Ending

「私達が波動を使い続けている理由は、これで全てだ」

空になったコーヒーカップをそっと取り上げつつ、ゲンさんは私にそう尋ねる。
限界まで砂糖を入れたカップの底には、溶けきれなかった甘い結晶が小さな渦を作っていて、彼はそれをチラリとこちらに向けて苦笑する。私も肩を竦めて笑ってみせる。

彼等の髪が不思議な、黒曜石の色をしている理由。二人に波動の力という稀有なものが授けられた理由。二人が閉鎖的な村に生まれてしまった理由。二人が、二人で在る理由。
説明が付くことも、納得のいかないことも、道理も不条理も混ぜこぜになっていた。故に彼等の物語は少し「散らかっていた」。とても人間らしい様相であった。
だからこそ、彼等は嘘を言っていないのだと私は確信することができたのだ。

人の記憶、憂愁、憎悪、拒絶、覚悟、平安。それら全てを振り返ったときに、その歴史が「おかしく」「異常」であるのは普通のことだ。
理路整然とした言葉であればある程、美しい物語であればある程、どうにも胡散臭い。人間というのはそこまで合理的な生き物ではないことを、私は知っているのだ。

二人の物語は、ただ楽しいだけのものでは決してなかった。そして二人はその楽しくないことを決して隠さなかった。二人はもう「80℃であったことを恐れない」のだ。
だからこそ、彼等は全てを私に語ってくれたのであり、そうした「混沌としている」という誠意が二人の物語には溶けていた。

「それからは鋼鉄島で地質調査の仕事をしながら、たまに1週間程度の休暇を取って、シンオウの各地をアイラと一緒に回っていたんだ」

「本当に楽しかったんですよ。旅先でチェリンボにも会えたし、洞窟で見かけたハガネールは本当に大きかったんです。
それに、発電所で再会したフワンテ達は、私のことを覚えてくれていたんです!今でもたまに会いに出掛けているんですよ」

そして、そんな彼等の長い物語も、もう終わろうとしている。
彼等の「楽しくなく、穏やかでもなかった時間」という過去が、今の「楽しく、穏やかな時間」に繋がろうとしている。
お皿を洗う水音を聞きながら、私はどうにも心地よくなって目を伏せた。長い本を読み終えて背表紙を閉じる瞬間のような、得も言われぬ達成感と爽快感が私の胸に満ちていた。

「波動の力を誰かのために使うような機会は2か月に一度くらいしかなかったし、私達の力をすぐに受け入れてくれる人はやはり少なかった。
それでも私達は気味悪がられたり、迫害されたりすることなく今日まで生きられている。外の世界は随分と優しいのだと、そうした認識は村を出た日からずっと、変わっていないよ」

彼等はそうした地道な活動を、ささやかな暮らしの合間に楽しんでいたらしい。
自身の力が他者を傷付け貶めるものではないのだと、彼等はきっとそう確信できるだけでよかったのだろう。
その特異な力を世に知らしめたり、その力で優位に立ったりすることを、彼等は微塵も考えていないようであった。彼等は人ならざる力を奮って、人であることを選び続けていた。
……その悉く「健気で優しい」彼等に、私は「あいつ」を見ていた。授かった力、閉鎖的な環境、「怪物」という表現、その全てに「あいつ」の面影を重ねずにはいられなかった。

独りになってしまいがちな人というのは総じて、優しいのだ。
私は優しくないから「あいつ」を独りにできなかった。この二人は双方が「優しく独り」であったから、寄り添い二人になることが叶った。
きっとそれだけのことだった。ただそれだけの、些末な愛おしい物語だった。

「そうしているうちに、旅に出ていない期間にも、私達の元にそうした相談がやって来るようになったんです。
彼女が、皆さんに私達のことを紹介してくださっていたみたいで、……ふふ、おかげでそれからは大忙しでした」

友人の笑顔を手で示してから、二人は過去にどういった依頼を受けたのかを軽く話してくれた。
町へと迷い込んだ凶暴なポケモンを鎮めたこともあった。登山中に遭難した親子を捜索するために、テンガン山に登ったこともあった。
手酷く畑を荒らすようになったヤミカラスの群れの、その原因を探ったこともあった。少女のダークライ捜索を手伝うために、北の雪国へと足を運んだこともあった。
些末なものも、ポケモンや人の命に関わるものも、彼等にとっては一つ一つが「今」を作る大切な思い出であることが窺えた。
勿論、そうした依頼をこなす生活をしている間も、彼等はいつだって一人ではなかった。

報酬を要求したことはなかったが、それでも彼等は感謝の気持ちを込めて二人に様々な贈り物をしたという。
「実はこのサイフォンも、そうして知り合った方から頂いたものなんです」と、アイラさんはとても嬉しそうに語っていた。

「一緒に暮らし始めて1年が経った頃から、この店を開く計画は立てていたんだ。
あの別荘はトウガンさんが貸してくれているものだったから、住民からの依頼を受ける場として大きく開くことがどうにも憚られてしまってね」

