解説・小ネタ2

26:最早、自慢なのか宣誓なのか洗脳なのか、自分でも解らなくなってくるような言葉を紡ぎながら、彼女が(中略)相槌を打つのを、いよいよ疲れ果てた心地で茫然と聞いている
→ 心が乾いてくると本当にこうなってきます。「幸せですよ」も「嬉しい」も「楽しかったです」も、いよいよ虚しい響きにしかならないのです。
あのような状態にまでなっても尚、彼は彼女と生きることにただ、必死でした。彼女と生きることが本当に幸せなことなのかと、考え直すだけの余裕などとうに失われていました。

27:「もし彼女を喪えば、きっと私も生きていかれなくなるだろう」
アルミナを一方的に支え続けていた筈のズミさんも、彼女の存在に寄りかかり過ぎていたという状態を一度示すことで、閉じた世界の破滅的な共存の惨さを強調させました。
第三章で「あたし」が語っていた「彼女(アルミナ)は死にたがっている。彼(ズミ)は死にそうである」という考察は当たっていたのです。「あたし」はとても聡明でした。

27:こちらへと小走りで駆けてくる、その左手が一瞬だけキラリと眩しく光りました。
→ 木犀における23話の時間軸です。この女性は22.5話にてプロポーズを受け、結婚し、その1年後に出産しています。
ベビーカーに赤ちゃんがいるのはそういう理由、この時もし、この女性と同い年であった「あいつ」が生きていたなら、22歳でした。

28:「いっそぞっとするような威圧感、……それが、貴方の芸術にはあります」
→ 「良識や教養を持ち合わせていない人って、芸術の面でスランプに陥ったりしそうですが、ズミさんはそういうこと、ないんでしょうか?」
……と、大好きなお友達との電話にて、このような質問をしていただいたので、「そりゃあそうだ!スランプあるよね挫折あるよね!」と、反映させるに至りました。
素敵なアイデアを下さったまるめるさんに、今一度、心からの感謝を申し上げます。本当にありがとう!

28:「随分迷った割には、また同じ名前を使うのですね。一体、誰から借りたのです?」
→ 「マリー」は偽名です。
名前を偽るという不誠実を貫くことにより、誰よりも大切な人への誠意を貫く。……この手法を彼女は、彼女のことをかけがえがないとしてくれた、とある人の嘘から学びました。
(サイコロを振らない、中編9話参照)

29:「私の歌はいつもテンポが出鱈目だし、」
→ マリーは歌の「速度記号」を読もうとしません。完全に無視して、自分の歌いやすいようにテンポを出鱈目に変えます。「奏者の自由に(a piacere)」歌うのが好きなのです。

29:「ラ・カンパネラですね」
→ 私の一番好きなピアノ曲です。2番目を挙げるならおそらく「マゼッパ」になるでしょう。どちらも素敵な曲なので機会があれば是非!
ラ・カンパネラはイタリア語で「鐘」という意味ですが、私はこのピアノを「雨」のように聞くことが多いですね。貴方には、どんな風に聞こえるのでしょう。

30:「花の鮮やかさやみずみずしさを愛しながら、彼女はそれに触れることを拒んでいました」
→ プロローグで「あたし」が語っていた「野菜や花を腐らせる」理由が此処にあります。
当時の彼女にとって「生きていること」は「恐ろしいこと」であり「やさしくないこと」だったのですから、死んでしまわなければ触れることができなかったのです。
生きることをやめた、腐った存在でなければ、やさしい存在でなければ、彼女は手に取ることができませんでした。たったそれだけのことが、彼女に死臭を纏わせるに至りました。

31:「わたしもこの本のような素敵な死に方をすることができるかしら?」
→ 木犀には性行為の描写がないにもかかわらず、年齢による閲覧制限を設けていたのですが、その理由が此処にあります。
あいつの死を極限まで美化して書いたあの物語は、読んでくださる方がこのように思ってしまうかもしれないという「危険」を孕んだものでした。
故に、そのリスクが高いかもしれない、お若い方の閲覧を「お控えください」と申し上げるに至っていたのです。
あいつの死は決して、美しいものではないんです。皆さんはきっとそんなこと、もうとっくに理解してくださっていますよね。アルミナのように、考えてなどいませんよね。

