3

私達は小一時間ほど、浜辺を歩いて回った。
砂利や小石が集まっている場所には、それらに隠れるようにして幾つかのシーグラスが流れ着いていた。
アオギリさんはそれらを一つずつ拾い上げ、時にそれをポケットに仕舞い、時にそれを大きく振りかぶって海へと投げる。

「何を基準に選んでいるんですか?」

「基準?そうだな……。オレは色に拘りがある訳じゃねえんだ。形と、色の統一性で選ぶ。
一部がまだ透明のままだったり、角が取れていないものだったりするやつは、シーグラスとしては未熟だな。だからもう一度、海へ送ってやるんだ」

独自の理論を展開する彼が本当に楽しそうだったので、私は思わず笑ってしまった。
つまり彼は、ガラスの面影を残していない、透明な石の様相を呈しているシーグラスを好んで集めているらしい。
私も足元にあった、半分ほど透明な色を残している青いシーグラスを拾い上げ、海に向かって大きく振りかぶった。
アオギリさんが「お、」と珍しいものを見るように私の手元に注目する。
勢いよく私の手から投げ出されたその青は、波が引いている浅瀬まで飛んでいき、ぽちゃんと心地よい音を立てて沈んでいった。

「ほう、かなり遠くまで飛んだな。なかなか上手いじゃねえか」

「女の子だからって甘く見ないでくださいね」

アオギリさんが投げた距離には及ばないが、それなりに球技は得意だ。というより、身体を動かすことが好きだ。
彼は「悪かった」と笑いながら謝罪をして、再び砂浜を歩き始めた。

「箱入りのお嬢さんだって聞いていたから、旅なんか無理だろうと思っていたが、そうでもないらしいな」

「はい、ホウエン地方は大好きですよ。とっても楽しく旅しています。勿論、今も」

私にとって、今回の冒険は夢のような時間だった。全てが新しいことの連続で、全てが楽しいことばかりだった。
半ば「いつものバカンスに過ぎない」と冷めた気持ちで挑んだホウエン地方での旅は、私にとって忘れられない時間となった。

マグマ団と対峙し、世界の危機に立ち向かったことで「大変だったね」と私を労る大人を何人も見てきたけれど、私はそんなこと、これっぽっちも思わなかった。
大変だなんて、思ったことは一度もなかった。いつだって私は、私のしたいように動いた。
マグマ団の後を追ったのも、8つのジムに挑戦したのも、ポケモンリーグのチャンピオンになったのも、全部、全部楽しいことで、私のしたいことだったのだ。
強いられたことなんか、一つもなかった。私にとってこの旅は、幸福なもの以外の何物でもなかったのだ。

トキちゃん、旅を甘く見ない方がいいよ。』
だから、そう言って笑った私の友達が、こうして旅を終えた今でも、どうしても解せなかったのだ。
私よりも一つ年下の彼女は、一体、イッシュという土地の旅に何を見たのかしら?
こんなにも楽しい旅に、どうして彼女はあんな忠告をしたのかしら。

少しだけ、可哀想だと思った。多趣味で努力を厭わない彼女は、もしかしたら、自分で自分の首を絞めているのではないかと案じてしまったのだ。
彼女はいつだって「私の為だよ、私は私がしたいと思ったことしかしていない」と言って笑っていたが、あれは嘘だったのかもしれない。
彼女は私に引けを取らないくらい、とても嘘吐きな子なのかもしれない。

「アオギリさんは、正直な人ですか?」

思わず私はそう尋ねていた。彼は思いもよらぬ質問に「は?」と怪訝な顔をしてみせる。
その反応は至極当然のことだと私は苦笑しながら、それでも自らの好奇心に忠実であることにした。

「したくもないこと、苦しいことを、簡単にこなせる人ですか?言いたくもないことを、笑顔で言える人ですか?」

「……」

「そんな自分を、好きでいられる人ですか?」

いつものように、笑いながら返事をしてくれると思っていた。どう答えてくれるのかは解らなかったが、いずれにしても、それは笑顔で紡がれるものだと思っていた。
しかし彼はいつになく真剣な表情をして、考え込んでしまった。
長く続くかもしれないその沈黙に私は息を飲んだ。何気なく尋ねた言葉が、彼にそんな真剣な表情をもたらすものだとは思いもしなかった私は驚き、当惑した。
しかしそれは真剣な表情などではなかったのだ。それを私は、次の彼の言葉で察することになる。

