迷子の悲鳴

※曲と短編企画2、参考BGM「十六夜月」

フラダリさん、貴方は狡い。

日が沈みかけていた。エイセツシティに降り積もった雪が、夕日の赤を反射して薔薇色に染まっていた。
あまりの美しさに息を飲み、私はそっと一歩を踏み出した。さく、という雪を踏みしだく音が耳をくすぐる。私は夢中で歩を進めた。
だから、私を追いかけるようにして付いてくる足音に、気付くのが遅れてしまったのだ。

「失礼、君はもしかしてシェリーじゃないか?」

「!」

私は悲鳴を寸でのところで飲み込み、振り返った。黒髪の日焼けした肌が眩しい、穏やかな笑みを湛えた男性だった。
彼は私の目を見て慌てたように謝罪の言葉を紡ぎ始めた。

「ご、ごめんよ。人違いだったね」

「……いいえ」

私はカロスで時を重ねすぎていた。7つのジムバッジを手に入れた私は、その旅路の中でカロスの言葉にも徐々に慣れ始めていた。
この男性が私に「シェリー」であることの確認を取ったことくらい、解る。そして彼が私の目を見て「人違いだ」と謝ったことだって解る。
更に言えば、何故この男性が私の目を見て「この人間はシェリーではない」と思ったのか、その理由さえも解っている。
こんな怯えた、臆病な目をした子供が、フレア団を解散に追い込んだのだと言ったところで、普通の人は信じないだろう。

フレア団との戦いを終え、「シェリー」という人間の顔と名前だけが独り歩きするようになってしまった。
どの町を歩いていても、周りの人が自分をちらりと一瞥する。
カロスを救った英雄の情報を、知らない人などいないのではないか。そんな風に思えるほどに、私を見る彼らの視線はあまりにも多く、束となって私の体を焼き焦がしていた。
興味、懐疑、賞賛……。私はそれに耐えられなくなっていた。
早くこの土地を出たい。イッシュに帰りたい。私を知らないあの土地に、私がよく知るあの土地に戻りたい。

「私がシェリーです」

この人もきっと、私に好奇の目を向ける人間の一人に違いないのだ。
だから、早くこの場から逃げたかった。……もっとも、私に逃げ場などないのだけれど。
何処に逃げたところで、私を見るその目がなくなることも、変わることもないのだけれど。
けれど今回の私の予測は大きく外れていた。彼の口から予想だにしなかった情報が紡がれたのだ。

「フラダリと戦ったのだろう?彼は昔の友人なんだ」

私は息を飲んだ。友人。この人と、彼が。
その名前は、私に数日前のことを鮮明に呼び起こさせた。
『だから奪うほうに回ったのだ!』
『一つしかないものは分け合えない。分け合えないものは奪い合う。奪い合えば足りなくなる。争わず奪い合わずに美しく生きていくには、命の数を減らすしかない。』
彼の歪み過ぎたその理論と慟哭を、私はどうしても忘れられなかった。

「よければ少し、ポケモンセンターで話をしないか。彼のことを聞かせてほしい」

「……」

その男性の目がどこまでも真摯なものだったので、私は思わず頷いてしまったのだ。

ポケモンセンターのソファに腰掛けて、私たちは話をすることになった。
彼のことを聞かせてほしい、と言われたものの、私は具体的に何を話せばいいのか迷っていた。
彼の言葉を伝えればいいのだろうか。彼が具体的にしようとしていたことを、報告すればいいのだろうか。それとも私が感じたことを話すべきなのだろうか。
長い沈黙を続けていた私を、しかし彼は穏やかに笑って許してくれた。

「いいんだよ。辛いことを思い出させてしまって申し訳ない。
無理をさせているのは解っているんだ。だから少しずつでいい。少しずつでいいから、俺の質問に答えてくれないか」

その言葉に私はようやく頷いた。頷いて、そして少しだけ泣きたくなった。
今まで、私の戦いを賞賛する声や視線、「本当にあの子が?」という懐疑と好奇心の目、そのどちらかしか向けてこられなかった。
私がその時のことを話すことを、その時のことを思い出すことを「辛い」と推し量った人物はこの人が初めてだった。
だから私は、彼の質問にはなるべく答えようと決めたのだ。