「最初は、ミオシティにそうした依頼の場を設けよう、という話から始まったんです。けれど場を作るのにもお金が必要ですから、一足飛びに、という訳にはいきませんでした。
そんな時、ダークライと再会できたという彼女が鋼鉄島にやって来て、『私達の暮らしの土台として飲食店を経営してはどうか』と、言ってくれたんです」

楽しそうに微笑みながら、アイラさんは再び友人へと目配せをした。
肩を竦めて照れたように笑う少女が、無邪気に「それじゃあ二人でカフェを作ればいいよ!」と提案する様が私の脳内にもありありと浮かんで、思わずクスクスと笑ってしまった。

「資金は、これまでお世話になった皆さんや、彼女が親しくしているという、ギンガ団という組織の方が出してくださいました。
屋根の色は、勝手ながら喜びの色にさせていただいたんです。美味しいものを食べた時に人やポケモンが零す色は、この店の屋根と同じ、菜の花色をしているんですよ」

ああ、あれは黄色ではなく「菜の花色」だったのかと、アイラさんの詩的な表現にまたしても頬が綻ぶ。
成る程、すなわちこの店は彼等の歴史の結晶なのだ。彼等がこの世界に尽くした何もかもの表現型なのだ。
二人の遺伝子は一つの店の形を取って「此処」にある。私はそんな二人のレシピの中にいる。それがどうにもおかしかった。心地良かったのだ。

「では、続きはまた貴方が来てくれたときにしましょうか。あまり遅くなると、貴方の家族も心配するでしょうから」

「え?遅くなるって……」

そこまで紡いで私は息を飲んだ。窓から差し込む光が赤くなっていたのだ。
11時にこの店へと訪れた筈なのに、ふと我に返れば日が傾き始めている。私と友人はこのカフェに6時間近く居座っていたのだ。

おそらくイッシュに戻る頃にはこの夕焼けも夜に飲まれてしまっていることだろう。私の夕食は「あいつ」に食べられているかもしれない。
『君ではあるまいし、そんなことは絶対にしないよ。』などと、からかうような声音で優しく否定する彼の顔がはっきりと想像できた。
ガタン、と勢いよく席を立ち、足元に置き捨てていた鞄を引っ掴みながら、
「もうこんな時間だったなんて!」と、まるで寝坊助の常套句のようなことを口にする私を、彼も彼女も友人も、笑って許してくれていた。

「ご、ごめんなさい!こんなに長く居座るつもりじゃなかったのに、」

「はは、気にしないでくれ。どうせ今日は君達のために貸し切りにしていたんだ」

お金、と財布を取り出しかけた私の腕に、アイラさんの華奢な、けれど重いフライパンを持ちなれているのであろう力強い手がそっと触れた。
「今日のパンケーキはサービスなのでお代は頂きません」などと笑顔で言うものだから、この人達の「健気で優しい」姿に私は益々参ってしまって、
「でも、それじゃあ悪いわ」と口にすると、ゲンさんが面白いことを口にした。

「それじゃあ、また来てくれ。そして今度は君の話をしてほしい。私もアイラも君と同じで、長話が大好きなんだ」

「……ふふ、分かったわ、そうする!」

またね、と友人がひらひらと手を振る。私も振り返して、綺麗に磨かれたお洒落な床をそっと蹴る。
扉に手を掛けるところで重要なことを思い出し、振り返った。どうしたんだい、というように、ゲンさんとアイラさんの首が同時に右側へと傾けられた。

……ああ、真に二人で一つの形を取るこの二人の、なんて美しいこと!
私と「あいつ」も、こんな風になれるかしら。それともどう足掻いても彼等の輝きには敵わないのかしら。
それとも既に私達は輝いているのかしら。私が気付いていないだけかしら。

「でも貴方とアイラさんが二人で一つの形を取っているように、私も独りじゃ不十分なの。だからその時にはもう一人連れてくるわ。それでもいい?」

ゲンさんは「勿論だよ」と大きく頷き、隣のアイラさんは「あ!」と声を上げてクスクスと笑った。
どうしたの、と尋ね返せば、彼女は眩しそうに目を細めて私を指差すのだ。

「だって、本当に綺麗な白い羽が見えるんだもの!」

私は暫くの硬直の後でにやりと笑い、素早く扉を押し開き、外へと飛び出した。これ以上あの場にいると、私の顔が赤くなってしまうような気がしたからだ。
ポケットからボールを取り出そうとした折に、私は後ろを振り返った。勿論、私の背中に羽など生えている筈もなく、ただ赤い夕焼けが長い長い影を落としているばかりであった。
けれど私は確信していた。私の波動は「羽」の形をしているのだと信じられた。

おそらく「あいつ」の背中には、もう少し無骨な黒い翼が生えているに違いない。


2017.3.12
Thank you for reading their story!

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