3コールの手品師

※曲と短編企画2、参考BGM「Holy Land」

これで何度目だろう。私は大きく溜め息を吐いた。

カロス地方の降水量は、ある特定の地域に偏っている。
特に東側のマウンテンカロスと呼ばれる地域では、水溜まりが沼地となり、積もった雪が壁のようになる場所もあるらしい。
私はそれを、アクロマさんとの事前調査で知っていた筈なのに、またしても傘を携帯していなかったのだ。
そして此処はそのマウンテンカロス。ミアレシティの北東にあるゲートを抜けた先、14番道路の公園で私は途方に暮れていた。
またやってしまった。傘を携帯する習慣のない私は、こうしていつも突然の雨によりずぶ濡れになってしまうのだ。

ロトムがふわふわと楽しそうに雨の中を泳いでいる。透ける体を雨は素通りし、芝生の上へと落ちていく。
彼は雨が降ろうが雪が降ろうが何の差支えもない。空から降って来るその不思議な水を、寧ろ楽しんでいるかのような素振りを見せる。
私は雨に降られる度に、このロトムが羨ましくなる。彼は雨に濡れたところで、服が重くなることも、目に雨が入って不快な思いをすることもないのだから。
……ああ、けれどポケモンの声が聞こえるNさんなら、「カレは寧ろキミのように、雨に打たれてみたいと思っているようだよ」と教えてくれるのかもしれない。
私にはポケモンの声は聞こえないから、それは推測でしかないのだけれど。

それでもそんな推測で私の気分は少しだけ持ち直す。
既にびっしょりと濡れてしまった私は、いつも傘を忘れてしまうこの残念な頭の中で、この雨を受け入れて楽しむ準備を始めていたのだ。

「こんなに雨の降る地域に公園を作るなんて、カロスの人は雨が好きなのかしら?」

ね、とロトムに問い掛ければ、彼はクスクスと密やかな笑い声を立てる。
折角だ、この公園で雨が止むのを待ってみよう。にわか雨なら直ぐに止んでくれるだろうし、そうでなければ運が悪かったということで、今日の冒険は諦めよう。
ミアレシティのポケモンセンターに借りた宿で、今もポケモンの調査レポートをまとめているアクロマさんのところに潔く戻ろう。
きっと彼はびしょ濡れになった私を見て、呆れたように笑いながらバスタオルを出してくれるに違いないから。

「……」

しかし、雨が止むのを待つためだけに時間を過ごすのは、とても勿体ないことであるような気がした。
私は公園にあったブランコに腰掛け、肩に提げていた鞄を膝の上に乗せた。
カロスでの冒険を機に新しく買ったこの鞄には、いつ雨に降られてもいいように、防水加工が施されている。
更に念のため、その中にもビニール袋を敷き込んでいる。万が一鞄の中に水が入ったとしても、ノートや本が駄目になってしまわないようになっているのだ。

その鞄のサイドポケットから、私は小さな機械を取り出す。
この機械には防水機能が付いているらしく、水溜まりに落とした程度では壊れたりしないのだと私は説明を受けていた。
イッシュ地方にはライブキャスターという名の通信機器が流通しているが、それは地方を跨げば使えなくなってしまう。
地方を跨いで会話をするための通信機器がこの携帯電話であり、私はとある人物にこれを買い与えられていた。

小さな画面を起動させれば、たった一つの連絡先が表示される。その番号が誰の携帯に繋がるものなのか、私は知っている。
『お前が面白いことを話せたことがただの一度でもありましたか?』
そんな風に私をからかったあの人に、私は毎日のように電話をしていた。

一回の電話は5分、長い時でも10分程度で終わる。
今日、何をしたか。どんなポケモンと出会ったか。カロスのどの辺りを旅したのか。そんな他愛もないことを私は話していた。彼は疎ましがらずに聞いてくれた。
『いいのですよ、私はお前のそのつまらない話を待つために、その機械を購入したのですから。』
私の話が本当につまらなかったとして、別にそれは構わないのだ。
私の話をつまらないと称した当人が、そのつまらない話を待ってくれているのだという事実は、私の胸をほんのりと温かくした。

数秒の躊躇の後で、私はそのボタンを押した。
3回目のコール音が止み、2秒ほどの沈黙が訪れたその後で、その青い携帯電話は低いバリトンをこのカロスに運んでくる。

『何かありましたか?』

いつだって、この会話は彼のこの言葉で始まるのだ。
つまらない話をしてもいい、寧ろそれを待っているのだと言った彼は、しかし私の連絡にいつも「何か困ったことが起きたのか?」と最初に尋ねてくれる。
その小さな矛盾に楽しくなる。私が大切に思う人が私を多少なりとも案じてくれているというその事実に、嬉しくなる。

