11 あの夜、彼が放った「覚悟のかさ増し」という言葉の意味を私はすぐに知ることができなかった。次の日からトオルさんは研究所を空け、数日間戻ってこなかったからだ。 博士曰く「隣島のジャングルへ調査に行きたいと言っていた」とのことだったけれど、彼は普段、専らリタやフィルのバックアップに徹していると聞いていたから、このタイミングで出掛けていったことが少々意外だった。何となく「かさ増しすべき覚悟」を集めに行ったのではないかとぼんやり考えたけれど、それを確認する術は私にはない。故に私は昨日までと同じように此処へ留まり、ボールの代わりにカメラを構えて写真を撮るほかになかったのだ。 ただ、撮りたいものも行きたい場所も尽きることがなく、退屈する暇さえなかったのは幸いだった。ネオワン号に乗り込んで調査を繰り返すことでその数日はあっという間に過ぎていった。とにかく忙しくて、慌ただしくて、やはりとても楽しかった。 夜にフロレオ自然公園の花畑へと向かえば、花の蜜を集めているビークインとミツハニーたちに会うことができた。昼間はぐっすりと眠っていたホーホーは、ばっちり目を覚ました状態で看板の前に立ちじっとこちらを見ていて、その機嫌の良さに思わず笑ってしまう。同じく夜に動きが活発になると思われるヘラクロスやカイロスの動きを追うのも楽しかった。互いに敵視し合っているように思われたこの二匹だけれど、敵対できるということはよきライバルでもあるということで……草むらの影からこっそり覗き見れば、ニンフィアを交えて楽しそうに談笑しているところを撮影することができた。 また、イルミナオーブを使いこなせるならと、博士は夜にネオワン号を新しい場所へと飛ばしてくれた。レンティルにはイルミナスポットと呼ばれる、イルミナ現象が盛んに確認される場所が幾つかあるらしい。そのうちの一つが公園の近くにあるというのだ。 「折角だからレンティルの名物も見ておいで。このフロレオ島にいるイルミナポケモンは大人しいから撮影もしやすいと思うよ」 「大人しくないイルミナポケモンも中にはいる、ということ?」 「彼等はイルミナフォースという、オーラ……生命エネルギーを体に溜め込んで発光している状態だからね。普通のポケモンよりもより活発に動くものなんだよ」 そうした説明を受けた後に向かった場所には、確かにあの水色を眩しく発光させる大きなポケモンがいた。炎を持っていたり体に電気を蓄えたりして明るく光るポケモンたちは少なからず知っているけれど、このような不思議な光の模様を携えたポケモンはガラルでもついぞ見ない。水色を取り込んで瞬くその在り様を私は素直に「羨ましい」と感じた。ちょっと夢見がちで恥ずかしい話だけれど、私もあんな風に水色を取り込んで光ってみたいな、とさえ思ってしまったのだった。 イーブイやニンフィアがそのポケモンを追いかけている。若草色の大きな身体に流れるイルミナフォースの波模様が美しすぎて、しばらくカメラを構えることを忘れてしまっていた。慌ててイルミナオーブを投げてそのポケモンを光で満たし、一気に輝いたところを撮影すれば「メガニウム」と表示される。その発光、エネルギーの放出を喜ぶように崖の上からよく似た色の小さなポケモンが飛び出してきて、メガニウムの頭の上に乗った。いきなり飛び乗られてもメガニウムは全く慌てず、嫌がる様子もなく、むしろ歓迎するように機嫌良く笑いながら歩幅を大きくして草原を歩き始めた。 「指輪の色にそっくりだ」 思わずそう呟いていた。メガニウム……イルミナポケモンの体に浮かぶ模様とその光の流れを見ていると、トオルさんが赤いカットソーの内側へ大切に仕舞い込んでいた、彼の大好きな後輩である少女からの贈り物が自然と想起される。 ルイがこの水色を気に入ったのは、おそらく私がセイボリーの水色にこの上なく魅入られてしまったのと同じ理由だろう。