0-9

短いツインテールの少女は、名前をコトネといいました。
走っている間、肩にしがみつくようにしていた小さなポケモンは、もぞもぞと彼女の帽子によじ登り、そこにちょこんと伏せるようにして乗りました。

「この子はチコリータっていうの。2回進化すると、お姉ちゃんのメガニウムと同じ姿になるんだよ」

「お姉ちゃんって、もしかしてクリスさんのこと?」

「そうだよ!今はお姉ちゃん、家を出て別のところで暮らしているけれど、3年前まではヒビキと私とお姉ちゃんとで、いつも遊んでいたんだから」

ヒビキ、という言葉にあなたが首を傾げれば、コトネは「私の双子の弟だよ」と教えてくれました。
クリスは先程、自分は「高校3年生」だと言っていました。もしかしたら彼女は、家を出て一人暮らしをしなければならないような、遠い町の高校に通っているのかもしれません。

「お父さんは町の外で働いているから、今はお母さんとヒビキと私と、あとシルバーっていう子と一緒に暮らしているの」

「わあ、4人兄弟なんだね!賑やかでいいなあ」

「え?……あはは、違う違う!シルバーは別の家の子だよ。彼のお父さんとお母さんも遠くで働いているの。だから私の家に居候しているんだよ。
外の人にこの話をすると皆、驚くんだけど、でもこの町ではこういうこと、よくあるんだ」

まだ高校生であるクリスが、家を出て一人で暮らしている。遠くで働く両親を持つ子供は、他人の家にお世話になる形で暮らしている。
そのようなこと、これまでのあなたは経験したことがありませんでしたし、そのようなことをしている子供を見たこともありませんでした。

誰もが実のお父さん、ないし実のお母さんと暮らしているものなのだと、彼等が仕事の都合で引っ越すようなことが起きれば、当然のようにその子供も付いていくものなのだと、
あなたはそんな風に思っていて、事実、そうしてあなたはこれまで何度も、両親に付いていく形で住む場所を転々と変えてきていたものですから、
この町での「常識」が、あなたのこれまでの常識とかけ離れていることに、あなたはやはり、驚かずにはいられなかったのでした。

「……ねえ、そのシルバーっていう子は、」

「俺に何か用か?」

あなたがシルバーの名前を口にするや否や、あなたの後ろでそんな声が聞こえてきました。
慌てて振り向くと、ラジオ体操のカードをポケットに仕舞いながら、暑さにうんざりしたような顔であなたの方を見遣る、一人の少年の姿がありました。
その足元には、紺色のモグラに似た、細い目をした可愛らしいポケモンが、その小さな前足を行儀よく揃えて佇んでいました。

「えっと、おはよう。私はセラっていいます」

「ああ、さっき皆に囲まれていたな。6年生なんだろう?俺も6年だから、普通に話してくれていい。……それで、俺に何か聞きたいことがあるのか?」

仄暗い茜色の髪と、同じ色の目が特徴的な少年でした。あなたはビルの隙間から、似た赤い色の満月を見たことがあったのを思い出しました。
少し怖い雰囲気を持った男の子は、あなたがこれまで出会ってきた子供達のように、にっこりと笑いこそしなかったものの、比較的あなたに友好的な口調で接してくれました。

「えっと、シルバーのお父さんとお母さんは町の外にいるの?」

「そうだ。都会の、……ちゃんとした名前は忘れたけれど、大きな研究所で働いている。だから俺はコトネの家に住まわせてもらっているんだ」

「……お父さんやお母さんと離れて暮らすのって、不安じゃない?寂しくない?」

「なんだ、お前は寂しいのか?」

彼はにっと小さく笑いました。あなたをからかうような、試すような笑い方であるように思われました。
けれどもそう問われて初めて、あなたはあなた自身の不安や寂しさが、かつてのあなたが想定していたよりもずっと小さな形でしか燻っていないことに気付きました。
あなたは自分のことながら、とても驚いてしまいました。
この町に来てから、……いえ、駅のホームであの女性に声を掛けられてから、あなたは「寂しい」と思うことをすっかり忘れてしまっていたのです。

「寂しく、ないかもしれない」

茫然とした調子で、あなたはそう告げました。
シルバーは呆れたように笑いながら、足元のポケモンを大事そうに抱えて、あなたの背を向けつつひらひらと手を振りました。

「この町じゃ、そう簡単に「寂しい」なんて思えないぞ」

コトネはあなたの肩をぽんと叩いてから、「ヒビキのことも紹介したいから、近いうちに私の家へ遊びにおいでよ!待ってるから!」と告げて、シルバーの方へと駆け出しました。
足の速い彼女はすぐに彼の隣へと並び、まるで小さい子供がするように二人は手を繋ぎました。
シルバーは暑苦しそうな横顔でしたが、コトネの手を振りほどくようなことはしませんでした。
少し不器用なきらいのありそうな少年でしたが、きっと心根は優しい子なのでしょう。あなたは遠ざかる彼等の後ろ姿を眺めながら、何故だかとても安心することができたのでした。

すると、あなたの目が突如として、大きな手により塞がれました。
え、誰?とあなたが暗闇の中で焦っていると、豪快な笑い声と共にぱっと手が離されて、あなたの右側から、ポニーテールの少女がぬっと顔を見せてくれました。

「ラジオ体操、もう終わったのね。あーあ、スタンプを貰い損ねちゃった。あんたのせいよ、エヌ」

「ボクは6時30分に起きていたじゃないか。トウヤがなかなか布団を手放さなかったのが直接の原因だったと思うのだけれど」

「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれ。俺が布団を放さなかったんじゃない。布団が俺を放してくれなかったんだ。布団が悪いね、俺のせいじゃない」

