小話たち2

お酒その1【VSアルコール・優勢】(年齢操作あり)

 冷たいゼリーを直に脳髄へ押し当てられているかのような心地良さである。紅茶ともケーキとも違う甘い香りに頬が綻ぶ。チャイナブルーの大好きな色を喉に通し、夜の雰囲気にどっぷりと浸かる。隣から刺さる恨めし気な視線はカクテルと同じ水色だ。

「二十になればいよいよお揃いになれると思っていたんだけれど、そう簡単にはいかないみたいだね。君のアルコール耐性を舐めていたよ。まさか二杯で潰れてしまうなんて」
「七杯目を涼しい顔で飲むあなたの方がどうかしていると思いますけどねえ!」

 カウンターに頬を乗せた彼はぐずるようにそう零して頭を緩く振った。狭く暗く絞られたオレンジの証明の下、長い髪がいつもとは違う煌めき方で揺れる。互いに心地良く酔える量をもっと上手く探りたかったのに、加減を誤ったせいでこの有様だ。低度数のものを二杯、もしくは今日くらいのものを一杯まで。次回の予定を大まかに立ててから、彼の視線に合わせるべくカウンターに頬を付ける。細められた水色は随分と眠そうだ。

「次からはもう少し控えようね。ここまで酔われてしまってはろくに話もできやしない」
「っふふ、まだ話し足りない? ではお好きなだけどうぞ。ちゃんと聞いていますから」
「君から同じだけの言葉が返ってこないなんて面白くないだろう?」
「ああ、それは失礼。でも今はワタクシ加減を誤りこのザマですので、あなたが二人分お喋りなさいな。今日はそれが欲しくて時間を作ったんですよ。……ええ、その、声」

 私の話を子守歌に使おうとする図々しさ、私の声はその歌に足るものだという舌足らずの通達、七杯目にしてようやく赤に染まる顔。なんだ、私でも酔えるんじゃないか。


お酒その2【VSアルコール・劣勢】(年齢制限あり)

 紅茶の気配を宿したお酒の洗礼により、私の矜持は二口目で粉々に打ち砕かれた。

「ダージリンはお嫌いでしたか? ああそれとも、ホットミルク割りをご所望で?」
「そうじゃない! ダージリンは好きだよ、ただ思っていたよりずっと、その……」
「アルコールが入っただけで、ここまで飲みにくくなるものだとは思わなかった?」

 その通りだ。口を押えて何度か頷き肯定の意を示すだけでも既に辛い。喉に焼き付くようなアルコールの気配も、爽やかさを通り越して痛みさえ覚えるレモンの酸味も、私にはどうにも馴染まない。これは飲み下すべきではないものだ。危険で不快で恐ろしいものだ。そうした判断が呼吸さえ躊躇わせる。匂いをこれ以上吸い込みたくなかった。

「信じられないよ! こんなものをよくもそこまで豪快に飲めたものだねセイボリー!」

 紅茶色のそれをロックで喉へ流し込みつつ私の抗議を笑いながら聞いていた彼は、けれども揶揄うように私の顔を覗き込むや否や、その上機嫌な笑みのままに立ち上がり、私の肩を掴んで外へと引きずり出した。冷たい夜風を思いきり吸い込む私の前で、笑顔を崩した彼が不安そうに息を吐き出す。そんな顔をさせるなんて、許せないな、私が。

「あなたねえ、気分が悪いならそう言いなさいな。酷い顔色ですよ」
「悪かったね、たった一杯のティーカクテルさえ満足に飲めないお子様で」
「ええ、正直、ここまでとは想定外でした。……苦しかったでしょう、すみませんね」

 首を振りながら情けなさに笑む。呆れも後悔も飲み込んで再び笑った彼に倣っただけのこと。ああ本当にお笑い種、君と同じことを楽しめないで何が「大人」だ。悔しい!