あんな綺麗で神秘的なもの、一度見てしまえばもう二度と忘れられそうにない。きっと彼女の頭の記憶領域にも、深く深く感動のしわが刻まれたはずだ。そこまではきっと、私もルイも同じはずだ。 ただ私はあの水色に「信仰」を見たけれど、ルイはこの水色に「同化願望」を見たのかもしれないと、少し思う。大好きな水色を取り込んで光ることができたならと、彼女もこの光を見たときに思ったのではなかろうか。大好きな存在が大好きな色と共に在ったなら、それはもうきっと、夢など見ずとも十分に夢のような光景であるはずだ。大好きなトオルさんには大好きな水色の光がきっとよく似合う。そのように考えたとしてもおかしな話ではない、気がする。 彼へのプレゼントとして「指輪」を選んだのは、間違いなく彼女の可愛らしい恋心による「予約」のためだ。でもそれが水色でなければならなかった理由は、この光へ寄せる強烈な感動、同化願望、そんなものが作用したためであったのかもしれない。 「トオルさんは、表に出しておくのが気恥ずかしくて、カットソーの内側に指輪を仕舞い込んでいたみたいだけれど」 今、此処にいない少女に向けて語り掛ける。トラブルメーカーであり、どんなポケモンにも愛され、また同じだけ愛し返すことが大得意であったという、小さくて大きな恋心によりキラキラと瞬く星のような女の子へと、言葉を編む。 「でもそのおかげで、本当に彼の『内側』から光が溢れているように見えるよね」 そこまで見越してあれを贈ったのだとしたら、それはもう、とんでもないことだと思う。並みの乙女にできる策謀ではない。トオルさんはとんでもなく頭の良い少女に愛されてしまったらしい。 勿論、それが「私の大好きな色の指輪で『予約』をしたい」「大好きな色を大好きな人に付けてほしい」という、可愛らしい純朴な気持ちの引き起こした素敵な偶然であったとしても、それはそれでひどく素敵なことだと思う。 星はただそこにあるだけで綺麗なものだ。小さく遠くとも確かな光となるものだ。 「とってもセンスのいいプレゼントだ。トオルさんの胸元で仄かに光る、あれこそが貴方のイルミナフォースで、貴方にしか放てない想いの輝きなんだろうね」 ね、二人、とってもお似合いだよ。やはり、貴方がたは一緒にいるべきだ。 * 数日ぶりに戻ってきたトオルさんは、疲労困憊した様子で「シャワーを浴びるよ」とだけ話し、研究所に入って行った。しばらくして出てきた彼は髪の毛を乾かさないまま、食事さえ摂ることをせずに、ムックルが賑やかに囀る朝のコテージへとふらふらと足を運び、倒れ込むように中へと入り、そのまま夕方まで出て来なかった。 「久しぶりの本格的なフィールドワークで疲れたんだろうね。きっと夕食はカビゴンに負けないくらい食べるだろうから、ホットサンドを十人前くらい作っておかないと」 楽しそうにそう告げる博士に「お手伝いできることはあるかな」と尋ねたのだけれど、渡されたのは包丁でも薄切り食パンでもなくやはりカメラだった。 「珍しい模様のビビヨンがこの研究所で見つかることがあるらしいんだ。以前ルイが見つけたことがあるんだけど、見切れてしまっていてね」 見せてもらった写真には赤と白の羽らしき部分が左側へと僅かに映り込んでいて、成る程これは難易度が高そうだと思い、俄然気合が入った。 トオルさんの昼寝が終わるのを待っていたことなどすっかり忘れ、私は博士から頼まれたその調査にまたしても夢中になった。景色からビビヨンに遭遇しやすい位置を特定し、あれこれと試してみる。ただ残念なことに、一向に現れる気配がない。天候によって遭遇しやすさが変わったりするのだろうか、と考えながらふわりんごをむやみやたらに投げていると、木の上で休んでいたムックルを驚かせてしまった。一斉に飛び立ったムックルたちの行き先を追っていると、木の陰からお目当てのポケモンがようやく姿を現した。 「あっ!」 