解説・小ネタ3

解説・小ネタ3
47:「貴方を呪ってしまうかもしれない私を、許さないでね」
→ 家族という呪い、友達という呪い。「あたし」はその両方を望んで、手を伸べました。

47:死ぬとは冷たいことだ。死ぬとは臭いことだ。死ぬとはプリンを食べられないということだ。死ぬとは、この優しい人と友達でいられなくなるということだ。
あたしはそんなもの、要らない。あたしはそんなものに甘んじない。あたしは、あたしは!
→ こちらが「友達という呪い」にかけられた際の「あたし」の言葉です。似たような言葉がもう少し後にも、ありましたね。

48:お姉ちゃんが殺したい程に憎んでいたあいつの死。それを美しいものにしたのは他でもないマリーだったのだ。マリーが犯人だったのだ。
→ あいつの死は美しくなどなかったのだ、ということを、どうしても「あたし」に言っていただきたかったのです。

49:「わたしが本当に優しい人間だったなら、カロスに毒の花は咲かなかっただろうね」
→ 「私のようなみっともない人間を置いておけるような貴方だったら、セキタイタウンにあんな花は咲かなかった!」(躑躅16話、あいつの台詞)
意図的に似せてあります。躑躅にてあいつにより指摘されたその惨たらしい真実を、オーナーは20年という孤独の中で、ようやく悟るに至ったようです。

50:「でも好きよ。あなた達のことが大好き。だからあたしはこれからも此処にいるわ。約束する。生き辛い二人がちゃんと生きていけるようにする。あたしが助ける、支える。だから、」
→ 「あたし」が2本目のフラグを立てたことにより、1本目の「あなたが生きなくてもいいようにしてあげるから」というフラグが打ち破られました。
けれども「あたし」の中では1本目のフラグが大きすぎたものだから、彼女はそれからも、1本目のフラグを忘れることができていなかったのです。

51:あたしと彼との間にピンと張られていた糸の名前は「拒絶」でも「無知」でもなく「臆病」だったのだ。
→ 【悪魔になりきれなかった】ズミさんは、臆病が故にずっと逃げ続けていました。
「あたし」も父に対して縋ることを知らなかったので、二人はずっと遠いところに在り続けていましたが、「あたし」が勇敢になったことでようやくその距離が縮まりました。

52:「この痴れ者が!!」
→ やはりこれは言っていただかなければいけない気がして。

53:これではまるで、一人と二人が二人と一人になっているかのようではないか。あたしと父が彼女を弾いているのかのようではないか!
アルミナとズミの中に入れない「あたし」ではなく、ズミと「あたし」の中に入れないアルミナ、と関係が変わり始めていることを、アルミナではなく「あたし」が恐れています。
自らが一人でなくなったことを喜ぶより先に、彼女が一人になってしまうことをこんなにも嘆いて、自らを責める。
「あたし」にはそういうところがあります。「あたし」自身が最後まで認識することの叶わなかった、「あたし」の優しすぎる一面です。

54:あたしは彼女との「約束」を果たそうと思った。
→ 「あたし」の中では2本目のフラグではなく1本目のフラグの方が色濃く残っていたため、此処で誤解が生じています。

55:そういう訳で、あたしは二人を殺そうと思う。そういうことに、させてくれ。
→ 序章1話の長々とした文章は、「あたし」が両親を殺すために、殺せる心理状態に持っていくために、彼と彼女の無様で可哀想な姿ばかり思い出している様子です。
生きていたって仕方がないのだ、死んだ方がきっと彼等は幸せなのだ、彼女はそれを望んでいるのだ、だから、だから……と言い聞かせている、洗脳しているのだとお考えください。

56:では、死ななければいけないのは、本当に彼女の方だったのだろうか?
→ 「あたしは、どうしたいのだろう」(48話)「生きていたくないのなら、生きなければいい」(49話)
「あたし」の周りの人達がやさしすぎたが故に、彼女の「生きていたい」という思いがここ数年、揺らぎ始めていました。
唯一の拠り所であった「彼女を母と呼べるかもしれない」という希望は、けれども「あたし」自身の勘違いにより砕けてしまっています。
「あたし」と彼女は相容れない。けれども彼女には生きてほしい。では「あたし」は本当に生きるべきなのだろうか?死ななければいけないのは、彼女の方ではないのではないか?
その迷いが「あたし」に残酷な選択をさせます。とてもやさしい選択です。

57:死ぬとは冷たいことだ。死ぬとは臭いことだ。死ぬとはプリンを食べられないということだ。死ぬとは、この優しい人の娘でいられないということだ。
あたしはそんなもの、要らない。あたしはそんなものに甘んじない。あたしは、あたし達は。
→ こちらが「家族という呪い」にかけられた際の「あたし」の言葉です。47話の「友達という呪い」と敢えて類似した文章にしたのですが、お気付きいただけたでしょうか?

