25

「貴様等フレア団の連中は傲慢が過ぎる!あの子を狭く暗い地下に軟禁した挙句、失敗作だと解れば見放すのか!地上に不適合だと判断すればそうして簡単に切り捨てるのか!
同じだ、貴様等の手法は5年前と全く同じだ。カロスの汚れを取り払うために人を殺し、あの子の絶望をなかったことにするためにあの子を見捨てた!」

「あの子って、貴方、」

アルミナは生きている!これからも生き続ける!そのために私がいるのだ、彼女が生きていかれるようにするために、私は生きているのだ!
お前達のような奴等の思惑通り、アルミナを死なせてなどやるものか!」

パキラの茫然とした顔を、私は怒鳴り終えてしまえば、いくらか冷静に見つめることができるようになりました。
すっと嫌な冷えを見せる背中に、私は「しまった」と思いました。自分がとんでもない失言をしてしまったことに気が付いたのです。

パキラはそれまで「アルミナ」という名前を一切、口にしていませんでした。
故に彼女の語る少女が、今も私の家でピアノを弾いているあの女性であるということを、断定できる要素など何処にもなかったのです。
早合点などして怒鳴り散らして、私は一体、何がしたかったのでしょう。
冷静になってみても、解りませんでした。私は自らの中に宿る「激情」という名の怪物が、にわかに恐ろしく思われて、脱力したように椅子へと腰を下ろしました。

……けれども、仮に彼女の語る人物が「アルミナ」でなかったとしても、それでも私は怒鳴ったでしょう。
死んでしまうより他にない、などというこの女性の傲慢を、それがたとえ赤の他人のことであったとしても、私は聞き過ごすことなどできなかったでしょう。
私があのアパルトマンで彼女と過ごしたのは、そうした時間でした。
最愛の女性を懸命に生かし続けてきたこの数年間は、その数年の間に私の肩へとのしかかっていたあらゆる負担は、少なくとも私にとっては意味のある苦しみでした。

「あの子は生きているの?貴方が、生かしているの?」

信じられないような心地だったのでしょう。パキラは驚きに見開いたままの目で真っ直ぐに私を見つめ、弱々しい、彼女らしくない声音でそう問いました。

「……そうだと言ったら、貴方は先程の言葉を撤回するのか?」

パキラは私の問いに答えることなく、深く深く俯いて目元を抑えました。
消え入りそうな声音で「よかった」と呟いたのを、私の耳は聞き逃しませんでした。

「何故、安心しているのです。貴方は、彼女が死んでしまえばいいと思っていたのでしょう?」

「そうよ、だってそうでも思わなければやっていけなかったの。私達があの子を間接的に殺してしまったんじゃないかと、見殺しにしてしまったんじゃないかと思っていたから」

私、それがとても、怖くて。
それはいよいよ臆病を極めた声音でした。死んでしまったあの少女の姿にも似ている気がしました。
あの少女はただただ臆病で、卑屈で、生きることに向いていなくて、……ああ、けれども「だから死んでしまうよりほかになかった」とは、私にはどうしても思えなかったのです。

確かに、生産性のない人間が生き続けることは、社会の合理性に反しているのかもしれません。社会の益とならない存在は、社会には愛されないのかもしれません。
けれどそれが一体何だというのでしょう?
彼女は愛されています。私が愛しています。愛されている人はただそこにいるだけで、生きていてくれるだけで、かけがえがないのです。

そして、その理屈は何も彼女に限ったことではないのです。あの少女も、同じです。あのような臆病で卑屈な少女にも、自らを愛してくれる存在が少なからずいた筈です。
にもかかわらず、小さなカロスの救世主は、愛されていることに気付かないまま、愛されていることを喜べないまま、死んでしまいました。
だから私は、その死を恐れていました。そしてその恐れは、その種類こそ違うものの、テーブルの向かいで深くうなだれるパキラと悉く共鳴し始めていました。

「……おかしいでしょう。フレア団として多くの人やポケモンの命を奪おうとした私が、たった一人の行方不明者にこんなにも取り乱しているなんて」

「……」

「だから私は、カロスの汚いところを許す他になくなってしまったの。
ボスを探そうとしなかったカロスを、あの事件やフレア団のことを簡単に忘れてしまえるカロスを、もう攻撃することができなくなってしまったの。
一人を失うこと、一人を「殺したかもしれない」こと。……それだけのことにさえ私は耐えられなかったのに、どうしてそれよりもずっと多くの命を、手に掛けることができて?」

知人の死を報告する場であった筈のこの席は、いつの間にかこの女性の懺悔の場に変わっていました。
その懺悔を聞くべきは、私ではない筈なのですが、パキラはどうしても、今この場に居合わせた私という存在に許しを請いたがっているようでした。
本当は、この女性が頭を下げるべきは、今もあのアパルトマンの一室でピアノを弾いているであろう、彼女であった筈なのに。

