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……最後にもう一つだけ、私の不甲斐ない話をしましょう。

子供が一人で歩けるようになり、はっきりとした言葉をすらすらと話すようになるまで、3年程あったでしょうか。
それまではただ、子供の成長というものが微笑ましく、ついこの間までは座ることさえできなかったのに、と彼女と子供のことについて穏やかに談笑することさえあったのですが、
あの子がその大きな目で、真っ直ぐに私を見上げるようになってからというもの、私はどうにも、あの子と向き合うことが恐ろしくなってしまいました。

何がどう恐ろしいのか、ということを口にするのがどうにも難しいのですが、どうにもあの子の大きな目に見つめられると、
私が「ズミ」という人間ではなく、もっと別の「娘のための何者か」に作り変えられてしまうような、
小さく非力である筈の命の、燃え上がるように鋭い視線によって、私が「父」に変えられていくかのような、そうした、得体の知れない恐ろしさがあったのです。

その視線に立ち向かうことができたならどんなにかよかったでしょう。けれども私は臆病でした。
彼女を生かすためならどんな蛮行も惜しまなかった筈なのに、いっそ無謀とも思える勇気を振りかざして生きてきた筈なのに、
私はあの子に対しては、彼女に振るった勇気の1割も、ろくに示すことができていなかったのです。

私は勇敢であることを忘れ、父であることを拒み、私を作り変えようとするあの子の視線から逃れるように背を向けて、
今まで通りの、芸術と彼女との世界に身体を埋める生活を徹底していました。

「ズミさんも、お父さんになることが怖い?」

二人きりの夕食の席で、彼女は私にそう尋ねたことがありました。
愕然とする私の前で、彼女はそうした私の拙さを、幼さを、許すように笑ったのです。

もしかしたら、……いえ彼女は明言などしなかったので真実ではないのかもしれませんが、
彼女が食事の量を減らし、痩せ細っていったのも、ピアノの部屋に閉じこもり、狂ったように白と黒の鍵盤を叩き続けていたのも、
もしかしたら「母」であることを恐れたが故の、少女のままで、私と出会った頃のままでいたかったがための、行動であったのかもしれません。

精神の時をずっと止めて生きてきた彼女は、けれども妊娠し、子供を産むことでその時を動かさなければならなくなりました。
普通なら歓迎されて然るべきその事象は、けれどもきっと彼女にとっては、耐え難い苦痛だったのでしょう。
「変わらない」ことを愛しすぎた彼女が、身体の時を動かし続けることなど、きっとどう足掻いてもできないことだったのでしょう。

だから彼女はピアノの部屋で時を止めています。
だから彼女は食事を抜いて、少女だった頃の線の細さを取り戻し、時を忘れています。
だから彼女は花を枯らし、時を止めた自らの代わりに、その美しく儚い命に死んでもらっています。
彼女もまた、狡い人だったのです。我が儘で愚かな、どうしようもない女性だったのです。

私も同じです。
彼女が女性の姿、母の姿、生きている姿を拒んで、ピアノを弾き、食事を減らし、花を枯らしたのと同じように、私も父としての姿を拒み、逃げるように仕事へと執心しました。
「お金を稼ぐ」「彼女とあの子を養う」という免罪符が、私を益々芸術の深みへと誘いました。

そんな私の作る料理を、多くの人は絶賛してくださいました。誰よりも熱心に打ち込み、誰よりも努力していたのですから、芸術の質が上がるのは当然のことでした。
けれどもマリーを含めた一部の人は、私の芸術の中に、そうした、不純な思いが、脅迫的な感情が混ぜ込まれていることに気が付いていたのでしょう。
彼等は困ったように笑いながら、こう言うのです。

「貴方の料理は美しすぎて、美味しすぎて、完璧すぎて、怖い」
「まるで生きていないみたいだ」

私も彼女も、あらゆることに不適合でした。
彼女は母になれませんでした。私は父になれませんでした。彼女は妻になれず、私も夫になれませんでした。
彼女も私も、優しく易しく生きることができませんでした。

そういった具合で、そのような私達が生きていくには外部からの支援が不可欠であり、それ故に私は、家政婦とベビーシッターを絶やすことなく雇っていました。
家政婦はともかく、ベビーシッターを雇うにはかなりのお金が必要でしたので、私もそろそろ、節約というものをしなければいけなさそうだと考えていたところだったのですが、
しかし子供というのは成長する生き物ですから、娘が3歳になった頃にはもう、乳児の頃にように長時間の世話を依頼する必要はなくなっていました。

