知っているよ

※ヒャッコクシティでのホログラムメール受信前、設定が謎。

その男は朝に弱いらしい。7時を過ぎたベッドには、眩しい日差しが降り注いでいた。その光を一瞥し、再び眠りの海に沈もうとしたところを、澄んだソプラノが遮る。

「フラダリさん、朝ですよ」

男は布団から右手を出して、宙をぎこちなく漂わせた。その様子を見ていた少女が小さく笑い、自分の手を掴んでくれることを知っているのである。
此処に居ますよ、だなんて、傲慢にも程があることを少女が紡ぐ。
その虚構は今この瞬間だけ、確固たる真実に変わるものであり、それは他でもない、この時間に魔法が掛けられているからだ。

しかし自分の手に触れた少女の体温があまりにも冷たく、その温度差によって男の意識は覚醒した。
ゆっくりと起き上がり、少女の小枝のように華奢な手を包んだ。

「……どうかしましたか?」

「冷たいですね」

「外はもっと寒いですよ」

その言葉で、少女がコートを着ていることと、その肩にうっすらと白いものが積もっていることに気付いた男は苦笑した。
もう遊んできたのですか、と紡げば、弁明するように首を振って笑い、ポケモン達が遊びたそうだったので、などと言葉を濁した。
その弁明は半分正解であり、半分間違っている。
確かに一面の雪景色を見て外に出たいと急かしたのは少女のポケモン達だったが、その外で誰よりも雪を楽しんでいたのは他でもない少女だったからだ。

「手袋はしなかったのですか」

「どうして?せっかく雪が降っているのに」

少女が本当に楽しそうに答えるので、男は釣られたように笑ってみせた。
仕事の息抜きである旅行に付き合ってくれと頼んだ男は、予め少女が喜びそうな行先を幾つか考えていた。
そこにはカロスで有名な観光名所も多々あったのだが、少女は迷わずフウジョタウン行きを選択した。

カロスには四季がないから、此処で冬を感じたい。
そう紡いだ少女の目はどこまでも悲しげだった。イッシュという故郷に焦がれながら、それでも少女は旅を止めない。
人とコミュニケーションを取るのが苦手だと言いながら、言葉の通じないポケモン達の前では驚くほどに饒舌である。
頑張らなくちゃと言いながら、努力することが下手な少女だ。

それらのアンバランスさは、完全なものを善しとする男にとって、決して良いようには映らない筈だった。
しかしそれを知って尚、男はこの少女に関わることを止めなかった。それどころかそんな危なっかしい少女の旅のサポートをするために、あちこちで手を回すようになった。
控え目、ないしは引っ込み思案な少女に自分のそうした援助を受けさせる為に、幾つもの言い訳を考え、時には強引に働きかけた。

初めのうちは頑なに拒んでいた少女も、今では自分の好意から成されたことを受け取ってくれる。
フラダリさんがそう言ってくれるなら、と、自分のことを受け入れてくれている。
少女が精神的に成長したのか、男が変わってしまったのか、あるいはその両方であろうか。

「貴方は女性なのですから、むやみに身体を冷やしてはいけませんよ」

「私、まだ14歳ですよ」

「しかし、男性でないことは確かだ」

それもそうですね、と笑いながら、少女はふと、何かに気付いたようにその手を引っ込めた。
どうしました、と男が紡ぐと、困ったように視線を宙に漂わせた後に「何でもないです」と返ってくる。
こうした場合、何かしらの懸念を少女が抱いていると確信して間違いない。男は苦笑しながら「わたしには言い辛いですか」と言葉をそっと投げてみる。
少女はぱちぱちと2回瞬きをして、小さく首を振った。

「フラダリさんの手が冷えてしまうと思って」

ああ、成る程。男は苦笑して、少女の背中に隠された小さな手を引っ張り出した。
これに慌てたのは少女のほうで、フラダリさん、と咎めるように震えた声で紡いだ。

「では、わたしの温度を分けましょう」

それは男にとって何てことはない言葉である筈だった。しかしその声音を聞いた瞬間に少女は石のように固まってしまったのだ。
今度は男が慌てる番だった。自分は何かまずいことを言ってしまったのだろうか。

シェリー

呼びかけてみると、少女はとても悲しげに笑った。
男は息を飲んだ。つい先程まで、ポケモン達に負けじと雪の中で遊んできた筈の幼い少女は、今や全く違う顔をして自分に手を握られていたからだ。
そこに映る色はとても複雑で、男にはその全てを読み解くことは出来なかった。
しかし、そこには少しの動揺と、不安と、そして紛れもない歓喜があった。
傲慢にも程がある話である。しかしこの場ではそれが確固たる真実になり得ることを男は知っていたのだ。それはこの空間に掛けられた魔法のせいであった。

「温度はいいから、」

少女はもう片方の手を伸べて、その小さな両手で男の手を包んだ。
何か愛おしいものを抱きしめるように、その目が優しく細められた。

「私に、力を下さい」

その瞬間、男は背中を冷たいものが伝う心地がした。
この少女は「全て」知っているのではないかという、それこそ根拠のない不安が男に重くのしかかってきたのだ。
杞憂であればいい。自分が何をしている人間で、どういった目的で少女にこうした援助紛いのことを繰り返しているのかなど、彼女が知る筈がない。
きっと知らない。知ってはいけない。君はまだ、こんな汚れた世界のことなど知らなくていい。

それに、今ではそれすらも真実ではなくなってしまったのだ。

この危なっかしい少女を、それでいて何処までも旅に一途な少女を、恐らくは数日後、自分に敵意の目を向けるであろう少女を。
そこまで思いを巡らせてフラダリは気付いた。少女が楽しそうに笑っていたからだ。
少女はもう一度、何かとても愛おしいものを見るかのように目を細めた。

「ありがとうございます」

「……こちらこそ、わたしの我が儘に付き合って下さり、いつも感謝していますよ」

「ね?」

「……?」

「ほら、そういうところ」

そういうところとは、などと尋ねることが野暮であることくらい、この男にも解っていた。解って、しまった。
ぱちん、と何かが弾ける音がした。男の手を包む力がそっと強められた。
男がそれに応えるように握り返せば、少女は本当に嬉しそうに笑ったのだ。

2014.2.12

© 2024 雨袱紗