800歩先で逢いましょう(第二章)

8(flashback)

 ヨロイ島へと呼ばれたのは、私がチャンピオンになって数か月後のことだった。

 ガラルの冠がダンデさんから私へ受け渡された直後は、シュートシティでひっきりなしにトーナメントの開催があった。出席がチャンピオンの責務だと思っていたから、招待されるがままに全て参加した。ただ十回、二十回とあの場所で試合を繰り返せばもう、ガラルのポケモントレーナーたちは、私とダンデさんとの明確な違いにすっかり気付いてしまっていた。彼等の言葉をお借りするなら、私のバトルはどうにも「魅力と盛り上がりに欠け」「つまらない」らしいのだ。当然と言えば当然かもしれない。だって私は「インテレオンたちと一緒に勝つため」の戦いをすることで頭がいっぱいで「ガラルのポケモントレーナーたちの士気を盛り上げるため」に見せ場のある戦いを演出することには全く意識が向いていなかったからだ。
 私は楽しい。楽しかった。インテレオンたちと一緒に戦っていて楽しくなかったことなど一度もなかった。でも観客の皆さんは退屈そうにしている。つまらなさそうに、楽しくなさそうにしている。楽しくない空気の中で戦っていると「楽しんではいけないのでは」と思えてきて、楽しんでいることが罪のようにさえ思われてきて、どうにもあの場所が苦手になった。「新人の今後に期待」として長い目で見守ってくださる方もいたけれど、一部のリーグファンたちの熱はこの頃既に私のせいで冷め始めていた。「もうガラルのバトルが一世を風靡した時代は終わった」というような評判が、SNSのアカウントを一切持っていない私の耳にさえ、記者の声を通じて入るようにさえなっていた。

 何とかしなければと奮起しかけた頃、ヨロイ島への切符が私の手元にやって来た。行ったことのない島での修行を経ることで、私もダンデさんのようにガラルを盛り上げる戦いができるようになることを期待した。当時は、そう期待していた。
 でもヨロイ島での時間が私にくれたのはそうしたものではなかった。ダンデさんを模倣することをあの島は良しとしてはくれなかったのだ。代わりにヨロイ島は「私のありのままで戦うこと」を全面的に肯定し、私に「ただ、戦う」ことの楽しさを鮮明に思い出させてくれた。加えて、新しい家族と呼べる人たちだって出来た。尊敬できる道場の師匠、お母さんには似ていないけれどどこか「母」を思わせるおかみさん、明るくて気さくな門下生たち、質の悪い大好きな兄弟子……。家族と呼びたい人、ただいまを言いたい相手、私を許してくれる全てがあの島には揃っていた。長くあの場所に留まることで、当初の予定……ダンデさんのようになるという私の計画は大きく狂った。でも構わなかった。それ以上にかけがえのないものを得たと信じていたからだ。

 ただそうした体験を経ても尚、チャンピオンとしての私の舞台は変わらずシュートシティにある。ガラルのポケモントレーナーは変わらず盛り上がるバトルを期待している。期待に応えるための術をろくに身に付けないまま修行から戻ってきた私への風当たりは、想像していた通りかなり、強かった。周囲の落胆と批判を笑顔で跳ね除けて楽しくバトルを続けることなどそう長くできるはずもなく……私はヨロイ島へ来る前のように、少しずつ、少しずつ疲れていった。
 それでも「変わらなくていい」と態度で示してくれた家族たちを思い出せば、塞ぎ込まずに済んだ。私の聞き分けがよく大人びた部分ではなく質の悪い部分を「揃い」だとして喜んでくれる人のことをずっと信じていられたから、私は傷付きながらも笑っていられた。「魅せる」バトルの才が自分にないことにはもうとっくに気付いていたけれど、それでも勝ち続けることができたのは、「勝つだけの自分」を嫌いにならずに済んだのは、あの島での時間のおかげだと今でもそう思っている。

