800歩先で逢いましょう(第一章)

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 彼女がセイボリーを「セイボリーさん」と呼ぶようになって五日が経った頃、一人の少年がヨロイ島を再訪した。彼女のジムチャレンジ時代のライバルであり、ユウリが相応の信頼を置いていた相手、ホップである。
 彼に事情を説明し、今は会わない方が、と伝えるべきだろうか、とミセスおかみは少々悩んでいた。けれどもシショーはそんな彼女の逡巡を柔らかく受け止めてから「何も心配ないよ」と笑い、何の躊躇いもなくユウリを呼び出した。そして彼女の肩を励ますようにポンと叩いて「ユウリちんのお友達が来てくれたよ」とホップを紹介してみせたのだった。

「ユウリ! 久しぶりだな。此処での暮らしにはもう慣れたか?」
「え、えっと、はい。皆さんとてもよくしてくれています」
「へへっ、だろうな。皆ユウリのこと大好きだからさ。あ、もっと言葉砕いていいよ。オレたち同い年なんだ」

 予想外だったのは、ホップの順応性がセイボリーの想定した以上に高かったことだ。ミセスおかみが事前に「ユウリはちょっと記憶が混乱していて、あたしたちのことをよく覚えていないみたいでね」と伝えただけで、彼は「初対面でありながらユウリのことをとてもよく知っている不思議な人物」としての模範的な立ち回りを完璧にこなしてみせたのだ。
 怯えたように彼を見る変わり果てた姿のユウリを前に、この少年はショックや混乱の類を微塵も顔に出さず、ニコニコと普段通りに笑っていた。あまりにも出来た振る舞いだった。

「オレはホップ。旅に出る前のハロンタウンではよく一緒に遊んだんだ。ユウリがどうしてるのかなって心配だったんだけど、でも此処で皆と一緒に暮らしているのなら安心だな!」
「そう、だね。心配してくれてありがとう、ホップ。その……君のこと、上手く思い出せなくてごめんなさい」
「そんなこと気にすんなって! 話してくれてありがとな。ユウリこそ、急に何もかも分からなくなってびっくりしただろう? 大丈夫だったか?」

 シショーといい、インテレオンといい、ホップといい、彼女の周りには適切な配慮のできる人間が多すぎる。その出来すぎた配慮は、ユウリがこのような状態だから急遽為されている、という訳ではおそらくない。その細やかな気遣いを常とする気質は彼等本来のものなのだろう。
 尋常でない人間の周りには、尋常でない人間が集まりやすい。良い意味でも、悪い意味でも。

「うん、最初は怖かったけど、今はもう平気。皆も、インテレオンもいてくれるし」
「そうだな。まあ、焦らなくても大丈夫だって。唐突になくなった記憶なら、またきっと唐突に見つかるよ!」
「本当? 元に戻るかな?」
「勿論だ! 落とし物は持ち主を忘れたりなんかしない、きっと帰ってきてくれる」

 やや詩人めいたその前向きが過ぎる言葉に、けれどもユウリは相当の感銘を受けたようだった。自らの喉でその響きを味わうように、きっと帰ってきてくれる、と繰り返して嬉しそうに笑いながら、彼女はホップの手を取った。その行動にホップもやや驚いたようであったが、握手のようなものだろうと解釈したのか、同じように笑って握り返し、ぶんぶんと元気よく振ってみせた。

「ありがとう。そうだよね、きっと元に戻るよね」

 彼等のような「適切さ」が自身にもあればいいのにとセイボリーは思う。自分も彼等のように良い意味で「尋常でない」人間であれば、とも考える。けれど互いの「質の悪さ」を指摘し合い、それこそが互いのかけがえのないお揃いだとして笑い合った過去が、セイボリーの「よき支援者としての振る舞い」にブレーキを掛ける。

 お断りだ。良い人になどなりたくない。あなたが好んでくれたのは、そのようなお利口なワタクシでは決してなかったのだから。ワタクシはただ、あなたが「君でなければいけない」と言ってくれた、そのままのワタクシで居続けたいだけなのだから。

2021.10.6

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