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大きなジャングルジムには、7人の子供と6匹のポケモンがいました。
高いところまで上っていたヒカリとコウキは、あなたが近付いてくるのを見ると、ポケモンと共に、すぐ下りてきてくれました。

ジャングルジムの一番低いところに座っていた、緑色の髪の小柄な男の子が、あなたに向かって小さくお辞儀をしました。
その膝の上に乗っていた薔薇のポケモンも、トレーナーである彼の動きを真似るように、優雅な仕草でぺこりと頭を下げたのでした。

「あ、ラジオ体操のときにいた子じゃないか!」と、大きな声で叫びつつ、ジャングルジムの中から幼い少年がぐいと顔を出しました。
それに続くようにして、オレンジ色の猿に似たポケモンが、素早い動きでジャングルジムの中を通り抜けて、ひょいと彼の隣に飛び出してきました。

セラっていうんだよ。小学6年生で、夏の間だけこの町にいるんだって」

「初めまして、よろしくね」

薔薇のポケモンを膝の上に乗せた男の子と、ジャングルジムの中から顔を出した男の子は、ヒカリやコウキと同じ小学4年生で、ミツルとジュンという名前でした。
ミツルの近くで、隠れるようにしてあなたの様子を窺っていた男の子は、その腕にフクロウのようなポケモンを抱えていました。
あなたが彼に名前を尋ねると、彼は顔を真っ赤にしつつ、どもりながらも「ヨウ」と、小さな声で名前を告げてくれたのでした。

「なあ、都会から来たんだろ?町の外の話、詳しく聞かせてくれよ!」

そう告げつつジャングルジムから降りてきた男の子は、少し大きな白い帽子を深く被り直しつつ、眩しい笑顔であなたにそう告げるのでした。
差し出された手は、あなたがこれまで出会った誰の手よりも日焼けしていて、外で沢山遊んでいるのだろうということがあなたにも容易に窺い知れました。

「うん、いいよ。君もこの町のこと、教えてくれる?」

「勿論!オレはユウキ。コウキやミツルやジュンの先輩で、小学6年生。君と同い年だ、よろしく!」

あなたが「よろしく」と微笑み返すと、ユウキの傍に彼のポケモンが駆け寄ってきました。
夏の日差しを沢山浴びていると思しきユウキとは対照的に、そのポケモンはとても涼しげな、水色の見た目をしているのでした。
その一人と一匹をあなたが微笑ましく思っていると、ふいに上の方から、あなたの「微笑ましさ」に同調するかのような、小さな笑い声が降ってきました。
ユウキとの握手を終えた手は、その声に驚くようにぴたりと宙で止まってしまいました。
あなたは手を下げることをしないまま、首だけを動かしてぐいとジャングルジムの頂上を見上げました。

お洒落な装飾の施された傘をくるくると回しながら、高校生くらいの少女がすまし顔でこちらを見下ろしていました。

「あの子はトキちゃん。隣町の高校に通っているんだけど、夏休みの間だけ、この町に帰ってきているの。
でもお父さんとお母さんは、もっと遠いところで働いているんだって。だからトキちゃんはこの夏、石のお兄さんの家で暮らしているんだよ」

ヒカリが人懐っこい笑みを湛えながら、そう説明してくれました。
あなたがその少女からヒカリの方へと目を移し、そうなんだ、と相槌を打つと、その瞬間、ジャングルジムの頂上にあった傘の影がぬっと大きく動きました。
あなたが慌てて視線をそちらに戻すと、トキと呼ばれたその高校生は、ジャングルジムの4段目に白い足を掛けて立ち上がり、優雅な仕草で傘を畳みました。

ジャングルジムの高いところ、しかも隅でそのように立ち上がることがどれ程危険で恐ろしいことであるのか、あなたはよく知っていました。
そのため、「危ないよ!」と叫ぼうとしたのですが、それより先に彼女は軽快なステップを踏むようにして、何の躊躇いもなく宙へと飛び出してしまったのです。

「!」

さっと、あなたは顔を青ざめさせました。なんて危険なことを、と思ったのですが、けれども飛び出してしまったものはもうどうすることもできません。
あなたは彼女の、甘い色合いをした可愛らしいスカートが、重力に煽られてふわりとバルーンのように舞い上がる様を、ただぼんやりと見ていることしかできませんでした。
その中に隠されていた、黒いスパッツに覆われた細い足が、着地に備えて独特の構えを取りました。
彼女は下の地面へと、僅かな靴音を立てて着地して、ふうと横顔に小さな息を細く短く吐き出しました。

それはあまりにも短い間の出来事であり、あまりにも優雅な「飛翔」でした。
その大きな鈍色の目には「危険なことをした」という焦りの色も、「危ないところだった」という恐怖の色も、何一つ映っていませんでした。