更に娘が4歳になった頃、マリーが私にこのような相談を持ち掛けてきたのです。
その内容は、私にとっても彼女にとっても、とてもショッキングなものでした。
……いえ、その言葉にショックを受けてしまった私達は、やはり恥ずべき存在であったのだ、と、言い換えた方がいいかもしれません。

「お二人の娘さんが、お手伝いにやって来る女性を怖がっているんです。今朝、あの子に「あの人達が来ないようにして」と、頼まれてしまいました。
あの子はアルミナさんに似て人見知りなところがあるようですから、名前も知らない女性が次々と家を訪れるという状況に、ストレスを感じていたのかもしれません」

あの子が家政婦のことを怖がっていた。来ないようにしてほしいとまで願っていた。
そのようなこと、私は勿論、彼女だって知りませんでした。私も彼女も、初めて知ることの叶ったあの子の本音にひどく驚き、戸惑っていました。
そのような恐れがあの子の中にあったことにも驚かざるを得なかったのですが、
それ以上に、そのような思いを、父や母ではなく、月に2度しかやって来ないマリーに告白していたという事実が、私にはとても堪えていました。

おかしな話でしょう?
私も彼女も、父であり母であることを否定して、その重すぎる役職から逃げ続けてきたというのに、
子供が生きるために第三者へと縋る姿勢を見せた途端、驚愕し、困惑し、「何故、私ではないのだろう」などと、考えてしまうのですから。

「お手伝いさんは、あの子に何か酷いことをしたの?」

子供が生まれてからは、彼女も、家へとやって来る女性達のことについてしっかりと認識するようになっていました。
故に彼女達が娘に危害を加えたのではないかと恐れていたようですが、マリーは苦笑しながら「そういう訳ではないんです」と彼女の憂いを取り払いました。

「酷いことはしません。けれど酷くないこともしません。彼女達はただ家へと無言で上がり込んで、洗濯や掃除を済ませて、帰っていくだけです。
あの子と挨拶を交わしたり、会話をしたり、そうした一切を彼女達は全くしていません。その冷たさが、あの子には恐ろしく思われてしまったのでしょう。
あの子の世話は「業務外」のことなので、彼女達にしてみれば、当然の対応であったのかもしれませんが……」

「……」

「幸い、あの子は私のことなら恐れずにいてくれています。ですのであの子が人に慣れるまでの間、私に家のことを任せてみませんか?
週に一度しか来ることができないのですが、掃除や洗濯もそのときにまとめて、こなします。私は必要に迫られれば何だってやりますから、そこそこ、役に立つんじゃないかしら」

マリーの、いっそ痛々しい程の献身は、けれども独り善がりなものではありませんでした。
この女性の献身は、必ず相手に益のある形でもたらされていたのです。そこが、パキラとマリーの決定的な違いでした。
パキラは自らに益のある贖罪ばかりを執り行い、自らの心がすっかり肥え太った頃に、もう満足したというように連絡をパタリと絶やしました。
マリーは他者に益のある贖罪ばかりを行い続け、自らはずっと不満足であり、しかしその不満足な調子がマリーを最も安心せしめているという歪な有様を貫き通していました。

その歪な優しい贖罪に甘える形で、私は家政婦との契約を打ち切り、家のことの一切をマリーに任せるようになったのです。

普段、イッシュで暮らしているマリーは、週に一度、数時間程度しか来ることができませんでした。
その間、部屋は散らかりましたし洗濯物は日に日に積み上がっていくという有様でしたが、それでも、娘の恐れをこれで取り払えるなら構わないと割り切っていました。

この時、私は44歳、彼女は34歳でした。
当時4歳だった娘に、私と彼女は一度たりとも「お父さん」「お母さん」と呼ばれたことがありませんでした。

……さて、此処から後のことは、おそらくあの子の方がよく知っているでしょう。
長らく、夫にも父にもなれていなかった私が、貴方にお話しできることはこれで、全てです。
このような出来損ないの話でも、少しは役に立てたでしょうか?

実はここに、あの子の手記を持ってきています。……そんな顔をしないでください。ちゃんと許可を取って借りてきたものですよ。
この中に、私や彼女が父として、そして母としてどれ程異常であったのか、
そしてそれ程までに歪な親の下に生まれながら、あの子がどれ程強く育ってきてくれたかということが、全て書かれていると思います。


2017.6.30
【4:-】(34:44)<30>
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