「はい、今日も楽しくカロスを走り回っていますよ」

『……お前はまたつまらない話を私に聞かせるつもりですか。』

「聞いてくれますか?」

『好きにしなさい。』

ここまでが私達の電話の「テンプレート」だ。
いつだって私達の5分間はこうして始まる。彼は私のつまらない話を聞いてくれる。

私は毎日、彼に電話を掛けていたけれど、その時間帯は必ずしも決まっている訳ではなかった。
朝に掛ける時もあったし、夜が更けた頃に掛ける時もあった。けれど彼はどんな時間帯のコールにも、3コールを挟んで応えてくれた。
私はそれが少しだけ不思議だった。彼にも電話に出られない時間帯だってある筈なのに、どうしていつでも3回のコールで繋がってしまうのだろう。
私は彼に「電話に出られない時間帯」を聞いてみたことがあった。けれど彼は私の問いを一笑に付し、こう言ったのだ。

『何を馬鹿なことを。私がお前の電話一本も取れないような要領の悪い男に見えるのですか。』

事実、彼が3回以上コールを長引かせたことも、電話に出てくれなかったことも、これまで一度もなかった。
私は彼の「要領の良さ」に感心しながら、けれど何かが少しおかしいな、とも思っていた。
どんなに要領のいい人間でも、例えば大事な仕事をしている時や、お風呂に入っている時などに、たった3コールで出ることなんて不可能であるように感じられたのだ。
けれどそれを指摘して、真実を引きずり出す必要はなかった。そんなことをせずとも、私は不安に思わなかったし、この時間はとても楽しかったからだ。

『ところで、お前はまた雨に降られているのですか。』

彼の指摘に私は苦笑しながら「はい」と返事を返す。
どうやらこの高等な機械は、雨の音をも正確に拾い上げて彼の元へと届けてしまうらしい。
私がいつものように傘を忘れ、足止めを食らっていることくらい、彼にはお見通しだったのだ。

「雨に濡れながらブランコに乗るのも、たまには楽しいですね。幸い、此処はあまり寒くありませんし」

『ブランコ……?お前、まさか屋根の下にいないのですか?』

「だって、既に取り返しがつかない程に濡れてしまっているんです。それならいっそ、この通り雨が止むまで遊んでおこうかなって」

その言葉に彼は数秒の沈黙を落とした。
どうしたのだろう、と思っていると、その機械は彼の大きな溜め息を運んでくる。
『風邪を引いて寝込むようなことになっても知りませんよ。』と、まるで母のような忠告に私はまたしても笑った。

今日は何処へ行く予定だったのですか。
クノエシティという町に行こうと思っていました。ボール工場や、フェアリータイプのポケモンジムがあるんですよ。
ミアレのポケモンセンターに、光の石を送っておきました。
ゲーチスさん、私のフラベベはまだフラエッテにもなっていないんですよ?進化はまだ先の話です。
アクロマにポケモン調査の経過を送るように伝えておきなさい。
解りました、ゲーチスさんが痺れを切らしていると言っておきますね。……冗談ですよ?
そんな会話を積み重ねる。5分はあっという間にやって来る。

「それじゃあ、また電話しますね」

『……期待せずに待っておきましょう。』

そう言って電話は小さな電子音を立てて切れた。雨は少し弱くなったけれど、まだ止む気配を見せない。
今日はもう戻ろうかしら。そう思いながら携帯電話を鞄に仕舞った、その瞬間だった。

シアさん、こんなところで何をしているのですか!」

大きな紺色の傘を差して、白衣を身に纏ったアクロマさんが駆け寄って来る。
あまりのことに私は言葉を失っていたのだが、彼は手に持っていたタオルを私の頭に被せて大声でまくし立てた。

「何故、戻って来なかったのです!」

「えっと、そろそろ雨が上がるかな、と思って……。ほら、この地域は通り雨が多いじゃないですか」

シアさん、自然と根競べをするのは感心しませんね。雨が上がるより先に、貴方の身体が冷え切ってしまいますよ。……ああ、もう既に手遅れでしたか」

私の手を取った彼は、困ったように笑ってそう紡ぐ。
弱くなった雨はもう止むかもしれないけれど、今日の冒険は中止になりそうだ。
ここまで心配してくれている彼を置いて、びしょ濡れの服のままに次の町を目指すことはできそうにない。
私は彼の傘に入れてもらい、この静かな公園を後にした。彼が頭に掛けてくれたタオルで髪を拭きながら、私はふと、口に出してはいけない疑問を思い、微笑む。

どうして彼は私の居場所と、私が雨に濡れていることを知っていたのだろう?


2015.3.19
秋雨さん、素敵なBGMのご紹介、ありがとうございました!

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