58:「あたしはきっと、あなた達を生きていかれるようにするために生まれてきたんだわ」
→ 第二章33話でのズミさんの希望が、此処でようやく花開きました。「あたし」はマリーの言葉通り、「誰を支えるか」を彼女自身で決めたのです。彼女は、自由です。

59:構わない。異常な環境の中で正常な人間は生きていかれない。生きるための狂気を、生きるための異常を、あたし達から取り上げられる者など誰もいない。
→ 「あたし」が勇敢だからこそ導くことの叶った、彼女だけの理論です。臆病なズミさんではこうはならなかった。マリーは少し彼女から遠すぎた。「あたし」だけでした。

60:生きなければいけない、と思う。けれどそれと同じくらい、生きていたくないのなら、生きなければいいとも思う。
→ 死ぬことを選んだ人、生きることを選んだ人、生きてほしいと願った人、生きていてほしかったと悔いる人……。
その全てを見てきた「あたし」は、マリーよりもずっと惨たらしい結論で彼等を許すに至っています。
これは彼等の「罪」を奪い取る言葉です。「呪い」を浄化し生きる力に変えるための言葉です。


<終章>
61:わたしはこれまで、わたしが臆病で無力なみっともない人間だったばかりに、一体どれくらいの「大丈夫ですよ」を彼に言わせてきたのでしょう。
→ 第二章でズミが繰り返し唱えてきた「大丈夫ですよ」は、自身が言わしめた言葉であったことをアルミナも感じ取っていました。
だからこそ、彼の「大丈夫ですよ」に心から安堵しながらも、申し訳ない気持ちになっていたのです。そんなことを言わせてしまう「わたし」に「わたし」は嫌気が差していたのです。

62:「でも、あなたがいなくなったら寂しいし、悲しいわ。とても」「それではいけない?それだけでは、あなたと生きるには少し、足りない?」
→ 人の死は誰かを連れていくものであってはならない、誰かの幸せを奪い取るものであってはならない。
マリーと長く友人関係にあったアルミナは、その理論を我が物とするに至っていました。
それでも「あなたがいなくなったら寂しいし、悲しい」のです。それは他でもない、アルミナがズミのことを愛していたからです。アルミナがズミに愛されていたからです。

62:そうして今の、60歳になったわたしがいます。
→ 2~9話と61、62話は、この「60歳のアルミナ」が話していたものであった、……ということが此処で明らかになります。
彼女の語り口は淡々としていて始終穏やかだったので、あまり「話している」といった雰囲気は出ていません。「非生命感」を出すために、敢えてそうしていました。

63:如何でしたか?
→ これは第三章における「あたし」の日記を読み終えた「貴方」に向けての言葉です。「貴方」があの日記を読み終えるまでの間、ズミさんはずっと「貴方」を見ていたことでしょう。

64:いつか来る「死」というものに備えて、その訪れが限りなく優しいものになるように、生きている。やさしくない世界を、生きている。
→ 死ぬことは「やさしいこと」であり、生きることは「やさしくないこと」です。だから「やさしくありませんように」だったのです。
「あたしは、あたし達は、生きていたい」という「あたし」の願いを言い換えれば「やさしくありませんように」になる、ということです。

65:だからおじさん、貴方も誇ってください。難しいかもしれないけれど、他の世界に生きているどんなおじさんよりも、強く、強く、あの子を愛してください。
→ このとき彼の時間はあと1年しか残されていませんでしたが、この手紙が「マリー」を経由して彼の元へと届いたことは、彼にとても大きな勇気を与えたことでしょう。
「マーキュリーロード」では泣きながら嘔吐さえしたマラサダを、彼女は食べられるようになりました。この彼女の「大好き」はもう、歪んでいません。

66:そして、……これは私がもう少し大きくなってから解ったことなのだけれど、人は、どうしても、独りで死ぬことなんてできないのね。
誰もが、誰もの幸せを、その死と共に連れて行ってしまうものなのね。
→ 「お姉ちゃん」は、母であるマリーと同じ考え(第二章32話)を抱くに至っています。「お姉ちゃん」は母のことも父のことも大好きなので、二人に少しずつ似ているのです。

67:私は、緩慢な自殺を選んでしまったあいつの気持ちが、解るの。
→ おそらく「お姉ちゃん」こそが、誰よりも「あいつ」の心地を理解し、「あいつ」の選択に共鳴することができています。
けれど「お姉ちゃん」は死ねませんでした。もうイベルタルも毒の花もカロスにはないからです。「お姉ちゃん」は、自らが愛されていることに気が付いてしまっていたからです。

67:やさしく、ありませんように。
→ 「お姉ちゃん」もまた、祈っていました。……いいえ、この連載において「やさしくありませんように」と願わなかった人物など、誰一人としていません。


※おまけ:目次ページの意訳
序章の紹介文はマリーのものです。以降はそれぞれの一人称により、「誰」の祈りであるかということが分かるようになっています。
最後の1行のみ、別の人物の祈りが混ざっています。

<序章>
「これは私達の残酷な祈りです」

<第一章>
生きることは優しいですか?
生きることは易しいですか?
あなたは本当に生きていたいですか?

<第二章>
あなたが優しくありませんように、わたしが優しくありますように。
貴方が易しくありませんように、私が易しくありますように。
あなたがいなくなりませんように、あたしがいなくなりますように。
(今までも、そしてこれからも)

<第三章>
わたしが殺されますように、そして生まれ直さないで。
私が憎まれますように、そして許されないで。
あたしが呪われますように、そして愛されないで。
(決して、二度と永劫に)

<終章>
私がいなくても、貴方が生きていかれますように。


2017.7.6

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