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※性行為に関する簡単な記述があります。ご注意ください。

まずは、おかしな話からしましょう。
出産を終えた彼女には、再び月経が始まりました。私やマリーにしてみれば、それは当然の事象だったのですが、彼女にはひどく受け入れがたいものであったようです。
加えて彼女は以前、私が彼女の中の「赤色」を全て掻き出したのだと、本気で信じているようなところがありましたから、
再び自らの身体から赤色が溢れ出したことを知り、この上ないショックを受けたようでした。

……何が起こったと思いますか?
彼女はそれから毎晩のように、私に頼み込むようになったのです。「また掻き出してほしい」と、「抱いてほしい」と。

その懇願に応える形で、私はあの子が生まれてからも、何度も彼女を抱きました。
彼女は私に指を入れられることも、強く抱かれることも怖がらなかったので、私は安心しきっていました。
それ故に、すっかり「そうした顔」になってしまって、彼女が私に頼んでくる度に、ええ解りましたと頷いて、それから、ただ夢中で彼女を抱いていたような気がします。
けれども彼女があの10か月間、特に3~4か月目の辺りには本当に、死んでしまいそうな程に苦しんでいた姿を私は見ていましたので、
流石に避妊をしないままに事を運ぶ、ということはできませんでした。

ああした夜の行為は彼女にとって「赤が出て来なくなりますように」という、おまじないのようなものであったのでしょう。
「これをしていると赤が出なくなった」という妊娠時の記憶は、赤を恐れ嫌う彼女の、唯一の拠り所になっているようでした。
故に私はただ、彼女の懇願に応えていました。応えながら、私は卑怯にも、そのもっともらしい行為を通して、彼女をもっともらしく愛してみようとさえしたのです。

……ええ勿論、私は避妊をしていたのですから、彼女が懐妊することも、その結果として経血が止まるなどということも、在り得ませんでした。
このような「おまじない」を続けていたところで、彼女の赤が止まることなど在り得ませんでした。
けれども、止まったのです。彼女はとても喜んでいました。もう大丈夫、と歌うように告げて、私に何度もお礼の言葉を告げました。私はただ、驚いていました。

そのからくりを説明してくれたのは、やはりマリーでした。

つわりの時期を終えてから出産するまで、彼女は本当によく食べていたのですが、子供を外に出してしまうや否や、彼女の食事量はまた減り始めました。
どの程度減っていたかと言われれば、そうですね……。1日3食食べていたのが、1日1食に変わった程度、というのが最も解りやすい表現であるように思います。
そしてそれは比喩などというものではなく、本当に「1日1食」でした。というのも、出産してからというもの、彼女は朝食と昼食を摂らないようになっていたのです。

妊娠する前も小食であることには違いなかったのですが、それでも私が作り置きした、ささやかな量の食事に、しっかりと手を付けていてくれたように思います。
けれども出産してからは、そもそも朝食や昼食の時間帯に、食卓に着くことさえしなくなっていたようでした。

赤ちゃんの世話の大半は、当時雇っていたベビーシッターがしていましたので、彼女の心を疲れさせるものは何も、この家にはなかった筈です。
それでも彼女は食べる量を減らしました。食べられない原因が解らないまま、彼女は痩せていきました。
彼女が1日の中で口にする食べ物は、私が夜、帰宅してから作る夕食のみ、といった具合になりました。

「ごめんなさい。あなたと一緒でないと何も食べられないの」

冷蔵庫の中で眠ったままになっている朝食と昼食がどうにも不憫に思われて、私は何度も彼女に説得を試みたのですが、
彼女はぽろぽろと涙を零しながらそう口にするばかりで、新たに彼女が打ち立ててしまった「1日1食」の方針は、そう容易く破られることはありませんでした。
私は確かに彼女のことが、彼女が健康であることが大事だと思っていましたが、それよりも彼女にとって苦痛なことはさせないようにしよう、ということを重視していましたので、
一人で食べることが苦痛ならば、無理して食べる必要などないだろうと、そう思うようになっていきました。
朝食と昼食を食べられないのならば、その分、共に食べることのできる夕食をより栄養価の高いものにしよう、などと、変なところで柔軟な思考を展開していたのです。

彼女がどういった意図で食べる量を減らしていたのか、本当のところは私にも解りません。
けれども事実として、食べる量を減らした結果、彼女の赤は出て来なくなりました。
これもマリーに教えていただいたことなのですが、人間というのは体に必要なエネルギーを食事から得られなくなったり、過度のストレス下に置かれ続けたりすると、
生体にとって優先度の低い機能から順番に止めて、生体にとって優先度の高い機能を保護しようとするシステムが働くようですね。
生殖機能、などというものは、勿論、生物学的な子孫の繁栄においては重要なことでしたが、彼女自身が生きるためには全く必要のないものでした。
故に、以前よりも更に痩せて更に青白くなっていった彼女から、経血の赤が出て来なくなったとして、それは生物学的に見ても、至極当然の反応であったのでしょう。

