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「きっと争いは避けられないものだったんですよ」

私達は今日も、ミナモシティの浜辺に立ち寄り、その熱い砂浜に座り込んで話をしていた。
今日はどちらが再会の約束を交わした訳でも、時間帯を示し合わせた訳でもない。そんな内容の話を、昨日は全くしていなかった。
それでも私は、昨日と同じ時間にこの場所を訪れた。会いたいと思ったから、もっと話がしたいと思ったから。
彼もそう思ってくれているのかを、率直に尋ねることはどうしても躊躇われた。
けれど、私と同じ時間にこの場所にやって来てくれることが、その答えを示しているような気がした。少なくとも、私は彼に拒まれている訳ではないのだ。

「何のことを言ってんだ?」

「あれ、忘れちゃったんですか?アオギリさんが言ってくれたんですよ、私達に世界を受け継がせてくれるって」

持ってきていたサイコソーダの缶を開ける。舌が痛くなるような、この甘い炭酸が私は大好きだった。
アオギリさんにも同じものを渡す。わざとその缶を強く振ってから、溢れ出てきた泡を慌てて飲み干すその行動に私は思わず吹き出す。
彼曰く「泡がないと飲んだ気にならない」らしい。ビールと同じようなものだろうか。
私はビールを飲んだことが無いのでわからないが、あの飲み物は泡が命なのだと誰かが言っていたような気がする。

「貴方に会ったら、話そうと思っていたんです。
ルネシティで、かっこいい話をしてくれたでしょう?私、あれからずっと考えていたんです。私達が争わずに済む方法はないのかなって」

彼は私の紡いだ言葉に沈黙し、そして豪快に笑った。
そんな彼は私に、言ってくれたのだ。
大人には子供に、次の世界を受け継がせる義務があるのだと。その世界をどのように造り出していくのかを、一から考え直したいのだと。

『皆で一緒になって作り出せるモンなのか、それともやっぱりぶつかり合って争い合って手に入れていくモンなのか。』
その言葉が、ずっと私の心に根を下ろしていた。

彼は、悩んでいた。考えていた。そんな彼に全てを任せ、待っていることもできたのかもしれない。けれど私は、そうしなかった。
……どのみち、大人しく待っていられるような性格なら、今回の騒動に首を突っ込んだりしなかったのだろうけれど。
もし私がそんな性格なら、マグマ団とも対峙しないまま、アオギリさんとも出会わないまま、きっと、旅を求めることすらしなかっただろう。
そんな「もしも」の私に従うことは、私の性分を否定することに繋がる気がした。
私はいつだって、私に誇りを持っていたかった。無知で幼い私だけれど、それは誇りを持ってはいけない理由にはならない筈だ。
だから私は、大人の話に首を突っ込んでみることにした。

「それで?その結論がさっきの言葉か」

「はい。私達は、きっと争わずにはいられない生き物なんです」

「ほう。……どうしてそう思ったんだ」

聞かせろよ、と彼は少しだけ身を乗り出し、私を見据えて薄く笑ってみせた。
私の心臓は少しだけ跳ねる。軽やかなステップを踏むように、徐々にその速度は上がっていく。
そこには自分の少し尖った意見を、年上である彼に述べようとしていることへの緊張と、アオギリさんを前にした時のいつもの高揚とが混ざっている。

私は右手の人差し指を真っ直ぐに立てて笑った。
左手を広げて、同じように真っ直ぐに上げる。アオギリさんはそれを目で追い、首を僅かに傾げた。

「ある人が、こんなことを言いました。
一つしかないものは、分け合えない。分け合えないものは、奪い合う。奪い合えば、足りなくなる」

「……まあ、そうだろうな」

私は左手の指を3本だけ畳んだ。

「争わず、奪い合わずに生きていくには、命の数を減らすしかない」

彼の黒い目が大きく見開かれた。予想通りの反応がおかしくて私は小さく笑う。
折られた3本の指は、消えた命の数なのだ。それを理解した彼は大きな溜め息を吐いた。

「今の言葉は、カロス地方という場所で実際に起きた事件の首謀者の言葉です。
事実、その人は古代の兵器を起動させ、危うく、カロス地方の人やポケモンの命を奪おうとしていたようです。美しい世界の為に」

イッシュに住む友人から聞いたその事件は、強烈なインパクトをもって私の胸に突き刺さっていた。
間違っていない。間違ってはいないけれど、それに賛同してしまえば、何か大きなものを失ってしまう気がする。
しかし、ずっと拭えなかったその違和感を、私は彼が紡いだあの言葉で消し去ることができたのだ。