『君が夢を叶えられる人であるという証人になろう』
 この頃、私はシュートシティで戦い続ける理由を「彼を待つため」とするようになっていた。半年間のポケモンの世話を命じられた彼が、ジムリーダーになるべく道場で必死に特訓を続けていることを知っていたからだ。

 彼がかつて、チャンピオンである私と並び立つことを端から諦めるような発言をしていたことを覚えている。『いつかワタクシもあのスタジアムであなたと戦えればいいのに』『でもそんな日はきっと永遠に来ない』と、心の内を開示してくれたあの夕方のことを今でもはっきりと思い出せる。そんなかつての自身の言葉を返上するかのようにヤドランたちと特訓に励んでいることも知っている。その成果もあって、彼が確実に強くなっていることもまた分かっている。
 そんな彼の夢のひとつが、私の苦しむあのシュートスタジアムの上にあるのなら、そこに私がいることで彼の夢が完成するのなら……であるならば私はそこに意味を見たい。私が苦しみながらも戦い続ける意味を「彼を待つため」としていたい。

 この考えは私に底知れぬ力をくれた。ダイマックスをせずに試合を終えてしまいブーイングを食らった日、記者や取材関係者からそれとなくSNSに蔓延る落胆と批判を告げられた日、私のリーグカードがスタジアムのゴミ箱に捨てられているのを見つけた日……それ以降も少なからず色々とあったけれど、どんな時にだって心を折らずに済んだのは、彼の夢、ひいては私の夢にさえ転じたそれのおかげだった。

 いつか、彼が此処に来てくれたなら、この場所を世界中の誰よりも楽しんでくれたなら。それこそが私の此処に立つ意味になり、これまでの苦痛もきっと全て清算される。
 受けた批判や陰口も、辛い仕打ちも、才を持たない私の不甲斐なさも、貴方が来てくれるなら全部チャラだ。他にはきっと何も要らない。本気でそう思っていた。

 さて。
 カンムリ雪原への切符が、ヨロイ島の切符と同じく突如として手元にやって来たのは、彼に課せられたポケモンの世話の期限、その半年が終わりかけた晩秋の頃だった。
 修行と銘打ってリーグスタッフにしばらくの間、トーナメントを欠席することを伝え、私はガラル地方の南部に向かった。一面の銀世界、新しい人やポケモンとの出会い、各地に点在する遺跡の謎、その全てにわくわくした。この雪原での時間もヨロイ島のように素晴らしいものになると確信していた。ムゲンダイナと戦ったことも伝説のポケモンを捕まえたこともチャンピオンになったことも全て置き捨てて、ただのポケモントレーナーとしての旅を全力で楽しめる時間が、また、戻ってきたのだと。

「ふむ、やはり強靭な肉体である。すまぬが少々借りさせていただこう」

 豊穣の王、を名乗る尋常ならざる神様が、ピオニーさんの体を乗っ取り人の言葉で私に訴えかけてくるまでは、本当にそう信じていたのだ。

*

「人間はヨとのキズナをとうに忘れ去ったであるな。……いやなに、嘆いてなどはおらぬ! ヨは豊穣の王! 人間に期待するほど浅はかではないのである」

 人間に期待をしていない、人間の信仰には最早頼らない、と口にした身で、このポケモンは人間である私の力を借りるため、人間であるピオニーさんの体を奪った。人の言葉をピオニーさんに喋らせ、いいように自らの通訳機として使う、そんな「エスパーパワー」に嫌悪感を覚えてしまったのは最早仕方のないことだったのだろう。彼の方がずっと素敵なエスパーパワーの使い方をする、と思ってしまったのだって、私の贔屓目のせい、というだけではないはずだ。

