人を愚かにするための甘い毒

※50万ヒット感謝企画、参考曲「敵との対峙」(ゼノブレイドより)エピソードデルタ内のイベントです。

マグマ団のアジトの最奥に向かうと、既に、全てが終わってしまっていた。
マツブサさんは冷たい床に膝を着き、ヒガナと名乗った女の子の手には、彼のものであった筈のキーストーンが握られていて、
そして彼女は「少し遅かったね」と得意気に私の方を見て、虹色の石を見せびらかすように掲げて、笑った。

その瞬間、私の頭の中で、自制心だとか礼儀だとかそうしたもの全てが「パチン」と、呆気なく、空虚な音を立てて割れていくのを、聴いた気がしたのだ。

「貴方にはわたしの後を追ってきてほしいな」

肩を竦めて笑う彼女は、マツブサさんのものであった筈のキーストーンを、まるでずっと前から彼女のものであったかのような自然さでポケットに仕舞った。
シガナと呼ばれたゴニョニョが、先を促すように部屋を出ていく。それに続こうとした彼女を、私は思わず「待って」と、呼び止めていた。
自分の声音が冷え切った、低く淀んだ形をしていることに気付いていた。このまま言葉を続ければ、とんでもないことを言ってしまうことになるのだろうと解っていた。
けれど、止められなかった。

「貴方が無理矢理キーストーンを奪った相手、……彼、マツブサさんっていうのよ」

「うん、知っているよ。わたしもマグマ団員として、彼の下で長いこと、お世話になったからね」

「違うわ、貴方は何も知らない。彼のことを、何も知らない!」

誰かが息を飲む音が聞こえた。私の背後で聞こえたそれは、おそらく「彼」のものであったのだろう。
赤い目をした彼女もそれなりに、私が突如発した怒声に驚いているようだった。
けれどマツブサさんよりも、ヒガナとかいう女の子よりも、傍にいたホムラさんよりも、……私が一番、驚いていた。
自分の中に煮え滾る、名前を付けることの叶わない程に混沌とした激情に困惑していた。
自分ですら理解の及ばないそれらを、しかし私は何も考えずにぶつけた。

「マツブサさんのキーストーンが光るところを、私、一度だけ見たことがあるの」

「……」

「人類の発展のためと謳っていたけれど、彼自身はポケモンをないがしろにしている訳じゃなかった。寧ろ、とても大事に思っていたわ。
彼の大事にしていたバクーダとの絆が、強さとなって眩しく光るの。目に見えない筈の「絆」が、強さを纏って形を取るの。とても、……とても綺麗なのよ。
彼だけじゃない。ダイゴさんだって、ミツルくんだってユウキだって、皆、目に見えない筈の絆を輝かせていたわ。私、ずっと見てきたのよ」

それらを、何の説明もなしに暴力的な手段で奪い取った彼女に、私が憤ったとして、それはだって、当然のことではないのだろうか?
だって、誰にも不正を働く権利などありはしないのだ。どんな事情があるにせよ、私はこの子を許さないだろうと思った。許すことなどできないのだろうと心得ていた。
過ぎた怒りは私の「良心」や「自制心」といった名のストッパーをいとも容易く砕いた。私は、この子を憎む準備を整え始めていた。

「貴方はこの世界しか見ていない私達のことを「何も知らないんだね」と呆れるけれど、無知で傲慢なことだと嗤うけれど、
私にしてみれば、この世界のことすら何も知らない、知ろうともしないあんたの方が、ずっと無知で、傲慢で、愚かに見える!」

「やめたまえ!」

……本当は、もっと沢山の言葉をぶつける筈だったのだ。
普段から饒舌にあらゆることを話す私にとって、相手を責めるための言葉など、それこそ泉のように湧き上がり続けていて、留まるところを知らなかったからだ。
けれどそうすることができなかったのは、彼女に自らのキーストーンを奪われた当人である筈のマツブサさんが、私よりもずっと彼女に憤る権利を持ち合わせている筈の彼が、
私に負けないくらいの大声で私の糾弾を咎め、制したからに他ならない。

私の、声だけは一人前に紡がれたその糾弾を最後まで聞いた彼女は、ゴニョニョを抱きかかえ、何も言わずにその場を後にした。
言ってはいけないことを言ってしまったのだと、頭に血が上り過ぎていたのだと、解っていた。あんなにも酷いことを口走ってしまった自分が、酷く、恐ろしかった。
虚無感にぱたりと膝を折って、冷たい床に座り込んだ私に、マツブサさんは困ったように笑いながら同じように膝を折って、私と同じ目線で、話しかけた。

「やれやれ、キミはもう少し冷静に物事を考えられる人間だと思っていたよ。「私に全て任せておけ」と笑っていた、あの頃の頼もしいキミは何処へ行ってしまったんだね?」

「……ごめんなさい」

先程の言葉はあの子を傷付けるだけではなく、この人を失望させもしたのだと、そのことを改めて思い知り、益々、居た堪れなくなった。
こんな私でごめんなさい、という、酷く私らしさを喪失した弱音がその声に含まれていることに、彼はきっと気付いたのだろう。
「キミを責めている訳ではないのだよ」と付け足して、膝を折ったその姿勢で真っ直ぐに私の目を覗き込んだ。あまりにも真摯なその目に、息を飲んだ。