現した……のはいいのだけれど、出てきたビビヨンの模様が、写真で見せてもらったものとかなり違っていた。花畑を描いたような、黄緑と白をベースにした爽やかな模様で、ルイが以前撮ったという、赤と白のコントラストが眩しい写真のそれとは似ても似つかない。博士のリクエストは残念ながら達成できなかったようだ。ただ、ビビヨンの羽の模様は複数ある、という情報をこの目で確認できただけでも大きな成果だった。 「……やあ、おはようユウリ。相変わらず元気だねえ」 「ふふ、もう夕方だよトオルさん。遠方への調査、大変だったんだね」 「そりゃあもう。おっ、何かいいものが撮れた顔をしているね。僕にも見せて」 撮影したばかりのビビヨンを見せれば、彼は「見たことのない模様だ」と驚きとても喜んでくれた。聞けばビビヨンというポケモンの羽は非常に種類が多く、有名なものだけでも十四、五種、珍しいものも含めれば二十種ほどになるのではと言われているらしい。生息地によって模様を変えるのは、砂地や花畑や海上へと上手に姿を紛れさせるため、要するに身を守るための術であるようだった。 「いやぁ、寝起きにいいものを見たおかげですっかり目が覚めたよ。ありがとう!」 「あはは、お役に立てたなら何よりだ」 「それじゃあ僕も珍しいものを見せてあげよう。ジャングルではこいつを探していたんだ。ただ、昔の勘ですぐに見つかったはいいものの、追いかけっこに苦戦させられてね。話をするまでに随分と苦労したよ」 話? 首を傾げる私に、トオルさんは笑いながらカメラをこちらへと向けてくれた。画面の中央には、目を細めて嬉しそうに微笑んでいると思しきピンク色のポケモンが映っている。三角の小さな耳とひょろりと長い尻尾、大きな青い目がとても可愛らしい。翼は見当たらないけれど、どうやらこのポケモンは宙に浮かぶことができるようだった。 「ミュウというんだよ」 「ミュウ……ガラルでは見たことがないな。レンティル地方ではよく見かけるポケモンなの?」 「まさか! 僕もこの土地にミュウが来ているなんて思いもしなかったよ。ただキミをこちらへ飛ばしてきた神様のような存在が、もしこのレンティルにもいるなら……僕の知る限り、そんな『悪戯』ができるのはミュウくらいだと思ったんだ」 その言葉で、ミュウというのが決して私達の身近で見られるようなポケモンではないことが手に取るように分かってしまう。少なくとも、コテージの傍に毎朝やって来ては賑やかな鳴き声で私達を起こしてくれるムックルたち、彼等のような気軽さでお目に掛かれる存在ではないのだろう。きっとどこかの地方ではこのミュウも、王であったり伝説であったり幻であったり……そうしたものとして語り継がれてきたに違いない。 「さっき『昔の勘』と言ったね。貴方はそのミュウと知り合いだったの?」 「知り合いと言われれば確かにそうかな。カメラ片手によく追いかけっこをして遊んだよ。あちこち飛び回って消えたり現れたりを繰り返すから、なかなかピントが合わなくて苦労させられた」 「あはは、それはミュウも楽しかったろうね。こちらではその、以前のように一緒に遊んだりはしないの?」 「今のミュウの遊び相手は専らルイだよ。だから気になったんだ。ルイとの『遊び』が高じて『悪戯』をやらかしてしまったんじゃないかってね」 どうだった、と尋ねるまでもなかった。にっと得意気に笑いながら肩を竦めるトオルさんの表情が、彼の勘の的中をこれ以上ないくらいはっきりと示している。 「こちらでの『悪戯』の犯人も分かった。協力もおそらく得られるだろう。でもその前に、キミに『悪戯』を施した方の神様を納得させてあげないとね」 そう言いながら、彼は肩に下げていた大きなナップサックをひっくり返す。豪快な音を立てて、雪崩のような勢いで大量に転がり出た「それ」に、息を飲んだ。 2021.10.29
800歩先で逢いましょう(第二章)