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エメラルドの瞳を有した3人がカフェを出るのと、お姉ちゃんがあなたを呼ぶのとが同時でした。
当然のように、お姉ちゃんはクリスの分の食事を用意していました。
クリスも、食事をご馳走になることを露程も疑問に思っていないような笑顔で、彼女に「ありがとう!」と告げるのみでした。

「今日はルザミーネさん達のためにフランス料理を用意していたから、ついでに皆の分も作っておいたのよ。なかなか上手に出来ているでしょう?」

「うん、美味しい!……でも、見たことがない料理ばかりだから、名前が全然分からないね」

クリスとお姉ちゃんは顔を見合わせて、小さく吹き出しました。
この、とても綺麗な料理の名前を知らないことは、どうやらこの二人にとっては「おかしなこと」であったようです。

「ああ、そうよね、確かにそうだわ!私もセラくらいの頃はまだ「ごちそう」っていえば、ハンバーグやお寿司くらいしか思い浮かばなかったもの!」

あなたは照れたように笑いながら、成る程、大人の「ごちそう」というのはこういった、所謂お洒落なフランス料理のような食べ物を指すのだと、察することができました。
確かに、ハンバーグやお寿司ではしゃぐのはいつだって子供の方で、大人はそうしたあなた達のはしゃぎようを、優しい眼差しで見ているのが常であったように思います。
ただ、あなたは子供でしたが、大人にとっての「ごちそう」であるこの不思議なサラダのことも、同じように「とても美味しい」と思うことができました。
それは、お姉ちゃんの料理の腕がとてもいいことを示していたのかもしれません。もしくはあなたが、子供から大人へと変わり始めている証であったのかもしれません。

これは何て名前なの、と二人に尋ねれば、二人は全く同じタイミングで「カルパッチョだよ」と告げました。
クリスもお姉ちゃんも、少し高めのメゾソプラノの声音をしていて、その声色はとてもよく似ていたものですから、
まるでたった一人が奏でているかのように、その「カルパッチョ」という音はあなたの鼓膜を心地良い波長で揺らしたのでした。

コース料理、というものは、どうやら料理が一品ずつ、順番に運ばれてくるものであるようです。
あなた達がカルパッチョを食べ終えるや否や、お姉ちゃんはすっと席を立ち、三人分の食器をまとめて厨房へと姿を消し、次の料理であるスープを持って来てくれました。
その濃い緑は、あなたとクリスが昼間に食べた、抹茶のお蕎麦に似ている気がしました。

「これは抹茶のスープなの?」

そう尋ねれば、やはり二人はとても楽しそうに笑いながら、あなたのその可愛らしい誤解を許してくれました。
「ほうれん草のポタージュ」とあなたは説明を受けましたが、そのスープをいくら口に運んでも、ほうれん草の気配は全く感じられませんでした。
じゃがいもと生クリームとほうれん草で作るのだと、お姉ちゃんは楽しそうに話していました。
クリスは相槌を打ちながら、「レシピを盗んで帰ろうかしら」と冗談っぽく言いながら笑っていました。

大きな帽子を裏返したような真っ白の器に、少しだけ盛られたパスタを静かに食べました。鶏モモ肉のソテーを、不思議な味のするソースに絡めて一緒に食べました。
デザートは指で摘まみ上げられそうな程に小さな、サイコロ状のガトーショコラでした。
食後にクリスとお姉ちゃんはコーヒーをブラックで飲み、あなたはコーヒーにたっぷりのミルクを注いで飲みました。
3人はまるで家族であるかのように、ずっと前からそうであったかのように、よく食べてよく笑い、よく楽しんでいました。

「ああ、美味しかった!ご馳走様」

「良い食べっぷりだったわよ。若いうちにいっぱい食べておきなさい。20を超えると、こってりしたものが胃に苦しくなってくるから」

「ふふ、そう言いながら貴方もしっかり完食しているじゃないの。貴方が元気に食べているうちは、私も料理を残すつもりはないわ。……セラちゃん、美味しかった?」

「うん、とっても!」

あなたは大きく頷いて、空になったデザートの器を重ね始めました。
クリスは感心したように「偉いね」とあなたを褒めてくれましたが、お姉ちゃんはそうしたあなたの善意にではなく、動こうとしないクリスのささやかな悪意に声を向けました。

「あれ?クリスは手伝ってくれないの?このコース料理は私の奢りだっていうのに、貴方は私に何もしないまま、ご馳走様だけ言ってこのカフェを出て行くつもりかしら?」

「はーい、手伝わせていただきまーす」

おどけたように肩を竦めて、まるであなたよりもずっと幼い子供がするように、舌を出して照れたように微笑みながら、クリスは空になったグラスを集めて立ち上がりました。
広いシンクに積み上げられた大量の食器を前に、あなたは腕まくりをしてから、水道の蛇口を捻りました。
外の暑い気温を忘れさせるかのような、とても冷たく心地いい水を手に浴びながら、あなたは全てのお皿を水に浸し、スポンジを手に取りました。

