12月1日、一晩で嵐のようにやって来たその大寒波は、魔法界の全てを真っ白に染めた。
去年より少しばかり早い冬の訪れに、ホグワーツの生徒たちは随分と浮かれていた。
箒で冬空を思い思いに駆ける者、縮小呪文を解いたポケモンと共に新雪の上を踏みしだく者、友達と協力してかまくらめいたものを作る者、様々であった。
プラターヌはそうした彼等の中に、見知った3年生の姿を見つけては声をかけた。3年生の生徒達も、プラターヌに大きく手を振り返していた。
やんちゃな男子生徒の中には雪玉をプラターヌの顔面に投げてくる者もいたので、彼は遠慮することなくその雪玉を倍の大きさにして投げ返した。
「!」
すると、明後日の方向から更に大きな雪玉が飛んできて、プラターヌの肩に当たった。
痛みに左肩をさすりながら振り返れば、彼の旧友が不敵に微笑みながら、いつものスーツ姿で仁王立ちしている姿が目に飛び込んできた。
生真面目な彼がそんなことをするなんて、とプラターヌは少しばかり驚いたけれど、すぐに笑いながら雪玉を投げ返した。
プラターヌの白衣に雪が降り積もったところで別段目立ちようもなかったのだが、フラダリの黒いスーツにべっとりと貼り付いた雪の白は、随分と不格好であった。
完璧な友の至らない姿がどうにもおかしなものに思われて、プラターヌは声を上げて笑った。フラダリは雪を手で払いながら、そんな彼を困ったように笑って許した。
雪まみれになった互いの姿を笑い合いながら、二人はかつてと同じように肩を並べて職員室へと駆けた。
「プラターヌ先生、明るくなったね」という女の子の声がすれ違い様に聞こえた気がした。けれどプラターヌは振り返ることができなかった。
どうにも寒すぎて、楽しすぎて、安心しすぎていて、それどころではなかったのだ。
*
職員室の隅で白衣とスーツを乾かしながら、フラダリはブラックのコーヒーを、プラターヌはカフェオレを少しずつ飲んだ。
ふう、とマグカップの中に息を吹きかければ、甘く苦い香りが湯気と共に鼻先をくすぐった。
フラダリは隣で優雅にコーヒーカップを指で摘まみ上げ、左手にはしっかりとソーサーを持っている。そういう男なのだ。少し気取ったところのある、友人なのだ。
「君が元気そうで安心したよ」
二人がこうして顔を合わせて話をするのは、随分と久しぶりのことであった。
9月の暮れ、フラダリに酷い言葉を投げてしまったあの日から、二人はこうした時間を作ることができずにいたのだ。
勿論、同じホグワーツという校舎内で働いている二人が、顔を合わさない日などないに等しかった。すれ違えば挨拶もしたし、軽口を言い合いさえしたこともあった。
それでもやはり何処か距離があった。踏み入って来てくれるなと、彼は旧友であるフラダリにさえ警戒をしていたのだ。
フラダリはそうしたプラターヌの心地を見抜き、敢えて自分から彼へ踏み入ろうとはしなかった。
「沢山、気苦労をかけたね、本当にすまない」
「そう思うのなら、また前のように話をしてくれないだろうか?君に避けられるというのはどうにも心地が良くない」
「……そうだね、そうしよう。もう、不用意なことを言って君を不快にさせてしまうことはなさそうだから」
この、何もかもを卒なく完璧にこなしてしまう友人のことが、プラターヌは少しばかり恐ろしかった。
羨望するなという方が難しい、それ程にフラダリという男は立派であったのだ。この男の隣に立つと、自分がとても無力で不甲斐ない人間のように思われてしまうのだった。
彼があらゆる人に「悪意」を見るようになってからは、その傾向は程度を増した。プラターヌはフラダリを怖がっていた。勿論、フラダリに非は全くない。
「そのことだが、わたしは君の言葉に気分を害してなどいなかったし、仮に害していたとしても、あの時、君を見限ることなど在り得なかった。
だから君はもっとわたしに憤ってよかった。わたしをもっと不快にさせてもよかったのだ。……「友人」というのはおそらく、そういう関係を指すのだろう?」
自分の、ひどく子供っぽい怯えがこの立派な友人に許されている。それがどうにもおかしなことのように思われて、プラターヌは肩を震わせて笑った。
笑えば益々愉快になってきて、マグカップの中、コーヒーとミルクがゆるゆると渦を巻き始めていた。
フラダリは呆れたように笑いながら、けれど自らのコーヒーには小波一つ立てず、あまりにも静かにそれを飲み干すのだ。
貴族めいたその所作がどうにも懐かしくて、プラターヌはすっと目を細めた。
君の隣に戻って来られて嬉しい。君がまだボクの友人でいてくれることが嬉しい。そうした心地を言葉にするには、彼等はあまりにも長く共に在り過ぎていた。
故に何も言わなかった。彼等のような大きすぎる子供には、きっとそれくらいが丁度良かったのだ。少しだけ目を細めて頷くくらいで、よかったのだ。
「しかし、今度はわたしの方が困ったことになってしまった。ひどく困った生徒がいてね。……ああ、素行が悪い、という訳ではないのだが」
そう告げて頭を抱えるフラダリに、プラターヌは驚く。「おや、どうしたんだい」と尋ねながら、彼はマグカップの中身をぐいと飲み干して聞きの姿勢を取る。