そんな愉快な言葉を交わしつつ、背の高い三人はあなたの前に並びました。
茶色い髪の女の子と男の子は顔立ちがとてもよく似ていました。おそらく兄弟なのでしょう。
その二人よりも更に高い背の少年、……いえ、もう「青年」と呼ぶべき年齢だったのかもしれませんが、
そんな彼はとても鮮やかな若草色の髪を、まるで女の子のように長く伸ばしていました。

「……もしかして、あなた達も一緒に暮らしているの?」

「そうよ。私とトウヤは双子だから当然なんだけど、エヌと私達には血の繋がりはないの。
あんた、さっきシルバーと話していたでしょう?こいつの両親も、彼の両親と同じところで働いていて、この町にはいないから、私の家でこいつの面倒を見ているのよ」

そう言われて、あなたは改めて三人を見比べました。彼等もまた、あなたの「常識」とは少し離れたところを生きている人であったようです。

背の高い彼等が何歳なのか、正確なところはまだ分かりませんでしたが、少なくともあなたよりは確実に年上であるように思われました。
年上の子供と接する機会がこれまで殆どなかったあなたは、自分から先に自己紹介をするべきなのか、それとも三人のうちの誰かが口を開くのを待つべきなのか、迷っていました。
けれどもあなたがそれを決めるより先に、「布団に愛されている」らしい茶色い髪の少年が、にっこり笑ってあなたに手を差し出してきました。

「ようこそ、更紗町へ。俺はトウヤ。エアコンの効いた部屋で涼しい夏を謳歌する、引きこもりの中学2年生だ。相棒はツタージャで、あそこの砂場で遊んでいる、緑色の奴だよ」

かっこいいのかかっこ悪いのかよく解らない自己紹介でしたが、
少なくともトウヤ自身は、外に出たがらない自身のことが嫌いではなく、寧ろそんな自分に相当な自信を持っているようでした。
あなたがその手を握ると、彼は嬉しそうに頷いて握り返してきました。けれどもあなたの手は、あなたが想像していたよりもずっと弱い力でしか握られませんでした。
適度に日焼けした肌を持つ、ノースリーブの服を着たポニーテールの少女と比較すると、彼の来ている長袖のパーカーから少しだけ覗く、その白い肌はとても目立っていました。
どうやら「引きこもり」をしているというのは本当であるようです。

そんな彼をぐいと押しのけて、ポニーテールの少女が呆れたように微笑みつつ、あなたの頭を麦わら帽子の上からぽんと軽く叩きました。
彼女があなたの前へ歩み寄れば、同時にもう一人の長身の青年も一歩前に出ました。まるでこちらが双子なのではないかと思う程に、彼女と彼の足並みは揃い過ぎていました。

「私はトウコ。この馬鹿の双子の妹で、コトネの友達。私のポケモンはミジュマルっていうの。あの青いポケモンがそうよ。
ちなみにもう一匹、黒い犬みたいなポケモンがいるけれど、あれはゾロアっていう名前で、エヌのポケモンね」

饒舌にそう語ったトウコの隣で、エヌ、と呼ばれた青年は「あれ、ボクの話すことがなくなってしまったよ」と困ったように笑いながら眉を下げました。
あなたが近くで彼を見上げると、その背がより一層高いものに思われました。
あなたの父親よりも、更に背が高いように思われましたが、とても細いせいでしょうか、彼には大人の男性のような威圧感が全くありませんでした。
彼の背格好は大人そのものでしたが、彼の身に纏う雰囲気はまるで、あなたよりも幼い子供のようなそれだったのです。

「カノジョが紹介してくれた通り、ボクはエヌだ。本名はもう少し長いのだけれど、皆はアルファベットの「N」でボクのことを呼んでくれているよ。
この町にクリスという女性がいるだろう?ボクはカノジョと同い年で、高校3年生だ。少し年が離れているけれど、気軽に話しかけてくれると嬉しい」

あなたは頷いて、彼とも握手をしました。
エヌ、というのはアルファベットのNのことで、どうやらそれはこの青年のニックネームであるようです。
あなたが先程と同じように自己紹介をすると、3人はアポロとよく似た反応をしました。
「あのカフェのマスターに親戚がいたなんて!」と、一様に驚いていたのでした。

「中学生のラジオ体操は自由参加なんだけど、でも1日に1回はトウヤを外に出すために、私達は特別にカードを貰って、毎朝、この公園に来ているの。
あんたが早起きを続けるなら、これからずっと会うことになりそうね。
……ああ、もしこの町での夏休みが退屈だったら、私の家にいらっしゃい。私やNは頻繁に外に出掛けているけれど、トウヤなら確実にいるから、暇潰しには事欠かないわよ」

最後にトウコがそう告げてから、同じ家に住んでいる彼等は、同じように公園を出て同じ帰路に着きました。
トウヤが途中であなたの方を振り返り、大声で「いつでも遊びに来いよ!」と笑いながら告げてくれたのが印象的でした。
けれどもあなたはつい昨日この町に来たばかりで、コトネやトウヤの家が何処にあるのか、まるで分かっていませんでした。
お姉ちゃんなら知っているかしら、と考え始めていたあなたの元へ、クリスがスキップするような足取りで歩み寄ってきました。
預かってくれていたタマゴが、再びあなたの腕の中に戻ってきました。

大きなタマゴは時々、中で動いているようでした。

2017.8.2

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