私としては、身体から赤が出なくなる程に痩せ細ったとして、それでも彼女は彼女であり、こうして生きていてくれているのだから、何も不満に思うことなどなかったのですが、
しかしマリーは、そうして「痩せ続けた」先にあるものを考え、ひどく心配していました。
血液量が減少したり、髪が抜けたり、骨密度が低下して骨折しやすくなったり、身体に力が入らなくなったり、低K血症とかいうものによる不整脈で突然死したり……。
このように、過度の痩せがもたらす害というのは色々と、あるようです。
彼女はとても饒舌にそれらを説明したあとで、「だからせめて1日1食だけは、確実に食べるように貴方からも言ってください」と、念を押されてしまいました。

このように、マリーは彼女の痩せがこのままエスカレートすることをとても恐れていたようですが、彼女は少し勘違いをしていました。
というのも、「食事量を減らし、痩せたから経血が止まった」という事実は、マリーだからこそ知り得るものであって、
「痩せること」と「体から流れ出る赤が止まること」との関連性は、彼女は勿論、私だって知らなかったことなのです。
故に、既に体の中の赤を止めることに成功していた彼女が、これ以上、食事量を減らしたいと望む必要性など、もう何処にもありませんでした。

そして事実、彼女は夕食の時だけはとてもよく食べました。
私と同じくらいの量を残さず食べて、毎日のように「美味しい」と告げてくれる彼女に、私は料理人としても、彼女の夫としても、この上なく救われていました。

彼女が彼女でありさえすれば、生きていてくれさえすれば、それでよかったのです。
そして事実、彼女は生きていました。12年間ずっと生き続けてくれました。他に何が必要だったというのですか?
私はそれ程多くを望んだ覚えはありません。私が望んだのは「彼女と生きること」ただ一点のみです。
勿論、彼女の美しさは出会った頃から今までずっと、私の羨望であり憧憬の対象だったのですが、そんなものは問題にはなりませんでした。
何故なら、私から見た彼女が「美しくなかったことなど、ただの一度もなかったから」です。

『貴方が美しくなかったことなど、ただの一度もありませんでしたよ。』
かつて彼女に告げた言葉が、そのまま、私の真実であったからです。

繰り返しますが、私は彼女が生きていてくれさえすればよかったのです。
「朝と昼はご飯を食べないから、私の分の作り置きはもう要らないわ」と言われても、「あの子は私より沢山食べて、私より沢山眠るのね」と疲れ切った顔で口にしたとしても、
花をドロドロに溶かすように枯らしても、掃除や洗濯や料理や子育ての類の一切ができずとも、
陽の当たる場所を歩くことができずとも、ピアノのある部屋に閉じこもってばかりであったとしても、
生きたいと、思ってくれていなかったとしても。

「どうしてかしら」

子供を産んでからというもの、彼女はふと、このようなことを口にするようになりました。

「あなたのことが大好きで、この子のことだって大好きで、ピアノを弾いたり曲を作ったりしているときはとても楽しいし、その楽しいことでお金だって稼げているし、
あなたの料理もずっと美味しいままで、マリーとはずっと友達でいられているし、此処には優しいものしかない筈なのに、
……それなのに、どうしても苦しいの。生きていることがとても辛い」

……薄々、気が付いていました。
彼女が青空の下へと出て行きたがらないこと、食事を減らして華奢な体を更に頼りなくしたこと、時を忘れて狂ったようにピアノを弾き続けていること。
それらは全て、全て、生きたくないが故の行動だったのです。「生きているわたし」を認めたくないが故の行動だったのです。

「あなたはいつだって、わたしが生きていてくれるだけでいいと言ってくれたけれど、わたしは生きていることだけが苦痛だったわ。
他のことは何も、あなたのこともこの子のことも、ピアノもマリーもお花も怖くないのに、此処に在る全てが優しいのに、ただ、生きていることだけが、とても」

彼女は生きていることだけが苦痛だったのです。そんな彼女を楽にするためには、彼女を、生きなくてもいいようにしてあげるべきだったのです。
解っていました。

それでも私は、愛した人と一緒に生きたかった。愛した人に、生きていてよかったと思ってほしかった。
けれども私はきっと、彼女を守ることにこそ成功していましたが、彼女を「救う」ことには何一つ成功などしていなかったのでしょう。

生きることは優しくありません。
生きることは易しくありません。


2017.6.30
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