【8月32日】

「あなたもワタクシを見捨てるのですか?」

 パキッ、と聞こえたそれは、私を流れる血液が一瞬にして凍る音に違いなかった。そんなことを言わせた私への後悔、そんなことを言う彼への憤怒、この状況の遣る瀬無さ、背中に刺さる声の震え方。そうしたもの全てが心臓に怠慢を働かせた。鼓動さえ止まってしまいそうであった。恐ろしくなって乱暴に息を吸った。嫌だ、殺されるものか。

「ふざけたことを言わないでほしい! 私は」

 君を救うために来たのでも、君を支えるために留まっていたのでもない。私が私のために生きるのはそんなに悪いこと? 君にそこまで言われなければならない程のもの?
 そうした癇癪じみた激情の嵐を展開し、彼を怯ませることはきっと簡単にできた。勝利を約束する言葉、けれどもそれを私は続けざまに吐き出すことができなかった。勢いよく振り返った私の腕を、彼がその「手」で掴んだからだ。

「行かないでください、一人にしないでください。……見捨てないで、ユウリ」
「……本気でそう思うなら、どうしてもっと容赦なく引き留めないの? こんな、振り払う猶予を与えるような、逃亡を呆気なく許すようなやり方は、悪手だよ、セイボリー」

 その長い指でたった一指し、それだけで私はふわりと地面から引き剥がされ、気が済むまでずっと彼のもの。そうすることなど造作もないはずなのに、彼はその最善手を選べない。質の悪い兄弟子の、痛々しい程に思慮深く臆病な本質をこのような形で見てしまっては、……ほら、こんな致命的な悪手にさえ、私は白旗を上げずにはいられない。


読書その1【謎めく神秘の色は水】

 畳の間に下りるところの段差を椅子代わりにして腰掛けた、随分と寛いだゆるい姿勢の彼の手元にその本はあった。湯気を失ったミルクティーがマグカップの中で沈黙している。差し出したのは二十分も前のこと。あの様子では一口も飲んでいないな? 苦笑しつつ私はそっと歩み寄る。時刻は深夜零時、大人の夜更かしにしては妥当なところ。そんな夜のお供に、子供の私はいよいよ不釣り合い。少し悔しくなったので、ミルクティーをどかして隣に座る。綺麗に乾いた長いブロンドからふわりと優しく何かが香る。また一枚、ページが乾いた音で捲られて、その香りを夜の空気ごと栞のように、挟む。

「何を読んでいるの?」

 こちらを向いた彼が「どうぞ当てて御覧なさいな」と雄弁に笑う。パラパラと軽快に響く紙の音が私の視線をそちらに引き戻していく。長い指がヒントとして示す単語は、過去と現在と未来、亡霊、三人の精霊、クリスマス、教訓、祈誓、そんなところ。けれどもその途中、手袋を嵌めていないその指先が、いつもの淡い水色を湛えたことに驚いてしまい、私は「クリスマス・キャロル」の回答を、更なる質問で上書きする。

「何を浮かせているの?」

 かの水色が指に在るのだからそういうことだ。確信をもって私は尋ねる。けれども彼は眉を下げつつ指を畳んで「さあ?」などと困ったように笑うだけ。「偶に、勝手に灯ることがあるもので」なんて、彼自身にさえ紐解かれぬままの神秘性。ねえ、類稀なる水色よ、君を隣で読ませてほしい。いっとう美しいその謎を解いてみたいんだ。


読書その2【物語よこちら、指差す方へ】

 祈るように文字を追う。黒いインクが綴る概念を指でなぞり、浮かせて、抱き込んでいく。夜の暗さも畳の冷たさもミルクティーの匂いも、指をつつく乾いた紙の鋭さも、努めて静かに歩く妹弟子の、その絶妙に不器用な雑音さえ愛してゆく。何を読むかは重要だ。いつ、どこで読むかは時にそれ以上に重要だ。けれども「誰と読むか」という要素の致命性についてセイボリーはついぞ考えたことがなかった。そう、この時までは。

「何を読んでいるの?」

 クリスマスの話ですよ。ご立派なあなたには不要と思しき寓話ですが、エレガントな言い回しだけでも楽しんでいかれますか? ワタクシ、もう何度も読んでいるので。
 懇切丁寧な説明、そんな親切は紳士的であるが兄弟子的ではない。そして深夜零時の夜更かしを気ままに楽しむ彼は既に紳士では在り得ない。故に彼は質の悪い兄弟子よろしく問題を出す。当てて御覧と笑いながら文字を指す。いやに博識で聡明な彼女はきっとこの本を知っているはず。そして彼女がタイトルを言い当てたその瞬間、この一冊はセイボリーにとっての、そう、致命的で決定的なものへと化けてしまうに違いないのだ。

「何を浮かせているの?」

 けれども零れたのは、本のタイトルよりも二億倍ほど回答が困難な新しい問い。物語を紙面の檻から吸い上げている、などという概念の浮遊話、浮かれた夢物語はまだ気恥ずかしくて語れない。いつか開示できるその日まで「しんぴのまもり」に隠しておこう。謎で包めば、あなたはこちらの方をこそ、読みたいと思ってくださるに違いない。


