7

『昔々、本当に遠い昔、男とポケモンがいた。とても愛していた。
戦争が起きた。男の愛していたポケモンも戦争に使われた。
数年が経った。小さな箱を渡された。男は生き返らせたかった。どうしても、どうしても。
男は命を与えるキカイを造った。愛したポケモンを取り戻した。
男はあまりにも悲しんだため、怒りが収まらなかった。愛しているポケモンを傷付けた世界が許せなかった。キカイを最強の破壊兵器にした。
男は破壊の神となった。神により戦争は閉じられた。

永遠の命を与えられたポケモンは知っていたのだろう。命のエネルギーは多くのポケモンを犠牲としていたことを。
生き返ったポケモンは、男の元を去った。』

これは3000年前のカロスで起きた、実際の出来事である。
男の作った最終兵器は、3000年後のつい最近、男の弟の子孫である人間に利用され、危うくカロスは危機に瀕しかけた。
その危機を救ったのが、当時私よりも一つ年下であった14歳の少女であり、彼女を支えたのが私の友人であるのだが、それはまた別の話だ。

『愛するポケモンを生き返らせて何が悪いのか!そのポケモンが蘇るならば、他のポケモンに意味はない!』
3000年前の王が、命を与える機械を作りながら呟いたとされる、そんな言葉が残されている。
彼にとってそのポケモンは、どうしても救いたいと思える存在だったのだろう。他の全てを犠牲にしてまで、蘇らせたいと願える程の愛しさだったのだろう。

きっと、それはアオギリさんも同じだったのだ。

私にはまだ、解らない。私は家族のことも、一緒に旅をしたポケモンのことも、出会った沢山の人のことも、彼のことも、大切だ。
その誰かを救うために、他の誰かを犠牲にしようなどとは思えない。それ程の尊い存在に私はまだ出会っていない。
けれど、きっとその存在が、アオギリさんにとってはあのポケモンだったのだろう。
七日しか生きられなかったというそのポケモンを救う為なら、何もかもを始まりに還してもいいと思える程の尊さだったのだろう。

そして、それ程に大切な存在を思いながら、彼は3000年前の王とは真逆の選択をしたのだ。
生かしたいポケモンと、他の大勢の命。その重すぎる二つの選択肢を天秤に掛けながら、彼は他の大勢の命を選んだ。
それはきっと、「大人」としての選択であり、「組織のリーダー」としての行動だった。
だからこそ、「アオギリさん」という個人の思いは、今も尚、何処にも向かうことができずに迷い、悩み続けていたのだ。

私はどうしても、彼にその選択を後悔させたくなかったのだ。

「大人」として、「組織のリーダー」として、私達と世界のための選択をしてくれた彼に相応しい私でありたい。相応しい世界を作っていきたい。
いつか、私達や世界が前に進むことを止めてしまったとして、きっと彼は自分の選択を悔いるだろう。
「自分が大切なポケモンを諦めたのは、こんな奴等や世界を守るためなんかじゃない」
そんな風に、思ってほしくなかった。そんな悲しい後悔を、彼にしてほしくなかった。

『私、アオギリさんが選んでくれた世界に相応しい人になります。』
きっとそれは、私ができる本当に小さなことで、けれど私にしかできないことだった。
私一人の力で世界が大きく変わる筈はないけれど、その決意は、彼の思いを知った私でなければできないことだった。
私は子供で、無知で、幼い。けれどそれは、私が自身に誇りをもって生きてはいけない理由にはならない。

「アオギリさん、こんにちは」

私がこの海辺に顔を出すようになって、まだ、数日しか経っていない。
彼のことを知るにはまだ日が浅すぎたけれど、それでも、私達は戯言などではない、真摯で真剣な話を沢山交わした。
私は彼を知り始めていた。

