Crazy Cold Case


Case6:泥土に咲く平和と知恵

Case6:オリーヴ
綺麗なものに囲まれていたいと思うのは、女の子として自然なことだと思う。お砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい。そういうもので出来ているのだと一般には教わるものだ。
それはこの女性においても例外ではなく、お花を愛し、歌を楽しみ、絵画を嗜んだりして育つことの有意義性について幼少の頃より飽きる程に説き伏せられてきたオリーヴは、
けれどもポケモントレーナーとしての旅立ちの日に、ヒメンカやシュシュプではなく、よりにもよってヤブクロンを自らのパートナーに選んだ。
品行方正、絵にかいたような淑女になるべく育てられてきたはずの彼女が、
悪臭を放つそのポケモンを両腕に抱いて幸せそうに笑う姿は、周りの大人にとってさぞや衝撃的だったに違いない。
彼等はこぞって彼女を非難し、その間違った選択に落胆した。彼女が「駄目な子」の烙印を押されて後ろ指を刺されるようになるまでそう時間は掛からなかった。

砂糖もスパイスも素敵なものも大好きだ。それらに見切りを付ける意味で相棒をヤブクロンとした訳では決してなかった。
ただ、仲良しだったからだ。ポケモントレーナーでさえなかった幼い頃から「彼女」はオリーヴと親しかった。
大人の目を盗んでゴミ捨て場へと毎日のように遊びに行き、服が汚れるのも構わず思いっきりはしゃげる時間を、オリーヴはこよなく愛していた。
オリーヴ自身が幸せを感じるには、とても楽しく幸福だと実感し愛めいたものに満たされるには、必ずしも、砂糖やスパイスや素敵なものが必要になる訳ではなかったのだ。
まだ年端も行かぬ頃から彼女にはそれが分かっていた。大人達には、分からなかった。彼女が弾かれる理由など、その程度のものでしかなかった。

「貴方も大丈夫なんだね、オリーヴさん」

ガラル鉱山の奥にはキラキラと瞬く鉱石が沢山ある。綺麗なものに囲まれて社会奉仕に励めるこの場所を、彼女もダストダスもいたく気に入っていた。
そんな場所にふらりと訪れたチャンピオンは、土埃に塗れた一人と一匹を労うように2本の美味しい水を差し出し、そんなことを言って腰を下ろした。

よかった、なんて、その唇からするりと滑り落ちた言葉にオリーヴはふんと鼻で笑う。
この少女に恨みなどない、むしろ自らの敬愛するローズをムゲンダイナから救う手助けをしてくれたのだからいくら感謝を示しても足りない。
けれどもこちらに寄せようとする気遣いめいたものは気に入らなかった。
そんなものは見栄を抜きにしても不要で、邪魔なものでしかなかったし、何より気遣われるべきは彼女の方であるような気がしたからだ。

「ローズさんという、大きすぎる拠り所から貴方の傍から消えてしまっても、貴方はこうしてずっと彼のことを思い、彼の存在を原動力として生きていくことができるんだね。
とても綺麗で美しい生き方だと思うよ。拠り所にされる側もきっと幸せに思うはずだ」

けれども続けざまにこのような言葉で、少女はオリーヴのささやかな牙を呆気なく抜き取っていく。
綺麗で美しい、と称されることはオリーヴにとって日常茶飯事だが、その形容が「生き方」にかかったことは未だかつてなかったような気がして、はっとさせられてしまったのだ。

この子供はオリーヴの激昂や派手で粗野なバトルの有様、そしてダストダスをかけがえのない相棒としていることを知っている。
「駄目な子」という烙印にささやかなトラウマがあることまで、おそらくオリーヴの分かりやすい表情から察している。
そんな彼女に「生き方」が「綺麗で美しい」と称される意味を、オリーヴは正しく理解し、震えた。お世辞やご機嫌取りの目的で紡がれた言葉でないことは明らかだった。
そして、少女の称賛するオリーヴの生き方によって、彼女の敬愛するローズが「幸せ」になっているはずだ、とまで言われてしまえば、もう、嬉しくならないはずがなかった。

