5

重い扉は、少し押しただけではびくともせず、肩を押し当てて体重をかけることでようやく動いた。
開いた隙間から、滑り込むように城へと入る、扉は大きな音を立てて閉じられてしまった。

「あの……すみません」

中の様子が全く解らない。というのも、雷雲立ち込める外に負けないくらい、城の中は暗かったからだ。
どうして明かりを灯さないのだろう?恐ろしくなったが、この中にいれば雨が凌げる。外に戻るよりはずっといい。

「誰か、いませんか?」

やがて少しずつ闇に慣れた目が、赤いカーペットや長い階段を捉える。けれど人の姿が全く見当たらない。
何処にいるのだろう。これだけ大きな城を持つ人間なら、自らが不在の間でも、使用人を残しておいてもおかしくない筈だけれど。

ケタケタと笑いながら、私を城の中に案内したポケモンは廊下を走り回る。
このポケモンのトレーナーが、少なくともこの城の中にいる筈だ。早く見つけて、雨宿りをしたい旨を伝えなければ。これでは不法侵入になってしまう。
不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、私は恐る恐る階段に足を掛けようとした、その時だった。

「……ジュペッタ、また人間を連れ込んだのか。あいつの指示か?」

何処からか低いバリトンが飛んでくる。私は驚きにびくりと肩を跳ねさせ、その場に縫い付けられたかのように動けなくなってしまった。
ジュペッタというのが、この黒いぬいぐるみのようなポケモンの名前らしい。ジュペッタはその声に応えるようにケタケタと笑い始めた。
よかった。人がいた。私は心臓の鼓動を落ち着かせるように両手を胸元でぎゅっと握り締め、喉の奥から声を絞り出す。

「あの、この子のトレーナーですか?」

「……」

「お願いです。この雨が止むまで私を置いて頂けませんか?この子にリボンを取られてしまって、取り返そうと追いかけていたら、迷って、帰れなくなってしまって……」

訪れた沈黙がどうしようもなく、怖い。此処にシアがいてくれたらどんなに心強いだろう。
きっと昨日も朝方まで本を読んでいた、お寝坊な親友のことを思い出して、少しだけ気が楽になる。
何もしてくれなくとも、傍にいなくても、ただ存在しているだけで、勇気をくれる。私にとって、シアはそうした人間だった。
大丈夫、大丈夫だ。私はちゃんと、一人でも何とかやれる。

「……ああ、雨が降っているのか」

低いバリトンがぽつりと呟く。
カツカツという、靴音にしては少し軽すぎる音が私の耳に届いた。階段を降りているのだろうけれど、この暗闇ではよく見えない。
その軽い靴音がぱたりと途絶え、先程よりもすぐ近くで声が聞こえた。

「ようこそ。歓迎しよう、お嬢様」

「え、あ、ありがとうございます。あの、何処に……」

次の瞬間、火種もないのに、燭台に火が灯されたのだ。
私の、足元で。

「これは失礼、暗いままだったね」

その時の私の、身の竦むような戦慄を、どう表現すればいいのか解らない。
だって、燭台が、私の片手で持てる程に小さな燭台が、喋っていたのだ。私は先程まで、この燭台と話をしていたのだ。
あの軽すぎると感じた靴音は、靴音ではなく、この燭台が飛び跳ねていた音だったのだ。

私はあらん限りの悲鳴を上げて、燭台の降りてきた階段とは別の方向に走り出した。
扉を開けようとしたけれど、この暗闇では取手がすぐに見つからない。
ようやく見つけたそれを引っ張ったけれど、私の体重をかけて押し開けた扉が、そう簡単に開く筈もなかった。
私は扉を開けることを諦め、別の方向へと走り出した。
先程のバリトンと、ジュペッタのケタケタという笑い声が追いかけてくる。それらの声から逃げ回っている内に、城の奥へと迷い込んでしまった。