「彼女は何も語らなかったが、ただ徒にキーストーンを欲しがっている訳ではないように見えたのだよ。あの目はキミによく似ていた。何か大きな決意を宿した強い目だった。
彼女が為すべき何事か、そのために、メガシンカを引き出すあの石が必要だったのだろう。賢いキミなら、それくらい、思い至ることができた筈だ」

「解っています。あの子は何かをしようとしている、それは解るんです。でも、それでも許せなかった」

……貴方の眼鏡に光る、キーストーンの煌めきが大好きだったから。
彼の目を見ていられなくなり、俯きながらそう口にした。
そんな、どこまでも私らしくない、か細い声音で絞り出すように続けたその言葉に、しかし彼はその目を細めてあまりにも穏やかに笑った。

「ああ、成る程、キミはわたしのために憤ってくれたのだね。ありがとう」

そう言って私の肩を抱く。どうしようもなく泣きたくなる。
何もかもが悔しく、虚しく、情けなく、悲しく、そして恐ろしかった。
貴方のことが大切だ。けれどその過ぎた想いは私をこんな風に暴走させる。私をどこまでも愚かにさせる。そのことに酷く恐怖していた。そして「おかしい」と疑った。
……恋ってもっと、キラキラしていて、美しくて、温かいものではなかったのかしら。貴方を想うことで、私の心はずっと幸福になるのではなかったのかしら。

「しかし、キミがそのことで彼女を責めたいのなら、全てが終わってからにしたまえ」

「……はい」

「では、キミの力を見込んで私からも一つ頼もう。どうか彼女を追ってほしい。彼女が何をしようとしているのかを、我々の行いを正したキミの目で、見てほしい。
彼女の行いを間違っていると判断したなら、容赦なく立ち塞がりなさい。正しいことであったなら、その時は、キミが手を貸してあげるといい」

今までの私なら、「任せてください」と胸を張って笑えたのだろう。事実、私はそうやって何にでもなってきた。
各地のジムリーダーに勝利することだって、グラードンの暴走を止めることだって、チャンピオンになることだって、なんだってできたのだ。
けれど私は、これまでのように気丈な声音でそう告げることができなかった。代わりに口を吐いたのは、自分が情けなくなる程の、逃げの姿勢を垣間見せた卑怯な謙遜だった。

「……マツブサさんは、私を買い被り過ぎています。私は貴方のキーストーンが奪われたことにこんなにも子供っぽく腹を立てる、頭の悪い子なんですよ」

「世界を変えるために、聡明さはおそらく必要ではない。キミは勇敢だ。そしてホウエン地方を愛してくれている。それだけで十分だ。
あとはキミに関わった全ての人間が、キミに力を貸すだろう」

私のように、と付け足して、彼は私の手にメガストーンを握らせた。バクーダのメガストーンであるそれは、彼を連想させるワインレッドの輝きを有していた。
強く握り締めてお礼の言葉を紡ぎ、踵を返して強く床を蹴り、駆け出した。けれど、その時、彼が今まで一度も紡ぐことをしてこなかったその音が、私の足をぴたりと止めた。

トキちゃん」

「!」

「キミの帰りを、此処で待っているよ」

彼が私を呼び止めるために用いた音、それは、彼の声が初めて紡いだ「私の名前」だった。覚えていてくれたのだ、と気付いて、そして、どうしようもなく悲しくなった。
彼が呼んでくれた私の名前に、喜ぶことのできていない自分が、どうしようもなく、悲しかったのだ。

その後、私は彼女を追って空の柱へと向かい、最上段にて現れたレックウザと対面した。
かつてマツブサさんがエントツ山で譲ってくれた、不思議な光を放つ隕石は、この星を守るだけの力をレックウザに与えることに成功したらしい。
ヒガナの代わりにレックウザと宇宙に向かうこととなった私は、大きな緑の竜の背に乗って、ホウエン地方がどんどん小さくなっていく様を、見ていた。

……さて、これらは確かに「非現実的」なことで、そうそう体験できるものではなかった。また、危険と隣り合わせの旅路であることも私は理解していた。
けれどホウエン地方を救いに行くのは何もこれが初めてではなかったし、私はこういう「冒険事」が大好きだから、寧ろ、グラードンと対峙したあの時は、酷く高揚していたのだ。
険しい自然の多いホウエン地方は、私に沢山の感動を与えてくれた。あのグラードンも、その感動の延長線上にあるに過ぎない存在だった。
そして、今回の宇宙だって、そうした感動の先にあるものとして、高揚と感動と共に甘受すべきものだと、心得ていた。

けれど、不思議なことが起こったのだ。私の心臓は高揚とはまるで違う、不思議な音を立てていたのだ。あまりにも煩い音で揺れていたのだ。
胸のずっと奥を冷たいものが這っていることに私は気付いていた。これはきっと、恐怖だ。

『キミの帰りを、此処で待っているよ。』

このまま黒い空に放り出されて、帰ることができなくなったらどうしよう。そんな子供っぽい想像はしかし、私を心から恐怖させた。私は初めて、この冒険を恐ろしいと思った。
大切な人がいること、その人が私の帰りを待ってくれている。そのことは私の足にとてつもない重さの枷を付けた。
誰かを想うとはそういうことなのだと、その存在は私の足を重くするのだと、私は誰もいない黒い空を飛びながら噛み締めて、……どうしようもなく、泣きたくなった。

早く、彼に会いたい。

2016.3.5
風見楓凛さん、素敵な曲のご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!

© 2024 雨袱紗