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「さあセラちゃん、どの花火がいい?」

クリスにそう尋ねられ、あなたはタマゴを抱えていない方の手で、花火の入った袋に手を伸ばしました。
特に自分の持つ花火に拘りを持っている訳ではなかったので、あなたは特に迷うことなく、一番初めに目に留まったものを手に取ったのです。
光沢を放つテープで装飾された、カラフルな色の花火でした。あなたがそれをまじまじと見ていると、ミズゴロウを抱きかかえたユウキが、その花火について説明をしてくれました。

「おっと、一発目からそれを選ぶなんて強気だね!それはかなり煙が出るやつだから、気を付けた方がいいよ」

「そうなんだ、火を付ける前からどんな花火か分かるなんて、凄いね!」

「へへ、もう何十回とやっているからさ、覚えちゃったんだよ」

煙に気を付けて、と忠告されたあなたですが、一度手に取ったものを袋の中に戻すのは気が引けましたし、何よりその「煙」がどれ程のものか、実際に見てみたい気持ちもあったので、
あなたはアカギが灯した蝋燭の火に、その花火の先を持っていき、火が灯ったことを確認してから、花火が「始まる」瞬間を今か今かと待っていました。

パチ、パチ、と途切れがちに聞こえ始めたその音は、やがてザーッという雨のような音に変わり、オレンジ色と白色の火花をシャワーのように地面へ降らせました。
弧を描く明るい光を、あなたは声を出すことさえ忘れてじっと見つめていました。
こんなにも近くで、こんなにも眩しい炎があるにもかかわらず、あなたはそれ程、暑さを感じませんでした。
火花はあなたの手のすぐ近くで弾けていますが、痛みは全くありませんでした。
その不思議な魅力を持つ炎は、やがて小さく頼りなくなり、夏の夜風にふわりと掻き消されるようにして、消えました。

「……」

あなたはとても楽しい気分であった筈なのに、その花火を終えた途端、どういう訳だか急に、泣きたい気持ちに襲われてしまいました。
花火を終えた後の夜はとても暗く、深く、まるで飲まれてしまいそうでした。
乞うように星を見上げても、あれ程美しいと感じていたその明るい星空さえ、どうにも頼りないように思われてしまったのです。
あなたの手の先で弾けていた炎の花は、それ程の明るさと眩しさで、あなたの心を穿っていました。
あなたは茫然と、花火の燃えかすを持ったまま、緩慢に瞬きを繰り返す他になかったのです。

「悲しいか?」

「!」

隣に腰掛けたサターンが、あなたの表情を窺うようにそう尋ねました。その手には2本の花火が握られていて、彼は1本をあなたに向けて差し出しました。
あなたが受け取ることを躊躇っていると、彼は笑いながら「大丈夫だ、まだ花火は沢山ある」と、あなたを僅かばかり安心させる言葉を告げました。

「思いっ切り楽しんで帰るといい。都会ではこんなこと、なかなかできないだろう?夜の暗さを忘れるくらい、大量に火を灯して帰りなさい。
……ああ、だが花火を束にして火を付けたり、花火を振り回したりするのはやめなさい。たまにそんなことをする奴がいるが、君は真似をしないことだ。あれは悪い例だからな」

彼があなたを慰めるようにそう言い終えるのと、そのすぐ隣を、花火の4本持ちをしたユウキが駆けていくのとが同時でした。
サターンは慌てたように「おいユウキ、4本はやめろ!」と声を荒げ、ユウキから花火を取り上げるべく立ち上がり、その背中を追いかけ始めました。
残されたあなたは、もう一度、花火を火に近付けました。
今度は緑色と黄色の光がパチパチと弾けるタイプの花火で、その火を遠くから見つけたのでしょう、ヒカリが「あ、私の好きなやつだ!」と声を上げて、歩み寄ってきました。

「花火、楽しい?」

「……うん、楽しいよ。でも少しだけ悲しい気分になるね」

「え、まだ早いよ!悲しい気分になるのは、線香花火が終わってからだよ」

線香花火、という小さな可愛らしい花火があることを、あなたは知識として知っていました。それはとても繊細なもので、慎重に扱わなければすぐに火の玉が落ちてしまうそうです。
けれどもその小さな火の玉がパチパチと小さく弾ける様は、とても幻想的で、綺麗で、夢を見ているような心地になるのだと、
あなたは線香花火をしたことのあるクラスメイトから、そんな風に聞いたことがありました。

「線香花火は最後にするんだよ。もうちょっと待ってね」

ヒカリはそう告げて、新しい花火を取りに向かいました。
あなたは2本目の花火が消えたのを見届けてから、水を満たしたバケツの中にそれを入れて、ふと、辺りを見渡しました。