幼少の頃のオリーヴは、ありのままの自身を隠すことができなかった。
ヤブクロンをこよなく愛し、泥に塗れゴミに埋もれた時間を楽しむ姿を表に出すことで起こる弊害について、彼女は悉く無知であった。
それはオリーヴが軽率だったという訳ではなく、そうした処世術を使いこなせる年齢でなかっただけのことなのだが、そのまっとうな幼さにより彼女が苦しんだことは確かだった。

このままならない社会で「駄目な子」の烙印を回避し上手に生きるには、綺麗なもので自らを飾り、優秀な人間として表舞台を堂々と歩く必要がある。
本当の、泥やゴミに塗れた幸福なありのままの自身というものは、そっと裏に隠して楽しむものだ。
年を重ね、大人になるにつれて、オリーヴはそうした処世術を心得るようになり、随分と器用に生き抜くことができるようになったものだった。

その過程で、ローズという素晴らしい人間に仕えることができたのは僥倖だったと心から思う。
彼の傍で綺麗に着飾り仕事に邁進できることは素直に楽しかった。隠れてダストダスと一緒にゴミの中で遊ぶ時間だってあった。
彼が今回の事件で罪に問われ、当分の間、共に働くことができなくなったとしても、この少女の言う通り、オリーヴはずっと彼のことを思い続けている。
いつまででも、待つつもりだった。そのためにできることは全てするつもりだった。
だから彼女は綺麗になった。だから彼女は泥とゴミに塗れた。だから彼女はローズを慕い、だから彼女はダストダスをずっとずっと愛している。
それが彼女であった。このガラルの革命めいた事件を経ても変わることのない、彼女の「美しく綺麗な」「生き方」であった。

目を閉じればあの日のローズの顔が浮かぶ。
ガラルをこよなく愛し、その未来を心から案じていた彼が、未来を生きる子供達に引導を渡した瞬間の、あの横顔を、オリーヴははっきりと思い出せる。
自首しちゃおっか、と朗らかに告げた彼の笑みにはひとつの陰りもなかった。貴方がそう考えるのならきっとそれが正しいのでしょう、とオリーヴも間髪入れず同意した。
あれは「幸せ」の表情だったのだろうか。オリーヴが勝手に拠り所としたことで、ローズは「幸せ」になれたのだろうか。
そうであればいい、と思う。もし本当にそうならどんなに嬉しいだろうと思う。
けれどもそんな夢見心地な祈りは、その「幸せ」を口にした目の前の少女の、大きな陰りを孕んだ暗い微笑みによって呆気なく折られていく。

「それじゃあ、貴方は今、ガラル中で一番幸せな人間でなければならないはず。そうでしょう、ユウリ」

ガラルの拠り所、というものがあるとすれば、それは間違いなくこの、紫のニットベレーを深く被った少女を置いて他にない。
にもかかわらずその憂えた様は何だ? どうしてローズ様のように笑ってくれない?
どうして貴方はそんな顔でわたくしの前に現れた? どうして、救われたがっているような表情のままにわたくしを気遣い、大丈夫、などと口にしている?
それらの言葉は音になることこそなかったが、少女はオリーヴの眉間のしわの深さを見て、言いたいことの大半を悟ったらしい。
その紅茶色の瞳は、オリーヴの柔らかな非難を、まるでひどく眩しいものを見るようなゆるい輝きで受け止めた。

「貴方は今や、ローズ様よりも多くの声援を浴びる身。誰もが貴方を慕い、貴方を称賛し、貴方の生き様にガラルの未来を見ています。貴方が、貴方こそが皆様の拠り所。
それなのに、まだ満足なさらないの? 何を手に入れれば貴方は満足するの?」

