凍えそうな私達へ

ピカピカに磨かれたその床には、私とダイゴさんの顔が映っていた。
傷一つないのは、彼がこの部屋を丁寧に管理しているからだろうか。それとも、殿堂入りをした人間が少なすぎるからだろうか。

ポケモンリーグの決戦の場、その階段を上った先にある小さな部屋は、殿堂入りを称える為の空間だった。
不純な動機でこの場所を訪れている私にはおおよそ相応しくない、眩しすぎる空間だった。

「何度入っても、あの部屋は委縮してしまいますね」

「まだ慣れないかい?」

「だって、あの部屋は私には眩しすぎます」

その空間に続く階段に腰掛けて、私とダイゴさんは話をしていた。
彼とのバトルは、とても楽しい。あの瞬間以上にわくわくする出来事を私は知らない。
けれど、バトルが終わってから、こうして二人で他愛もない話をする時間は、それ以上に甘美で幸福な瞬間を私にもたらすのだ。

「それでも、君は此処に来るんだね」

「それは当たり前ですよ、だって此処に来る以外に、貴方に会う手段が思いつかないもの」

肩を竦めてクスクスと笑えば、「ボクも随分と慕われてしまったね」と、隣で彼も笑いながらそう紡いでくれる。
彼は一回り下の私の戯言に動揺したりしない。私の好きになった人は、私の言葉なんかに揺れるような人ではない。
だからこそ、こうして何もかもを冗談に乗せて投げることが許されるのだ。それは子供の特権であると同時に、私のちょっとした悪戯でもあった。
本当は冗談で紡いだ言葉なんて何一つ存在しないのに、あたかも嘘吐きで冗談が得意な風を装っているのだ。

私は恋多き子供だ。
恋をすると、人は傷付く。だから装甲が必要だ。
傷付いた、という事実を、上手く誤魔化すための仕掛けが必要だ。

その為なら、自分に嘘を吐くことだって造作もない。

「君のプラスルは相変わらず、戦わないんだね」

「この子はバトルが嫌いだから、私が守ってあげるんです。他の子にはいつも守られてばかりなので、自分で守れるものくらいは、自分で守りたいでしょう?」

腕の中で小さく鳴くプラスルを抱き締めて私は笑った。
バトルに出ることをしないが、この子は大切な私のパートナーだ。勿論、他の子達のことも大切だし、大好きだ。
この気持ちに嘘はない。というか今までだって、私が嘘を吐いたことなど一度もない。

私は嘘吐きだけれど、自分の感情に嘘を吐ける程、賢い人間ではない。私は「彼女」のようにはなれない。
だからこそ私は、その正直になるしかない感情を煙に巻く。冗談の中にそれを溶かして、誤魔化す。

そのことに、この人は気付いているのだろうか。
私はそんなことをふと思い、そして苦笑した。そんなことはどうだっていいことなのだ。
私の捻くれた性格を、彼は見抜いているのかもしれない。もしかしたら全て知っているのかもしれない。
あるいは私の目論見通りに、私は「不可思議な少女」として彼の目に映ったままなのかもしれない。
どちらでもいい気がした。どのみち、私の本音はいつだって此処にあって、そんな誤魔化しも、常套句のように吐き出される冗談も、私を覆う装甲でしかないのだ。

その私が仮に傷付けられたとしても、私はみっともなく泣いたりしない。

それは、私が自然と身に付けていた処世術だったのかもしれない。
自由に恋をするための、私が持ち得る武器だったのかもしれない。
そんな変わった装甲を身に纏い、そんな捻くれた武器を構えてまで、私は恋がしたかったのだ。
誰かのことを考えるだけでドキドキしたり、明日は会えるだろうかと期待に胸を膨らませたり、少し手が触れ合うだけで真っ赤になったり。
そうした世界はとても鮮やかで、とても楽しかった。
私は自分の感情に嘘を吐けない。この人を好きになってしまった自分を欺くことなど、できる筈もなかったのだ。

だから今の私にできるのは、今この状況を思い切り楽しむこと。そしていつかの終わりに備えて、それなりに頑丈な装甲を用意しておくこと。
この人との恋が実る、だなんて、そんなことは絶対に考えない。考えてはいけない。