「だから、そんな傲慢なフレア団を解散に追い込んだ、あの臆病な救世主が死んでしまったと聞いて、私はとても恐ろしかったわ。
あの子はもしかしたら、自らの死をもってこのカロスを呪っているのかもしれない。6年前、あんな馬鹿げたことをやっていた私達を、許さないままに死んでしまったのかもしれない。
彼女の死は、あの緩慢な自殺は、もしかしたら、」

「彼女の、命を懸けたメッセージだったかもしれない、とでも言うつもりですか?」

パキラははっと目を見開いて、いいえ、と否定の言葉を紡ぎました。激しく首を振って、そんな筈がない、そんな馬鹿げたことがあっていい筈がない、と繰り返しました。
……けれどもその言葉はあの少女の真実ではなく、この女性が抱くに至った、ただの都合のいい「期待」に過ぎないのです。期待であり、希望であり、願望の域を出ないのです。
本当のところは、あの少女の命は、たった19年でその生涯を自ら閉じてしまった、あの選択は、もしかしたら。

「そんなこと、在り得ない。そんな簡単に命を焼き焦がすようなこと、しちゃいけない。だって生きるって、生きているってもっとやさしいことだわ、そうでしょう?
でも、あの子やアルミナさんのことを思うと、そうではないのかもしれないと考えてしまうの。私達の呼吸は、生き様は、本当はやさしくなんかないのかもしれないと思ってしまうの」

私達の呼吸や生き様は、優しいものではありません。易しいものでもありません。
パキラはまだ認めたくないようでしたが、私はそのことに、もうとっくに気が付いていました。
生きることは優しくなどないし、易しくもないのです。そうでなければいけないのです。

もし、生きることが本当に優しいものであったなら、では私は、彼女が毎日の時を回すことにあれほど苦しんでいる、その苦痛の理由を何処に見ればいいというのでしょう?
もし、生きることが本当に易しいものであったなら、では私は、彼女を生かすことに悉く苦戦を強いられている私を、どのように嗤ってやればいいというのでしょう?

彼女と私の苦しみには意味がある筈だと信じていました。ただその一点のみが、私達の「苦痛」の形をそっと崩してくれていたのです。
その、ともすれば洗脳にも似たその信仰を、私はみすみす手放すつもりはありませんでした。
生きていてくれるだけでかけがえがないのだという真実は、ずっと私を支え続けてくれていました。
そう、今更、このような女の懺悔で揺らぐようなものではないのです。ですから私は努めて穏やかに微笑み、パキラの話が終わるのを静かに、待っていました。
その時の私がどれ程おぞましい顔をしていたのか、……あまり、考えたくはありませんね。

帰り際、パキラは電話番号の書かれた名刺を渡してきました。私も、カフェの紙ナプキンに自宅の電話番号を記して、渡しました。
用があるときは夜の11時から1時の間にかけてください、日中の彼女はピアノを弾くのに夢中で、電話の音に気付くことができないでしょうから、と告げれば、
パキラはその答えを予想していたかのように、そうよねと、彼女はそういう子だったわねと、パキラ自身のためだけの言葉を紡いで、弱々しく微笑みました。

「ありがとう、私達の罪を引き取ってくれて」

そのような気味の悪いことを言うこの女性のことがいよいよおかしく滑稽に思われて、私は声を上げて笑いました。
喜びにではなく、面白さに、おかしさに笑うということをしたのは、随分と久し振りのことであったような気がします。

「貴方はどこまでも傲慢なようだ。私は彼女と共に生きていることを、罪などと感じたことはただの一度もありませんよ。
彼女と生きていること、彼女と共に苦しんでいること、それは私にとって祝福です。かけがえのないことです。貴方のような人間には、解らないかもしれませんが」

「……そう」

「彼女を見守ることで貴方の罪悪感が少しでも軽くなるのでしたら、そうするといい。私はいつでも、貴方にいい報告ができるよう努めることにします」

にっこりと微笑んで席を立ち、エスプレッソの入ったカップをひっくり返してしまったお詫びとして、私は少し多めの金額をスタッフに渡しました。
お客様、と掛けられた制止の声に気付かない振りをして、私はカフェを出て、駆け出しました。スタッフに追いつかれないよう、全力で走りました。
強くアスファルトを蹴ったのは、随分と久し振りのことでした。

ミアレシティの大通りは深夜でも華やかなライトが煌めいていますが、一度細い通りへと曲がってしまえば、薄暗い、夜らしい景色ばかりでした。
そこに響くカツ、カツという靴音を、私は穏やかな気持ちで聞いていました。
子守歌のようにも思えたその音を、私にとっては至極心地の良い音であった筈のそれを、もしここに彼女がいたとすれば、やはり、恐れたのかもしれません。

あとどれくらい、彼女の憂いを取り払えばいいのでしょう。あと何をすれば、彼女は生きやすくなってくださるのでしょう。


2017.6.26
(23:33)

© 2024 雨袱紗