階段を上り、長い廊下を一目散に駆けた。
途中の曲がり角で女性の声が聞こえ、助けを求めようとして声の方へと縋った。

「助けて!助けてください!」

「あら、どうかしましたか?」

けれどその返事が、再び私の足元で聞こえたため、嫌な予感が全身を駆け抜ける。
窓の外の雷が照らし出した女性は、ポットの姿をしていたのだ。

「きゃあああ!ち、近寄らないで!来ないで!」

つい先程は縋った相手を、私は片手で突き飛ばすという暴挙に出た。そして踵を返して更に奥へと駆け出す。
どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう。私はただ、雨を凌ぐ場所が欲しかっただけなのに。
私が何をしたっていうの、どうしてこんなにこのお城は暗いの、どうして普通の人間が一人もいないの。
理不尽な仕打ちと恐怖にぼろぼろと涙が零れてきた。誰か、誰か助けて。

何度階段を上り、何度得体のしれないものの姿を目撃したか解らない。
外套掛け、羽箒、燭台、置時計、その全てが動き、人の言葉を話していた。
この城は、人ならざるものの居場所だったのだ。私のような普通の人間が入ってはいけない場所だったのだ。

……もしかして、私もずっとこの城の中にいれば、あんな風になってしまうのかしら。
自らが立てたそんな仮説に身の竦む思いがした。早く此処を出なければ。
いざとなったら窓から飛び出して、屋根を滑り下りようか。けれどこの城の窓はどれも高く伸びていて、私一人では開けられそうになかった。

「あ……」

そうして私は、一つの立派な扉の前へと辿り着いた。
今まで渡って来た廊下には無数の扉があったけれど、この扉は少し雰囲気が違った。立派な装飾が施されていて、扉もかなり重そうだ。
この中になら人がいるかもしれない。そう思い、取手に手を掛け、力を込めたのがよくなかったのだろう。
開けようとしていたドアを、逆に内側から大きく開けられ、私は勢い余って部屋の中に倒れ込んでしまった。
眩暈のする頭で立ち上がろうとしたが、できなかった。すぐ近くで殺気立った恐ろしい気配を感じたからだ。

「誰の許可を得てこの城に入った」

地を這うような声音に私は震えた。ごめんなさい、と謝罪の言葉を紡ごうとしたけれど、その音は外の落雷に奪われてしまった。
その雷の光が、声の主を照らす。

「ひっ、ば、化け物!」

金切り声を上げて、冷たい大理石に腰を落として戦慄した。
落雷が一瞬だけ見せたこの男性は、人間ともポケモンとも似付かない、野獣の姿をしていたのだ。
その得体のしれない存在は、私のストロベリーブロンドの長髪を、獣のような鋭い爪を持った手で引っ掴んだ。
痛みと恐怖で涙が止まらない。

「私が醜いか?そうだ、お前はこのような醜い姿の男の元へやって来たのだ」

その言葉で、私は、自分がいかに愚かな一言を叫んでしまったかにようやく気付く。
けれど、全てが遅かったのだろう。きっと全てが間違っていたのだ。
おそらくは、私がこの部屋の扉に手を掛けた瞬間から、いや、私がこの城に入ることを選んでしまった時から、こうなることは決まっていたのだ。

「あ……ご、ごめんなさい!私、森で迷ってしまって、休む場所が欲しくて、だから……!」

それでも私は涙ながらに謝罪の言葉を紡いだ。情けないくらいに声は震えていて、もう、どうすることもできないのだと悟ることしかできなかった。
暫くの沈黙の後で、その野獣は私の髪を掴んでいた手を離した。代わりにもう片方の手で私の腕を強く掴み、そのまま私を引きずって部屋から連れ出した。
私はあまりの恐怖に抵抗することもできなかった。少しでも逃げ出す素振りを見せれば、この野獣はその鋭い爪で私の喉を切り裂いてしまいそうだったからだ。

休む場所ならくれてやる。野獣の宣告に私は拒絶の悲鳴をあげながら、1人の親友の名を呼ぶ。

「助けて、シア……!」


2015.5.14

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