「……トキちゃん。少し、おかしなことを聞いてもいいかな」

プラスルを抱き締めながら、そんなことを考えていた私に、ダイゴさんは唐突に口を開いた。
いいですよ、と返せば、彼は少しの沈黙の後にとんでもないことを紡ぐ。

「君はボクのことを好きだと言ってくれるけれど、ボクの何処を好きになってくれたんだい?」

私は絶句した。この人がそんなことを私に尋ねるとは思ってもいなかったからだ。それは私に確かな衝撃と困惑を与えていた。
しかしそれは一瞬で、私はぱっと笑顔になり、いつものようにまくし立てる。

「そんなこと、いっぱいあり過ぎて言い切れませんよ。でも折角、ダイゴさんがそんなことを尋ねてくれたんですから、一つずつ説明しますね」

私は右手を宙に掲げ、指を1本ずつ折りながら数えていくことにした。

「先ず、私の名前を呼んでくれるその声が好きです。ボールの投げ方もかっこよくて、好きです。
毎日来ているのに、いつも違うバトルを見せてくれますよね。私をいつだってわくわくさせてくれる、そんなところも好きです。
それから、いつもは爽やかにすましているのに、お父さんに対しては普通の親子の遣り取りをしているところも、楽しくて、好きです。
コンテストを見に来て、なんて私の無茶なお願いに、社交辞令じゃなくて、本当にカイナのコンテスト会場にやって来てくれる、そんな真摯なところも好きです」

一瞬の淀みもなくすらすらと言葉を並べ立てる私に、ダイゴさんは勢いを削がれたように沈黙する。
私はなんだか楽しくなって、少しだけ、正直になる。

「いつだって、自分にできることは何かを考えて、皆の為に懸命に行動しているところも、好きです。
そんなにも強い力を持ちながら、それでも「自分ひとりの力でできることなんてたかが知れている」って、決して驕らないところも好きです。
何より、私は貴方と居る時間が一番、好きです」

「……」

「ね?これだけの理由が揃っているのに、どうしてダイゴさんを好きにならないでいられるんですか?」

クスクスと私は笑う。いつものように笑ってみせる。
この人との恋が実るなんて考えないけれど、せめて彼を慕っている人物がいるという事実が、彼をそっと支えてくれればいい、と思う。
私は恋をすることが好きだし、人を好きになる思いが持つ強烈な引力を知っている。
けれどだからこそ、その思いは神聖で優しいものであるべきなのだ。
求めすぎると、人は我を失うから。その結果、欲しかったものばかりか、既にあったものまでもを失ってしまうかもしれないから。

「困ったな……」

するとダイゴさんは腕を組んで、何やら考え込む素振りをしてみせる。
私の拙い発言の中に、彼を悩ませるような言葉が含まれていたのだろうか?
不安になりかけたその時、彼はまたしても信じられないことを紡ぐ。

「ボクはまだ、君を好きになった理由に辿り着いていないから、今のボクが感じたのと同じものを、君に返してあげることができそうにないんだ」

ごめんね、と悲しそうに笑う彼は、きっと気付いていないのだろう。
私の目がぐらりと揺れていること。いつもの笑顔が崩れかけていること。そんなものを返してくれなくとも、今の言葉だけで十分なのだということ。

それは無意識に紡がれたものだったのだろうか。言う筈のないことをぽろりと零してしまったに過ぎないのだろうか。
あるいはそれは、私よりも年上で大人な彼の計算された言葉だったのだろうか。
しかし実のところ、それはどちらでもよかった。傷付かないようにと心に分厚い装甲を纏っているのは私だって同じだったのだから。
その言葉に至る経緯を私は読み解くことができないけれど、その言葉は真実だと信じられた。
そこに根拠はないけれど、きっと、私達が拙く重ねてきた時間が証明してくれる気がした。

「いいえ、十分ですよ」

ちゃんと笑えているかしら。しかしそれすらも、どうだっていいことなのかもしれない。

2014.12.12

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