 王、を名乗る通り、力を失いながらもこの神様は高慢だった。住民への聞き取り、かつての愛馬の好物であったニンジンの種を仕入れること、昔の畑を探すこと、力のない自分の代わりに現れた愛馬と戦うこと、その愛馬を手懐けるために必要なタズナの製作を住民に依頼すること……他にもあったような気がする。
 とにかく沢山のことを神様に頼まれた。困っている相手を放ってはおけないし、ピオニーさんを早く解放してあげたい気持ちもあったので迅速に手伝いを進めたけれど、ただその間、楽しいとか面白いとか役に立てて嬉しいとかいう感覚は一切なく、ただひどく恐ろしくて、早く終わらせてこの神様とお別れしたくて、必死だったことを覚えている。

 恐ろしかった、としたけれど、別に神様は私に脅しを掛けたりはしなかった。ひどい我が儘や駄々捏ねを働いたりもしなかった。ちょっと忘れっぽくて、うっかりしているようなところには可愛らしさというか、愛嬌のようなものさえ見て取れた。出会ったばかりの「彼」の方がずっと「質が悪い」ものだったとさえ言えよう。
 それでも私は最後まで、この神様に心を開けなかった。ポケモンであるはずの相手が人を乗っ取り、人の言葉を操り、人と同じように私へ期待を寄せる様が、どうしようもなく怖かったのだ。この神様の有無を言わせない期待は……それこそ、ガラルのポケモントレーナーたちがチャンピオンである私に寄せていたのと同じような種類の「貴方ならきっとやってくれるはず、そうだろう」という、こちらに切り捨てる余地を与えてくれないタイプの期待に、とてもよく似ていたからだ。
 それでも、そうして人のままで終わってくれたなら私もこの神様のことを受け入れられた。豊穣の王と呼ばれたポケモンは、ポケモンだけでなく人の上にさえ立つ必要があるのだと、それ故の高慢であり、人の使役や乗っ取りであったのだと、そのように納得ができた。

「……して、どうであろう」
「どう、とは?」
「今のヨを捕らえることができたなら、オヌシを認め、その道に力を貸そうぞ」

 だというのに、白い愛馬に跨り本来の力を取り戻した神様は、この土地を守る役目を取り戻してこれから先、やるべきことが沢山あるはずの神様は……あろうことかずっと借りていた人の言葉を手放し、ただのポケモンに立ち返って私にポケモンバトルを挑み、私に「捕獲されること」を提案してきたのだ。

「……」

 この、……この神様は。
 人を乗っ取り、人の言葉を操り、人に期待などしていないと口にした身で自らの力を取り戻すため、私に幾度となく頼み事を繰り返してきたというのに、今更……今更言葉を手放してポケモンに立ち返り、私のボールに入ろうとするのか!

「いや、遠慮しておくよ。貴方の力は借りない。どうかこの雪原のため、取り戻したその力を皆さんのために使ってあげてほしい。さようなら」

 それでも、此処はムゲンダイナが目覚めたあの塔の上ではない。この神様を「捕まえなければならない」理由など存在しない。現に神様だって「捕らえることができたならオヌシを認め」と言った。それが高慢さによる遠回しな「捕獲してほしい」という願いだったとしても、それを私が聞き届けなければいけない道理も最早、ない。
 豊穣の王、雪原の神様に一礼して私は踵を返した。一刻も早くこのカンムリ神殿から立ち去るべく走り出した。程なくして動揺の鳴き声と共に蹄の音が聞こえてきたので、私は振り返らないままに大声で叫んだ。

「付いて来ないで!」

 此処がヨロイ島やワイルドエリアだったならその悲鳴に似た声は大きく木霊したのだろう。けれど音を吸い込む冷たい雪に覆われたこの山では、私のそれも大した迫力にはなってくれなかった。それでもかの蹄を怯ませるには十分だったらしく、神様の歩みは、そこで止まる。

「私、もう十分、貴方のために頑張ったよね? もう責務は果たし尽くしたよね? だったらもう何も期待しないでほしい」
「……」
「私は、貴方のトレーナーにだけは絶対にならない」

2021.10.26

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