「そりゃあまた、とんでもねえことを言う奴がいたもんだな」

「でも、私は真実だと思います」

「……なんだよ、お前がそんな過激派だとは思っちゃいなかったが」

「あ、彼の意見に賛同している訳じゃないんですよ」

私は苦笑して手をひらひらと振り、否定の意を示した。
勿論、美しく生きる為に命が減ってしまえばいいなどと思っている訳ではない。
そうではないけれど、その発想に至るまでの彼の理論は正鵠を射ていた。そんなとんでもない考えを抱いてしまう彼の心境を、私は少しだけ理解することができたのだ。

「私達はきっとこれからも争います。正しいものを求めて、理想の世界を求めて争います。
それはきっと、世界が一つしかないからです。理想を個々に分け合うことはできないからです」

「……」

「皆で力を合わせて、協力するためには、皆の目指すところが一つに定まっていなければいけません。
理想は、世界は、分け合えないんです。だから皆、争う、奪い合う。
マグマ団とアクア団も、そうして争っていましたよね。世界を、奪い合っていましたよね。自らの理想を世界に当てはめるために、その権利を勝ち取るために」

彼を責める気はなかったのだが、口調がそのようになってしまったことに私は後ろめたい気持ちになった。
アオギリさんを責めている訳じゃないんです、と私は慌てて付け足した。

彼等もまた、争っていた。世界という一つしかないものを、分け合えないものを奪い合っていたのだ。
けれど、もしそうした争いを醜いものだとして、争う人の数を減らせばどうなるだろうか。
……勿論、争いはなくなるだろう。そして世界は何も変わらないだろう。
理想を求めて努力し、協力し合う人も、その理想が過激なものであるが故に暴走してしまう人も、それを止めに入ってくれる人もいない。
何も変わらない世界は、やがてその呼吸を止める。

カロスの彼が望んだ「美しい世界」は、きっと美しくあることを止めてしまう。
そんな止め絵のような世界を、私は望まない。

「でも私は、このよく解らない、複雑な世界が好きです」

笑顔で饒舌にまくし立てる。これは私のいつもの姿だった。
しかし饒舌に口から零れるその内容は、他愛もない戯言でなければいけなかった。
こんな風に、自分の主張であったり、相手を傷付けるおそれのあるものであったり、結論のない中途半端な議論であったりしてはいけないのだ。
他愛もない戯言。それは私の思うコミュニケーションの基本だった。全ての人と当たり障りなく接するにはこの戯言が最も効果的だと、私は知っていた。

「ちょっと過激な思想を持つ組織があって、その組織と対立する、これまたちょっと過激な組織があって、そんな彼等を止めに入る人間もいて。
彼等がぶつかり合って、争い合って、……そして、何かが必ず変わっていくから」

けれど、この人の前で私は戯言を紡ぎたくない。何故なら私はこの人に、どうしても伝えたいことがあるからだ。
この人に知ってほしいことがあるからだ。この人を知りたいからだ。
だから、そんな他愛もない言葉を並べ立てて逃げる訳にはいかない。

「綺麗に協力し合えることばかりじゃないんです。またぶつかり合って、争い合ったとして、私はそれが悪いことだとも、醜いことだとも思いません。
そうして世界は変わっていくから。止め絵のような上品な世界じゃなくて、忙しなくて複雑な世界を、私は貴方から受け継ぎたいと思ったから」

私は思わず笑ってしまった。
衝動に身を任せた、子供の戯言は、こんなにも纏まりがなくて、拙いものなのだと思い知らされたからだ。
私はこの人に伝えたいことをちゃんと伝えられたのだろうか。私の分かりにくい言葉を、彼は拾い上げてくれただろうか。

「だから、あまり自分を責めないでください。
アオギリさんが一人で悩む必要なんか、きっとこれっぽっちもなかったんですから」

最後に、本当に私が伝えたかったことを紡ぐと、彼は私の腕をとんでもない力で強く引いた。
濃い青が私の目の前に迫っていた。彼は私の背中に手を回して、先程の力が嘘だったかのような、壊れ物でも扱うようにそっと力を込めた。海の匂いがした。
どうしたんですか?と思わず尋ねると、彼は顔を見せてくれないままに小さく笑った。

「生意気なことを言いやがって。何処でそんな言葉を覚えてくるんだ?」

また同じようなことを言われてしまうだろうなと思いながら、しかし私は浮かんだその一言をそのまま紡ぐことにした。
案の定、彼は一瞬の沈黙の後で、笑いながら私のバンダナを強く引っ張る。

「貴方がくれたこの場所で」


2015.1.8

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