Epilogue

A、雪山救助から1か月後、鋼鉄島に届いた手紙
こんにちは。寒さが益々厳しくなってまいりましたが、如何お過ごしでしょうか。

私は1か月前、お二人に命を助けていただいた者です。危ないところを助けてくださり、息子共々、本当に感謝しています。
あの激しい吹雪の中、遭難した私達が見つけ出されることなど在り得ないだろうと思っていたのですが、お二人は、見つけてくださいました。
奇跡のようなことだと考えています。おそらく何か大きな力が、私達の目には見ることの叶わぬ大きな幸運が、働いたように思われてなりませんでした。
お恥ずかしいことに、私はつい先日までずっと、本当にずっとそう思っていました。
けれどそうではなかったのだと、お二人に救助の依頼をした私の身内が教えてくれました。

ゲン様、アイラ様。お二人には私達の「声」が聴こえていたのですね。
冷たい氷の吹き荒ぶ中、口を開き喉を震わせることさえできず、ただ沈黙していた筈の私と息子の「声」を、お二人はしっかりと聴いてくださっていたのですね。
だからこそ、視界も開けず吹雪の音しか聞こえなかった筈のあの場所で、お二人は私と息子の「波動」を拾い上げてくださっていたのですね。
命を救われてからずっと、私が感謝し続けてきた奇跡というものは、他の誰でもない、お二人が起こしになったものだったのですね。

お二人のその力がどういったものであるのか、私には皆目見当もつきません。
「波動」がどういったものであるのか、何故お二人がそのような力をお持ちであるのか、私は何一つ存じ上げません。
けれどただ一つ言えるのは、お二人のそれは奇跡を起こす力であるということです。お二人は私と息子のために、その尊い力を振るってくださったのだということです。
私と息子の命を真に救ったのは、幸運などではなく、ゲン様とアイラ様であったのですね。

是非改めて、直接お礼を申し上げたいと思ったのですが、お二人はきっとその優しい奇跡を、惜しむことなく他の方にも使っておられるのでしょう。
ご多忙のお二人の時間を頂戴することがどうにも憚られてしまいまして、今回、手紙という形を取らせていただくことにいたしました。
乱文に目を通してくださり、ありがとうございます。これからも益々のご活躍をお祈りしております。

奇跡を起こす波動使いのお二人へ


B、登山という趣味を手に入れた男の再会
「構わない。このくらいの額なら私個人で出せる」

決して少なくはない金額だった。にもかかわらず、ギンガ団のボスは二つ返事でそのカフェへの投資を快諾した。
「アカギ様がまたあいつの尻に敷かれている」などと、傍にいた下っ端たちが途端に囁き始めてしまった。
更に「そうよ、アカギ様はあの子の虜なの」などとマーズが彼等をはやし立てるものだからいよいよいけなかった。
けれどサターンはそうした彼等の騒がしい空気を笑って許していた。笑って許せる程の時が「あれ」から経っていたのだ。

「ただ、君の目利きを疑っている訳ではないが、見ず知らずの相手に金を出すのには些か抵抗がある。一度、その二人に会いに行こうと思うが、構わないか?」

「大丈夫だよ!じゃあ私から二人に連絡を入れておくね。アカギさん、本当にありがとう!」

ギンガ団がこの10歳の「猛毒」を招き入れてから、既に2年が経過していた。
今では誰も、彼女が此処にいることを不審になど思わない。寧ろ彼女がいないことの方が団員をいっとう不安にさせていた。
「断りもなく訪問を絶やすな」と、ボスが苦い顔で彼女を咎めていた記憶はまだ新しい。
普段は彼女を叱ったりしない彼の、その少しばかり厳しい言葉は、彼女にとってひどく堪えるものであったらしく、
その日以来、彼女がこのビルを訪れなかった日は、少なくともサターンの記憶している限りでは、一度もなかった。

「アカギ様、同行してもよろしいでしょうか」

サターンは苦笑した表情のままに席を立ち、彼にそう声を掛ける。彼もまた、2年前には見せなかった、困ったような弱い笑顔で「ああ、よろしく頼む」とサターンに告げる。
この、堂々とした面構えでいながらその実とても口下手で人見知りなところのあるボスが、ボスたる威厳を保ったままに口を開くには、
彼をそれなりに理解している人物が近くにいて、彼のぎこちない言葉を即座に補足する必要があった。
そうした場面において、選ばれるのは大抵の場合、サターンであった。彼の足りない言葉を補うには、彼が心から信頼しているこの10歳の猛毒は少々、幼すぎたのだ。

……さて、そうして翌週の日曜に、ボスとサターンと少女の三人はミオシティへと赴くことになったのだが、そこでサターンは思いもよらない再会を果たすことになる。
ボスが口を開くより先に、サターンは思わず「あ」と零していた。
向こうの女性もサターンに気が付いたらしく、「貴方は!」とその黒い瞳を宝石のようにキラキラと瞬かせて、駆け寄ってきた。

「覚えていらっしゃいますか?1年前の冬に、貴方に道案内をしていただいた者です。まさかまたお会いできるなんて、思ってもいませんでした!不思議なこともあるんですね」

ああ、とサターンは思わず目を細める。
地図を持っていない、町の場所を知らない、ポケモンセンターの利用をしたことがない……。
そんな彼女のことを、サターンもしっかりと覚えていた。忘れるには、あの時の彼女は少し個性が過ぎたのだ。
嬉しそうに頬を綻ばせる彼女を、少し離れたところで同じ色の髪を持つ長身の男が困ったように笑いながら眺めている。
彼女はもう悲しくなどなかった。よしんば悲しくとも、もう彼女は独りではなかった。