茫然と立ち尽くすあなたの前で、トキは再び傘を開きました。赤と白のフリルが付いた、とても可愛らしい日傘でした。
高校生である、ということを考慮しても、トキの背はとても高く見えました。しかしそれは彼女の身長のせいではなく、その白い足に履かれたハイヒールのせいでしょう。
踵の高さは、ゆうに8cmはあるように思われました。その靴にはキラキラと輝く石が2つ、リボンを模したような配置で爪先のところに埋め込まれていました。
開いた日傘を、彼女は暇を持て余すようにくるくると回していました。
彼女の周りには日傘の作る濃い影が落ちていて、その隅にはフリルの波がひょいと顔を出している、というような状態でした。

田舎町には悉く似合わないこの少女は、あなたの茫然とした顔を見て、けれどもそのすました微笑みをぐらりと崩し、まるで子供のようにケタケタと笑い始めたのです。

「あはは、どうしたのよそんな顔をして!」

「だ、だってこんな危ないこと、」

「ああこれ?危険なことなのかしら?もう慣れてしまったから、ヒヤリともしなかったわ。私にとってはゾウサもないことよ」

ゾウサ、とは何のことなのだろうとあなたが首を捻っていると、トキはあなたの腕に抱かれていたタマゴに目を留めました。
くるくると回していた傘をピタリと止めて、じっとあなたの腕の中を見つめたトキは、それを指差しつつ「あなたのポケモン?」と尋ねました。

「えっと、そうなのかなあ。でもこの子が生まれてきてくれたら、私はポケモントレーナーになれるんだって」

「そうなの、いいわね。私もポケモントレーナーになってみたいわ。自分のポケモンがいつも傍にいるって、どんな気持ちなのかしら」

この町の子供は皆、ポケモンを連れているのだと思っていたのですが、どうやら全ての子供がそうである、ということではなさそうです。
ポケモンを持っていない。そんなこと、町の外ではありふれた、当然のことです。
けれどもこの不思議な町、ポケモンが人の傍に平然と存在する場所においては、ポケモントレーナーでない人の方が、目立っていました。
その奇妙な現象をあなたが受け入れかねていると、トキはクスクスと笑いながら「でも仲良しのポケモンはいるのよ」と、得意気に肩を竦めて、また傘をくるくると回すのでした。

「プラスルっていう兎みたいなポケモンよ。最近はほとんど毎日、庭に遊びに来てくれているの。もしよければ貴方も見にいらっしゃい」

そう告げて、トキはあなたの横をそっと通り過ぎました。
ヒカリが「トキちゃん、またね!」と告げると、彼女は振り返って、まるで幼子のような無邪気さで、その白い手をいっぱいに振ってさよならの挨拶をするのでした。

彼女が校門を出て行った辺りで、ユウキがあなたの耳元でそっと囁きました。

トキは本物の「お姫様」なんだ」

「お姫様……?確かに、言葉も笑顔も声も歩き方も、とっても優雅だったね!」

「そうだろう?でも彼女はその実、かなりお転婆で無邪気なところがあってね。だからやんちゃなオレたちとは気が合うんだ。君もきっとすぐに仲良くなれるさ。
離島にはお姫様の成り損ないがいるけれど、あっちには騙されないように気を付けなよ」

笑顔でそう語るユウキの口から、あなたは「離島」という新しい場所と、「成り損ない」という悲しくも物騒な言葉を聞くことができました。
それまで、ニコニコと微笑みながらあなた達の会話を眺めていたクリスにあなたは駆け寄って、離島のことについて尋ねようとしました。
けれどそれより先に、クリスは困ったように笑いながら、柔らかい拒絶の言葉を紡いだのです。

「ごめんね、私は案内できないの。もし気になるのなら、セラちゃんが一人で行っておいで」

あなたは慌てながら、別に今すぐに離島へ行きたい訳ではないのだと、そこには何があるのか少し気になっただけなのだと、そうしたことを早口で告げました。
クリスは安心したように笑いながら、彼女は何も悪くなかった筈なのに「ごめんね」と、彼女らしくない、優しくない言葉をそっと貴方に囁いたのでした。

クリスはあなたの手を再び握って、小学校を出て行きました。あなたは一度だけ振り返り、子供達に大きく手を振りました。
次は何処へ行くの、とあなたが尋ねるより先に、彼女は嬉しそうに笑ってこう言いました。

「お腹、空いていない?一度商店街に戻ってみようよ!民宿をやっているお家があってね、遊びに行けば、いつでもお蕎麦を食べさせてくれるんだよ」

2017.8.5

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