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道ですれ違う沢山のポケモン達、その名前をクリスに教えてもらいながら、あなたは商店街へと戻ってきました。
小さな店ばかりでしたが、日用品店や八百屋、郵便局などもあり、此処に来れば生活に必要なものの大抵は揃いそうでした。
あなたが暮らしているカフェもこの商店街にあり、通りを挟んで向かいにある大きな建物が、どうやらクリスの言う「民宿」であるようでした。

「民宿は此処なんだけど……折角だから一度カフェにも顔を出しておこうか。お友達が沢山出来たんだよってマスターに教えてあげれば、きっと喜ぶと思うから」

クリスの提案にあなたは大きく頷いて、カフェの扉を押し開きました。
カランカランと、乾いた木が擦れるような音が鳴り、どうやらそれはドアのところに仕込まれているようでした。
誰かがドアを開ければ、この音ですぐに解るようになっているのでしょう。
事実、誰かと談笑していたと思しきお姉ちゃんの声は、あなたがドアを開けることによってぴたりと止まりました。

「あら、おかえりなさい!お昼ご飯が必要かしら?」

「ううん、今日は大丈夫!民宿の人がお蕎麦をくれるらしいから、今からそこに行くところなの」

「あはは、そうなんだ。ザオボーさんは子供が大嫌いだから、きっと貴方とクリスが遊びに行けば喜んでお蕎麦を出してくれると思うよ」

子供が大嫌いなのに、どうして子供の訪問を喜ぶのでしょう?
あなたはよく解りませんでしたが、クリスにはそのからくりが解っているようで、「セラちゃんも彼に会えば分かるよ」とあなたに耳打ちして、クスクスと笑うのでした。

「……おや、もしかしてその子がセラですか?」

そのとき、先程までカウンターでお姉ちゃんと会話をしていたと思しき男性が、あなたの方へと視線を向けてそう口にしました。
あなたは思わず背筋をピンと伸ばして「はい!」と大きく返事をしました。

その声があなたの想定していた以上に上擦っていたのは、きっとその男性の風貌のせいだったのでしょう。
真夏だというのに、彼は黒いスーツを身に纏っていました。服の裾に施された細い赤のラインが、ささやかながら強烈な色彩でそのスーツを飾っていました。
首元には、まるでスカーフのような布をネクタイのように付けていて、カフェの強いエアコンの風にあおられると、それはまるでシルクのようにふわふわと波打つのでした。
髪はそのスカーフと同じ、鮮やかな夕日色で、まるでライオンを模したかのように、その髪は豪快に後ろへと流されていて、それが彼をより一層、大きく見せていました。

あなたが緊張した面持ちで彼の方へと歩み寄ると、その肩の強張りを見抜いたのでしょう、彼は苦笑しつつ「そんなに緊張しなくてもいい」と、穏やかなバリトンで告げました。

「わたしはフラダリ。この町の中学校で教師をしている。トウヤやトウコとはもう話をしたかね?」

「はい!ラジオ体操に来ていました。家に遊びにおいでって、言ってくれたんです」

「そうか。トウコはとてもしっかりしているから、困ったことがあれば彼女を頼るといい。きっと君の力になってくれることだろう。
トウヤは……少し出不精のきらいがあるが、明るく饒舌な子だから話題には事欠かない筈だ。この夏、ずっとこの町にいるのなら、またあの子達とも仲良くしてやってほしい」

優しく微笑んだフラダリに、あなたは安心して肩の力を抜きました。
細められた目は、重ね過ぎて空になってしまったような空気の色をしていて、その水色は、黒と赤を纏うこの男性の中において一際、目立っていました。
そんなフラダリの近くに、大きなライオンのようなポケモンが近寄ってきました。熱い炎をたてがみのように纏ったそのポケモンを、彼は「カエンジシ」と呼びました。

「わたしのポケモンだ。この子をタマゴから孵したのはもう20年以上前のことだが、君のそれを見ていると、つい昔を思い出して懐かしくなってしまったよ」

「フラダリさんも、タマゴからポケモンを孵したんですね。誰かから貰ったんですか?」

「……いや、そうではない。というよりこの町で「ポケモントレーナー」になった子供達は全員、タマゴからポケモンを孵している筈だよ」

その言葉は、あなたの想定と大きく異なっていました。
この町には、わざわざポケモンのタマゴを探さずとも、いたるところにポケモンがいます。
田んぼに、空に、浜辺に、森の中に、小川の傍に、野生のポケモン達は何処にだっていて、彼等はとても幸せそうに暮らしていました。
この町の人は、そうしたところで出会ったポケモンと仲良くなって、そこで生まれた絆に従って、おのずと共に在るようになったのだと思っていたのです。
誰にそう言われた訳でもなかったのですが、あなたは何の根拠も持たないままに、そう確信してしまっていたのでした。
それ故に「ポケモントレーナーは全員、タマゴから孵ったポケモンを連れ歩いている」という事実は、あなたを少なからず驚かせていました。