「できねえな。……できたら、こんなに苦労してねえよ」

それはきっと、憂いだった。
どうしようもなく彼に似合わないその色を、しかし私は見逃さなかった。見逃せなかった。
「どうしたんですか?アオギリさんらしくないですよ」と、からかい混じりにそう言っていつものように笑うことは簡単にできた。
もしくは「つまらない質問をしてごめんなさい。大人の世界って、そんなに簡単じゃありませんよね」と、謝罪を紡ぐことも容易かった。
しかし私は、そうしなかった。子供である私は、そうした無難な言葉よりも、もっと自分の願いに忠実であることを選んだのだ。
「そんなに器用に立ち回れる人間ではない」という趣旨の弱音を零した彼を、他でもない私に零してくれた彼を、私は正しく理解したかった。

「オマエ、あれからマグマ団には会ったか?」

しかし、私が口を開くよりも先に、彼の質問が飛んでくる方が早かった。
此処でマグマ団の名前を出すアオギリさんの話の意図が読めなかったが、私は特に誤魔化すこともなく正直に伝えることにした。

「はい、よくアジトに遊びに行っていますよ。マツブサさんもホムラさんもカガリさんも、歓迎してくれます。
皆さん、新しい組織の方向性を定めて、それに向かって頑張っています。他の団員さんも、3人を慕っています」

「ははっ、あいつらがそんなに慕われる器だとは思わねえがな」

「そんなことないですよ。だってマグマ団の団員さん、言っていましたもの。
一からやり直すのは大変だけれど、それでも皆で頑張ればなんとかなるんじゃないかって。マグマ団は自分にとって、そう信じられる場所なんだって」

私は、そんな風に団員に慕われるマツブサさんやホムラさん、カガリさんのことを、素直に羨ましいと思うし、尊敬もしている。
自らを「間違っていた」と認め、反省し、新しく一からやり直す。マツブサさんのやり方はどこまでも潔く、美しかった。
大人はその地位とプライドが高ければ高い程に、自らの汚点をひたむきに隠そうとする生き物だと思っていた私は、彼等の真っ直ぐな在り方に感動していた。
けれど、全ての大人が彼等のように居られる訳ではないことを、私は知っていた。

「あいつは、立派になったんだな」

きっと、彼は、そう在れなかった人物の一人だ。
それは私の直感に過ぎなかったけれど、マツブサさんを「あいつ」と称した時のアオギリさんは、とても眩しそうな表情をしていた。
「あいつ」と自分との間に、私には見えない隔たりを彼は見ているのだと、私は気付いてしまった。

「……分からねえ。なんでそんなにあっさりと、今まで掲げていたモンを捨てられるんだろうな。
部下の為か?自分が率いた組織の為か?……生憎だがオレは、そんな出来た人間じゃねえんだ」

そして私は、ようやく理解する。
此処に立っているのは「大人」としての彼の姿ではなく、一人の人間である「アオギリさん」の姿なのだと。

『海か、大地か。オレたちはどっちかの幸せを追い求め、どっちかをぶっ潰そうとしてきた。
だが、世界のバランスがあるがままに戻りつつある今、真っ正面からそいつを考え直さねえと、イチからやり直さねえといけねえんじゃねぇか?』
マツブサさんに向けられた、その言葉は、大人としての彼の言葉だったのだ。私達に受け継がせる世界を作るための、大人が発するべき言葉だったのだ。
けれど、それと彼の本心とが必ずしも同じであるとは限らない。
現に彼はこうして、憂えている。悩んでいる。

「アオギリさん、明日もまた此処に来てください」

私はそう懇願していた。
あくまでも大人として、私の前に立ってくれていた彼が、この場で本音を零したその意味を、私は正しく理解していたかった。
その為には、もう少し彼と話をする必要があると思った。
彼が何を憂いて、何に悩んでいるのか。私は彼のことをあまりにも知らなさ過ぎた。
彼を、知りたいと思った。

「……なんだよ、こんなおっさんの愚痴が聞きたいのか?」

「はい」

即座に頷いた私に、彼は目を丸くして驚いた。


2015.1.8

© 2024 雨袱紗