「逆だよオリーヴさん。手に入れられないことが遺憾なんじゃない、手放せないことが不満なんだ」

オリーヴは思わず、後ろで大人しく佇んでいる自らのパートナーを振り返った。
幼少の頃からのお友達、手放すことなど天地がひっくり返っても在り得ない相棒、ポケモンバトルにおいては彼女の切り札として強力な技で相手を圧倒するダストダス。
彼女を切り捨てようと思ったことが、これまでの人生において一度でもあっただろうか。
もしくは彼女と生きるために、綺麗で素敵なもののどれか一つでも諦めようと思ったことがあっただろうか。
元よりガラクタ漁りやゴミ弄りを相棒と共に楽しむ才があった彼女にとって、何かを「失う」ことで満足する、というこの少女の思考を理解することは途方もない困難を極めた。
だから、どういうことなのかと説明を求めようとした。けれどもオリーヴが尋ねるより先に、饒舌な彼女はすらすらと歌うように紡ぎ始めた。

「ガラルの救世主。10年ぶりの新チャンピオン。ダンデさん以上の実力を持つ最強のポケモントレーナー。私はその、どれでもないつもりだ。どれを名乗りたくもないんだ。
全て手放してしまいたい。ただ一人のポケモントレーナーとして、冒険やバトルやキャンプを楽しんでいた頃の私に戻りたい」

輝かしい称号を背負ってガラルの街を歩く彼女と、美しく着飾り優秀な業績を収める自身の姿とが重なった。
ワイルドエリアでポケモン達とキャンプを楽しむ純朴な笑みを湛えた彼女と、ダストダスと一緒に泥に塗れゴミに埋もれることを愛する自身の姿ともまた、同時に重なった。
表でそれらしく振る舞い、裏で隠れて楽しむ。オリーヴにはそれができるようになっていた。けれどもそれを同じように彼女が行うことはほぼ不可能であるように思われた。
それ程に、彼女はガラルにとって重大な存在になってしまっていた。誰もが彼女を知り、誰もが彼女を湛え、誰もが彼女に期待していた。
彼女にはもう、オリーヴのように「隠れる」場所など残されていないように思われたのだ。

「それが呆気なく叶ってしまうほど、軽い場所ではなかったということなんだよね、ガラルという土地は。
ローズさんが守りたいと願ったガラルは、たった14歳の子供の我が儘で切り捨てられるほど、薄っぺらいものでは決してない。そうなんだよね、そういうことなんだよね」

苦すぎる砂糖、喉が焼ける程に辛いスパイス、そして周りが素敵だとばかり称賛する名声や栄光の何もかも。そういうものでこの少女は出来ている。
彼女も本当は、泥に塗れゴミに埋もれていたいのではないだろうか。大多数がガラクタだと唾棄する代物こそを信じていたいのではないだろうか。

「ええ、その通りですとも。あの方の愛したガラルはとても……」

そうだとしても、オリーヴがこの少女にできることは何もない。
オリーヴもまた、この少女の歩みにガラルの輝かしい未来を見ようとする人間の一人に過ぎず、
彼女が手放したいと嘆く名声や期待や栄光の、そのどれをも奪い取ることの叶わない存在でしかなかったからだ。
自身のことを過小評価したくはなかったが、流石にこの少女を隣に置いてしまえばガラルの人間のうち99%が同じ答えを返すだろう。
自分がこの少女のためにできることは残念ながら何もない。応援はしているが、協力はできない。
きっと誰もがそう言うのだ。そうやって彼女の微笑みは少しずつ暗くなっていったに違いないのだ。

だが幸いなことに、オリーヴは残りの1%に属するであろう人間を知っていた。自身にできることがあるとすれば、彼女を、その1%のもとに導くことだけであった。

「ローズ様と、何か話したいことがあるのでしょう? もし手続きの仕方が分からないようであれば、わたくしが連れて行って差し上げますよ」

2020.4.1


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