「スポンジで擦ったものは私に頂戴。水で洗い流しておくから」

隣に立ってそう告げたクリスに頷き、あなたはスポンジでお皿を擦り始めました。
一枚終える度にクリスへと渡し、クリスがそれを蛇口の下にかざして泡を洗い流しました。
指の腹でキュ、と音が鳴ることを確かめてから、綺麗になった食器をカゴの中に放り込んでいきました。
二人で取り掛かれば、山のようにあった食器もすぐに終わってしまいました。
あっという間だったね、と顔を見合わせて笑えば、まるでクリスが本当に、あなたの家族であるように思われてしまったのでした。

あなたが名残惜しそうに冷たい水で手を洗っていると、お姉ちゃんが1本の蝋燭と大きなビニール袋を持って、カフェの方から顔を出し、二人を呼びました。
白いビニール袋には何が入っているのだろう、とあなたが首を捻っていると、彼女は得意気に微笑みながら、その中身を見せてくれました。

「ほら、花火!都会じゃなかなかできないでしょう?一緒にやろうよ!」

「あらあら、それ、去年の残り物じゃないの?湿気ていないといいけれど……」

「大丈夫よ、大事な「妹」にお古の花火なんて使わせないわ。1週間前に雑貨屋さんで買ってきた、新しいものだから、心配しないで!」

都会に住んでいたあなたは、花火というものを「観た」ことはあれど「した」ことは一度もありませんでした。
映画やアニメで花火をしている場面を見たことはありましたが、実際にそれを手に取るのは初めてのことです。
そのため、期待に息を弾ませながら返事をして、こっちだよ、と手招きをするお姉ちゃんの背中を追いかけて、水に濡れた手を拭くのもそこそこにキッチンを出て行きました。
後ろで、クリスが小さく笑いながら、あなたの後を付いてきてくれる気配がしました。

靴を履き、夜の町へと飛び出します。雨はもうすっかり上がっていて、そこかしこにある水溜まりには、無数の星が映りこんでいました。
まるで地に降り注いだかのような星に、あなたはすっかり感動してしまって、わあ、と声を上げながらその水溜まりの手前で屈み、星に手を伸ばしました。
ちゃぷん、と僅かな水音を立てて揺らぐ星は、雨のせいではなく、昨日の流星群により本当に落ちてきてくれたものなのではないかしらと、あなたはそんな風にも思いました。

セラちゃん、こっちだよ!」

早朝、ラジオ体操を行った公園のある場所へと、あなた達三人は歩き出しました。
公園には、同じように花火を楽しもうとしていたらしい、数人の子供と大人の姿がありました。
その中に見覚えのある顔を見つけたあなたは、思わずその名前を呼んで、駆け寄りました。

ヒカリ、コウキ!こんばんは!」

「あ、セラちゃんだ!こんばんは!もしかして花火をしに来たの?」

「じゃあ一緒にやろうよ!ぼく達も今日は天体観測じゃなくて、花火をする日なんだ。あっちにユウキがいるから、もしやりたい花火があるなら、譲ってもらうといいよ」

その言葉にあなたが視線をブランコの方へと向けると、ユウキとサターンとあと一人、背の高い大人が立っているのが、夜闇の中にぼんやりと浮かび上がって見えました。
あなたがユウキの名前を呼ぶと、三人が同時にあなたの方を見ました。
ユウキとサターンはあなたの方に笑いかけてくれたのですが、背の高い男性はあなたを見るなり、異様に警戒した様子でその薄い肩を強張らせていました。

「アカギさん、この子が昼間に話していたセラですよ」

「ああ、そうか君が……」

「はい、夏休みの間、カフェで暮らすことになっているんです。よろしくお願いします」

あなたはいつもの自己紹介をしましたが、彼は歯切れの悪い相槌を打つばかりで、あまりあなたに対して言葉を紡ぐことをしたくないようでした。
その沈黙を埋めるかのように、アカギの傍に居た眩しいポケモンが、電気を灯しているかのような不思議な光を放ちつつ、あなたとアカギの間をくるくると飛び回りました。
あなたが言葉を発さない彼のことを疑問に思っていると、花火を持って現れたクリスが、微笑みながらあなたに説明してくれました。

「アカギさんは少しシャイなところがあるの。饒舌な彼に会いたいなら、夜にヒカリやコウキと一緒に山登りをするといいわ。
星のことになると、アカギさん、とっても饒舌になってくれるから」

「シャイではない。ただ、初対面の人間にどう話しかけていいか分からないだけだ」

すかさず言い返したアカギは、眉をひそめつつ「君のことを嫌っている訳では断じてない」と、あなたへの態度をフォローする旨の言葉を紡ぎました。
花火を持ったヒカリが駆け寄ってきて、「アカギさんは優しい人なんだよ!」と、心から彼を慕っているような、明るく甘い声音でそう告げました。

「私、アカギさんのことが大好きなの!」

「そうなんだ、素敵だね。私にもそんな人、できるかなあ」

あなたが素直に、ヒカリの真っ直ぐな好意を羨んでいると、アカギは焦ったように苦笑しながら、「おい、いきなり何を言い出すんだ」とヒカリを窘めました。
その横顔が殊の外優しいものに思われたので、あなたは思わず息を飲んでしまいました。
ああ、きっとアカギも口に出さないだけで、ヒカリのことを大事に想っているのだろうと、そうしたことをあなたはなんとなく、察することができてしまったのでした。

2017.8.25

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