「タマゴは、誰から貰えるものなんですか?」

「さあ、わたしも出会ったことがないから解らない。この命の贈り主にわたしは出会ったことがない。けれどもそれはわたしに限った話ではなく、「そういうもの」なんだ。
我々がポケモントレーナーとして選ばれ、そして我々がそれを望んだなら、ポケモンという命はおのずと、我々の腕の中に現れてくれるんだよ」

「……それじゃあ私は、ポケモントレーナーとして選ばれたってことですか?どうして?
だって私は、ポケモンのことを何も知らなかったのに。この町に来るまで、実際にポケモンを見たことさえなかったのに」

するとフラダリは少しだけ悲しそうに眉を下げました。
あなたは、何かいけないことを言ってしまったのだろうかと少しばかり不安になったのですが、彼はその表情を隠すように、やや大袈裟に首を傾げて苦笑しました。
その様子から察するに、どうやら彼にも、何故あなたの腕の中にポケモンのタマゴがやって来たのか、その理由に思い至ることができていないようでした。
けれどもできないなりに、あなたがその尊い命を手にしていることを、祝福してくれようとしていることは伝わってきました。
この男性は少しばかり不器用なきらいがあるようですが、とても真面目で、優しい人なのだろうとあなたは思いました。

「ポケモンが好きかね?」

「はい、大好きです!この子が生まれてきてくれるのが、とっても楽しみ!」

「そうか。その気持ちを大切にするといい。君とポケモンの夏が素晴らしいものになるように、祈っているよ」

フラダリがそう告げると、彼のカウンターの上に白いコーヒーカップが置かれました。
あなたが背伸びをしてそれを覗き込むと、カップの縁のすれすれまで満たされたクリーム色の泡の中に、何かの花が描かれていました。
豪華な花弁を持つそれの名前をあなたが尋ねようとしたのですが、それより先にフラダリが「おや」と声を落として嬉しそうに微笑みました。

「相変わらず、貴方はカプチーノに絵を描くのが上手ですね。しかし惜しいことをした。今日の貴方の気分がカサブランカだと解っていれば、あの子も一緒に連れてきたのですが」

「ふふ、それじゃあ今度二人で来たときには、またこの絵を描くことにしますね。……最近は会っていないんですか?」

「いや、顔は毎日のように見ている。上手く会話が続いているかどうかは、別にして」

カウンターの向こうで肩を竦めたお姉ちゃんは、それも仕方のないことですよと、フラダリを励ますような言葉を紡いでいました。
どうやらこの泡の飲み物は「カプチーノ」といい、そこに描かれた花は「カサブランカ」であるようです。
どうやって泡の上に絵を描いているのか、あなたにはそのからくりがよく解りませんでしたが、幸いにもその素敵な絵を描いたのは、このカフェのマスターであるお姉ちゃんです。
きっと、また絵を見る機会があるでしょう。もしかしたら絵を描いているところを見させてもらうことだってできるかもしれません。
そう思ったあなたは、お姉ちゃんに「それじゃあ、行ってくるね」と告げて、カフェの扉に凭れ掛かるようにしてあなたを待っている、クリスの元へと駆け出しました。

「ふふ、それじゃあ行こうか」

扉を開ければ、夏の生温かい風があなたの頬をぬっと撫でてきました。
強い冷房のかけられた快適すぎるカフェには、夏の暑さや強い日差しを感じさせる何物も存在しなかっただけに、
あなたはその風に、今が真夏であったことを思い出させられたような、はっとさせられたような心地になったのでした。

「わあ、暑いね!」

あなたが喜ぶようにそう告げると、クリスはクスクスと笑いながら、あなたの手を握って駆け出しました。

「そうだね!早くザオボーさんのところで、美味しいお蕎麦を貰おう!」

クリスは元気よくそう言って、熱を持ったアスファルトの上をスキップしました。
あなたも釣られて足を弾ませながら、クリスが大きな屋敷の扉をそっと開けて、ザオボーさん、とその民宿の主と思しき人物の名前を呼ぶ様子を、すぐ後ろで見ていました。

カラカラ、と、何処かで窓が勢いよく開く音が聞こえた気がしました。

「……その声はクリスですか?まさか君もソバを食べに来たんじゃないでしょうね」

「あはは、そのまさかだって言ったら、怒りますか?」

玄関に近いところにあった扉が、キィ、と音を立てて開き、中から大きな緑色のサングラスをかけた男性が姿を現しました。
ちゃんと食べているのかしら、とあなたが不安になる程に、その身体は細いものでしたが、
クリスを見て呆れたようにふうと大きな溜め息を吐く、その表情には、何処か不思議な余裕めいたものがありました。
この男性は、見た目よりはずっと健康で、元気であるようです。

「はあ、君に憤るだけの体力が老体にはもう惜しい。食べるならさっさと上がりなさい」

「ふふ、ありがとうございます。それから、ザオボーさんに紹介したい子がいるんですよ」

その言葉を受けて、細身の男性はあなたへと視線を向けました。
「……ほう」と楽しそうに微笑みながら、彼はあなたの方へと近付いてきて、徐にその大きなサングラスを外しました。
その目は、あなたが先程まで話をしていたフラダリの目よりも、ほんの少しだけ濃い青色をしていました。

2017.8.6

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