「彼は君に、何と言ったんだい?」

「……全ての命は、救えない。全てを救うという大きすぎる理想が世界を苦しめるんだ、と。救えない愚かな人々がいることが許せなくて、だから奪うほうに回った、と」

「他には?」

「一つしかないものは分け合えない。分け合えないものは奪い合う。奪い合えば足りなくなる。争わず奪い合わずに美しく生きていくには、命の数を減らすしかない……」

その言葉を聞いて、彼は大きな溜め息を吐いた。
私は恐怖に青ざめたが、その溜め息が私に向けられてはいないことはすぐに分かった。
「そうか……」困ったように笑った彼の目が、フラダリさんに向けられていることは明白だった。

「あいつは、困っている人を皆、助けようとしていた。だが、一部の人間の愚かさを知り、己の限界を知り、悩んでいた。
世界を救えないと決めつけ、苦しんでいたなんて、皮肉な話だな」

「……」

「あいつは力を持ち過ぎていた。だから力を持たず、荒んでいくしかない人間の性が理解できなかったのだろう。全てを救うことのできない自分が許せなかったのだろう。
良くも悪くも、あいつは妥協をすることができない人間だった。……その結果、こんなことになるとは、流石に予想していなかったけれど」

彼のその言葉が、他でもないフラダリさんを思って発されたものであることは容易に想像ができた。私は思わず心の中で彼に問い詰めていた。
フラダリさん、貴方はこんなにも思いやりのある友人に恵まれていたのに、一人で抱え込む必要なんて何もなかったのに、どうして頼ることをしなかったんですか?
どうして貴方は、過去の友人すらも、あの花をもってして消し去ろうとしていたのですか?それが正しいことだと、本気で信じていたのですか?
私の他に、誰も、貴方を止めなかったのですか?貴方の記憶の中にいた筈のこの人は、どうして彼を止められなかったのですか?

どうして私は、貴方を救うことができなかったのですか?

「フラダリは今、何処に?」

その言葉を聞くや否や、私堪え切れずにわっと泣き出してしまった。ポケモンセンターの空気が一瞬にしてどよめく。
人前で泣くなんてみっともないと解っていた。けれどどうしても止まらなかった。
私はずっと、ずっと泣きたかった。けれど私の背中に張り付いた救世主のレッテルがそれを許さなかった。
救世主が、打ち砕いた敵に対して思いを巡らせ、涙を零すなんてこと、決してあってはならないことだった。だから私は、泣けなかった。けれどずっと、泣きたかった。
彼も周りの人と同様に驚いた表情を見せたけれど、その後で何かを察したかのように穏やかに微笑み、躊躇いがちに私の頭にそっと手を乗せてくれた。

「ありがとう。君はあいつを思って泣いてくれているんだね」

フレア団の基地は崩れ落ちた。フラダリさんはまだ見つかっていない。
死んでしまったのだろうか。そんな恐ろしい仮説が徐々に脳裏を侵食し始めていた。
けれど彼がもし生きていたとして、私は彼に合わせる顔がないこともまた、事実だった。
どちらにせよ、彼が生きているにせよ死んでいるにせよ、私はもう二度と彼には会えない。私は彼を救えない。私は彼に許されない。
そのことがどうしようもなく悔しくて、悲しくて、泣き続けていた。

「あいつはどうしようもない奴だな。こんな小さな子を泣かせてしまうなんて」

少しだけおどけたように彼はそう言って笑ってくれた。けれど私はまだ笑えない。
私はようやく泣くことができたけれど、それだけだ。
何も変わらない。フラダリさんの世界は救われない。私の世界は許されない。
そうして私は、どうしても彼を忘れることができないのだ。ああ、彼は狡い。私は弱い。

「また会えたら、俺から文句を言っておくことにするよ」

私が救世主だなんて嘘だ。

2015.3.19
翠子さん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございました!

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