サターンから花火を取り上げられたユウキが、不服そうな顔で1本だけ花火を持っていました。
アカギとお姉ちゃんは、子供達から少し離れたところで談笑していました。
ヒカリとコウキが花火を楽しんでいるところに、クリスがそっと歩み寄って「火を頂戴」と告げました。
ヒカリの傍で花火を楽しんでいたポッチャマが、手に持っていた花火をクリスの方へと向けました。
クリスが持った花火の先にその炎が降り注ぎ、暫くするとオレンジ色の花火がパチパチと弾け始めました。

花火の命はあまりにも短く、夜の時間はあまりにも長い。
その短すぎる命である花火を楽しむことは、まだ少し、あなたには難しいように思われました。
あなたのそうした、ささやかな寂しさに共振するかのように、腕の中のタマゴは大きく、ふるふると揺れていました。
あなたはそれを、あなたの感情が抱かせた錯覚だと思っていたのですが、その揺れが段々と大きくなり、パキ、という音が聞こえた瞬間、いよいよ確信したのです。

やっと、会えるのだと。

あなたは両手でタマゴをしっかりと抱きました。誰に何をどう説明していいか分からず、あなたはただ夢中で、その腕の中を覗き込んでいました。
あなたの異変に気付いたらしいクリスは、あら、と声を上げてあなたに駆け寄りました。サターンも気付いたようで、子供達に花火をやめるように促しました。

「どうしたの?まだ花火、残っているよ」

「ああ、知っているさ。だが今は、花火よりももっとすごいものを見る時間だ」

その言葉を合図として、あっという間に、公園にいる全員があなたを取り囲みました。
パキ、パキというひび割れの音は少しずつ大きくなって、タマゴの殻は少しずつ、剥がれ落ちてきていました。

そうしてゆっくりと、耳が出て、足が出て、顔が出て……という風に、ポケモンの孵化は行われるのだと思っていたのですが、実際はあなたの想像とかなり異なっていました。
半分ほど、タマゴに深いひびが入った頃になると、タマゴは1回、2回と大きく震えて、まるでシャボン玉のようにパチン、と弾けるように割れたのです。
ぱあっと、花火の炎とは比べ物にならない程の明るい光が溢れてきました。眩しくて、腕の中で何が起こっているのか、あなたにもよく解っていない、といった状況でした。

やがてその光が小さくなっていき、やはりシャボン玉のように弾けて消えました。
あなたはようやく、あなたの腕の中を選んで生まれてきてくれた命と、視線を交えることができたのです。

「……」

大きな瞳でした。ビー玉のように透き通った2つの目に、あなたの驚いた表情と、その向こうの星空が映りこんでいました。
夜風にふわふわとなびく毛は、ココアを連想させるような温かみのある茶色をしていました。
大きく長い耳と、ふわふわの尻尾を持っていて、首を覆うように生えている白い毛にあなたが指を伸ばしてそっと触れれば、その目が心地良さそうにすっと細められました。

「あなたが、イーブイ?」

あなたは震える声でそう尋ねました。
その小さな命はあなたを慕うように、あなたの傍を乞うように、あなたの声を喜ぶように、甲高い声で小さく鳴きました。
あなたの周囲に散らばっていたタマゴの殻は、まるでそれ自体が幻であったかのように、キラキラとした砂になって、夜風にあおられ、吹き上げられ、消えてしまいました。

あなたは思わず、誰かに説明を求めたくなって、顔を上げました。
子供達から一歩離れたところでその様子を見ていたクリスは、あなたに向かって、声を出すことなく口だけで『なまえ』と紡ぎました。

『貴方の、名前』
そう言っているのだと理解した瞬間、あなたは慌てて視線を戻し、「私は、」と上擦った声で言葉を紡ぎました。

「私は、セラ

「……」

「あなたの、トレーナーです。……よろしくね」

返事をするようにイーブイが鳴いた瞬間、周りにいた人物が、それまでの沈黙を勢いよくほどいたかのように、わっと歓声を上げました。
おめでとう!よかったね!まさか1日で孵るなんて思わなかったよ。私も触っていい?
そうした言葉に覆い尽くされて、あなたは何故だか泣きたくなりました。
けれどその、泣きたくなるような心地は、花火の短すぎる命を見届けたあの瞬間のそれとは、何かが決定的に違っているのでした。

けれども気を緩めれば泣いてしまいそうであったのは、あの時も今も変わりません。
人というものはどうやら、何かの終わりにも、何かの始まりにも、泣きたくなってしまうことがあるのだと、あなたはそうしたことを理解するに至ったのです。

沢山の祝福を受けたあなたは、イーブイの温かい温度を肌に感じながら、クリスとお姉ちゃんのところに駆け出しました。
見て、と示すまでもなく、二人は駆け寄ってきたあなたのことを、その腕の中の命のことをちゃんと見てくれていました。
二人は同時に、とてもよく似た声色の「おめでとう」をあなたに奏でてくれました。

2017.8.25

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