは元気よく右手を上げて挨拶をしてくれる。彼は静かにぺこりとお辞儀をしてくれる。
絵を見に来てくれるお礼にと、毎日、サイコソーダやフエンせんべいを用意して、静かな一人と賑やかな一匹に渡した。
彼の分までピカチュウが元気に喜んでくれるのがどうにもおかしく、また嬉しかった。

油絵は絵の具が乾くまで時間がかかるから、私はよく彼の隣に寝転がって時が流れるのをただぼんやりと待った。沈黙を当然とする彼の傍はどうにも居心地がよかった。
仰向けに寝転がると、藤色のシャンデリアが眩い灯りを降らせているかのように思われた。
そんなことを考えていると本当に藤の花が一枚、二枚と降って来ることがあって、その幻想的な光景に、私は子供のようにはしゃいでいた。
彼はそんな私を暫く見ていたけれど、私の真似をするように、隣に寝転がって藤を見上げるや否や、その目を大きく見開いて驚愕と感動を露わにした。
綺麗でしょう?と尋ねれば、彼の整った鼻先に藤の花が落ちてきた。頷きながら子供のようなくしゃみをして藤を吹き飛ばす彼がおかしくて、笑った。

私の描く絵を見てもらえることが嬉しかった。この景色と一緒に、この時間まで絵の中に収めているようで、とても満たされていた。
私の好きな景色を共有できることが楽しかった。一緒に飲むサイコソーダは最高に美味しかった。
楽しくて、嬉しくて、幸せで、どうにも名残惜しく思えてしまったから、私は彼とピカチュウを、仕上がりかけていた絵の中に小さく、描き込んだ。

それを「恋」かと問われれば、確かにそうであったのかもしれなかった。

昨日も来てくれた。今日も来てくれた。きっと明日も来てくれる。この絵が仕上がるまではずっと来てくれる。
けれどこの藤がいつまでも咲き続けることなどできないように、彼もまた、同じところに留まることなど在り得ないのだ。
だから私は彼を描いた。彼がいなくなってしまっても、思い出せるように。楽しかったのだと、嬉しかったのだと、幸せだったのだと、そうした全てを鮮やかに覚えておけるように。

どういう訳だか、私と彼とはこの場所で会うことが叶った。同じ場所、同じ時間に、彼と私が確かにいた。
けれどそんなことはただの偶然で、取り立てて騒ぎ立てる程のことではなかったのだろう。
それでも私は「其処」に、もっと大きな何かを見たかった。幸運とでも呼べそうな、運命の幸いを見たかった。奇跡とでも呼べそうな、稀有な足跡を見たかった。
そうした点において、やはりこれは恋であったのだろう。

私はきっと恋をしていた。それは葡萄より甘く、シャンデリアより眩しい恋だった。藤のように静かな恋だった。

2017.4.2
→ 「導けない

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