よい便りを待っています

例えば、例えばの話ですよ。人が死にたくなる時ってどんな時でしょうか。
人生に嫌気が差した時でしょうか。何の展望もなくなった時でしょうか。あるいは大切な人を失った時でしょうか。
私には解りません。想像なんてしたこともないし、それが欲しいと願ったこともなかった。
ああでも誤解しないで下さい。私には大切な人が沢山います。
私を導いてくれた博士や、私と一緒に戦った友達、それに遥か遠い場所には私の故郷もあります。
私の大切なものはあまりにも多すぎて、だから私は此処に来たんです。だってその全てが大切だと言えば貴方はそれに応えてくれましたか?
私は私だけの切符なんて要らないんです。だから貴方を止めたんです。

ところで私は死にたいと思ったことはありません。何故なら大切な人や場所やものが沢山あるからです。
それらはいつだって私を支えてくれました。だから私は今まで旅を続けて来られました。
その中には貴方も入っていました。
こんな、何の取り柄もない私を貴方は選ばれた者だと言ってくれたでしょう。嬉しかったんです。
その基準が何処にあるのかなんて考える必要は無かったんです。だって貴方がそう言ってくれたんだもの。それだけで私は信じられました。
けれど、それは貴方以外の全てを切って捨ててしまえる程の尊さではなかったんです。
だから私は貴方を否定しなければいけなかったんです。解ってくれなくてもいいけれど、ごめんなさい。ごめんなさい。

こんな、貴方からしてみれば選ばれた者であるのかもしれないけれど、私は何処にでもいる普通のポケモントレーナーです。
もし私を「選ばれし者」たらしめる要素があるとすれば、それは私のポケモン達がくれたものです。
私の力ではない。それは解っていました。でも私は貴方の言葉を信じて此処に来ました。
私にその力があるかどうかは問題ではないんです。要するにそれはただのきっかけだったんです。
貴方は私にそれをくれました。私はそれを拾うことも捨てることも出来ました。
でも、ねえ、貴方はこんなに優しいのに、どうして私が切り捨ててしまえたというんですか。

私は死にたいと思ったことはありません。でも、死にたくないと思ったこともないんです。
貴方は切符が欲しいのかと私に聞いてくれました。でも私は、仮に貴方を止める力が無かったとしても、きっと断ってしまったと思います。
何故なら私は生きたいとも思っていなかったからです。
確かに毎日はとても充実しているし、大切なものは沢山あります。
それでも、それが摂理なら仕方ないのかもしれないって思うんです。私は諦めることが得意です。
でもそのせいで、私が生きることにしがみ付かなかったせいで、私の大切なものが全て消えてしまうのは嫌でした。
私の押したボタンのせいで、……正確には違うのですが、でもそのせいで、皆が消えてしまう、それが耐えられなかった。
だから私は此処に居るんです。生きることを選べたんです。

ところで、どうして私は生きたいと思ったんでしょう。
怖かったけれど、それが実感として湧いたのは、あの綺麗な花を見てからでした。
あの時に「私は死ぬんだ」と思ったんです。あの時は死というよく解らないものが目の前にあったんです。
おかしいことですけれど、あの時私は自分が生きていることを実感しました。
私は今、生きている。その実感がとても尊いもののように感じられました。
何故でしょうか。私は考えていました。死んでしまうかもしれないのに、どうして私は生きていると思えたんだろう。
いや、死ぬかもしれないから生きていると解ったんだと私は気付きました。

死というものの反対が何なのかは解りません。
でも確かに死は、生きることと呼応していました。

ねえ、例えばの話ですが、色とりどりのお花畑の中に白い花を植えたとして、それは見つけられますか。
海の中に一滴の涙を落としたとして、それを貴方は見つけることが出来ますか。
私には出来ません。きっと貴方にも出来ません。
貴方がしようとしていることはそういうことなんです。白い壁に白い絵の具で絵を描いても誰も見てくれません。
もっと世界を見てください。貴方が美しいと思っているこの世界が、どうして美しいのかを貴方は考えたことがありますか。
美しいものを一つ一つ訪ね歩いて、その尊さに笑ったことがありますか。

こんなことはどうでもいいんです。世界が美しいとか美しくないとか、もう私にはどうだっていいんです。
だから私はもう此処から居なくなってもいい筈なのに、貴方がそれを許しません。
正確には貴方の選択が許しません。
よく考えろなんてもう言いません。私が貴方の考えを聞き入れることが出来なかったように、きっと貴方も私の考えに納得がいかないと思います。
でもね、フラダリさん。


「死なないで下さい」


花は咲いたままでもいいじゃないですか、何度だってやり直せばいいじゃないですか。
永遠は貴方から死を奪います。それは貴方から生を奪うということです。
私の我儘です。解っています。でもどうしても諦められないんです。
諦めることが得意だった筈なのに、私は貴方を諦めることが出来ないんです。
全てと引き換えに貴方を選べる程の尊さではなかったけれど、それでも私は貴方にも手を伸ばしてしまうんです。

私が此処に来て、この大きな機械を止めて、貴方を止めることが出来たのは、私が私の力を信じているからです。
私には未来を変える力があるって、ねえ、フラダリさんが言ってくれたんですよ。

「私と一緒に生きてください、フラダリさん」

「……」

「私は永遠の命より、貴方と居られる明日が欲しいです」

天井が口を開けて次の言葉を飲み込んだ。

2013.10.22

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