この立派で完璧な友人の手を焼かせる生徒がいる、などという事態をプラターヌは上手く想定できなかったのだが、次の彼の言葉でその疑問は呆気なく氷解することとなる。
「人に杖を向けるなど恐ろしくてできない、と、決闘の場で泣き出してしまって……。あの時は流石に参った。女性の泣き止ませ方など、わたしは知らないものだから」
いよいよおかしくなってプラターヌは笑い始めた。怪訝そうに首を捻るフラダリに、ごめんよ、と謝罪の言葉を告げながら、けれどどうにもおかしくて堪らなかったのだ。
ああ、君の怖がりはこんなところでも顔を出しているのかと、もうすっかり顔馴染みとなってしまった、あの美しい夜顔の少女を思い出したのだ。
成る程、確かに彼女が防衛術なるものに強烈な拒否反応を示したとして、それはもっともなことであるのかもしれなかった。
怖がりで泣き虫な彼女なら、そもそも杖を構えるまでもなく、皆の前で舞台の上に立つことさえ泣きながら「嫌」と叫んで拒絶してしまいそうだった。
「シェリーのことだろう?実はボクもその1年生のことは知っているんだ。
彼女はとても怖がりだし泣き虫だけれど、芯はとてもしっかりしているから、きっと大丈夫だよ。少し時間は掛かるかもしれないけれど、見守っていてほしい」
すると、不自然な沈黙が下りた。何かいけないことを言ってしまっただろうかと、少しばかり不安に思って隣へと視線を映した。
けれどフラダリは憤っている訳でも、不安になっている訳でもなかった。見開かれた薄い青の瞳は、ただ純粋な「驚愕」を映していた。
プラターヌは、彼が何故驚いているのかどうか、直ぐには思い至ることができなかった。
それ程に彼の中では「泣いている少女=シェリー」という図式が当然のように組み上がってしまっていたのだった。
……もしかしたら、その「決闘の舞台に上がるなり泣いてしまった1年生」というのは、彼女のことではなかったのかもしれない。そのことに気付くまで、随分と長い時間が掛かった。
故に彼は顔を赤くして、自らの早とちりを謝罪しようとしたのだが、それよりもフラダリが口を開く方が少しばかり早かった。
雪はしんしんと降り続いていた。
*
夕方、いつものようにボールからフシギダネ、ゼニガメ、ヒトカゲを繰り出した。
生徒達が昼休みの間につけた足跡は、その上から降り積もった雪により跡形もなく忘れ去られていた。
その上を、三匹の小さな足跡が躍っていく。プラターヌもその後に続いて雪を蹴る。
吐く息は白く、禁じられた森も立派な雪化粧を施されていた。元々白い夜顔は、きっと雪の重みで潰れてしまっているだろう。
冬に命は長く生きられない。当然のことだ。それだって然るべき命の巡りだと、解っていたからプラターヌは悲しまなかった。寂しい気持ちこそあれど、悲しくはなかった。
『いいえ、悲しむべきことではないんです。喜ぶべきことです。嬉しいんです。でも、寂しいんです。』
大切な人がいなくなったのだと、そう告げて泣いていたあのゴーストのことが脳裏を過ぎった。
命の理に従うことは、悲しいことではない。喜ぶべきこと、嬉しいこと。けれど、寂しいこと。
涙声で歌うようにそう告げた彼女の、質量を持たない涙の確かな冷たさを、プラターヌは忘れることができずにいた。
プラターヌはこの世に生を受けてまだ22年しか経っていない。
けれどおそらくあのゴーストは何十年もの間、このホグワーツを見守ってきたのだろう。生きていた年月をも加えれば、その時間はゆうに100年を軽く超えている筈であった。
長く存在していれば、それだけ多くの人と出会う。多くの人と出会うことは、多くの人と別れなければならないということでもある。
あのゴーストはそうした出会いと別れを数えきれない程に繰り返してきたのだろう。
だからこそ、命の理という、決して抗えないものが「寂しさ」を呈していることを、命を持たないあのゴーストはとてもよく解っている。
きっとあの無名のゴーストも、夜顔が枯れたところで悲しんだりはしないのだろう。寂しいとは思ってくれるかもしれないが、悲しむことはきっとないのだろう。
けれど「彼女」はどうだろうか。君は、悲しさを否定することができずにいるのではないだろうか?
「やあ、シェリー。どうしたのかな?」
白く染まった巨木の影、いつもの場所に彼女はいた。
ぽろぽろと涙を落としながら、縋るようにプラターヌを見上げて、何故だか許しを請うように「ごめんなさい」と謝るのだった。
もう、彼女の涙を夜顔は受け止めてくれない。雪の下で眠ってしまったその植物は、もう二人の前に眩い月を見せてはくれない。
この寒波に、雪の下で眠る夜顔はきっと耐えられないだろう。
プラターヌは、この少女の悲しみに同調するべきであったのかもしれない。
あるいは寂しさを訴えつつみっともなく顔を伏せて、いつかのように、いつものように「ごめんね」と、紡いで然るべきであったのかもしれない。
けれど彼はそうすることができなかった。数時間前の旧友の言葉は、まだ鮮烈な温度でプラターヌの記憶に焼き付いていた。
『君の言っている少女は本当に1年生なのか?わたしは1年と2年の授業を担当しているが、シェリーという名前の1年生はどの寮の名簿にもなかったように記憶している。』
シェリー、君は一体、何者なんだい?
2017.3.22