【差異を飲む砂、踏む踵】

 休日が待ち遠しくなった。強くなるための鍛錬を欠こうと思ったことなどなかったのだけれど、師匠に「上手な息抜きも修行のうち」として兄弟子と共に道場の外へと放り出され、行くアテもなく二人で島を散策してみるとこれが存外楽しい。火を通さずに齧る木の実の尖った味わいも、裸足で砂浜を踏み拉く心地良さも、そろそろ帰りますよと手を引かれた時の名残惜しささえ、きっと私は此処に来なければ知らぬままだった。
 初めての休日をくれた師匠へ感謝を、楽しい気付きを共有してくれる兄弟子へ尊敬を、寄り道を許せるようになった私へ少しの肯定を。そんな素敵な感情に満ちた休日がまたやって来る。既に楽しくて仕方がない。彼に先んじて道場を飛び出し、一礼平原の砂浜を意味もなく夢中で疾走する程度には、私のはしゃぎようはもう、どうしようもない。

「あこれ、ワタクシを置いていくとは! ちょっとお待ちなさいな!」

 焦った声と足音を遠くに聞きつつ更に走る。ヤドンの尻尾を蹴らないようにぴょんと大きく飛び越えて、ほっと吐いた安堵の息がふたつに重なる。すぐ隣に来ていた彼に驚いて振り返れば、深く抉るようなその靴跡が、私のそれの倍以上の間隔を空けて砂浜に置かれている。豪速のテレポートでこちらに追い付き、やれやれと苦笑する美しい彼への「認識」が劇的に塗り替わる。大人と子供、男性と女性。ああほらこんなことでさえ。

「セイボリー、私達ってこんなに違うんだね! 気付かなかった!」

 そんな事実を誇るように笑った彼は、けれどもすぐに靴の踵を私の隣に並べた。私の狭い歩幅に合わせて歩きさえするせいで、そんな違いも砂の中、たちまち見えなくなる。


【クスノキの煙の向こう、樟脳の傷を触れて埋めて】

「あの、もし。セルロイド製の櫛を探しているのですが、取り扱いはございますか?」

 陳列棚の影から現れたその青年、丸い眼鏡にブロンドに薄い青の瞳。頭上で激しく存在を主張する黒いシルクハットの高さも相まって、記憶に在る痛ましい泣き姿よりも倍近く背を伸ばしているように見える。随分と大きくなったものだ、と老齢の店主は感慨に目を細める。青年も気恥ずかしそうに眉を下げつつその笑顔へと同調する。

「おや坊ちゃん、お久しぶりで。……櫛、贈り物ですか?」
「ハイお久しぶりです。ええそんなところですよ、髪の手入れを怠りがちなお転婆を最近、妹弟子に持ったもので」

 経年劣化したセルロイド人形の脆い頬に興味本位で指を伸べ、加減を誤りつつき割ってしまい、青ざめた顔でごめんなさいと繰り返すあの泣き顔の面影は、今の垂れ目にも色濃く残っている。もっとぷにぷにしているものだと思った、痛くするつもりじゃなかった、ごめんなさい、なおしてくださいお願いします。嗚咽交じりにそう零しながら、指で触れることをひどく恐れたらしい彼はあろうことか割れた少女の人形を「浮かせて」店主の前へと差し出してきた。触れずとも動かすその力を目撃した時の衝撃は今でも覚えている。そしてこの子が「女の子を傷付けた」という事実を一生忘れられず、その手で触れることを恐れながら成長していくことになるのだろうという、残酷な確信を抱いた瞬間のひどい絶望感も。

「ではこれなんか如何で? 髪飾りにしても映えますよ」
「……ああ、カンザシのようにも使えるのですね! ではこの、黄色い花の描かれたエレガントな一品を頂けますか?」

 快諾し、ラッピングのための箱を取り出したのだが青年に不要だと断られてしまった。曰く「使うのはワタクシだから」とのこと。成る程彼が直々に梳くのか、と合点がいった店主は、この繊細な青年が「お転婆な妹弟子」の髪にこの櫛を通しているところを想像した。穏やかな顔で女の子の髪や首筋に指を伸べるその姿を想像した。にわかに「赦し」を与えられた心地になって店主は笑った。嬉しかったのだ、とても。
 そんな店主の歓喜と安堵を読んだかのように、代金を過不足なくきっちり揃えて出した青年は「恐れを完全に手放せた訳ではありませんが、ある程度は」と、あの日壊した女の子に似た顔のセルロイド人形へと視線を滑らせつつそう零した。

