私は魔法使いになれない

※時間軸はED後のいつか。普通のお話を彼で書こうとすること自体が間違っているのかもしれないけれどどうしても書きたかった。

シェリーが酔った。
そんな通報をプラターヌ博士から聞いたフラダリは、慌てて研究所へと駆けつけていた。
エレベーターで3階に上がった途端、鼻を突くアルコールの匂いに眉をひそめる。
時刻は夜の9時。お酒を飲む時間帯でないとは言い切れないが、場所はわきまえるべきだと思う。今回のようなアクシデントを避けるためにも。

「やあ、フラダリさん。ごきげんよう」

「残念ながら、機嫌はあまり良くありませんね。職場でお酒を飲むなんて、博士らしくもない」

「ボクじゃないよ。シェリーが間違えて開けちゃったんだ。かなりアルコール度数の強いやつだったみたいでね」

知り合いから貰ったもので、ボクも飲むのを楽しみにしていたんだけどな。
そう言いながら博士は、その小さな小瓶を掲げた。お洒落なレモン色の瓶の中身は9割方飲み干されている。
コップ1杯程度の少ない量ではあったが、パッケージに刻まれた「アルコール度数8%」の表示にフラダリはため息を吐いた。
アルコールに耐性のない人間が飲むにはあまりにも強い度数だ。

「……で、シェリーは何処です」

「それが、そのまま寝ちゃったんだよね」

プラターヌ博士が指差した先では、本棚にもたれ掛り寝息を立てている彼女の姿を確認することが出来た。
明日には頭が痛くなっていることだろう。フラダリは明日の予定を記憶から引っ張り出し、後回しに出来るものと出来ないものとの整理をし始めた。
取り敢えず、連れて帰ります。そう言ってひょいと少女を抱き上げたフラダリに、プラターヌ博士は声を掛けた。

「彼女は普段、こんなことはしないよ」

「……ええ、知っています」

「何か君に言いたいことがあったんじゃないかな。……心当たりは?」

この気の利く友人は、女性の気持ちを察することにかけてはフラダリの何倍も優れている。
大方、自分に「酒の力」を借りなければ言えないようなことがあったのか、あるいは何か嫌なことがあって、「ヤケ酒」というものをしてみたくなったのかのどちらかだ。
フラダリなら「ただの好奇心だろう、後で注意しておかなければ」で済ませてしまいそうなところも、プラターヌは見逃さない。そうした友人からの助言は非常に有り難かった。

しかし困ったことに、フラダリにはその「心当たり」がない。
少しずつ饒舌になってきた彼女との会話に、そうして重ねられてきた時間に、フラダリは満足していた。そして、それは少女も同じである筈だった。
しかし、それはこちらの傲慢だったのだろうか。それとも、自分に何か至らない点があったのだろうか。

ぐるぐると思いを巡らせ始めたフラダリに、プラターヌは苦笑した。

シェリーを抱えたままじゃ辛いだろう?歩きながら、ゆっくり考えるといいよ」

プラターヌのそんな言葉で、フラダリは研究所を送り出された。
溜め息を吐いて、一先ずフラダリカフェへと向かうために歩を進めていく。

カロスではそれなりに名の知れた有名人であるフラダリが、同じくカロスチャンピオンとなった少女を抱きかかえてミアレシティの大通りを歩く。
そのあまりにも珍しい光景に、フラダリはあちこちでカメラのシャッター音が鳴るのを聞く羽目になった。
かといって、少女を起こすような真似はしない。それは眠っている少女を起こしたくなかったから、というのもあるが、それ以上に、フラダリにはもう少し考える時間が必要だったのだ。
つまりはシェリーがこのような奇行に走った原因について、フラダリには思案する時間が求められていたのだ。

少女にとって「酒」は未知のものであった筈だ。そんなものに縋らざるを得なかった程の心因を、フラダリは把握することが出来ず、それが更にフラダリの不安を煽った。
自分はこんなにも少女の傍に居ながら、その心境の変化に気付くことが出来なかったのだ。
自分と同じように、少女もこの時間に満足しているものと思っていた。そう信じて疑わなかった。

そんな風に思考を巡らせていたフラダリは、先程から聞こえていた規則的な寝息が不自然にも途切れたことに気が付かなかった。

「フラダリさん」

「な、」

思わずフラダリは立ち止まった。
一つ目は少女が起きていたことへの驚きであり、二つ目は少女が酔っているにも拘らず、いつものはっきりとした声音で自分の名前を紡いだことへの当惑だった。
フラダリが少女に掛ける言葉を失っていると、少女は唐突に口を開いた。

「私が貴方を好きだから、私を好きになってくれたんですか」

凛とした声で紡がれたその言葉は、触れると鋭い音を立てて割れてしまった。

この少女がどういう葛藤を経てそのような疑問に辿り着いたのかは解らない。
そうした推測に辿り着くまでの経緯を話し合い、どこでそのような誤解が生じ、どこで少女をそのように不安にさせてしまったのか、話し合う必要があると思った。
しかし今はその時ではなかった。だからフラダリは至極簡潔な答えを用意した。
成る程、少女が悩んでいたのはこれだったのかと、疑問が氷解したことに安堵しながら。

「違います」

「嘘」

「いいえ、わたしは君にこうした類の嘘は吐きません」

フラダリは自分の腕の中にいる少女の身体が強張るのを感じていた。
この少女は自分を信じられずにいる。それは随分とストレートな好意の表現をしてきたと自負しているフラダリに多少のショックをもたらすものではあったが、
しかし少女の持つ元来の性格からして、それも仕方のないことなのかもしれないと思い直していた。
つまりこの少女の誤解を解くためには、自分の羞恥心やプライドをある程度譲歩する必要があるらしい。
そして、今のフラダリにはそれが苦ではない。

「逆に聞きます。君こそそうなのでは?」

「え……」

「わたしが君を好きだから、好きになってくれたのでは?」

すると少女は勢いよく顔をあげて「そんなこと!」と小さく叫んだ。
ああ良かった、同じだった。フラダリはらしくない安堵と共に少女の頭を撫でた。

「では、そういうことなのでは?」

少女は硬直した。瞬きを忘れたかのように微動だにしない。
声を掛けようかとフラダリが迷っていると、急にその腕がフラダリの首元に回された。
あはは、なんだ、そっか。そうだったんだ。そんなことを呟きながら少女はコロコロと鈴を転がすように笑った。
自分の言葉は少女を安心させるだけの力を持っていたらしい。フラダリにはそれがただ嬉しかった。

「ごめんなさい。おかしなことを言って。またフラダリさんを困らせてしまいました」

「いいえ、気にしていません」

「どうして?」

それでもそんなことを聞くものだから、今度こそフラダリは笑って、負けじと少女を抱える力を強くした。

「君らしいからです」

2014.2.12
ではこの魔法は誰が掛けてくれたものなのですか。

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