「よう、トキちゃん」

砂浜を歩いていた彼は振り返り、片手を揚げて眩しく笑う。
駆け寄ってきた私の服装を一瞥した彼は、少しだけ呆れたように肩を竦めてみせた。

「女って奴は、とことん似たような服ばかり集めたがる生き物らしいな」

「アオギリさんはいつも同じ服ですものね」

「他の服だと、そのまま海に飛び込めねえだろ」

成る程、彼の特徴的な衣服は、泳ぐことを大前提に作られたものであるらしい。
「本当に海が好きなんですね」と言って笑うと、「オマエだってそうだろう」と返されてしまった。
それを言葉に出して否定することはしなかったが、実のところ、私は海が格別に好きだという訳ではない。
勿論、嫌いではないけれど、それは山や森と同じような自然に対する愛着に似ていた。海だけを特別に思ってはいない。
そう、私は海が好きではない。海が好きだから、毎日のように此処に来ている訳では決してない。

「そうだ、オレは明日から此処には来ねえから」

「え、どうしてですか?」

「サボってばかりもいられなくなったんだよ。大人は大人らしく働いて、少しでもマシな世界とやらを作ってやらねえと。そうだろ?」

その言葉に私は息を飲んだ。
前に進むことを躊躇い、自分の選択に悩み、苦しんでいた彼の、未来を真っ直ぐに見据えたその言葉がどうしようもなく嬉しかったのだ。
けれど、それは同時に、この時間が無くなってしまうことを意味していたのだ。それはとても喜ばしいことである筈だったのに、私は少しだけ悲しくなった。

「どうした、寂しいか?」

「あれ、どうして解ったんですか?」

彼は僅かに目を見開き、困ったように笑いながら私の頭をいつものように撫でてくれた。
この人は、私の中に芽生えたそんな感情を一笑に付すことはしない。他愛もない戯言で誤魔化すことはしない。
少しのからかいを含ませながらも、しっかりと受け止めてくれるのだ。彼はそういう人だった。

神経質で冷酷なマツブサさんと正反対に見える彼は、しかしマツブサさんがその纏う雰囲気に反してお茶目で優しい側面を持っていたのと同様に、
そんな粗暴で豪胆な雰囲気に反して、とても繊細で思慮深い側面を持っているのだと、私は重ねてきた彼との時間の中で察することができるようになっていた。

私は普段、絶やすことのない笑顔という形の装甲を纏っている。それは私なりの処世術だった。
私はこの装甲を愛用しているけれど、それは私だけに相当するものではなかったのかもしれないと思い始めていた。
彼等もまた、装甲を纏っているのだ。

マツブサさんにとって、それは組織を率いるために必要なカリスマ性だったのかもしれない。
アオギリさんにとって、それは大勢の団員から支持されるために必要なリーダー気質だったのかもしれない。
その結果がマツブサさんにとっての、神経質で冷酷な姿であり、アオギリさんにとっての、粗暴で豪胆な姿だったのだ。
それが仮の姿だと言っている訳ではない。けれど、きっと彼等の本質は別のところにあるのだろう。

その本質は、誰彼構わず曝け出せるものではない。装甲を剥がして向き合える相手など限られているからだ。
そしてその、アオギリさんにとっての限られた相手に私が含まれていたとして、私が見ることのできた彼の本質があったとして、
それは愛しいと微笑むに十分な温もりを持っているのは、当然のことだったのではないだろうか?

「日曜だ」

「!」

「日曜の昼からは、何の用事もない。あったとして、それまでに終わらせておいてやる。
だから、いい子で待ってな」

だから、私が再び交わされた再会の約束に安堵し、いつもの装甲をすっかり剥がして、泣きそうな顔でぎこちなく笑ったとして、それもきっと、当然のことだったのだ。
私も彼も前に進み始めていた。その彼の背中を押したのが私の言葉であればいい。そうでなければ、しかし、それはそれで構わない。
頬を海の水が伝った。まだ泳いでいないのにどうしてかしら、と、そんなことを思っていた。


2015.1.9

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