32:「もし今、私が死んだら、私の夫や「おじさん」はとても悲しむでしょう」
→ 同一の世界線に深く関わる人物は全て伏字にするというルール上、彼のことを「おじさん」としなければいけなかったのですが、ええ、書きながら笑ってしまいました。

33:3歳の子供というのはあんなにも恐ろしく虚しい表情をし得るのだと、私は女の子の目の海が瞬時に凍る様を見ながら、ただ、その寂しい事実を噛み締めていました。
→ お姉ちゃんは母であるマリーのことが大好きだったものだから、そんなマリーに悲しい顔をさせる人物への憎悪を無言の内に示す術を、3歳の頃から既に会得していたのです。

34:「ズミさん、貴方はきっと間違っていません。仮に間違っていたとしても、私がアイさんとその子を支えます。貴方と一緒に、支えてみせます」
→ 「貴方は間違っていません。仮に間違っていたとしても、わたしが支えます」(片翼、サイコロで紡がれ続けた愛の言葉であり、この世界線のマリーにとっては最大の、呪い)

34:……そういえば、彼女を「アルミナさん」ではなく「アルミナ」と呼ぶようになったのは、いつの頃からだったのでしょう。
→ 6年目、パキラさんに激昂した時には既に「アルミナ」でした。けれど結婚した当初はまだ「アルミナさん」でした。彼がいつ呼び方を変えたのか、その答えは何処にもありません。
本当に「いつの間にかそうなっていた」というのが答えであり、そういう意味でズミさんは真に彼女を愛することができていたのです。

35(閲覧制限):「掻き出してくれるの?」
→ 性行為の描写を書いたのはこれが初めてです。破廉恥な行為を破廉恥でないように書く、という目標を達成できたので、個人的には割と満足しています。
この言葉は、第一章6話の「スプーンで赤色を掻き出したくて」とリンクしています。彼女は15で月経が始まってからずっと、自らの中の赤を取り除きたいと願い続けていたのです。

35(閲覧制限):この「痛いこと」が自らを救済してくれる筈だと信じ切っていた彼女は、そのおぞましい行為にただ甘んじていました。
→ 彼女はどうやら痛みには耐性があったようです。故に出産の痛みも、彼女にとってはそれ程問題にはなりませんでした。
怪我をして、パニックになって泣き喚くのは、痛いからではなかったのです。赤色が自らの身体から出てくることが恐ろしいから、取り乱していたのです。

36:彼女の「無条件の肯定」が、料理人としての私に与えた力は計り知れないものがありました。
→ 自らの作った料理を食べてもらえないという絶望、彼女が一緒に食事をしてくれないという絶望。彼女の「美味しい」を神託のように見ていた彼には、耐え難い苦痛でした。

37:「他のことは何も、あなたのこともこの子のことも、ピアノもマリーもお花も怖くないのに、此処に在る全てが優しいのに、ただ、生きていることだけが、とても」
→ 生きることはやさしくない。ズミさんは随分と早い段階でそう確信していたにもかかわらず、彼女に「やさしい」ものばかり与え続けました。
それは彼のやさしさでした。やさしさが故の大きすぎる過ちでした。
やさしいだけでは生きていかれないことを、彼はちゃんと解っていた筈なのに、同じことを彼女に強いることができなかったのです。
愛していたから、大切に想い過ぎていたから、生きてほしかったから。

