薙ぎ払われた最愛

※曲と短編企画、参考BGM「climactic cry」

花が、咲いてしまった。

私は走っていた。鳥ポケモンを連れていない私の旅路は、基本的に自転車とローラーシューズで成り立っていたのだ。
ホロキャスターに、カロス中の人間を戦慄させた報告が入った時も、私は空を飛ばずに自転車でミアレシティまで駆けてきたのだ。

『フレア団以外の皆さん、残念ですがさようなら。』
あれは、本当に彼の声だったのだろうか。私にはそれがどうしても信じられなかった。
信じたいものがあるのなら、向き合わなければならない。そう教えてくれたのは他でもない私の親友だった。
彼女はその気丈な声音で微笑み、だから逃げちゃいけないんだよといつでも笑っていた。
だから私は、震える足を叱咤してフラダリカフェへとやってきた。けれどそこで私を待っていたのは絶望だった。

『君は切符が欲しいのか、それともわたしを止めるのか、勝負にて示しなさい。』
彼の真実は、目の前に会った。彼は私に向けてモンスターボールを掲げてみせた。相容れない分厚い壁が敷かれてしまったのだと、私は確信しなければならなかった。
私が此処へやって来たのは、フラダリさんを信じたかったからだ。その優しい声音で、否定の言葉を紡いでほしかったからだ。
少なくとも、私の知っている彼ならそう言ってくれるはずだった。けれど現実はそうではなかった。
彼はホロキャスターに映っていた自身の姿を肯定し、相対する立場として私に向き合ったのだ。
私が泣かなかったのは最早、奇跡だと言えるだろう。

「……っ、」

自転車を猛スピードで漕ぎ進む私を、道行く人が驚いて眺めている。
どうして、どうして皆はそんなに平然としていられるの。これからカロスが消えてしまうかもしれないのに、皆もそれを知っている筈なのに、どうして、どうして。
私は息を荒げながらペダルを踏む力を更に強くした。

『咲いた!咲いたぞ毒の花!』
『お前のせいで最終兵器が使えるぞ!』
赤い服に白いマスクを身に付けた男性の言葉が、鼓膜をじりじりと焦がしていた。
そうだ、私のせいなのだ。セキタイタウンに綺麗な花が咲いてしまったのは、私のせいなのだ。だから私はこんなにも焦っているのだ。
私のせいでカロスが消えてしまったらと、恐れているのだ。だからペダルを踏む足が止まらないのだ。

「あっ!」

5番道路に抜けるためのゲートへの曲がり角で、自転車は大きく傾き、転んだ。
放り出されるようにアスファルトに叩き付けられた私の身体は、疲労と痛みに悲鳴を上げていた。
痛い、苦しい。誰か、誰か助けて。

『大丈夫ですか?』

「!」

私は思わず顔を上げた。あの人の静かなバリトンは幻聴だと解っていたけれど、それでも縋るように空を見上げて泣いた。
足が鉛のように重い。けれど行かなければ、行かなければ。私が彼を、止めなければ。
だって私が彼の手を拒んだのだ。救済の手を私は振り払ってしまった。だから、仕方ない、仕方ないのだ。私が見限った彼に、私も見限られていた。
彼のこの行為を裏切りと受け取った私には、もう彼の声に縋る資格などないのだ。

私は震える手をアスファルトに押し当てて立ち上がった。自転車に駆け寄り、その鉄の塊を起こして跨った。痺れるように痛む足を叱咤して、ペダルを強く踏んだ。
一分が一時間に感じられた。早く、早く。だって私は、こんなところで転んでいてはいけないのだから。
早く、あの花の元へ。私が見限った彼の元へ。私がずっと、心の支えにしていた優しいバリトンの持ち主の元へ。

『わたしは君に、切符を渡すつもりでいた。』

あの時、ポケモンバトルを終え、倒れたギャラドスをボールに戻しても、彼はその顔に焦りの色を浮かべなかった。
中指に嵌められた不思議な色の指輪が淡く光ったような気がした。彼はその指輪を嵌めた左手を私の方へと伸べたのだ。

『君なら此処に来てくれると思っていた。そして君と君のポケモンなら、わたしを打ち負かすだろうということも解っていた。』

『フラダリさん、』

『わたしは君を失いたくない。』

その言葉は凄まじい熱をもって、私の鼓膜を矢のように貫いたのだ。それは私が最も求めていた言葉の一つである筈だったからだ。
けれど、違う。その言葉に込められた本当の意味を、私は理解している。理解してしまっている。
私は、彼を選べない。選んではいけない。

『もし君がこの手を拒んだなら、わたしは最も残酷な手を君に下すことになってしまう。』

彼は悲しそうにその目を細めたけれど、その中にある青は、有無を言わせない引力を持っていたのだ。
もし、私が彼の手を取ったとして、きっと誰も私を責めないだろう。私が背負わされたものは、一人の、14歳のポケモントレーナーが持つには重すぎるものだったのだ。
だから、もしここで、極限状態に追い込まれた私が彼の手を取ったとして、誰も私を責めない。他の誰も、私を責めることなどできない。
ただ一人、私を除いて。

『ごめんなさい……。』

きっとこの手を取ってしまえば、私は私を許すことができない。

私はこの人のことが好きだ。だからこの人のことが許せなかった。
そして彼に縋るということは、そんな私の思いを捻じ曲げてしまうことを意味していたのだ。
私が彼に縋る時があるとすれば、それは少なくとも、今ではいけなかったのだ。
私は「生きたい」から彼を好きになったのではない。私は「生き残りたい」から彼に焦がれた訳でも「選ばれたい」から旅を続けてきた訳でもない。
今、この人の手を取るということは、その思いを捨てることを意味していた。だから私は、彼の手を拒むしかなかったのだ。

だって私は、このような裏切りを突き付けられて尚、貴方のことを、他でもない貴方のことを、

『では、どうする?』

彼は私の拒絶にさして驚いた様子も見せず、いつものように淡々と紡いだ。

『君がこの手を取れないことは解った。だが、そこからはどうするつもりだ。
滅びゆくカロスをその目で見届けるのか?助かるために君の大切な人を連れてカロスを出るのか?或いは、わたしを止めるためにこの中で足掻くか?』

私は息を飲んだ。
彼はもう答えなど解っているかのように、私に差し出した手を引いて、その指でエレベーターを指差したのだ。
彼は立ち去る直前、エレベーターの中から私を見据えて、小さく紡いだ。

『君に選ばれなかったことが、わたしの唯一の心残りになるのだろうね。』

『!』

私は駆け出したけれど、閉じた鉄の扉は叩いてもびくともしなかった。
もし、私が彼を止められたならば、きっと私にとって「彼を選べなかったこと」が唯一の心残りになるのだろう。
私達の思いはこんなにも似ているのに、どうして相容れないのだろう。どうして私は裏切られて尚、彼を好きでいるのだろう。
その答えは出ないまま、私は近くにあった移動パネルに飛び乗った。

そして、私はペダルを踏む力を強くする。目の前に大きな花が咲いている。
速度を付け過ぎて何度も転んだ私の四肢は、切り傷と土で汚れていた。

2015.2.25
ポプリさん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございました!

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