「会えたのだね、よかった」

独りでさえなければ生きていかれる。サターンもこの女性も独りではないから、生きている。
彼にはそれがどうにも嬉しいことのように思われてならなかった。笑いたくなったのだ。


C、80℃を見守る竜
その言い伝えが、教えが、利己的な人間の利己的な紛いものに過ぎないということを、この竜はもう何十年も前から、知っていた。
けれど人の言葉を操れない竜は無力であった。竜は静かに、見守ることしかできなかった。

波動の力は遠い昔から、この村において静かに受け継がれていた。
波動を使いこなせる人間である彼等は選ばれた民族であった。それはやがて世界を支配する可能性をも持つ力であった。少なくともこの村ではそう信じられてきた。
彼等は優れており、それを否定する者は誰もいなかった。

やがて文明が発達し、人々は容易に他の村や町と交流を持つことができるようになった。
この村にも外の人間が移住してきた。村から出て行った人間も昔は少なからず存在していた。新しいポケモンと出会い、人々はそのポケモンとも助け合って暮らすようになった。
けれどそうした二人の間に生まれた子供は、波動の力をすっかり忘れてしまっていた。外の世界のポケモンは、波動の力を使いこなせていなかった。
波動の尊い力は外と交わると消え失せてしまうのだと知った一族は、村の外との交流を完全に経ち、リオルとルカリオ以外のポケモンを所持することを禁じた。

それから数十年、村はずっと閉じられたままであった。

村人は村から出ることを許されていなかったが、閉じた小さな村だけで最早、まっとうな生活など成り立つ筈もなかった。
そのため、村の外からあらゆるものを交易するための「交易者」が村の中で定められていた。
交易者は専ら、モンスターボールを授けられた一人前の波動使いであった。一人前の波動使いと認められた彼等だけが、村の外を知る権利を得ていた。
交易者によって、ささやかな文明の利器、食材、衣類が村へと送り込まれた。それ以外に、この閉じた村には何も入ってこなかった。彼等自身が拒み、彼等自身が阻んでいたのだ。

数十年が経っても、村からは脱走者が現れることはなかった。村の外の、便利で快適な暮らしを目撃していた交易者でさえ、村を離れることを選ばなかった。
何故ならこの交易者は一人前の波動使いであり、いわゆる「村のうまみ」を得ている側の人間であったからである。
一人前の波動使いと認められた者の地位は、この村ではとても高い。汗水たらして働かなくても生きていかれた。彼等は波動さえ使えれば「優れた存在」でいられたのだ。

また、村の外では「波動」の概念がなかった。
波動ありきの村に生きる交易者が外の世界に飛び出せば、輝かしい地位も力も全て失い、普通以下の人間に成り下がるしかない、ということを彼等はとてもよく解っていた。
加えて村では「波動の力を持たない人間は劣等生だ」という教えが当然のようにあった。
波動の力を持たない劣等生に、教えや助けを乞わなければ生きていかれない世界。……彼等にとってそこは耐え難い屈辱の場であったことだろう。故に、誰も出て行かなかったのだ。

村を脱走しようとするのは、決まって低く弱い地位にある人間であった。弱い地位にある人間は当然のように村の秘密を知らず、ギラティナが酒を飲むこともまた、知らなかった。
故に脱走を試みても、ギラティナを装った「監視者」に、……すなわち見張りの波動使いやそのルカリオに、暗闇から攻撃を仕掛けられ、失敗に終わるのが常であった。

……数十年の時を経て現れた久しい脱走者は、優秀な波動使いであった。彼もまた、一人前の波動使いとして認められ、「交易者」と「監視者」のうまみを得る筈であった。
けれど彼は拒み、逃げた。自らに授けられるとてつもない優遇を捨ててまで、外に出たいと望んだのは彼が初めてであった。竜はそうした彼の心をずっと見ていた。

更にその1年後、ギラティナの正体に勘付いた少女が村を出た。
自身が無力な生き物であること、誰かの力を借りなければ生きていかれないこと。それらをよく知っていた彼女は、助けや教えを乞うこと、感謝の言葉を紡ぐことを躊躇わなかった。
彼女は真に村の外で生きる力を有した人間であった。竜はそうした彼女の心をずっと見ていた。

この二人は、閉じた世界であるこの村に2冊の本を残していった。
その本を見つけた六番宿舎の子供達もまた、外を夢見て、外に焦がれ、外に出たいと願うようになった。彼等はギラティナに傷付けられることを覚悟の上で、夜、宿舎を抜け出した。
けれどギラティナは、監視者は、彼等を見つけなかった。何故なら監視者に攻撃を仕掛け、混乱の隙に子供達を手引きする者がいたからだ。

子供達は赤い翼に青い体躯を持ったその竜を、親愛と感謝の気持ちを込めて「ボーマンダ」と呼んだ。

それ以来、村からの脱走者は一人、また一人と増えていった。
真っ直ぐな心を持った子供達、勇気を奮って村を飛び出した子供達に、竜は敬意を表するかのように力を貸した。月夜の下、赤い翼を追いかけて幾人もの子供達が森の中を駆けた。
この閉じた村が80℃を保てなくなるのも時間の問題だろう。
竜はその日をずっと待っている。この村で温められ続けた80℃の怪物が、人の温度に戻る日を、待っている。

竜は初めて自分をボールに収めてくれた波動使いの青年にもう一度会いたかった。竜は初めて自分のために泣いてくれた心優しい少女にもう一度会いたかった。
竜が決して二人を忘れなかった。竜は一匹で戦っていたが、独りではなかった。

だから竜はその日をずっと待っている。村の潰える日を、全ての人が自由になる日を、二人に会える日を、待っている。


2017.3.12

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