38:小さく非力である筈の命の、燃え上がるように鋭い視線によって、私が「父」に変えられていくかのような、そうした、得体の知れない恐ろしさがあったのです。
→ 生きたいように生きてきた彼は、無力でかけがえのない存在に「父」へと作り変えられることを恐れ、その結果、逃げました。
此処だけ見ると彼の方がとても酷い人間に思われてしまうかもしれませんが、アルミナに比べればきっと軽いものです。
ピアノを弾き続け、食事を拒み、花を溶かしていた彼女は、「母」どころか、女性であることも、人間であることも、生き物であることさえ恐れて、逃げ続けていたのですから。


<Third chapter>
39:「私、友達を作らないようにしているの。だって友達って、苦しいものなのでしょう?」
→ この台詞は木犀完結直後からずっと私の頭の中にありました。「あいつ」を喪ったマリーの娘は、友達というものについてこのように考えるに違いないと、私は確信しています。

40:あたし達は三人ではない。二人と一人であったのだ。
→ 【人間が持つようなものではない狂気】を持ったアルミナとズミ、けれどその娘は【人間が持って当然であろう、人間味溢れた狂気】しか持つことが叶いませんでした。
それ故に、この家族は二人と一人の形を取る他になかったのです。この時点での「あたし」が二人の中に入ることは、どう足掻いても不可能だったのです。
彼等のおかしさを秀逸な言葉で言い表してくださった優風光さんに、今一度、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます!

41:大きな重い袋が2つ出来上がったけれど、なんとか持つことができた。あたしは彼女のように非力な存在ではないのだと、そう知らしめるように胸を張って帰宅した。
→ 第二章19話のズミさんが提げていた、理想の軽さと現実の重さを思い出していただきたい。
「現実」の質量はズミさんを苦しめていました。それはズミさんの心が「現実」にはなかったからです。
けれどもあたしの心は「現実」にこそあった。花のような軽いものを食べて生きていける筈がなかった。だからこそ「現実」の質量を彼女は喜ぶことができたのです。

42:「お金を稼ぐってそんなに偉いこと?料理より掃除より洗濯より、大事なこと?あたしはそうは思わないわ。だってお金があったって、あなた、何もできないじゃないの!」
→ これ、何度も声に出して叫びました。リズムとか対句とかに拘ったりだとか、韻を踏んでみたりだとか、色々とどうでもいいところを工夫しました。
あたしの激情はズミさんのそれよりもずっと現実的で、生命的で、勇敢なものであり、そこにぎこちなさは一ミリたりとも存在してはいけなかったからです。
すっと、皆さんの鼓膜に滑り落ちていくような言葉でなければいけなかったからです。

43:あたしは美しくありたくなどなかった。何故ならあたしは生きていたかったからである。
→ 「あたし」はとても賢い子ですから、生きるためにはどうすればいいかをとてもよく解っていました。
彼女と彼がしていることの一切をせず、彼女と彼がしていないことの全てを行えばいいだけの話だったのです。非生命的である彼等の、対局に在り続けるだけでよかったのです。

44:あたし達は常に二人と一人で、けれど互いに互いを愛していた。
→ 呪いです。家族を何の理由もなしに「かけがえがない」としてしまうところに、私は「祝福」とか「絆」とかではなく「呪い」を見たい。

45:彼女が「生きている命」に触れている様がどうにも珍しく思われて、眩しくてあたしは目を細めた。
アルミナにとって「生きている命」は「やさしくないもの」であり、恐怖の対象でした。「あたし」が生まれる前なら、触れることを泣いて拒んだでしょう。
けれど、泣きながら触れられるようになっています。この時点でアルミナには既に変化が訪れ始めています。やさしくないものに触れられる、という、大きすぎる変化です。

46:「燃えてしまえばいいのに。金木犀もあのカフェもこの街も、全部火の海に包まれてしまえばいいのに。あいつの呪いも、生きた証も、全部無くなってしまえばいいのに」
→ 私は呪われたりしない、呪われまい、と言い聞かせすぎて、彼女は自らの中に「あいつ」が生き過ぎていることに気付かなかった。彼女はいつの間にか、呪われていたのです。


2017.7.4

© 2024 雨袱紗