「人への触れ方の加減を、もっと強くしても壊れたりしないということを、やや強引に教え込まれてしまったもので」
「おやおや、まるで誰かのほっぺをつついたことがあるかのような言い方ですな。いやはや実に微笑ましい」

 確信をもってそう冷やかしつつその櫛を手渡せば、彼は子供のように顔を染めつつ、けれどもどこか誇らしげに笑った。

「ありがとう、ミスター。今度こそ大切にいたします」


【牙剥く悲鳴にアンコール】

 ポコッ、ペン。ポコペコポコペコ。おかみさんがホウエン地方の知り合いから譲ってもらったらしい、楽しい音の出る綺麗な硝子細工。一人ひとつずつ用意されたそれを道場の皆で吹いて遊んでいると、外での特訓を終えたらしいセイボリーが食堂に現れた。ビードロとは初対面らしく首を傾げる彼に、君の分だよと告げて差し出す。けれども彼は、吹き口の、ストロー並みに細いところを摘まむ私の持ち方を危険だと判断したらしく、あろうことかビードロの底面を掴むように指を引っ掛けて受け取ろうとしたのだ。
 音を鳴らす部分である最も薄く繊細なところが、加減を誤った彼の指により呆気なく割れる。パキン、と甲高い悲鳴のように轟くそれは、息を吹き込めば繰り返し鳴る楽しい音ではなく、二度とは戻ってこない唯一の重い音だ。命を削るように叫ばれた音だ。皆の悲鳴がそこに混じる。青ざめた顔で愕然とする彼の指に破片が容赦なく刺さる。人差し指の付近、手袋の黒と紫に別の色が混ざる。赤い血が滲んでいる。どうしよう、痛そうだ、辛そうだ、泣いてしまいそうだ、彼が。
 焦った私は人差し指で己がビードロの底を思いきり突く。パリン、と先程よりも大きな悲鳴が私の指先にも噛み付いてくる。血が勢いよく床に降る。手袋を嵌めていない分、私の負傷の方が凄惨に見えてしまう。確かに痛い、これは痛い! でもこれでもう辛くない。こんな狂態を目の前で演じる私を見てしまえば、彼はきっと泣くことなどできやしない。ほら、今のうちにその顔色を戻しなよ、揃いの怪我で待っていてあげるから。

「硝子は人より鋭いくせに人よりずっと繊細だから、困ってしまうよ。……痛かったね」


【悪魔、再来。】(ラーメンを食べた回「あなたは悪魔か」の約一週間後に執筆)

 外出の予定とその行き先を告げたところ、おかみさんは慌てて私とセイボリーを引き留め、「悪魔からの奇襲を防ぐ鎧」と称して黒いカットソーを差し出してきた。その尋常でない気迫に押される形で何度も頷いた私達は、揃いの鎧を身に纏い、戦場へ赴き、今、その悪魔と対峙している。目の前にやって来た熱々のカレーうどんに箸を構えつつ、はて、と私は首を捻る。汚れてもいい服の提供、その気遣いは確かに有難い。けれどこれでは、汁を飛ばされたことに憤る彼の姿が見られないまま終わってしまうのでは?

「あなた今、ミセスおかみに対してとても失礼なことを考えましたね?」
「えっ、……そ、そうだよその通り! 凄いな、私の不服が君には筒抜けなんだね」

 向かいから飛んできた呆れの視線を、称賛の言葉で打ち返して笑う。本日の食事にカレー
うどんを選んだ理由、汁を飛ばされたことに憤慨した先週の彼がとても楽しかったから、という個人的な事情は声に出していない。にもかかわらずこの発言、心を読んでいるかのようだ。勿論、彼の超能力に関する事情を揶揄する意図はない。ただどういった仕組みであれ「彼に見抜かれた」という事実が面白く、心地よく、嬉しいだけだ。

「何、こちらも同じような失礼を考えてしまっただけの話ですよ。あなたに対して思いきり怒れるような、先週の如き正当な理由を、ワタクシ常に探しているものですから」

 訂正、どうやら彼が働かせたのはテレパシーではなくシンクロの方だったらしい! 嬉しさを通り越して恥ずかしくなった私は俯き、照れ隠しの要領で勢いよくうどんをすすった。期待していた以上の雷が悲鳴の形で轟く。汁は彼の眼鏡に飛んでいた。

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